ぼくはまた、もどってくるよ 1
「ピーッ! ピーピーピーッ!」
ぼくはムクドリ。山で生まれた、ただのムクドリ。
ぼくらは群れで行動する。
きょうも百羽の仲間とともに、四角い岩山だらけの、人間だらけの谷を飛び回る。人間はその岩山に巣穴を掘って暮らしているみたい。
人間たちは歩くだけじゃなくて、動く箱に隠れて移動する。とても大きなヘビみたいな箱は、近づかなければ無害。だけど小さな箱は細かな黒い粒が混ざった空気を吐き出し、それを吸うと呼吸が苦しくなる。
小さな箱は大きな箱よりたくさんあって、それぞれが不規則に谷間をひょいょい縫って動くから、僕らの行く先々に現れる。とても厄介だ。
ヘビみたいな箱は、砂利の上に敷かれた茶色い筋に沿って、規則的に動く。だけど物凄く速くて、ぶつかったらトビみたいな大きな鳥でもぺちゃんこになっちゃう。だけどヘビは潰した鳥を食べないで、そのまま過ぎ去る。潰れた鳥や動物は、カラスが食べるんだ。たとえそれが、仲間の亡骸でも。
カラスは頭がいい。大きなヘビを使って食糧を確保するなんて、おぞましいにもほどがある。
ここは、ふじさわえき、という場所らしい。
藤の花はぼくも知っている。紫の花が蔦から垂れて、人間やクマバチが寄ってくる。そんな藤の花が咲き乱れ、清らかな水の流れる沢があるから、人間はこの辺りを『藤沢』と呼ぶらしい。
だけどどこを見渡しても藤の花も沢もなくて、ぼくが生まれ育った楓の山のほうが、花も沢もたくさんあった。
なんだか変な場所だな。
それに、ここを歩く人々は俯いたまま歩くか、ぼくらを迷惑そうに見上げている。
ぼくたちは、トビやカラスのように、人間の食べ物を奪ったりはしないよ。鳥だからといって、一緒くたに見ないでほしいな。
ぼくの生まれた里は、ここから少し離れた山の中。谷には木々がぎっしり立っていた。いま、里は寒いから、少し温暖な藤沢に移動して、春になったらまた帰る。
今年の冬はいつもより温かくて、藤沢には食べ物がいっぱい。人間の冷ややかな目と、小さな箱が吐き出す空気が苦しいけれど、お腹いっぱい食べられるから我慢しなきゃ。
きょうもいっぱい飛び回って、夜、ぼくらはふじさわえきの街路樹に留まった。
「明日は里に帰るぞー!」
ボスが言った。そうか、里に帰るんだ。
「やったー! 久しぶりの里だー!」
「うぅ、怖いよぉ」
みんなわいわいガヤガヤ。ぼくも里には帰りたいけれど、道中は危険がいっぱい。大きな鳥に狙われたり、藤沢の蛇とは比べものにならない、鼻が長くて物凄く速い蛇に襲われたり。
ヤマカガシやアオダイショウだって油断ならない。長距離移動で体力を消耗すると動きが鈍くなるから、逃げ遅れやすくなる。
いろんなことがあって、無事に里まで帰れない仲間がほぼ必ず出ることを、ぼくらは知っている。
「ちゃんと帰れるかなぁ」
思わず心の声が漏れた。
「わからない。けど、行くしかない」
枝のうえ、ぼくの隣に留まっている女の子が言った。凛としていて、かっこいい。
「そうなんだけど、でも、ほぼ間違いなく、この中の誰かはいなくなっちゃう」
「それでも私たちは、行かなきゃいけないの。弱い生きものだから、ここに残って単独行動するほうが危険」
「うん、わかってはいるんだけど……」
「大丈夫。なるようになる。ここにいたって常に危険は付き纏っているんだから、移動したって同じだよ」
「うぅ、確かに……」
最近の女の子は強いなぁ。ぼくみたいなヘタレムクドリじゃ、とても無事に生き延びて、子孫を遺せそうにないや。
翌朝、いよいよ出発のときを迎えた。
「みんなー! 行くぞー!」
ボスの掛け声に従って、ぼくらの群れは飛び立った。
ぼくは群れの後ろから3番目くらい。きのうの女の子もいっしょ。
じゃあね、藤沢。もし生き延びられたらまた。
ピピピピピピピピピーッ!
敵を近付けさせないよう大きな声を張り上げて威嚇しながら、ぼくらは飛ぶ。ふるさとの、楓の里へ向かって。
いまのところ敵襲はなく、誰もいなくなってはいない。
あっ。
カラスが滑空して、女の子を持ち去った。
「いやあ!!」
悲鳴が上がった。この間、1秒もない。
悲劇はいつも突然に襲い来る。
ぼくは反射的に、あの子を助けに、群れから離れた。迷いはなかった。そんな余裕はない。
「いや、やあああ!! 痛い! 痛い!」
硬い灰色の地に降りたカラスは、彼女を地に叩き付け、無言でつつき、肉をついばみ始めた。
「やめろ! やめろ!!」
ぼくがカラスをつついても、まったく相手にされない。
あぁ、大きな敵を相手に、ぼくは無力だ。
「逃げて! 逃げて! お願いだから!」
「いやだ、いやだ! 逃げるもんか!」
他のことは、なにも考えられなかった。黒い巨体にのしかかって、何度もくちばしを刺しているのに、ビクともしない。
食いちぎられて無惨に舞う、彼女の羽。叫ぶだけの、無力なぼく。
「ううっ!」
急所を突かれた彼女からはそれ以降、もう声は上がらなかった。
カラスは僕に目もくれず、どこかへ飛び去った。頭と脚を残し、胴体はほとんど食べられてしまった彼女は、ただ悲しそうに、目を閉じている。
自分が食べられているところを、見られたくなかっただろうな。
通りすがりの人間たちは、気持ち悪そうに彼女を見下ろす。
「ビーッ! ビーッ! ビイイイッ!!」
そんな中でぼくは、ただ泣き叫ぶしかできない。もう彼女は、死んでしまった。あっという間だった。きのうは弱気なぼくにかまってくれて、ついさっきまで、いっしょに飛んでいたのに、彼女はもう、いないんだ。
もう痛い思いは、してないかな?
なんの苦しみもなく、天国に向かえてるかな?
「鳥さん! 大丈夫?」
喚いていると、人間の女の子がぼくに寄ってしゃがみ込んだ。まだ巣立ちは遠そうな、小さな女の子。カラスよりもずっと大きいけど、ぼくを襲う気はなさそうで、それどころか悲しんでいる。
「ちょっと待っててね!」
言って人間の女の子は一旦この場を去り、すぐに戻ってきた。手には何かを嵌めている。木を切る人が嵌めているのと同じだ。ぐんて、っていうものだと思う。
人間の女の子は、血だらけの彼女をそっと拾って、平たい木の板に乗せた。「いっしょに来る?」と言うので、ぼくは女の子の肩に乗った。




