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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2009年7月

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240/307

君は、何になりたいの?

「おいおい、そんな一気に飲むもんじゃないぞ」


 と、呆れ顔のマスター。


「どう? 美味しい? 不味い?」


 無邪気に訊いてくるお姉さん。


「美味しい、です」


「それは良かった」


 お姉さんは腕を組み、ふむふむと安堵した。


 ドリンクの正体は、グレープフルーツジュースを炭酸水で割り、グラスの縁全周に塩を塗ったもの。それにウォッカを足すと『ソルティドッグ』というカクテルになるらしい。


 飲むときは都度グラスの向きを変え、塩の付着しているところに口をつける。


 それから私は、シーザーサラダやマルゲリータをごちそうしてもらった。マスターもお姉さんも、私の素性、自殺願望など特に何も訊かず、静かな時間が過ぎていった。


 お姉さんが、サザンビーチなるマリンブルーのカクテルを片手に、私の隣に座った。


「私ね、画家になりたいの」


「画家、ですか」


「うん、それでね、ここでバイトして、貧乏暮らしをしながら画材を買って、家では絵の具のチューブを限界まで絞って、それでもダメならチューブをハサミで切り開いて、イーゼルに載せた画板に厚紙を添えて、細々と絵を描いてる」


「会社で働いてたことは、あるんですか」


「あるけど、職場で上司にも部下にもいじめられて鬱になって辞めちゃった。順風満帆で、福利厚生もしっかりしてて、赤字になった年もリストラはなくて、でも、人間関係を我慢してまで続けたい仕事じゃなかった。辞意を表明したとき、総務部の人たちに‘こんなにいい会社はないぞ’って止められたけど、それでも私は、耐えられなかった。画家になればすべてハッピーってわけじゃない、厄介なこともあるだろうけど、これが私が幸せに生きる道だと思ったから」


「生きる道、ですか」


「そう、生きる道。人にはみんな、それがある。それを見つけるまで、私は30年かかった。9歳のころから、何度も自殺したくなった。未遂をしなかったわけじゃないけど、生きる道を見つけてからは、幸せに生きる方法を考えるようになった」


「会社にいたら、幸せにはなれないと」


「会社員が生きる道っていう人が大半でしょ、特に日本は。けど私はそれがどうしても性に合わなくて、画家になりたい気持ちが強くて、アラサーになっても結婚してないし彼氏もいない」


「欲しくないんですか」


「欲しいけど、画家になれないならいらない」


「変わってますね、私も大概ですけど」


「君は、何になりたいの?」


「小説家です、たぶん」


「たぶん?」


「自分で小説は書いてないけど、読むのは好きだから」


「そっか、それならさ、書いてみない?」


「書く? 私が?」


「うん、〆切は明日、正午にここで」


「明日は学校が」


 生き長らえてしまったから、また、現実が襲ってくる。


「それは、あなた次第。義務教育でも収監はされていないから、行動は自分次第」


 そんな、極論を突きつけられても。

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