帰宅困難
鉄道はまったく動く気配がなく、僕と神楽はとりあえず神奈川県内まで歩こうと、とりあえず東京都と隣接する川崎を目指した。
川崎は案外近く、お台場から勘を頼りに歩いて2時間ほど川崎市内へ入った。
川崎といっても川崎駅がある中心地ではなく、南部の工業地帯。
僕も神楽も川崎とは縁もゆかりもなく、滅多に踏み入れる土地ではないが、両者神奈川県民。概ねどの方向が湘南なのかは道路標識や勘でわかった。
やたら敷地の広い工場が建ち並ぶ大通り。人通りはほとんどない曇り空の下。歩道のアスファルトは傷んでいて道幅は狭く、一人擦れ違うのがやっと。街路樹がそれを更に圧迫している。その根が張って、アスファルトがひび割れ隆起している。
工場側の緑茶帯にはインスタント食品や飲料の空容器が散乱している。路肩にはところどころ大型トラックが停車している。
しばらく歩いて単線の踏切を渡ると、大通りに突き当たった。すぐ右に屋根付きのバス停があるが、バスを待っている人はいない。時刻表を確認したところ、通常は概ね5分間隔で運行されているようだが、この非常時に来るのかはわからない。
「まあ、来ないだろうな」
「そうだね、期待しないで休憩がてら20分くらい待ってみる?」
「そうしよう。歩き疲れた」
と思ったら、バスはすぐに来た。満員だが仕方ない。
渋滞に嵌まったバスは1時間以上かけて終点の川崎駅に到着した。人口約150万人を擁する街の中心地だが、停電で灯りがない。バスに乗っている間に日が沈んで薄暗い街には、帰宅困難者がごろごろいた。職場や学校に留まっている人が多いからか、地下街や駅のコンコースが人で埋め尽くされるほどではない。
災害時は無理に帰らないほうが良い。
鉄道が復旧する見込みはないが、川崎駅からアニメショップが入居するビルの前に人が比較的少ないスペースを見つけたのでそこで休憩。ケータイでラジオを起動すると、津波の情報や、原子力発電所に津波が直撃し、炉心溶融やマイクロシーベルトなど、普段はあまり聞かないワードが頻繁に流れていた。
「これからどうなるんだろうね、僕ら」
「水道や電気はもう止まっているから、次は食糧や石油類の不足でしょうね」
いまいち状況が掴めないまま、僕らは鶴見駅までバスに乗り、そこで力尽きた。水分補給はちびちびと、食糧は僕も神楽もエネルギーインゼリーを1個持ち歩いていたのでそれを吸った。
駅の前、尻を刺す冷えた歩道の上、路上で身を寄せ合って浅く眠り、ケータイは日ごろ持ち歩いている電池式充電器を繋いで電池切れを防いだ。
歩いたりバスに乗ったりしてようやく藤沢に辿り着いたのは翌日の昼。僕の家までは徒歩2時間。僕は一日、神楽の家で厄介になることにした。神楽の両親は備蓄豊富な職場に留まり、しばらく帰宅する気はないらしい。
お読みいただき誠にありがとうございます。
次回は10月1日を予定しております。
連載開始から6年が経過いたしましたが、いよいよ残りの話数が少なくなってまいりました。




