表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2006年8月
8/307

木漏れ日の谷戸で

 星川さんと出逢って一週間後、午前中だけ塾に拘束され、その後学校の同級生兼同塾生とロッテプラスでハンバーガーセットを食べ彼女と別れた僕は、学校から課された自由研究の取材で、茅ヶ崎駅北口から市内北部へ向かうバスに身を委ねていた。


 午後3時の車内は少しばかり傾き始めた陽がまばゆく差し込み、冷房が効いていても額から汗が滲む。


 市民にさえあまり知られていないが、よくサザンの曲に登場する叙情的な海岸に加え、家電量販店や銀行など便利な大型店舗が密集する市街地、そして昔ながらの自然豊かな里山があってこその茅ヶ崎だ。時間があれば木陰にピクニックシートを敷いて、お団子と水出し緑茶を味わいながら広大な緑を眺めていたい。


 あぁ、なかなか逢えないな。


 車窓に広がる萌黄色もえぎいろの田園風景を眺めつつ、星川さんの凛とたおやかな面影を浮かべる。


 あの日から2週間、夏休みは残り6日。わざわざ一区間あるいて同じ時間の東海岸循環に乗ったり、もしかしたら違う系統を利用しているのかもと思って、ほぼ同じ時間に一中通りではなく、交差する鉄砲道に設置されたポール前を通るバスに乗った日もあるけれどすべてスカ。


 またいつか巡り逢えるその瞬間ときに胸を焦がしつつ、想いを呑み込んでは涙をこらえる救いなき日々……。


 目的地最寄りのバス停に到着し、コンビニでペットボトルの緑茶を購入してから住宅が点在する開けた歩道を北へ進むと、突き当たりにやたらと広い芝生の公園がある。そこに設置された長さ100メートルくらいはありそうなローラー付き滑り台では、子どもたちが絶叫マシーンを体感しているかのごとくキャーキャーはしゃいでは、この地点の視界からは見えないゴールへと消えてゆく。


 それを横目に木々に囲まれた道を下る。今回の目的地はその先にある『谷戸やと』と呼ばれる林や池、小川などがある自然地帯。そこには野鳥や昆虫、爬虫類などの生物が多く生息していて、自由研究の題材にしている『茅ヶ崎市の野生生物』を探索するには最適の場所だ。セミの歌声は海岸地域よりやや大きく不協和音を奏で、個体数の多さを実感する。


 きょうも変わらず猛暑だけれど、この場所の暑さは爽やかで、噴き出す汗はさらさらしている。


 舗装され、人気ひとけのない曲がりくねった切り通しを下ると、左手に芋畑が広がる砂利道に出て、視界が一気に開けた。


 うわぁ、空が広い!


 口を開け、空を見回し深呼吸。


 けれど両サイドには高さ10メートル以上の木々が生い茂っていて、まだ15時台というのに地には陰りが見え始めている。どこからともなく聞こえるヒグラシの声は他のセミとは一線を画し郷愁を誘う。


 ザクッ、ザクッと、歩を進める度に砂利が擦れる音が心地よい。足元には縦横無尽に滑空するシオカラトンボや草むらをぴょこぴょこ跳ねるショウリョウバッタ。果樹の花には黄や黒の揚羽蝶あげはちょう


 すごい、これはすごい! 豊かな自然が織り成す日常群像劇に、僕の好奇心はときめきを隠せない。宿題をしに来ているのに、いまこの時間は誤魔化しようもなく確かに楽しい!


 こんな体験、もう何年ぶりだろうか。茅ヶ崎駅からバスで手軽に来れる場所なのに、日々の忙しさに追われてすっかり忘れけていた感覚だ。


 砂利道からギンヤンマが飛び交う大きな池に突き当たり、それに沿って進むと再び空を深い緑が覆い隠す。普段は控えめのヒグラシが、ここでは種の存在をこれでもかと言わんばかりの共鳴で主張している。


 その粘土質の小路こみちでふと転落防止用のロープに目を遣ると、体長1センチほどのアマガエルがちょこんと座っていて可愛らしい。


 思わず間近に顔を近付け覗き込むもアマガエルはまったく動じず、ときどきまばたきをしながら見つめる先に何があるのか。それとも何を見るでもなく時の流れに身を任せ、黄昏や闇夜を待ち望んでいるのか。


 僕もこれくらいのんびりできたら……。


「こーんにーちはっ!」


 人気ひとけない場所での不意打ちに、からだがビクッと痙攣けいれんを起こす。


 瞬間、爆発しそうな勢いで鼓動が跳ね上がった。


 木々がかすれヒグラシの鳴く谷戸で不意に響いたその声は、僕の聴覚から他のすべてを消し去り思考停止。


 反射的に木漏れ日のほうを向き5メートルほど先、忘れもしない、あの日流星のごとく現れ消えた、愛し君の姿があった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