真幸、女を突く
6月後半、5時間授業の水曜日。14時半に学校から解放された僕は、部活をサボり一人で茅ヶ崎市内を徘徊していた。凛奈はサボらなかったのだろうか。サボる旨をメールで伝えたけれど、返信がない。
一年でいちばん日の長い時季は梅雨。味はあるけれど、とても損な気分だ。きょうも朝から雨。
普段は海側エリアか、山側では小出県道周辺の里山エリアを歩くけれど、今回は趣向を変えてみる。
今回ふらり訪れたのは、小出川の土手。
小出川は藤沢市から茅ヶ崎市を北から南西へ流れる河川。最終的には茅ヶ崎市と平塚市の境を流れる相模川と合流する。いまどき珍しくコンクリートの護岸がない区間がある。
雨降りの土手は人通りが少なく、向こう岸を通る新湘南バイパスの高架を駆ける自動車が道路の継ぎ目を通過する音がよく響く。
ここは茅ヶ崎駅から45系統、小谷行きのバスで約20分、北隣の寒川町との境界に位置する地点。ネットで調べてこの場所を知ったけれど、初めて乗ったバス路線は新鮮な気持ちで少し心が躍った。
周辺に住宅はまばらで、昭和の趣あふれる珈琲豆の商店が興味をそそる。畑が広がり、晴れた日は強風だと土埃が舞いそうだ。
海のイメージが強い湘南でも、市街地から離れた山側ではごくありふれた田畑の広がるエリアが多い。
雨で少し茶色く混濁した川の上を、濡れた白鷺が重たそうに滑空している。紫、青、ピンクや白の紫陽花が咲き誇る散歩道の縁には、その鮮やかな緑の葉にちょこんとカタツムリが乗っている。
小さいころはカタツムリを見つけてはツノをちょんと触って、引っ込むのを面白がって見ていた。いつからか、そういうことはしなくなった。次第に、カタツムリにも目を向けなくなっていった。
新湘南バイパスの向こうにあるコンビニで買ったコーラのキャップを開ける。ロケット型のペットボトルからプシュッと茶色の泡が噴き出し、傘の柄と手を伝って地に落ちた。
流れゆく世界に僕だけが取り残されたように、しとしとと静寂の音が滴る。
この場所で悪者に襲われたら、僕はどう抵抗しようか。
そう思った瞬間だった。
「んんん!?」
不意に背後から目と口を左手で覆い隠され、視界が焦げ茶になった。そうか、手で覆われると真っ暗というよりは焦げ茶なんだ。
刹那にそう思い、僕は逃れようと頭を振ろうとするが、相手の力が強くて動かせない。
手や腕の感触がやわらかく、首筋にはさらさらした毛の感触と、シャンプーの香り。犯人は女だ。毒を盛られたり刃を取り出す前に振りほどけば勝てる。
そうだ、僕は傘を持っている。傘の柄はフックになっているから……。
開いたままの傘は僕が暴れて空気抵抗を受け重い。それを閉じて女の背後に回し、思いっきり引っ張り上げた。
「ああっ!」
傘の柄は思惑通り女の股間に命中。女は童貞である僕の人生において聞いたことのないような声を発し、僕から手を放した。
くっくっくっざまぁ見ろ。悪いことを考えるときだけ頭脳明晰な変質者、清川真幸の完全勝利だ。股間が弱いのは男だけではない。女だって上手くやれば撃退できるのだ。
いつの夜だったか、戸塚~大船間を走行中の国府津行き普通電車|(ステンレス製の3ドア車)のドア脇に立っていて、正面に立っていた女がケータイをべろんべろん舐めながら僕を上目遣いで見てきたとき、咄嗟に考えた撃退法がいまになって役立った。
あのとき、僕は恐怖のあまり大船駅で降りて後続の湘南ライナー3号に乗り換えたけれど、あの恐怖体験から得たものは無駄にならなかった。
いや待てよ、冷静に考えてみるとこれ、逆に僕が性犯罪者に仕立て上げられるパターンでは?
みるみる引く血の気。背後では女がよろめき、ぬかるんだ地を後ずさる音がする。
僕は振り返って女を見た。右手に閉じた傘と鞄を握っている。
このままでは尻餅をついて汚れてしまう。
情け深い僕はよろめく女の左手を取って、引き寄せた。
「ありがとう」
思わぬかたちで女を抱きしめてしまった。僕の胸板を眼前に礼を言った女は、僕を犯罪者には仕立て上げないだろう。
お読みいただき誠にありがとうございます。
ちょうど作中とリアルの季節が重なりました。
きょうは茅ヶ崎小学校(本作では友恵と三郎の母校)でサザンオールスターズ40周年記念一文字イベントが知人主催で行われました。
北海道から九州までの方が集まり、私もTwitterで会場の写真をアップしたら、普段とは異なるタイプの方や、くきは氏(本作の挿絵を描いて下さった方)のアイコンを使用している茅ヶ崎在住という方にも反応をいただき、サザンとおじぃの茅ヶ崎ニアミスが発生したようなしていないようなでした。
茅ヶ崎に足りないのは2次元キャラクター。東隣の藤沢市は色々なアニメの舞台になり、西隣の平塚市は『おジャ魔女どれみ』の舞台。ぽっかり空いた穴に、ならば私がということで美空や他作品のキャラクターを垂れ流しているところです。
自分の作品が創作界隈以外でも知られてゆくのはとても楽しくてわくわくすると、改めて感じた一日でした。




