恫喝
「おはようございます」
輪のなかでどんな話がされているなど露知らず、清美はいつも通り清らかな美しい声で挨拶し、私たちもいつも通りにこやかに「おはようございます」また、うち3名が「ごきげんよう」を返した。ただし、返事をしない代わりに問う者あり。
「ねぇ清美、昨夜礼太郎となにしてたの?」
た、単刀直入だ……。
いけない、これはいけない。いくら恋愛経験のない私でも、これはさすがに穏やかではないと察した。
困ったものだ。私はこういう争い事を好まない。朝から昼ドラ、もしくは深夜の学園ドラマを見せられている気分だ。しかも生で、目の前で。台本のないガチンコ劇場だ。
あぁいやだ。森のなかでリスを肩に乗せて読書をしていたい。
木漏れ日の森に置かれた木の長椅子。そこに腰掛けると、どこからともなくリスが現れ胴体を伝い肩にちょこん。私が一度頭を撫でるとリスは嬉しそうに目を細め、持っていたどんぐりをもきゅもきゅ食べ始める。食べかすが肩に散らかっても気にせず、ときより吹く穏やかな涼風がそれを払い、やすらぎの時間を流れる。
ここ鎌倉では、リスさえ懐いてくれればそれが可能だ。
なのになぜ私は、こんなにも理想的な地にいながら、修羅場の渦に巻き込まれなければならない?
静の醸し出すオーラは清美のみでなく、この場にいる全員、そして順次登校してくる生徒の動きを止め、まるで金縛りのように頭から足の先までを凍結させている。
衆人環視のなか、二人の応酬が始まった。
「え? あ、うん。塾で会ったからちょっと」
なるほど、静と清美、そしてレイタロウはやはり知人同士なんだ。
「ちょっと、なに?」
「ごめんなさい。静さん、他の女子といっしょに行動しても気にしないって仰っていたから鵜呑みにしてしまって」
「それはいいの。礼太郎が他の女子と食事しようが遊びに行こうが構わない。だけど昨夜は、それだけじゃないよね」
そう問われ、清美はまな板の上で首に杭を打たれたウナギのようにぐっと言葉を詰まらせ、数秒黙った。
次の言葉を待たず、静香さんはうなぎの身に包丁を入れ始め、解体もとい白状させようとを試みる。
「カラオケボックスで、なにしてた?」
わぁ、わわわー、だめだ、私こういうの苦手だ。もうこれなにしてたと問うより現場を押さえているじゃない。まさか清美もこの期に及んで歌ってましたとは答えないだろう。
どう見ても返事に困って視線を斜め下へ逸らしている清美は、口を噤んだまま目を潤ませている。
「なにしてたって訊いてんだよボケが!! 殺されてえのかてめえ!! おい答えろやこのクソ女!!」
突然の怒鳴り声に、教室の空気が凍りついた。ただでさえ大半がお嬢様の学校だから、こういうのに慣れていないひとも多い。私もその一人。ただし私は残念ながらお嬢様ではなく一般庶民。
我慢ならなくなった静は清美の胸倉を掴み、足が爪先までしか着かない高さに持ち上げた。怯えた彼女は涙を流し、鼻を啜っている。やがて力が抜け、右手に持っていた通学鞄を床に落としてしまった。
「ちょっとやめなよ静! 暴力はだめ!」
見かねたアグレッシブグループの一人が静の背を羽交い絞めにするもビクともせず、私を含む6名が加勢し力ずくで二人を引き離した。もしこのままにしていたら、清美はショックで気絶するか、最悪絶命してしまう。
「なんだよ!! 悪いのは清美だろ!! キスしてたんだぞ!!」
引き離された二人は机にぶち当たって後頭部を打ちそのまま地へ叩きつけられた。静は怒号を上げながら立ち上がり再び清美に襲いかかろうとするも、私たちに制止された。
床には倒れた机と椅子が散乱している。お嬢様学校ゆえに教科書やノートは持ち帰るか教室最後部の壁際に設置されたダイヤル式ロッカーにしまうため、机の収納スペースには入っていない。
次々と生徒が登校してくる教室はざわめき、「私、先生呼んでくる!」と一人が教室から駆け出た。廊下には他のクラスから野次馬が詰めかけ、数名が口を手で覆いながらヒソヒソ話をしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「ごめんなさいじゃねえんだよ!! おっとりしたフリしやがってよごらあ!! ぶっ殺される前にとっとと本性晒せよ!!」
泣き崩れわんわん泣きわめく清美に、静は容赦なく罵声を浴びせる。
清美は全身をビクビク震わせうずくまり、紛れもない命の危機を感じて怯えきっている。
対する静も強い怒りに身震いし、3名で制止しているのにいまにも振りほどかれそう。彼女もまた、言葉を発する度に全身を強く震わせているけれど、そこからは恐怖心ではなく憎悪に満ちた、猟奇的なオーラが滲み出ていた。
「だんまり決め込んでんじゃねえよ!! 白状しねえとマジでぶっ殺すぞ!!」
怖い。私たちが清美を放してしまったら、目の前で殺人事件が起きてしまうかもしれない。大切なクラスメイトの命が失われてしまうかもしれない。静は心に深い傷を負ったまま、牢獄で過ごすことになる。
先生、早く来て……!
その願いは届かず、なかなか先生は来ない。
私がどうにかできたらいいけれど、色恋沙汰に介入するにはあまりにも経験不足で、暴力でも静には到底敵わない。
無力だ。無知は無力に等しく、ときに大切なひとを守れない。
いやだな、こんなの、本当にいやだな。こんなにつらい出来事が目の前で起こっているのに、なにもできない。そもそも第三者の私が介入するような事情ではないのかもしれない。
でもいやだ。どうか二人とも、心穏やかになってほしい。そんなの当然無理だとわかっているのに、そう願わずにはいられない。
「……わかっ、わかりました……本当のこと、話します……」
清美は顔を埋めたまま震え声で途切れ途切れに言い、「うぁあ、ああああああ!!」と普段の穏やかな彼女からはとても想像できない大声で悲鳴を上げた。
それでも静さんは「てめえなに泣いてんだよ!! 自分がしたことの報いだろ!!」と攻め立てた。
それがいけなかった。




