星川美空は一度きり
私と彼は、思考回路がよく似ている。
自ら夏にさよならを告げるのが惜しくて、橋を渡る足が戸惑う。
それでも意を決して、ふたりいっしょに橋を渡り終えた。
そして、目を逸らしていた右へ、視線を、からだを向けた。
あぁ、もうここは、秋なんだ。
橋の向こうではきっとまだ、セミが鳴いている。
けれどここで聞こえるのは、コオロギやマツムシ、キリギリスの、もの静かな合唱。
「きれい」
思わず言葉が漏れた。
こくり、真幸が頷いた。
私たちの前に、広がる世界。
ずうっと先まで一面に広がる、黄金に実った稲穂、川沿いの細い畦道に連なる、けがれなき真紅の彼岸花。
あぁ、そうか。
こんなものを見てしまったら、もう引き返せない。
世界の真理を、見てしまった。そんな気がするほどに鮮やかで、切なくて、果ての見えない紅の向こうは、もう別の世界。
そこへ行ってしまったら、星川美空という自分は、もうどの世界からもいなくなってしまう。魂は残っても、もうそれは、星川美空ではない、なにか別の『個』であると、そんなことを、いやでも感じてしまう。
あぁ、いやだな、現実は苦しいことがたくさんあるのに、それでも私はまだ、生きていたい。
私は思わず、真幸の手をぎゅっと握った。
「えっ」
真幸は少し、驚いたよう。
けれどすぐに、手を握り返してくれた。
あぁ、まだ私は、この世界にいるんだ。
温かくて、少し強固な彼の感触が、私をこの世界に引き戻してくれた。
「行こうか」
「うん」
気を付けないと、田や川に転落しかねない細い畦道。
真幸は私の手を引いて、一歩先をゆく。ゆっくり、ゆっくり、終わりに見る景色の予行演習がいま、本番にならないように。
真幸の背中は大きいな。
私はそれを直視できなくて、足元や川を見る。細い細い、彼岸花。中には白いものもある。川の上には、黄緑色の大きなトンボが行き来している。たぶんギンヤンマ。
「ねぇ真幸、あの黄緑のトンボはなに?」
訊ねると真幸は立ち止まり、川をゆくトンボを見た。
「ギンヤンマのメスだね」
水中には何か黒っぽい、大きな魚が群れを成している。鯉だろうか。
「じゃあ、あの魚は?」
「マゴイ」
「ありがとう」
「いえいえ」
水面には、まだ残る青空と迫る夕焼け、そして灰や白の雲が映っていた。波打つ海のそばに住む私にはなかなか見られない、幻想的な世界。
色々と考えごとをしたり、景色を眺めても、まだまだ終着点は見えない。
あぁ、なんて長い旅なのだろう。
これよりもずっと長い旅をいずれ、この世の誰もがしなくてはならない。
旅を拒めばきっと、苦を抱えたまま延々と、何十年、何百年も、この世をさまよってしまう。
「僕はやっぱり、アニメ作家になりたいな」
歩みを止めぬまま、真幸が言った。その声は少し、どもっていた。
「そうだね、真幸が真幸として生きられるのは、たった一度だけだもんね」
「はは、美空も同じことを考えてたんだ」
空いていた右手の指で、真幸は照れ笑いする頬を掻いた。
「さぁ、それはどうかな」
ふふっ。
ねえ、心が通って、同じことを思って、心臓が止まったら君は、どうしてくれるのかな?




