夜はときどき江ノ島でお寿司
「えーのしまだーあ!」
「江ノ島だね。夜の江ノ島ラブホ街道」
「え、なに、なんでそんなテンション低いの? 江ノ島だよ? 観光地だよ? 夜だけど」
辛うじて友恵ちゃんが淡々と返事してくれたけど、他のみんなはノーリアクション。
私、ステージに立てば数万人のファンの方の歓声が上がってサイリウムを振ってくれる人気声優の長沼真央。私が一声上げれば、お客さんたちから「わあああっ!!」と歓声が上がる、人気声優の長沼真央。なにこの白けた場は。
でも四人とも私を有名人としてじゃなくて、一個人の長沼真央として接してくれてるんだなと思うと、この素っ気なさも不思議とうれしかったりする。
茅ヶ崎駅から東海道線に乗って、藤沢駅から江ノ電バスに乗り換え40分。18時半、私たち五人は目当てのお寿司屋さんがある江ノ島に上陸した。
メイン通りの土産物街はもう閉まっていて、藤沢、茅ヶ崎、鎌倉、葉山などの周辺住民が食べに飲みに集まる時間へ移ろっている。
「だって、江ノ島はすぐ来れるし、電車よりチャリのほうが早く着くもん。ね、真幸」
「ま、まぁ、ね。実は本日2度目の上陸……」
真幸くんは遠慮がちに言った。
「2度目!?」
「朝、たまに江ノ島まで目覚ましのサイクリングをするんです」
江ノ島まで、目覚ましのサイクリング、だと……?
「ぜ、贅沢な!」
「でも、島の内部まではあまり行かないんです。上陸したら自販機で飲み物を買ってすぐに引き返しちゃうので」
「ほほう、内部まではあまり行かないと」
「そうですね。入り口止まりがほとんどで、灯台とか鍾乳洞のほうまで最後に行ったのはいつだったかな」
これは私のほうが島内に詳しいかも。生粋の湘南人にひと泡噴かせてやろう。
「そうかそうか。私にとっては江ノ島といえば折り返し地点なんて記号的な場所じゃなくてれっきとした観光地だから、来る度にちゃんとお土産買ったりあちこち見て回るんだけど」
と言って、私はケータイのデータフォルダから一枚の写真を呼び出した。
「ここ、知ってる?」
ニヒヒー、知らないだろー。得意気に笑って見せる。
「あぁ、これは西側かな。多くの人はエスカー(有料エスカレーター)とかヨットハーバーを見渡せる東側から回るんですけど、鍾乳洞への近道はこっちなんですよね。木陰になってて涼しいし、頭上を緑に覆われて辻堂とか茅ヶ崎方面の海を見られる、森と海が共存する貴重なスポットです」
「なっ!? なんで知ってんのそんなとこ!? 絶対知らないと思ったのに!」
「えー、返事に困るなぁ」
「ドンマイ真央ちゃん! 茅ヶ崎の人ならけっこう知ってると思うけど、絶景スポットには変わりないから!」
「うぅ……。さぶちゃんと美空ちゃんは知ってた?」
訊くと、二人はこくり頷いた。さぶちゃんって初めて呼んでみたけど、彼も含めみんなノーリアクション。
さぶちゃん!? なにそれ!? とか言ってくれてもいいじゃんか。
「いやいや相手が悪いよ真央ちゃあん、うちらずっとこの辺に住んでるんだよ? 藤沢市内だったら江ノ島から大庭城址公園までくまなく行ってるよお! もちろん小田急線沿いの街も全部!」
うっざ。この出○哲朗みたいな友恵ちゃんの小ばかにした喋りかた!
「大庭城址公園?」
知らない場所なので、誰に訊くでもないけど反射的に疑問符が出た。
「確か大庭さんという方がお城を建てて、大庭御厨という新田をつくったのだとか。苗字通りの大地主さんですね。今でこそ大庭や湘南ライフタウンと呼ばれる一帯は、藤沢市北部で内陸という位置付けですが、かつてはその辺りまで海が広がっていたそうです」
「へぇ、美空ちゃん詳しいね」
「はい! 藤沢や茅ヶ崎にはその末裔の方が多く住んでいらっしゃるかと」
「そっかぁ、そういえばなんとか一族みたいお家、けっこうある気がする」
すごいなみんな。私なんか生まれ育った地域のことなんかあんまり知らないし、他のみんなもそんな感じはしなかった。湘南は郷土愛の強い人が多いんだね。
「おっと、入り口でワイワイしてる場合じゃなかった。あのお寿司屋さん人気だから夕飯時は早く行かなきゃ長時間待つかも」
ということで、お寿司屋さんへレッツらゴー!
