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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2007年9月

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110/307

やぁ、青春だね

 気を取り直して、僕と友恵は緑色の液体石鹸でしっかり手を洗って屋上に上がった。


 松林の向こうに広がる海の霞が少し取れて、きらめきの先には伊豆大島の影が見える。伊豆大島が見えるか否かで空気の澄み具合がわかる。弧を描く水平線。きょうも地球はまるい。


「風が気持ちいいね」


 購買部で買ったサンドイッチの入ったポリ袋を手から垂らし、友恵が言った。


 屋上に着いた僕らは腰を下ろさず、先ずは柵の向こうの海を眺める。


 友恵は海から少し離れた茅ヶ崎小学校出身だけれど、すぐそばの東海岸小学校出身の僕はごく稀に屋上で授業を受ける機会があり、当時から屋上に上がったら先ずは海を眺め、次に富士山のある西を眺める習慣が身に付いている。


 きょうは雪のない、青黒い富士山がよく見える。


 校庭のいちばん奥、雑草が繁る区画では真夏の象徴、ウスバキトンボの群れが飛び交っている。山で夏を過ごすアキアカネの帰郷は少し先のようだ。


「そうだね、日頃のお礼に友恵のあそこも気持ち良くしてあげようか」


「エッチ」


「本当に手を出しちゃう友恵のほうがエッチでしょ」


「私がエッチじゃないなんて言ってないよ?」


「だね。母なる海はエロスを育む」


「そうだよ、エロは生命の神秘なんだよ。これからラブホ行く?」


「行きたいけど部活がある」


「ふぅん、アニメ部は楽しい?」


「楽しいというよりは、修行の場だね。先輩たちが作ったシナリオは僕の肌には合わないけど、絵コンテの作り方とか彩色とか、技術的な部分は学べるから辞められない」


「そっか、真幸も頑張ってるんだね」


「頑張ってるっていうのかな。頑張ってるか否かの基準がわからない」


「私の目から見れば頑張ってるよ、真幸は。私は真幸の彼女じゃないけど、疲れちゃって我慢できなくなったら、私のこと襲っていいからね」


「すごいことを言うね。意外性はまったくないけど」


「私も欲求不満だからね。あ、襲うっていっても殺害とか暴力はダメ」


「性的な衝動による襲撃も立派な暴力だと思うよ」


「殴る蹴るとか銃刀のことを言ってんの」


「わかってるよ。それはそうと、僕は友恵に恩返しをしたいと思っているから、そのときは助け合おう」


「うん、ありがとね」


 こんな会話をしているけれど、友恵の恋情は僕には向いていない。たぶん誰か好きな人がいるのだとは思うけれど、その恋情に行き着く先がなくて彷徨っている。そんな感じがする。


 もしかして編集さんとか、大人を好きになってるのかな。だとしたらつらい。友恵の場合交際したら一線越えは前提だろうし。けれどそれは法が許さない。


 僕が友恵のセクハラを許しているのは、単に自分が不快に思っていないだけでなく、それを停泊させる場所を与えている節もある。


 中1のときぼっちでイジメの標的にされていた僕の手を取ってくれて、創作活動をしていると打ち明けたら自分の仕事もあるのに協力してくれて、そんな恩人に何もない僕が返せることといえば、雑用や何らかのサポートくらいだ。


「ふーう」


 話が一段落して言葉を紡がなくなったら、途端に息が漏れた。ストレスによるものだ。


「どうした?」


「いや、なんか、その、夏休み前まで同じ学校に通っていた人がこの世から何人かいなくなっちゃったんだなって、知らない人たちだけどけっこうショックなんだ」


「あぁ、そうだよね。私もよく知らない人だけど、一人は自転車で脇道から飛び出したら車に轢かれて、もう一人は風邪が悪化したんだって」


「風邪か。僕も悪化して肺炎起こしたからな。侮れないよ」


「中2のときね。看護師さん、赤いのは頼んでもないのに抜いてくけど白いのは抜いてくれない、頼む勇気もないって、お見舞い行く度に言ってたね」


 中2の夏、僕はマイコプラズマ肺炎を患った。39度台の高熱が2週間続き、町医者でレントゲン撮影をして発覚、近くの病院に即入院となった。


「そんなことは思い出さなくていいんだよ。まるで僕が性欲の塊みたいじゃないか」


「そうじゃんか。採血は相部屋で恥ずかしげもなく駄々こねて嫌がって、白いのヌキヌキは頼む勇気がないなんて最高の弱味だと思ったよ」


「だって、いくら中学生でもセクハラじゃないか。もし大人の看護師さんが未成年の僕にやってくれたらそれもアウトだし」


「私に頼めば良かったじゃん」


「考えたけどそれも言い出せなかった」


「はっはっはっ! 病人なんだからそれこそ遠慮しなくて良かったのに!」


「さすがにそういうことは躊躇ためらうよ。ゼリー買ってきてとかとは訳が違う」


「そう?」


「真顔で言うな」


「まぁいいじゃん! とりあえずいまこうして元気でいるんだから」


「そうだね。健康はありがたい。でも、ちょっと思ったんだけど、毎年生徒の訃報を聞く職員たちはどう思ってるんだろう。入学式の日に、あぁ、また今年もこの中から誰かがいなくなるのかなとか、思うのかな」


「あぁ、そうだね」


 と答えたのは友恵ではなく、


「「校長」」


 友恵とハモった。


「やぁ、青春だね」

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