君は、何になりたいの?
「おいおい、そんな一気に飲むもんじゃないぞ」
と、呆れ顔のマスター。
「どう? 美味しい? 不味い?」
無邪気に訊いてくるお姉さん。
「美味しい、です」
「それは良かった」
お姉さんは腕を組み、ふむふむと安堵した。
ドリンクの正体は、グレープフルーツジュースを炭酸水で割り、グラスの縁全周に塩を塗ったもの。それにウォッカを足すと『ソルティドッグ』というカクテルになるらしい。
飲むときは都度グラスの向きを変え、塩の付着しているところに口をつける。
それから私は、シーザーサラダやマルゲリータをごちそうしてもらった。マスターもお姉さんも、私の素性、自殺願望など特に何も訊かず、静かな時間が過ぎていった。
お姉さんが、サザンビーチなるマリンブルーのカクテルを片手に、私の隣に座った。
「私ね、画家になりたいの」
「画家、ですか」
「うん、それでね、ここでバイトして、貧乏暮らしをしながら画材を買って、家では絵の具のチューブを限界まで絞って、それでもダメならチューブをハサミで切り開いて、イーゼルに載せた画板に厚紙を添えて、細々と絵を描いてる」
「会社で働いてたことは、あるんですか」
「あるけど、職場で上司にも部下にもいじめられて鬱になって辞めちゃった。順風満帆で、福利厚生もしっかりしてて、赤字になった年もリストラはなくて、でも、人間関係を我慢してまで続けたい仕事じゃなかった。辞意を表明したとき、総務部の人たちに‘こんなにいい会社はないぞ’って止められたけど、それでも私は、耐えられなかった。画家になればすべてハッピーってわけじゃない、厄介なこともあるだろうけど、これが私が幸せに生きる道だと思ったから」
「生きる道、ですか」
「そう、生きる道。人にはみんな、それがある。それを見つけるまで、私は30年かかった。9歳のころから、何度も自殺したくなった。未遂をしなかったわけじゃないけど、生きる道を見つけてからは、幸せに生きる方法を考えるようになった」
「会社にいたら、幸せにはなれないと」
「会社員が生きる道っていう人が大半でしょ、特に日本は。けど私はそれがどうしても性に合わなくて、画家になりたい気持ちが強くて、アラサーになっても結婚してないし彼氏もいない」
「欲しくないんですか」
「欲しいけど、画家になれないならいらない」
「変わってますね、私も大概ですけど」
「君は、何になりたいの?」
「小説家です、たぶん」
「たぶん?」
「自分で小説は書いてないけど、読むのは好きだから」
「そっか、それならさ、書いてみない?」
「書く? 私が?」
「うん、〆切は明日、正午にここで」
「明日は学校が」
生き長らえてしまったから、また、現実が襲ってくる。
「それは、あなた次第。義務教育でも収監はされていないから、行動は自分次第」
そんな、極論を突きつけられても。




