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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
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162/307

大きな幸せ

 週刊誌はなぜ下賤な記事を多く載せるのか。私の問いかけに、真幸は顎をつまんで少々考え込む素振りを見せた。


「そういう記事に、少なからず需要があるからじゃない?」


「需要? グラビアに?」


「あ、うん、それは本当に、世の人を癒す意味でとても大きな需要があると思うよ。週刊誌の絶対正義といってもいいくらい」


「そう……」


 自らネタを振っておきながら死んだ魚の眼をした私を、真幸は心底めんどくさそうに見ている。


「まぁ、その、それ以外の記事はね、一言で言えば、他人ひとの不幸は蜜の味なんだよ。世の中には満たされない生活を送っている人がたくさんいる。そんな日々を送る中で、政治家とか芸能人みたいな成功者が失態を犯して、急転直下する姿が、彼らから見るととても愉快なんだろうね」


「あぁ、心当たりがあり過ぎる」


 祖母、母の顔が脳裏に浮かんだ。


「それと、知的好奇心」


「というと?」


「戦争、事件、事故、災害、不祥事。世界で起きることのすべてを、たった一人の人間だけではとても経験できない。とりわけ取材しやすく、尚且つ感情移入しやすいのは、事件、事故、災害の当事者だ。加害者と被害者、いずれの立場でもね。例えば殺人事件が起きたとして、犯人の背景には何があって犯行に及び、被害者遺族はいま、どんな気持ちなのか。それを知りたがる人は、相当数いるはず」


「でも、悲しみに暮れている被害者遺族や、加害者に近しい人たちのところへ執拗な取材をすると、ただでさえ滅入っている当事者に強いストレス与えると思う」


「もちろん。例えば僕が誰か大切な人を事件や事故で失ったとして、家を囲まれたり、外を歩いているときに追い回されたりしたらたまったものじゃない。僕にとって現実味のあるものとしては、父親がまた何かをやらかしたとして、加害者家族としてマスコミに囲まれたら、もう本当にどうすればいいか。近所の人とか、美空とか、友恵や三郎、長沼さん、学校、たくさんの人に迷惑をかける。行き過ぎた取材は控えるべきだ。仕事だとしでも、自分がしたことは、善悪いずれも自分に返ってくる」


 過去、真幸のお父さんは酒に酔って同僚を駅のホームから線路に転落させたとして会社を解雇された。真幸が学校に欠席の連絡を入れていたときの会話の内容から察するに、清川家では昨夜もどうやら揉め事があったようだ。真幸は本当に明日、いや、今夜にもマスコミに囲まれてもおかしくない境遇にある。


「それでも、需要があるからマスコミは嗅ぎ回るのかな」


「そうだね、そこまで追い求める人は、相当な負のスパイラルに陥ってると思うけど、もし自分がそうなったときは、自分はいま相当病んでるんだって、自覚する基準にはなるかもしれない」


「そんな分別がつく程度なら、ね」


「鋭いね」


「私も私で抱えているので」


 交換列車が到着し、なぜかそちらが先に発車した後、ようやく私たちの乗る電車も走り出した。のろのろじわじわと加速して、ポイントで揺れて合流し、こんどは一気に加速。その数十秒を置いて、真幸は再び口を開く。


「僕は善人ぶって、常人が理解できないほどの痛みを抱えている人に対して『余裕がない』などと一蹴する無自覚のいじめっ子にはなりたくないよ」


「そういう人ってけっこう取り巻きがいるから、それが民意になって、崖に指一本でぶら下がっている人を蹴り落とすのかもね」


「悪意なきいじめ。無邪気っていうのは本当に怖いよ。そう思うと、それなりに苦しみを知る僕は、ある意味幸せなんだろうなとも思うよ」


「陰と陽のバランスが大事だね。私たちはどちらかといえば陰のほうが強い気がするから、これから陽を蓄えないと」


「そうだね。痛みを知った分は、幸せにならないとね」


 そんなことを話しているうちに厚木あつぎ駅に到着。ステンレス車体に水色の帯を纏った小田急線に乗り換えた。内装は外観に反して化粧板が薄いピンク、座席は濃いピンク。小田急線には次の本厚木ほんあつぎまでの数分だけ乗る。ちなみに厚木駅は海老名えびな市に、本厚木駅は厚木市に位置している。小田急線にも週刊誌の広告が吊るされていた。


「でも、週刊誌も悪ばかりじゃないよ。テレビでは報道されない、本物の悪党を他のどのメディアより追いかけるのもまた、彼らだから」


 相模川の鉄橋をゆっくり渡る、小田急線の各駅停車。この電車は本厚木止まり。


「まぁ、でも、そうだなぁ、それにしても、やっぱり、罪なき人が追い回されて書かれる記事に、商売として成り立つほどの需要がある世の中はおかしいと僕は思う。だから、物語を通して現状よりやさしい世の中にできたらと思うよ。記者も読者が負のスパイラルから離脱しないようにコンスタントにそういう記事を載せている節はあると思うけど」


「うん、それは私もそう思う。一人ひとりに手を差し伸べられるほど優れた人間ではないけれど、自分の描いた物語を世界に広めて、それが誰かの救いになったら、それは私にとっての大きな幸せ」


 私と真幸は微笑み合って、座席から立った。


 電車を降りて、茅ヶ崎より人口が少ないのにやけに栄えていて人通りの多い本厚木の街に圧巻されながら、バスの1番のりばへ向かった。


 さて、これから私たちはクマさんもいる山へと踏み入れるのだが、果たして無事に帰還できるだろうか。

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