Twitterから:飛鳥がドレスでお風呂に入る話
暖かい目で見てやってください。
夕方、営業を終えた俺は担当アイドルにこう言った。
「これから君にはドレス姿で風呂に入ってもらう」
「ちょっと待てプロデューサーどういう事だ」
事務所のソファに腰掛ける飛鳥は、酷く混乱した様子で待ったをかける。
「どういう事も何も、仕事のオファーだよ。先方から『アブノーマルな魅力に溢れた写真が欲しい』と言われてな。それで思い付いたのが『ドレス姿で風呂に入る二宮飛鳥』って訳だ」
飛鳥は短く息を吐き、頭を振る。軽く腰を浮かせて前のめりになっていた姿勢を戻し、ソファに深く腰を沈めた。
「何故そうなる。確かに、入浴という行為はボクたちの表面を覆うモノを外して行うのが普通だ。その点衣服を纏って入浴するのはアブノーマルと言える。だが何故ボクなんだ。何故よりによってドレスなんだ。というか、そもそもアブノーマルな写真を求めるのは何故なんだ」
唐突に振られた不可解な仕事に納得いかないのか、飛鳥は足と腕を組んで詳しい説明を求める。
非常に面倒ではあるが、説明を求められた以上はそれに応える必要がある。長丁場に備え、俺はどっかと飛鳥の正面に腰を下ろした。
「いやだって、俺はお前の担当プロデューサーだし……お前を選んだ理由は俺に仕事を振られたからだよ」
「……そういえばそうだったね。担当プロデューサーに伝えられた仕事である以上、その仕事が担当アイドルの仕事になるのは当然の帰結だった」
「まぁそこは問題ないだろ?次にドレス姿である理由だ。第一に、ドレスという非日常的な衣服と風呂場という日常的な生活の場のミスマッチ感だ。要求は『アブノーマル』だから、違和感があった方がよりアブノーマルな構図になると考えた」
それを聞いた飛鳥は額に手を当て、深々と息を吐いた。
どうやら呆れられてしまったようだ。
……真面目に考えたのになぁ。
飛鳥は組んだ腕を解き、膝に頬杖をついてジト目をこちらに向けた。
お叱りが来るんだろうなぁ……と身構える俺。しかし、発された言葉は少し予想外のものだった。
「何だ、いつもの思い付きとは違うのか。意外に考えを巡らせていたようで何よりだよ」
「それは、普段の俺は何も考えていないと言ってるのか?」
どうだろうね、とはぐらかす飛鳥。
どうやら先のジト目は拍子抜けした表情だったようだ。
「……思い付きじゃなくて残念そうだな」
「そりゃあね。キミの思い付きに付き合うのも、結構楽しいものだったからさ」
「……、そいつはどうも。こっちも楽しくやらせて貰ってるよ」
思わぬ言葉に少し嬉しさを感じる。
急に素直になりやがって。レベル高ぇな、このツンデレ。
みっともなくニヤニヤ笑いをしないよう軽く咳払いをし、話を続ける。
「第二に。飛鳥は普段丈の短いスカートを履いているだろう?ライブ衣装でもショートスカートを履く事が多く、ドレスのようなロングスカート姿はイメージに無いんだ。ドレスと飛鳥の取り合わせ自体がアブノーマル、という事だな」
大体飛鳥にヒラヒラの衣装は似合わないけどなー、と冗談を飛ばす。
しかしそれを聞いて、飛鳥は何故か少し落ち込んだ顔になった。
「……そう言えばそうだね。服など所詮はボクらを覆う紛い物の殻、そう考えていたけれど……まさか、その紛い物の殻にボク自体が引っ張られるとはね……」
背もたれに体重を預け、ぐったりと天井を仰ぐ飛鳥。
確かに、服装で「お前童貞だろ」って言われるのと同じようなモンだが……そんなにショックを受けることか?
「おいおい、服くらいじゃお前のアイデンティティは揺らがないぞ?」
「アイデンティティなんて存在、元から信用してないさ。ある人間が持つ要素は絶対に他の人には持ち得ない……そんな事はありえないだろう?自分を自分たらしめる『自己同一性』なんてモノは、まるで湖面に煌めく星々の瞬きみたいなものさ」
それもそうか。確かに、100%二つと無いと言い切れるモノなんて無いかもしれないな。
ハァ、と大きく息を吐き、背中を丸める飛鳥。
「ボクは、服という虚構に実体を持つボクの精神が惑わされている事に情けなさを感じているだけだよ。『14才なりに、やってみせる』──ボクはボクの心に従う、そう決めていたはずなのに、ボクが従っていたのは何か別のものだった……フッ、自分で自分を理解出来ていないなんて、情けないね」
「そうか?お前は『まだ』14才なんだ、こんだけモノを考えられれば充分だろ」
「……年齢は言い訳にしたくない」
「これは言い訳って言わねーよ。経験不足ってのは、どう足掻いても努力じゃ超えられない壁だ。『無理だ』って開き直っても良いんじゃないか?魔王をぶっ倒すような勇者でさえパーティー組んで分業してるんだ、セカイに漕ぎ出す1人の少女に助けが無いんじゃ救われないぜ」
「……」
飛鳥からの返答が無くなった。
……気まずい思いさせちまったかな?
