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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2007年4月上旬 里山公園で取材

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食物連鎖

「よーしいろいろ描けた! 連載終わってから燃え尽き症候群だったからいい刺激になったよ!」


「私も、普段とは違う場所でスケッチができて気分転換になりました」


「は~あ、お絵描きはどこでやっても体力を使うわ。でも、実在するものを忠実に描くなんて久しぶり」


「うんうん、みんないい気分になれたみたいで良かった! それじゃ、そろそろ夕暮れだし戻ろうか」


 ということで、僕らは長沼さんに背を見守られながら、木々が空を覆い隠す粘土質の狭い小道を、横に広がらないよう隊列を成して一列で歩く。陽の傾きに比例して空気が澄んでゆくような気がして、自動車行き交う街に住む僕は、ここぞとばかりにきょう何度目かの深呼吸。


 黄昏の風を浴び、五人でわいわい他愛ない会話をしているうち、踏みしめる地は土からアスファルトに。


 大きな池まで戻ったとき、先ほどと変わらずカワセミは変わらず止まり木にいて、遠目なのでハッキリ見えなかったけれどフナのような中型の魚を、トングのような長いくちばしをぱくぱくさせ飲み込んでいる最中だった。どうも上手く飲み込めずにいるようだ。


 ここからは見えないけれど、捕らえられた魚は物凄い眼力で目を見開き、口をぱくぱくさせたりじたばた暴れたり、どうにか逃れようとしている。じたばただけは、辛うじて見える。


 どうしてこの世界は痛みを伴うようにできているのだろうか。からだも、心も。


「お魚さんが……」


 美空が悲しそうに声を漏らした。


「命の連鎖だね」


 長沼さんは切なげに言った。


 僕は飲み込まれる魚の感情や目に映っている状況を想像し、胸がざわついてきた。


 泳いでいるところに突如カワセミがダイブしてきて、執拗に追い回されたか一瞬かはわからないけれど捕まって、絶対に逃げられない強い力でくわえられて、呼吸ができなくなって、それでも逃れようともがいて、皮が剥がれ、からだはボロボロに傷み、仮に逃れても、もう長くは生きられないからだで懸命にもがいて、空気を吸いたくて、それでも到底敵わなくて、呼吸さえ許されず、頭から暗く狭い食道、そして胃酸に漬けられ、想像を絶する絶望の中で生涯を終える。もしかしたら先に喰われた仲間が変わり果てた姿でいるかもしれない。せめてその苦しみの先に救いの世界があることを、僕は願わずにいられない。


 想像を膨らませているうち、抵抗する体力が尽きた魚はみるみる飲み込まれ、僕もざわめきをぐっと押し込めた、そのときだった。


「わあっ!」


 突然の出来事に長沼さんが驚く。


 どこからともなく夕陽に照らされ黒光りしたカラスが、胃の重たいカワセミを捕獲。カワセミはキャーキャー叫ぶも、成す術なし。カラスの意のまま、池の端にある排水溝の蓋の上まで運ばれ、叩き付けられていた。


「うあああ……」


 友恵が涙目になって、左手の平で口を覆う。


 三郎は自分が描いたカワセミの最期を表情一つ変えず見守っているけれど、内心はどうなのだろうか。僕は彼が、ときどきわからない。


 長沼さんは、うわぁと言いたげに目を細め、できるならば助けたいという想いが滲み出ている。


 強いショックを受けたと思しき美空は一瞬両手で顔を覆ったけれど、クリエイターの意地か、唇をギュッと噛み締め見守っていた。美空は残虐シーンや修羅場にめっぽう弱い。


 僕らクリエイターは、悲劇も喜劇も作品に活かす材料に変換できる。メンタルの弱い僕は悲劇にどこまで立ち向かえるかわからないけれど、過去に起きたことに関しては無駄がなかったと思っている。現在進行形で過去になっているいまこの瞬間だって、もちろん。


 容赦なく魚を捕食していたカワセミは、容赦なくカラスに捕食された。ただし丸呑みではなく、これまでしてきたことの断罪のように全身を執拗につつかれ、翼を千切られ、肉を引き剥がされている。それはさながら、ファンタジーアニメに出てくるような筋肉質の男が骨付き肉にかぶりつき、食いちぎるように。


 カワセミの悲鳴は徐々にか細くなってゆき、やがて聞こえなくなった。


 僕は以前、小学校の体育館の屋根上でカラスがハトを捕食しているところを二度見ているが、何度見ても良いと思える光景ではない。


 ちなみにカラスの天敵には茅ヶ崎の象徴でもあるカモメなどの大型の鳥が挙げられ、カモメは海上を飛行中にクジラにでも襲われるのだろう。こうして食物連鎖が成されているのだ。


 テレビで魚をさばくシーンとか、立場によっては命が失われる様子を見て出演者が歓喜しているけれど、僕はその度に胸を締め付けられる。美味しい食事とか経済の事情は理解しているけれど、どうしても弱者の立場にならずにはいられない。


 これが牛や豚の解体だったらどうなのだろうか。


 命の灯が消えゆくさまを、僕らは遠目で見ているしかできない。在来種が外来種に襲われているなどの人災を除き、自然の摂理に僕ら人間は手出ししてはならない。


 何もできない僕らはそのまま立ち去るしかできず、群青とオレンジのコントラストの下を駆けるバスの車内で、僕らはとても笑えるような会話はできなかった。


 バスが駅に到着し、降車場に降り立った僕らは都会の喧騒へ放り込まれ、日常感を取り戻した。ネガティブな言いかたをすれば、現実に戻ったというやつだ。


 山の風を浴びて癒され、緑の環境が織りなす美しさに感動し、命の尊さを学んだ。食べられてしまったカワセミにも魚にも、今日まで生きてきた歴史がある。


 親から生を受け、卵からかえって外の世界を知り、魚は最初から自立して生き、カワセミは親に育てられ、やがて巣立った。その中には、食事をしたり、敵に追われてもなんとか生き延びて、ホッとして休んで、眠って、また起きて。その中で色々な感情が芽生えたりもしただろう。


 そんな尊い命をいただく。それが、この地球に暮らす誰もが生きるということだ。


「ねぇねぇみんな、これからお寿司でも食べに行かない? 私の奢りで!」


 寿司!? カワセミの一連を見てからの寿司!?


 長沼さんの提案に、僕は抵抗感を覚えた。


 いや、何を食べたって命をいただくには変わりない。ゼリーだって原料は植物っていう命だし。


 そう考えれば、寿司だろうと焼肉だろうとサラダだろうと皆同じなわけで、むしろ僕らが食べないで寿司ネタが売れ残ってしまうほうが問題なわけで……。


 食べられるために奪われた命が、食べられずに廃棄されてしまう。それは当事者にとって、どれだけ虚しいことだろう。


「よっしゃ行く行くイッちゃう!」


「友恵ちゃんは自腹でいいんじゃない?」


「いやいやそんな。いまはお金持ってても将来どうなるかわからないもので」


「それは私も同じだよぉ」と笑顔の長沼さん。僕ら未成年は自宅に連絡を入れ、お言葉に甘えてお寿司をいただくことにした。

 お読みいただき誠にありがとうございます!


 今回から毎週土曜日の更新とさせていただきました。引き続きご愛読のほどお願い申し上げます。

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