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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2006年9月

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何もない君へ

 ナタデココを一口飲み込むと、美空は僕に問いかけた。


「真幸は、自分の本当の価値とか、そういう感じのことが気になってるの?」


「うん。きょう学校でプロのイラストレーターをしてる友だちが、ここでは自分の本当の価値を見出だせないって言ってて、それが気になってるんだ」


「中学生でプロ? すごい。その方はどんなイラストを描くの?」


 その言葉に、僕はなぜだか嫉妬心を覚えた。三郎に嫉妬したところでなにがどうなるわけではないと思うけれど、深く考えてしまうと己の醜さが露呈しそうだからやめておく。


「うーんと、ヨーロピアンな街並みとか、人物画とか、お洒落なカフェに合いそうなイラストを」


「そうなんだ。お洒落だね。もしかしたらその方はちょっと大人っぽいのかな?」


「うん。よくわかるね」


「なんとなくね。ヨーロピアンな街並みを描くひとなんて、中学生にはなかなかいないかなって」


「確かに。作品のレベルはもちろん、精神年齢も高いから話が合わないのか、学校ではあまりほかの生徒と触れ合ってないな」


 うんうん、と、美空は相槌を打ちつつ、再びナタデココを口に含んだ。


「一方で僕にはこれといった特技もなくて、ただ地味で口数少ないキモいヤツでしかないという……。そこでコンプレックスが」


 ◇◇◇


 仄暗ほのぐらい闇の中を彷徨う子羊、清川真幸。彼もまた、私のように悩みや不安を抱える日々を送っているようだ。


 友人がプロのイラストレーターで、彼だか彼女だかが放った一言が気になり、真幸の精神は半ばパニックに陥っているようだ。


 あれやこれやと私に不安を打ち明けてくれた真幸。その間に辻堂駅南口行きのバスが2台通過した。ということは、概ね15分が経過したのだ。


 説明下手な真幸の言うことをまとめると、




・友人であるイラストレーターが、中学という幼い社会では自分の価値に気付けないと言い、真幸は自分自身の価値に疑問を抱き始めた。


・詳しい話を聞きたかったが、当人は放課後から打ち合わせのためそれができなかった。


・そこで、漫画家をしている別の友人に問うてみたところ‘自分の価値は自分で見出す’と言われ納得はしたものの、真幸はイラストが得意でも面白い物語が描けるでもなく、ほかに特技もない無価値な人間だと、肩を落としてしまった。




 ということになる。


 やれやれこれから共に創作活動をしようというのにこんな無能の子羊では困ったものだと呆れる私もまた、己の生み出す物語や絵に自信があるわけではない。


 ただ、こればかりはどうしようもない。いまのところこれといったものがないという事実は揺るがせられないから、これからをどうするかでしか、真幸や私を救う術はないのだ。


 それに彼自身、真幸はそのままの真幸でいいんだよとか、いま生きていること自体に価値があるんだよという答えは求めていないと、挙動や僅かに震える声、そしてすがるように私を見る目から察した。


 彼はきっと、なにもないこの状況下でも、確かな答えを求めている。


 ならば___。


「これは私なりの考えに過ぎないけれど、真幸はお葬式に参列したとき、お坊さんや宣教師さんが‘すべての人間は神に役割を与えられて生まれてきた’みたいなお話を聞かされたことはない?」


「あるよ。でも自分の役割なんてわからない」


「うん、15歳でそれを悟っていたらすごいと思う。それに、ほとんどの人はそんなこと知らずに生涯を終えると思う」


「そ、そうか、うん、そうかも」


「対して、神の存在を否定する『無神論』を唱えた哲学者のサルトルは、‘人間は自分の役割を自分で創造する『実存主義』の下で生きている’という旨の主張をしたの。人間は道具みたいに役割が明確になっているものとは違うよって言いたかったんだね」


「は、はぁ、なるほど……」


 彼は私の話を理解しているのかいないのか。わかりやすいように話しているつもりだけれど、説明って難しいな。


「まず哲学的な答えを導き出すときは、ある一つの考え方を置いて、それに相反する考えを持つものを並べるの」


「神を肯定するとか否定するとか、資本主義と共産主義とか?」


 良かった、理解はしているみたい。こうして古くからある宗教や哲学者といった偉大な先人の教えを例挙すれば、これは確かな考え方なんだなと思ってもらいやすい気がしたのだ。


「うん。それでね、神職者にしても無神論者にしても共通するのは、お友だちの漫画家さんが言うように、‘自分の価値は自分で見出すしかない’っていうことなのかなって。神様に自分の役割を教わるなんて現代文明ではほぼ不可能だから」


「でも、僕にはそれがわからないんだよ」


 美空まで他者と同じことを言うのかと、真幸は期待を裏切られたときの絶望感を全身で語り、表情は更に曇っていった。


「わからなくていいんだよ。周囲のひとが優秀だと焦る気持ちは、一応名門校の生徒である私にもわかる。でも私は私でしかないし、もし現状を脱して成長したいと思うならば、色んなひとと会話して、色んな場所に行って、視野を広げて、好きなものを見つける、確実にできることはそのくらいじゃないかな?」


 ここで私は残りのナタデココをゴクゴクと一気に飲み干した。普段あまり喋らないから疲れるな。胸が小さいのに肩が凝ってきた。


 人間は自ら感じて、考えて己を築き、しかし他者と寄り添わなければ生きて行けない。そのバランスが崩れたときに心は病み、闇に堕ちてゆく。そういう風に、私は思う。


 真幸はきっと、自分のずっと先をゆく同い年のお友だちから切り離されたような感覚で不安を抱き、心のバランスが崩れてしまっている。そんな渦中で私を頼ってくれたのは、素直にうれしく思う。


「最後に、好きなものはイラストでも漫画でもアニメでもいいと思うのだけれど、肝心なのはそれをただ消費者として楽しむだけではなくて、自ら生み出すことなんじゃないかな」


 一呼吸置いて、畳みかける。


「それで成功するかはわからないけれど、なにもせずにいたら現状維持どころか流れゆく時に取り残されて状況が悪化するし、せっかくならまずは好きなことを真剣に取り組む。真幸はその一歩を、私といっしょに踏み出してくれるんじゃなかったの?」


「そうか。そうだね。なにかしなきゃね」


「うん! そうだよ! 私もいるし、すごいひとがそばにいるならコンプレックスを抱くより、前向きな気持ちで話を聞いたり真似てみればいいって、私は思うな」


 ちょっと無理をして、いつもよりずっと高いトーンで、自分ができる精一杯の笑顔で真幸を鼓舞してみた。こうすることで、私自身にもハリが出ると思ったから。


 変わりたい気持ちは私も同じ。これからもこうして不器用な会話をしながら、いっしょに成長してゆけたらいいな。


 お読みいただき誠にありがとうございます!


 私立中学では宗教とか哲学とか教わるんですかね……?


 作者は公立校出身なのでそのへんはよくわかりませんが、仏教、キリスト教、哲学者サルトルについてはあくまでも美空が個人的に学んだ知識です。

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