ぼくはまた、もどってくるよ 2
人間の女の子、唯と暮らし始めて、3日経った。ぼくには『むっちゃん』という名が付いた。
人間は個々を呼び合いやすいよう、みんなに名前という符号を付けるらしい。
人間の巣の2階という、木の上と同じくらいの高さに、唯の縄張りがある。唯は親と群れて住んでいるけど、それぞれに縄張りを持っている。僕は特別に、唯の縄張りに住まわせてもらっている。僕専用の巣もあるけど、カラスがよく巣作りに使っているハリガネというものでできていて、なんだかそれは気に入らない。けど、人間界のルールで、ほんとうは人間とムクドリはいっしょに暮らしてはいけないらしい。そんな中で、ぼくといっしょに暮らしてくれている唯の存在は、すごくうれしくて、ありがとうの気持ちでいっぱいなんだ。
「カア! カーア!」
きょうも外では、おぞましいカラスたちが飛び交っている。
唯の縄張りは、人間の巣には必ずと言っていいほどある透明な硬いもので守られているから、カラスなどの天敵に襲われにくい。それに、ぼくに話しかけてくれたあの子が眠る土を、いつでも見下ろせる。わかりやすいように、あの子が眠っている場所には唯が土を盛って、きれいに切り取られた細い木が差し込まれている。人間は器用な生きものだ。
「むっちゃん、もうお家には慣れた?」
唯が、ぼくをハリガネの巣から出してくれた。
「ぴぴっ、ぴぴぴっ」
少しだけ、慣れてきたよ。
「そっか、よしよし」
ぼくの言っていることを、たぶん唯はあまりわかっていない。だけどいつも頭をやさしく撫でてくれて、無条件に愛してくれる。唯は僕にとっての、新しいお母さんだ。ちなみにぼくのほんとうのお母さんは、もうとっくにこの世から旅立っていると思う。ぼくがもう大人になって巣立っているのだから、それは当たり前なんだ。
でも、巣立つ前の子どもに大人のぼくが面倒を見てもらっているのは、なんだかちょっぴり変な感じ。
唯は主に朝、がっこうというところへ出かける。巣立ち前の人間はそこで、生きていくための術を教わるらしい。
唯のお母さんはよく、獲物を持ってくる。唯もよく穀物や果物を持ってきては、ぼくに分けてくれる。
だからぼくは、いつも決まった量の食にありつけている。餓死した仲間もたくさんいる中で、ぼくはほんとうに恵まれている。おかげで少し、おなかが肥えてきた。飛びにくいけど、もう遠くに飛ぶ必要も、敵から逃げる必要もないからいいや。
と思っていたら、唯が透明の硬いバリアを開けた。
「ピーッ! ピピピピピッ!」
やめて! 開けないで! カラスが来る!
「むっちゃん、行きたかったら、行ってもいいんだよ」
すこし寂しそうに、ぼくを見る唯。
「ピーッ! ピーッ!」
行かないよ。怖いから早くバリアを張って!
「仲間を呼んでるの?」
「ビーッ! ビーッ! ビイイイイイイッ!!」
呼んでないよ! あいつらはもうぼくなんか忘れて楓の里で暮らしてるよ! いいから早くバリアして!
ぼくは敵に見つからないように、なるべくすみっこのいちばん上に逆立ちして、唯にメッセージを送る。
「行かないか」
言って唯はまた、透明なバリアを横に動かして、巣を封鎖した。
ふぅ、気が気じゃないよ。
ぼくはほっとして、唯の肩にのった。
おっきいなぁ、唯のからだは頭だけでぼくの2倍くらいある。これだけ大きければ、カラスなんて怖くないか。
こんな感じで毎日1回はバリアを開ける唯だけど、ぼくは外に出ず、食べて、毛づくろいして、唯の縄張りを飛び回る日々を続けている。
唯のからだは少しずつ大きくなっていって、ある日を境に、いつも決まったもので身を包んで、外へ出るようになった。冬になると重たそうになって、夏になると軽そうなものだけを巻き付けて出かける。
ちゅうがくせい、という格付けになると、決まったものを身にまとって出かけるのが人間界のルールなのだとか。巣の中にいるときや、がっこうに行かない日は、それをまとわない。
そういえば唯は、頭以外の毛が薄い。ふじさわえきを行き交っていた人間を思い返してもそうだ。てっきり胴体の毛の模様かと思っていたけれど、唯を見ていると、どうも自分で取ってきた巻き付けやすいものを装着したり外したりしている。寒くなってもあまり毛が生えないし、暑くなっても抜けない。
でも、オスの人間は老いてくると、頭の毛がバッサリ抜け落ちるみたい。ふじさわえきで見ていて気付いた。けれど彼らは寒さに震えるというよりは、どこか哀愁を漂わせていた。毛がなくなると、寂しいみたい。
人間って、不思議だなぁ。
唯と暮らし始めて、どれくらい経っただろう。最近はこうこうせいという格付けになって、なぜか冬になっても脚の大半を露出したまま出かけるようになった。寒そう。ぼくも脚だけは、毛に覆われていないけど。
でも、がっこうに行かない日は、全身を何かで覆っている。こうこうせいは、なんだかハードだ。唯も夜遅くまで起きて、薄く切った白い木の束とにらめっこしながら棒を擦り付けている。ぼくが唯と暮らし始めた日にもそれはやっていたけれど、こうこうせいになってからはその時間が長くなって、ぼくとおしゃべりする時間が短くなっていた。
唯はその行為を『べんきょう』と呼んでいる。
「ピピッ、ピピピッ」
寂しいよ、もっとおしゃべりしようよ。
「むっちゃん、ごめんね。最近あんまりおしゃべりしてないね」
言うと、唯は僕をハリガネの巣から出してくれた。僕はうれしくて、唯の肩にのった。
「ぴぴっ、ぴぴぴぴぴっ」
うれしいよ、おしゃべりしてくれて、うれしいよ。いっしょにいれて、うれしいよ。
「ごめんね。ひとりぼっちのつらさは、私だってよく知ってるのに、ほんとうにごめんね」
すると唯は、ぽろぽろと、おおきな涙を流し始めた。悲しいときに流れる、ぼくも知ってる涙だ。
「ピピッ、ピピッ、ピピピッ!」
だいじょうぶだよ、唯にはぼくがいるよ、ひとりぼっちじゃないよ!
「ありがとう、むっちゃん」
それでも、唯の涙は止まらない。
「ピッ、ピッ。ピーッ!」
どうしたの? 外でなにかあったの?
僕は唯の肩から降りて、顔を見上げた。足元の薄くて白い木の束は、涙でびちょびちょだ。
唯は、あまり気持ちをぶつけてこない。ぼくたちムクドリは、なんでもぜんぶ話して、気持ちを共有する。カラスもそうしている。でも、人間は違うみたい。自分で抱え込んでは、生気を失ってゆく、不思議な生きもの。
このままじゃ、唯が死んじゃう。きっと唯は、誰かと喧嘩して、負けそうなんだ。ムクドリにもそういうことはある。やさしいムクドリほど、争いに負けて死んでしまう。
やだよ、唯がいなくなるなんて、やだよ。
あの子が眠る土を何度も盛りなおして、種族の違うぼくと暮らしてくれている、やさしい唯がいなくなっちゃうなんて、絶対いやだよ。
「むっちゃんまで涙目になってる」
当たり前だよ。唯がかなしいときは、ぼくもかなしいよ。
唯がうれしいときは、ぼくもうれしいよ。
だからいまは苦しくて、声が出ないんだよ。
おねがいだから、ぼくに話してよ。




