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名もなき創作家たちの恋  作者: おじぃ
2007年8月

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この世界に浸っていたい

 殺人的なコミケから茅ヶ崎に帰り、美空と間違えて性格悪そうな見知らぬ女にちょっかいを出してしまったと思ったら本物の美空が現れて盆踊りと夜の海を眺めるという濃い一日を過ごした僕は、帰宅後疲れて夕食、シャワー、歯磨きと、最低限のことをして眠った。


 あの女が夢に出てきてうなされ「ひゃあああっ!」と発狂したのがまだ夜の明けぬ3時ころ。叫んだのに家族全員無反応。


 あの女め、もしまた会って僕の豆腐メンタルを砕いてきたらお返しに穴を開発してやろうか。


 翌朝は普段通り夏休み恒例の朝飯前サイクリングに出かけ、7時に家を出て江ノ島でドリンク休憩をした後、8時半前に帰宅した。


 全国から生徒が集まる学校に入って気付いたのだけれど、どうも僕はお金をかけない贅沢な日々を送っているようだ。朝起きてすぐ観光名所の江ノ島へサイクリングなんて、そうできるものではない。


 朝食後、濃いめのアイスコーヒーにたっぷり牛乳を注いだカフェラテで一息つき、自室の学習机で昨日購入した同人誌を開いた。


 まずは凜奈の薄い本『ありのままの私』から。


 少女たちのありのままの姿を描いたイラスト集だという。


 萌え好きな凜奈のことだからえっろえろのツユダクな本かと思ったら健全イラスト集で驚いた。


 ランダムにページを開いてみると、風鈴が垂れ下がる古民家の廊下で寝転ぶオフショルダーの白いワンピースを着た少女が右手を後ろに伸ばし、頭頂部に置いているラフ画のようなものに当たっている。お絵描き中の休憩シーン。


 背景にはソーダ色の空と、クリームのような入道雲。家の前には畦道があり、その向こうにメロンソーダのような田んぼが広がっている。セミの声が聞こえてきそうな一枚だ。


 凜奈は熱海在住だから海をモチーフにしたイラストか、いつも部活で落書きしている特に情緒的ではない萌えイラストを描くのかと思いきや、こういうものも描くのか。


 そう思っていると、リゾート感あふれる熱海のビーチで散歩道に設置されたベンチに座って脚をバタつかせ、ハイビスカスの挿されたトロピカルドリンクを差し出すあざとい少女や、2ページ使ってシーンを描き分け、木造の教室で大人しく授業を受けているメガネをかけたロングヘアのインテリ少女が休日は街に繰り出して目をキラキラさせながら服選びをしている姿を描いたものもある。


 続いて他の人の本。


 これは、みなとみらいかな?


 全体の感想として、キャラクターはこだわって描かれているけれど背景が大雑把で、横断歩道の信号機や公衆電話の型、路線バスの内装などが時代感を損ねている印象だ。今はもうその地にないものばかり。しかしキャラクターが持つケータイは最新機種。


 敢えてそういう演出にしたのか、単に作者の記憶にあるものを描いたらこうなったのか、僕には判りかねた。


 ペラペラとページをめくり、見返して、本を閉じて目を閉じて、天井を仰ぐ。


 うーん、この本は僕や周りのクリエイターとは異なる価値観で描かれている。ただこういった作品にも、自作品に活かせる何らかのヒントはあるだろう。


 少し現実とは逸れていて、あれやこれやと料理すると、ファンタジックな世界が構築されるであろう。


 単に作者の無知によりできた世界か、自分の世界を好きに描いたか、真相はわからないし、本人に訊ねる気もない。しかし両者の差は大きい。


 ふーう。


 長く息を吐いた。


 僕の中に何かが入ってきて、思考回路を掻き乱す。


 予防接種の後に襲う倦怠感のような、渦巻くもの。


 異物が侵入したと、僕の感性は認識した。


 最後に開いたのはサークル『フォレストウィンド』、大井おおい森杉もりすぎさんのイラスト集。


 水彩画のようなタッチで描かれている少女たち。ブレザー、セーラー服、私服姿もある。


 1枚目は人混みの中、ビルが建ち並ぶ藤沢の街を背景に、ブレザーを纏ったセミロングの少女が革製の通学鞄を片手に空いた左手を額に当て、容赦なく照りつける真夏の陽射しを遮っている。


 背景をぼかしているのに一目で藤沢と判別できる技術力がすごい。ラーメン屋や牛丼チェーンがある南口の駅前通りだ。はだけた胸元のリボンと袖から覗く色白な二の腕にエロスを感じる。


 2枚目。これは定番、鎌倉高校前駅で江ノ電を待つセーラー服の女の子。スカート丈が長い三つ編みの少女。片側1車線の狭い国道を挟み浅葱色あさぎいろに描かれた海と左側の江ノ島。湘南らしい作品だ。全国的に湘南といえばこの界隈が想像されるだろう。


 3枚目以降中盤は会場で見せてもらった由比ヶ浜海岸で戯れる女の子たちなどのイラストが続き、後半の終わりに近いページで未見のイラストが姿を見せた。


 なるほど、こういう美少女イラストはあまりないかも。


 背が低い地味系なツインテールの女の子が両手で鞄を持ち、目を見開いて広がる景色を俯瞰している様子が、遠目のアングルで描かれている。


 制服姿の少女の前に広がるのは、森に囲われた広大な畑。


 ここは確か、極楽寺から藤沢へ抜ける静かな裏道だ。


 きっと彼女は極楽寺周辺をよく通る学生で、ちょっとした冒険心から裏道に入ってみたら思いもよらぬ風景が広がっていた、というわけか。


 すぐそばは人気の観光地なのに、そこには人気ひとけがなく、ただざわざわと揺れ、木々の葉や草の擦れる音が響き渡るだけの、この世のものではない、幽霊や精霊がぽっと現れそうな、少し怖い神秘的な場所。


 僕もサイクリング中に一度だけ通りかかり、思わず止まって辺りを見回した。数年前に一度しか行っていないのに、いまでもハッキリ覚えている不思議な場所。


 あぁすごい、この人の絵はすごい。


 ずっとこの世界に浸っていたい。


 この人の絵のすごいところは、描写がリアルで、この少女たちはこの場所に行けば会えるかも、会えなくても、この少女と自分は同じ場所の景色を知っているんだと、身近に感じられる。その気になれば、少女がいる場所に実際に出向ける、それは確実にできる。


 僕はたまたま地元住民だから自転車で行ける範囲だけれど、遠くに住んでいても物理的には行ける。


 浸りたい世界の本物の空気を実際に吸って、触れて、風を浴びられる。


 こんなに素晴らしいことがあるだろうか。


 僕も、そんな世界を描いてみたい。


 自分が描いたキャラクターを見た誰かが、彼らが住む土地、訪れた土地を訪れてくれたり、彼らを身近に感じてくれたり、そういう作品を送り出してゆきたい。


 よし、頑張ろう。


 大量に出された手付かずの宿題をほったらかし、僕は新しい作品へ向けて筆を執った。


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