チラリと見遣ると、飛鳥はポカンと口を開けたまま不思議な表情でこちらを見ていた。
飛鳥は暫く固まっていたが、不意に口端を綻ばせて薄く笑い声をあげた。
「フフッ、『セカイに漕ぎ出す1人の少女』、か。まさかプロデューサーからそんな言葉を貰うとは思わなかったよ」
「何かヘンか?」
「もちろん。例えが痛いよ。何でわざわざそんなに壮大なスケールで話をするんだい?大袈裟もいいところだ」
「……ぐへっ」
まさか飛鳥からダメ出しを喰らうとは……くそう。
「──ボクの喋り方を真似たんだろう?普段はこんな例え使わないに。全く、プロデューサーも不器用だなぁ……」
「これも経験が活きた結果だ。世の中、似たヤツは案外いるモンだぞ?」
「……あぁ、そういう事だったのか。道理でボクとストレス無く付き合える訳だ」
「そういう事だ。これでまた一つ、賢くなったな」
そうだね、と頷きを返す飛鳥。その表情はそこはかとなく満足気な笑みに彩られていた。
腕と足を組んでソファにもたれる飛鳥は、ほうっと息を吐いて脱力する。
「にしても……『少女』か。ボクをそんな言葉で形容をする人間、今まで1人もいなかった。所詮ボクたちは他人のイメージに支えられなければ存在し得ないモノ、ボクを『少女』とみなす人間が居なかった以上ボクは『少女』の枠からは外れているものと思っていたが……」
「……シュレディンガーの猫みたいなものか」
「そうだ。その仮想実験が本来的に示すモノとはズレているとは思うけどね。……存在は認知されて初めて現実のものとなる。その前提がある以上は、ボクの定義はボク以外の人間が作るものだ」
「そういうモンなのか?」
「少なくとも、ボクはそう思っているよ。だからボクはボク自身を定義しないし、自分自身を過大評価する事も無い。このあたりの話は大分複雑だから、そう考える理由などは詳しく話さないけどね」
「ほぉ……解るような解らないような、って感じだな」
だろうね、と飛鳥は微笑する。
どこか満たされたような笑いに、俺は少し感慨深さを感じた。
「……にしても、最初に会った頃とは大分変わったよな、飛鳥」
「そうかい?ボクはボクのままだ、何も変わらない」
「人となりとかの話じゃねーよ。……何て言うか、自分の事を話してくれるようになったよな」
「……」
「会ったころなんかマトモに心のうちをさらけ出さなかったじゃないか。毎回毎回謎かけみたいな言葉ではぐらかして……解読が大変だった」
「謎かけ、か。そんな高尚なモノじゃないよ。自分のナカを他人にさらけ出すことに恥ずかしさを感じていただけさ」
「そのくらい、長い付き合いを持っていればわかるさ」
飛鳥は頬を掻きながら、微かに頬を染めて目を逸らす。
「──飛鳥がたまにするその表情、俺すげぇ好きなんだよな」
「え?」
「何ていうのか……普段はクールでシニカルに振舞ってる飛鳥が嬉しそうな顔をしてると、何故かこっちまで嬉しくなるんだ。ほかの人には見せない側面を見せられると、凄く信頼されてる気がしてさ。心を許してくれてるっていう感覚が、凄く心地いいんだ」
「……ッ、からかっているのか?プロデューサー」
「冗談でこんな事は言わないさ。わかってるだろ?俺がお世辞の類は言えない人間だって」
居心地悪そうに身を縮める飛鳥。気まぐれに梳かれた前髪の隙間からは、ゆらゆらと揺れる瞳が見えた。
「それはそうだけど……その、凄く、恥ずかしい……」
珍しくボソボソとしか言葉を発しない飛鳥に、俺は思わず笑いを上げた。
「はっはっは、照れてる照れてる。そういうのも凄く良いと思うぞぉ?」
「う、うるさい!早く話を続けてくれ!」
おっと、そうだった。さっきから話が脱線してしょうがない。
咳払いをし、俺は先の話に路線を戻した。
「三つ目、これが最後にして最大の理由だ」
「……最大の理由」
「そう、最大の理由だ。俺がこの仕事を受けた理由がここにあると言っても過言ではない」
トーンを落とした俺の声に合わせ、飛鳥の姿勢も前のめりになる。
頬の筋肉を引き締め、瞼に力を込める。それだけで、飛鳥から伝わってくる緊張感が一気に増した。
