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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2009年7月

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223/307

咲見凛奈と熱海と僕と

 窓越しの、眼下に広がる大海原。


 切り立った崖を行く東海道線のE231系普通電車。窓が大きく、ロングシートに座りながら僕は正面に広がる壮大な景色を眺めていた。向かい側のシートは一列まるごと誰も座っておらず、景勝を邪魔する者はいない。最後部の15号車と14号車はボックス席があるけれど、人が座っていたのでロングシート車両の13号車にした。


『まもなく、根府川、ねぶかわ、お出口は、左側です』


 日本語と英語で自動放送が流れた。


 そう、僕がいま眺めているのは、根府川駅付近の景色。僕が座る山側のロングシートからだと窓一面の視界が海になる区間だ。波音を聴く茅ヶ崎とは異なる海の愉しみ方だ。


 しかし今回の目的地は根府川ではない。


 崖っぷちとトンネルの出入りを繰り返し、電車は終点の熱海あたみ駅に到着。


 東海地方、静岡県の東端に位置する熱海は、首都圏から近い風光明媚な温泉地として、またビーチレジャーを堪能できる観光地として親しまれている。所要時間は東京から新幹線で50分前後、特急踊り子で1時間少々、普通電車で2時間弱。茅ヶ崎からは普通電車で50分。


 こんな感じでアクセスは良好。故に僕もときどき訪れる。


 僕が乗っていた車両は空いていたものの、他の車両は混雑していたようで、電車を降りてホームを歩き、階段に近づくと人だかりができていた。


 人混みに紛れて改札口を出ると、何度か見たロータリーが広がっていた。茅ヶ崎駅のロータリーと比べるとずいぶん小さいが、人混み具合はほぼ互角といったところだろうか。ただし、茅ヶ崎は市民、熱海は観光客が多い。


「清川くーん!」


 創作に行き詰まった僕は気分転換に熱海を歩くことにしたのだが、今回は熱海市民である凛奈が街を案内してくれる。


 駅舎の支柱に背を寄せて立つ僕に、凛奈がとことこと走るでもなく寄ってきた。


「どうも」


「どうも、ようこそ熱海へ!」


「久しぶりだなぁ、熱海」


「どこか行きたいとこある?」


「いや、特に」


「ふぅん、じゃ、てきとうに歩こうか」


 とりあえず、といった感じで凛奈は駅舎の右斜め前にあるルーフ付きの商店街に入った。海へ向かって緩やかな下り坂になっている。海鮮料理の店、和菓子店、お茶っ葉屋さんなど多様な商店が並び、観光客で賑わっている。やはり熱海は市民より観光客のほうが多くいるのではなかろうか。


 ゆるゆると、重力を感じながら坂を下る。商店街を出ると、バス通りに出た。これまで何度か単独で通った道のため、この先の景色も大方覚えている。


 昭和の雰囲気漂うコンクリートの旅館がぽつぽつ建つ、人通りのまばらな裏道を辿る。急に人気ひとけがなくなるので、通る度になんだかそわそわする。陰か陽かといえば陰だ。


「ああ、ここ、なんだかいいかも。この、ちょっと怖い感じが」


「またコンテ足す気?」


「ああ、いや、まあ、今後の参考に」


 熱海は温泉地。コンクリートの旅館は東北旅行の際、福島県飯坂(いいざか)温泉の摺上川すりかみがわ沿いでも見たが、温泉地や観光地ならではの建物だ。茅ヶ崎も観光地ではあるものの、このような建物は僕が知る限りない。ビジネスホテル、木造の旅館が少々と、ラブホテルがわんさかだ。


 うん、これだけでも、ちょっと気分転換になった。地元や日頃の行動範囲内にはないものを見ると、それだけで刺激になる。


「ふうん、でも、熱海のことを描いてくれたら、ちょっとうれしいかも」


「ちょっと?」


「かなり?」


「かなり……」


「けっこう」


託卵たくらん?」


「それはカッコウ」


学舎まなびや?」


「学校」


 他愛ない応酬をしていると、僕らの目の前に自動車が引っ切り無しに往来する大通りが現れた。陰か陽かでいえば、陽だ。ここは、僕の好きな場所だ。

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