咲見凛奈と熱海と僕と
窓越しの、眼下に広がる大海原。
切り立った崖を行く東海道線のE231系普通電車。窓が大きく、ロングシートに座りながら僕は正面に広がる壮大な景色を眺めていた。向かい側のシートは一列まるごと誰も座っておらず、景勝を邪魔する者はいない。最後部の15号車と14号車はボックス席があるけれど、人が座っていたのでロングシート車両の13号車にした。
『まもなく、根府川、ねぶかわ、お出口は、左側です』
日本語と英語で自動放送が流れた。
そう、僕がいま眺めているのは、根府川駅付近の景色。僕が座る山側のロングシートからだと窓一面の視界が海になる区間だ。波音を聴く茅ヶ崎とは異なる海の愉しみ方だ。
しかし今回の目的地は根府川ではない。
崖っぷちとトンネルの出入りを繰り返し、電車は終点の熱海駅に到着。
東海地方、静岡県の東端に位置する熱海は、首都圏から近い風光明媚な温泉地として、またビーチレジャーを堪能できる観光地として親しまれている。所要時間は東京から新幹線で50分前後、特急踊り子で1時間少々、普通電車で2時間弱。茅ヶ崎からは普通電車で50分。
こんな感じでアクセスは良好。故に僕もときどき訪れる。
僕が乗っていた車両は空いていたものの、他の車両は混雑していたようで、電車を降りてホームを歩き、階段に近づくと人だかりができていた。
人混みに紛れて改札口を出ると、何度か見たロータリーが広がっていた。茅ヶ崎駅のロータリーと比べるとずいぶん小さいが、人混み具合はほぼ互角といったところだろうか。ただし、茅ヶ崎は市民、熱海は観光客が多い。
「清川くーん!」
創作に行き詰まった僕は気分転換に熱海を歩くことにしたのだが、今回は熱海市民である凛奈が街を案内してくれる。
駅舎の支柱に背を寄せて立つ僕に、凛奈がとことこと走るでもなく寄ってきた。
「どうも」
「どうも、ようこそ熱海へ!」
「久しぶりだなぁ、熱海」
「どこか行きたいとこある?」
「いや、特に」
「ふぅん、じゃ、てきとうに歩こうか」
とりあえず、といった感じで凛奈は駅舎の右斜め前にあるルーフ付きの商店街に入った。海へ向かって緩やかな下り坂になっている。海鮮料理の店、和菓子店、お茶っ葉屋さんなど多様な商店が並び、観光客で賑わっている。やはり熱海は市民より観光客のほうが多くいるのではなかろうか。
ゆるゆると、重力を感じながら坂を下る。商店街を出ると、バス通りに出た。これまで何度か単独で通った道のため、この先の景色も大方覚えている。
昭和の雰囲気漂うコンクリートの旅館がぽつぽつ建つ、人通りのまばらな裏道を辿る。急に人気がなくなるので、通る度になんだかそわそわする。陰か陽かといえば陰だ。
「ああ、ここ、なんだかいいかも。この、ちょっと怖い感じが」
「またコンテ足す気?」
「ああ、いや、まあ、今後の参考に」
熱海は温泉地。コンクリートの旅館は東北旅行の際、福島県飯坂温泉の摺上川沿いでも見たが、温泉地や観光地ならではの建物だ。茅ヶ崎も観光地ではあるものの、このような建物は僕が知る限りない。ビジネスホテル、木造の旅館が少々と、ラブホテルがわんさかだ。
うん、これだけでも、ちょっと気分転換になった。地元や日頃の行動範囲内にはないものを見ると、それだけで刺激になる。
「ふうん、でも、熱海のことを描いてくれたら、ちょっとうれしいかも」
「ちょっと?」
「かなり?」
「かなり……」
「けっこう」
「託卵?」
「それはカッコウ」
「学舎?」
「学校」
他愛ない応酬をしていると、僕らの目の前に自動車が引っ切り無しに往来する大通りが現れた。陰か陽かでいえば、陽だ。ここは、僕の好きな場所だ。