「お前にこの仕事を回した最大の理由……それは──」
「──それは?」
確かな視線を感じながら、俺は厳かに口を開く。
「──水に濡れた飛鳥って、なんかそそる」
「チッ、一瞬でもキミに好感を抱いたボクが馬鹿だったッ!!」
聞くなり飛鳥は頭を抱えて絶叫した。
「え、何でよ。良くない?『濡れた飛鳥』っていう言葉の響きとかさ」
「その反応を当の本人に求めるっていうのはどういう事なんだ!?」
「セクハラ」
「わかっててやったのか!?尚タチが悪いな!!」
「まぁ落ち着け。これは俺ただ一人の主観じゃない。俺ら、つまりプロデュースする側の総意だ」
「そういう問題じゃ──」
苛立ったように言葉を吐き出す飛鳥。飛鳥にすれば論点を逸らされているように見えるのだろう。問い詰める気勢を削がれないよう軌道修正を試みる。
が、そもそも飛鳥の疑念を晴らすつもりで口を開いた俺は敢えて飛鳥の声を無視して続ける。
「『飛鳥に足りないものを補う』──それが今回の仕事の狙いだ」
力強く投じられた言葉に、飛鳥は言葉を詰まらせる。
「ボクに、足りないもの……?」
「そうだ。飛鳥に足りないものだ。──今回は敢えてストレートに言おう。『女性らしさ』だ」
「『女性らしさ』……?キミは、このボクに女らしくあれと言うのか?」
「違う。飛鳥、よく自分の特徴を考えてみろ。他人から見てわかる特徴だ」
「そんな事……他者のセカイはボクのそれとは違うんだ。ボクにはそんなもの知りようが──」
混乱を深める飛鳥に、俺は諭すように語りかける。
「飛鳥。他者の視点に立って自分を観察する事は、必ずしも『客観視』である必要は無いんだ。考えてもみろ、そもそも客観って何だ?」
「……他者の主観……?」
「そうだ。『他人から見た自分のあり方』、これが『客観的に見た自分』だ。つまり言ってしまえば、『主観=客観』となる訳だ。……飛鳥、俺が何を言いたいか解るか?」
「自分のセカイと思考を切り離せ……って事かい?」
「その通り。思考だけを切り離せば感情やプライドによるバイアスは消せる。そのバイアスを消したものが、ある意味でのコモンセンス、『客観的な評価』になり得るんだ。他者の評価には好悪や嗜好が含まれる。けど、それ以外の認識はある程度共通してる筈だからな」
「そういう事か……自分のセカイと他者のセカイが完全に違うものだと考えていたのが間違いだったのか」
説明が腑に落ちたのか、飛鳥は肩の力を抜く。
「あながち間違いとも言えないがな……俺の話は推測で成り立ってるからな」
「……確かに、確証は無い話だったね。けど、ボクはその理屈に納得することができた。それだけで充分さ」
「違いない。所詮真実なんて、自分が真実と思ったモノでしかないからな」
どこかのロックなアイドルが言っていた、『ロックだと 思ったものが ロックだよ』という言葉。これは案外正鵠を射た言葉なのかもしれない。
思案顔の飛鳥を暫く眺めた後、俺は再び口を開く。
「さて、改めて問うぞ。飛鳥、お前の特徴は何だ?アイドル『二宮飛鳥』の持つ魅力は何だ?」
「……『ボク』という一人称、ボーイッシュなヘアスタイルと衣装、思春期丸出しのセリフ……」
「そうそう、いい感じだ。だけど、それだけじゃ足りない。お前の一人称やルックスを引き立てているモノは何だ?それらを『魅力』に昇華させるトリガーは何処にある?」
「……ッ、『ボクが女であるという事実』……!」
「そう、その通りだ!『何で「ボク」っていう一人称なの?』『なんでボーイッシュな服が好きなの?』という疑問を持たせ、それらを『好奇心』として植え付ける力、『カリスマ』がある事なんだよ!!飛鳥、お前の魅力は『女の子であるが故のちぐはぐさ』なんだよ!!」
「そういう事だったのか……!だからキミは……ッ!!」
「ああ、お前のカリスマ性の根源である『二宮飛鳥は女の子である』という事実を強調する事によってお前の魅力を更に引き出す!これがこの仕事の最大の目的なんだよ!!」
