温泉でもいかがですか?
「じゃあ、また後でね」
僕と凛奈は脱衣所の前で一旦別れた。ここは熱海サンビーチとJR伊東線、来宮駅との間にある日帰り入浴施設。昭和の雰囲気が漂う昔ながらの施設だ。
脱衣所は有料のコインロッカーに貴重品や衣類、手荷物等をしまう仕組みなのだが、腕時計をしまい忘れて百円無駄にした。
……。
なんだろう、自販機の下にお金を落としたときもそうだけど、絶対取り返せない虚無感……。
カラカラカラカラと、立て付けのあまり良くない曇りガラスの引き戸を開けると、そこは東屋の下だった。左手にシャワーがある。ここでからだを洗ってから入浴せよということだろう。
外のモワーッとした空気と湯気が全裸の僕を包む。股間はタオルで隠している。凛奈も今ごろ裸なのだと思うと、なんだかちょっと元気になりそう。しかし僕のほかにも客が5人いる。見た感じ全員高齢者だ。いくら男だけの空間とはいえ、おっきさせるのは恥ずかしい。
からだを洗って、青空の下に出た。どこかからアブラゼミの声が聞こえる。
足からそっと湯に浸かると、全身がブルッと震え上がり、おいなりさんがギュッと縮んだ。
「あああああ、熱い、これはやばい」
肩どころか腹まで浸かれない熱さ。縁に座って足を浸しているだけでもそこから血行が良くなって、デトックスされてゆくのがわかる。僕は独り言を漏らしたけれど、周囲の老人たちも「あああ、あぢー」などと感嘆しているので問題ない。
やっぱり温泉はいいねぇ。夏だけど風が気持ちいい。やることに追われていても、やっぱり休息は必要だ。
でもまあ、そういうときでも創作のことを考えるのが僕の性分で、凛奈が構想しているポップな物語に、僕がどう力添えできるのかとか、具体案は浮かばないくせに、漠然と想像を膨らませる。とびきりポップでキュートか、シリアス要素を多分に投入するか、どちらもバランスを見ながら配合するか。
そういうことは、他ならぬ凛奈が考えているのだろうけれど。
情景や風景を重視した物語を描いてきた僕にとっての、新たな挑戦。しかも楽しそうな挑戦。受験と被るから、そのへんもどうやってゆくか。
◇◇◇
「ふーう」
いいお湯。熱海に住んでてもなかなか温泉には入らないからなぁ。地元のいいとこ再発見。
もわもわと沸き上がる湯気、ちゃぷちゃぷ肌を整えるお湯。
死にかけた清川くんを慰安旅行にと思ってたけど、私も救われちゃった。
こういうときは、夜中まで絵の練習したり、ストーリーを組み立ててる日々のことは忘れて、なーんにも考えないのがいちばん。
たまにはゆ~っくり、温泉でもいかがですか? 良かったら熱海に、ぜひ来てみてくださいね!
なんて、誰に語りかけてるんだろう。