店に行くとやっぱり夕飯時とあり満席で、ボックス席が空くまで何分か待った。
回転寿司だけど、一皿百円! という安さを売りにした店ではなく、値段はネタによってバラバラ。レーンが寿司職人たちを囲う構造になっていて、彼らに直接注文もできる。神奈川県と都内に展開するチェーン店で、私の住んでいた街の近くにもあった。もちろん味は最高で、昼間は茅ヶ崎方面の海や富士山が一望できる。
着席したら、まずはあがり(お茶)でホッと一息。それから各々好きなネタをレーンに流れているものから選ぶ。提供に時間を要する職人への直接注文はその後。
「ではっ遠慮なく、いっただっきまーす!」
友恵ちゃんを皮切りに、他の三人も恐縮しながら「ご馳走になります、いだだきます」の意を伝え、流れてくるお皿を取った。
私と友恵ちゃんは大トロ、真幸くんと美空ちゃんはサーモン、サブちゃんはシャリなし玉子焼き。彼は通だな。
「うんまっ! 大トロうんまっ! 口の中でとろける! お金持ちのおごりだから罪悪感も家計の心配もないし尚更だね!」
「そっかそっかーそれは良かった! バイトとOLを経て声優になってほとんど休みなく働いてる甲斐があるよ!」
「私の漫画がアニメ化する際は真央ちゃんに何らかの配役をということで!」
「だってさ真幸くん!」
「え、僕!?」
「友恵ちゃんが原作で、真幸くんがアニメをつくる。いいじゃない」
「いいねそれ! 私と真幸の子どもだね!」
友恵ちゃんが言った途端、真幸くんは「ふぅ」と軽く息をつき項垂れた。そして何事もなかったようにあがりをすっと一口啜った。照れではなく、いつものことだと呆れてる感じ。
「大変だね、真幸くん。でもこのビッチの扱いかた、ちゃんと理解してるんだ」
「そうですね、あまりしつこいと本当にブッ込んでやろうかと思うときもあります」
「ははは! いいねぇ青春だ!」
「ここぞとばかりにボロクソ言ったね」友恵ちゃんがボソッと言って「すいませーん、大トロ一つお願いしまーす!」と職人に注文した。
「あいよー!」
元気に注文を受けた中年男性の職人は手早く寿司を握って厨房を所狭しと動き回り、先に注文したお客さんに次々とにぎりを提供してゆく。私はその機敏でイキイキとした姿に見惚れていた。望み薄だけど、私が声を当ててるアニメ、見てくれてたらいいな。
子どもがいたら見てくれてるかもと、この職人さんがどうかは別としてアニメに無関心な人にも保護者としてとか、ニュースやバラエティー番組などを見終えた後、チャンネルを変えずにいた人がアニメを見る機会があるのはほぼ間違いない。
でもきっと、その中で作品を真剣に見てくれる人はほとんどいないと思う。人という生き物は、関心の範囲外のものには頑固なほどに興味を示さない。ただし少数、視野の広い人や好奇心旺盛な人が興味を抱いてファンになってくれる、なんてこともある。
「真央ちゃんぼんやりしてどうした? 大トロは流石に財布に厳しかった?」
あがりを啜りながら考え事をしていた私を、友恵ちゃんが経済的に心配してくれた。
「ううん、せっかくだから遠慮せずたんとお食べ?」
「おうよ! 合点承知!」
友恵ちゃんはてっきりこの後もトロウニイクラと高級ネタばかり食べるのかと思いきや、かっぱ巻きや納豆巻きを交え、食後に吐き気を催さず、また食べに来たいと思える量(12皿)を上手に食べた。コイツ、手慣れてやがる。




