8月10日
威勢が良く説教が日課で、電車の優先席に座る人は怒鳴りながら杖を振り回し散らす。そんな人間が衰えて、入院して、管でつながれて、言葉も発せなくなり、家族のこともわからなくなった。祖母はここ数ヶ月会わぬ間にすっかり痩せこけていた。
私が藤沢の病院へ出向いたのは入院から1ヶ月半が経過した8月10日のことだった。
6月の修学旅行から帰った数日後、母が藤沢にある祖母の家を訪ねたら、倒れていたとのこと。祖父は既に逝去していて発見が遅れた。祖母は倒れる1週間前から風邪をこじらせており、母が毎日看病に出ていた。今回は肺炎を併発したとのこと。
星川美空という人生で死の概念を理解してからは、初めての別れとなるだろう。
私の創作活動を否定して、ワイドショーを見て文句を垂れ流すのが日課だった祖母。
鬱陶しい、目の上のこぶであった祖母の衰えが切なく感じたのは、私にいくらかの愛情を、不器用なりに注いでくれたから。
あまり趣味でない本をくれたとき、麦茶をコップ一杯くれたときなど、無口な私に事あるごとに「そういうときは『ありがとう』って言うの」と感謝を強要してきた祖母。小学校高学年のころまで、ファミレスなどで祖母にご飯をご馳走になったときに「ごちそうさま」も言わない子だったから、いま思えば納得できないでもない。ただ、当時の私はただ言わされていただけだった。
生きているうちに、私のことを認識できているうちに、心からの謝意を伝えられれば良かったのだろうけれど、仮に現在も生きていたとしたら、私は現在でも上辺だけの『ありがとう』を繰り返していただろう。教育上そうしてきたと理解しつつも、祖母が過度な要求をしてくるという認識は変わらない。
世の中には、愛情表現が不器用な人がいる。祖母も、同級生も、まだ出逢わぬ誰かも、清川真幸も。
茅ヶ崎の病院がどうかはしらないけれど、さすが湘南の首都、藤沢。エントランスから病室まで最新の設備が整えられており、どこもかしこも白を基調とした清潔感ある空間となっている。
病室の窓からは丘陵地の住宅街と河川、藤沢から戸塚、横浜方面へ続く自動車専用道が見渡せる。都会の喧騒にまみれた藤沢駅前と比較すると、だいぶ風光明媚な景色。
管につながれて呼吸音しかしない祖母、黙って様子を見守る母、窓の外を見てなるべく母と会話しないようにしている私。
気まずさしかない。豆粒程度に見える自動車や歩行者を目で追って、気持ちを誤魔化す。
そんな気まずさの中で3時間を過ごし、私は母とともに帰宅して、自室に籠った。病院から藤沢駅までのバス、藤沢駅から茅ヶ崎駅までの電車、茅ヶ崎駅から自宅最寄バス停までの合計1時間も、私と母の間にほとんど会話はなかった。
「ふ~う、疲れた」
机に向かって白紙の画用紙を前に、私は息を漏らした。今後、このようなことは何度か続くだろう。そして祖母がこれまで通り罵詈雑言を浴びせてくることは、十中八九ないだろう。
祖母の命がいつまで持つかはわからないけれど、親族の死を待つというのは、なんだか頭と心がもやっとするものだ。元々モヤまみれの人生だから常人よりダメージは少ないというか感覚は麻痺しているだろうけれど、どこかで祖母と理解し合う機会は設けたかった。未練だ。
重たい荷物や後悔を纏いながら、私はきょうも鉛筆を握った。華やかで笑顔に満ちた世界を描くために。