好奇心は、それ即ち『知りたい』という欲求。この『知りたい』という欲求が対象への熱狂的な信奉と追随に繋がり、最終的に『カリスマ』と呼べる代物にまで進化する。洗脳とも呼べる求心力、二宮飛鳥の魅力はここにあるのだ。
全てが繋がった感動に身を震わせる飛鳥。見開かれた双眸は様々な感情に彩られていた。
「キミは、キミってやつは……ッ!!」
若干荒くなった息遣いが、俺の耳に響く。……いや、息遣いだけじゃない。揺れる瞳や震える唇、何から何までが俺の意識を強引に引き寄せる。
……まぁ、一番近くで見守るファンだからな。お前の魅力は、俺が一番解ってるんだよ。
いつの間にか荒くなっていた呼吸を整え、俺は飛鳥に声をかける。
「納得してくれたか、飛鳥。今回の仕事は全てお前の為だ。お前をプロデュースする人間として、お前を高く飛び立たせるのを使命とする人間として、俺はこの仕事を選んだ。……受けてくれるか?」
未だ見開かれたままの瞳を覗き込み、力強く訴える。
数瞬の静寂。
次に俺の耳に届いたのは、脳髄を蕩けさせるような晴れやかな笑い声だった。
「──フフッ、本当に、キミってやつは……ありがとう、プロデューサー。ボクは、キミの想いに応えたい。──やらせてくれ、その仕事を」
普段では見ることの叶わないような笑顔を浮かべて囁く飛鳥。
今度こそ本当に脳髄を溶かされるような感覚に陥った。
「……ははっ。俺、もう死んでもいいや……」
「おいおい、死なれたらボクが困る。……片翼で空を翔けるなんて芸当が出来る鳥なんか居ないだろう?」
「……違いない」
確かな信頼を寄せてくれる担当アイドル。そんな彼女とこの先を歩んでゆける幸せを噛み締めながら、俺は資料をひっつかむ。
さて、プロデュースの時間だ。
飛鳥、絶対にお前を空高く羽ばたかせてやるからな。
「ハーイ、それじゃあこっちに視線お願いしまーす」
白い背景に囲まれたスタジオに、カシャッ、カシャッとシャッター音が響く。
ファインダーの先に立つ飛鳥は、濃紺のディナードレスに身を包んでいた。
女性らしさを引き出しつつ、さりとて持ち前のクールさは殺さず。我ながらいい仕事をしたと思う。
元々飛鳥の衣装は露出が高いものが多い。その影響もあってか、14歳という年齢にはセクシーすぎる筈のドレスも完全に飛鳥と一体となり、飛鳥の魅力を更に高めていた。
そんな飛鳥の仕事ぶりを若干の感動とともに見詰めていた時、俺の背後から柔和な声がかけられた。
「ほほぅ……おたくのアイドル、とてもいい仕事をしますな……」
声の主は、この仕事を依頼してきた大手出版社の編集者だった。初老を迎え、既に大ベテランの風格を漂わせる彼だったが、カメラの前に立つ飛鳥へ向ける視線はアイドルの追っかけをする若者のそれだった。
流石は飛鳥、と心中呟きながら言葉を返す。
「ええ、うちの自慢のアイドルですよ。彼女なら、どんな仕事も安心して任せられます」
「それは心強い……しかし、本当に魅力的なお嬢さんですなぁ。年甲斐もなく心を揺さぶられてますぞ」
「お褒めに預かり光栄です。担当プロデューサーとして、彼女の仕事ぶりは鼻が高いですよ」
はっはっは、と笑い合う俺たち。
本当にこの人は角が無くて付き合いやすい人だ。これもまた、カリスマの一種なのだろうか。
ふと飛鳥に視線を向ける。
ここからだと横顔しか見えないが、普段とは随分違った表情をしているのはわかる。眦は細められ、細く整えられた眉は緩やかな曲線を描いている。どうやらしっかりと『女の子』を出せているようだ。
手元の写真に視線を下ろす。例の「ドレス×風呂」の写真だ。
こちらはウェディングドレスを思わせる純白のドレス。湯船の真上から見下ろすような構図になっており、湯船には白色の入浴剤が混ぜられている。
高級ホテルの一室を思わせるバスタブ周りには薔薇の花びらが散りばめられ、湯とドレスで作られたキャンパスに色とりどりの花を咲かせていた。飛鳥はバスタブの縁に頭を預ける姿勢で半身を湯に沈めている。何かを迎えるように出された両腕には水滴が滴り、手袋に包まれた指先や肘先を艶やかに演出していた。その水滴の辿る先へと視線を動かすと、薄らと頬を染めた可愛らしい笑顔が目に入る。細められた目には幸福感と信頼が湛えられ、見る者全てが心奪われずにはおれないような表情になっていた。
煽情的で感動的。そう総評するのが妥当だろう。
「全く……すげぇよ、飛鳥……」
別人のようなその姿に、胸の高鳴りが抑えられない。
唯でさえ魅力的なのに、こんな姿を見せられて虜にならない筈が無い。
担当プロデューサーとしてはこれ以上無い喜びだ。
「──それじゃー休憩入りまーす」
どうやらセット交換に入るらしい。機材がどかされ、ドレス姿の飛鳥も撮影ポジションから移動する。
ふと、飛鳥の視線がこちらに向いた。俺が笑顔を浮かべている事に安心したのか、飛鳥の顔に笑顔が浮かぶ。
──ありがとう。
艶のあるリップで彩られた唇が小さく言葉を紡ぐ。
声には出していない筈なのに、俺の耳元にははっきりと飛鳥の囁き声が聞こえた。
……くそっ、あの笑顔といい、本当にずるいぞ……
「……こっちこそ、ありがとうな。お前に出会えてなかったら、こんな幸せ味わえなかったよ」
つんと痛む鼻を指で擦りながら、零れそうになる涙を抑え込む。
幸せ。ただ一言、その言葉に尽きる。
「……余程信頼なさってるんですなぁ、貴方のことを。羨ましい限りですぞ……」
「ええ、有難い限りです……プロデューサー、やってて良かったです」
「ほほっ、素晴らしい事ですな。人生に意義を見出せるなんて、普通は出来ませんぞ」
「そうですね……」
会話をしているうちに、飛鳥の姿が戸の奥に消えた。
まだ仕事は続いている。仕事も終わらないうちからこの状態じゃあ飛鳥に示しがつかない。
フゥっ、と深呼吸をし、心を落ち着ける。
気持ちを切り替えるべくスタジオ内を見回していると、段々と様変わりをしていく撮影セットが目に入った。
どうやら次のセットはステージを模したものらしい。
──ステージか。
そういえば次の仕事、プロダクション全体でのイベントだった気がする。他のアイドルプロジェクトとのコンペも有るとか無いとか。
(……これ、飛鳥を一気に高みへ近づけるチャンスだな)
そう考えると、急に心が落ち着かなくなる。何かしなければ。何か出来ることからやっていかねば。そんな気持ちに急かされ、特にアイデアも無いのに手帳を開く。
ペンを持ってメモをとろうとするが、当然の如くペンが動かない。書くものが無いのだから当然である。
(参ったなぁ……気持ちばっかり急いて何も出来ないぞ……)
ガリガリと頭を掻くが、一向にアイデアは思い付かず。
(しょうがない。取り敢えず目標だけでも書いておくか……)
しかし目標といっても、イベントの形式さえも分からない以上具体的な事は何も書けない。
どうするべきか。
暫く悩んだものの、マトモなアイデアは出てこなかった。
(だぁぁ、くそっ!この際仕方ねぇっ!!)
もう諦めて、適当なフレーズを書いておくことにした。
シャッシャッとペンを走らせ、大きく文字を殴り書きする。
(もうこれで良い、これを目標にしてやる!)
そこに書いた文字は。
『目指せ!シンデレラNO.1!』
(この際飛鳥をトップに押し上げてやる!待ってろよ飛鳥、絶対にナンバーワンにしてやるからな!!)
半ば勢いで目標を決めてしまったが、結局のところ最終的な目標はこれである。それなら、今から行動を始めたところで問題はるまい。
スタジオの隅に放置されていたパイプ椅子と机に荷物を放り、そのままの勢いで手帳にペンを走らせる。
勿論、勢いだけではロクなアイデアは浮かばない。実際、手帳に書かれているのは思い付きレベルの駄案だ。
けれど、何故か口元がにやけてしまう。
楽しい。
ただその一念に突き動かされ、ひたすらにペンを走らせる。
いつの間にか、俺の耳にはペンが擦れる音しか聞こえなくなっていた。それと共に、観客を一人残らず魅了してゆく飛鳥の姿が明瞭になってゆく。
サイリウムの光を一身に浴びて光り輝くシンデレラ。
その姿を実現させるべく、俺はペンを動かす右手に力を込めた。
どうでしたでしょうか。飛鳥くんの魅力は伝わったでしょうか。
雑な終わらせ方になってしまい、申し訳ありません…
私の未熟の致すところでございます。