真幸、コミケに怒る
グオオオンウオンウオンウオン!!
唸るモーター、ゆっさゆっさ揺れる車体や吊り手。高速運転の湘南新宿ライン特別快速。近ごろの通勤電車はびっくりするほど速い。
僕はいま、電車に乗って東京の臨海副都心、有明に向かっている。
つまるところ、コミケだ。
部活の一環で、個人のクリエイターがどんな作品を世に送り出しているのか資料を集めるという名目。
他のメンバーは早朝に出発し、我欲を満たすべく奮闘しているらしい。後ほど落ち合い、今後の創作について秋葉原で話し合う予定。
コミケ初参戦の僕に目当ての品はなく、11時台の電車でのんびり出発した。
茅ヶ崎駅を発って1時間半。りんかい線の国際展示場駅に到着。
りんかい線には大崎駅で乗り換えた。電車は地下に潜り、次の大井町駅から客がどっと乗り込んできたのだけれど、なんというか、僕よりオドオドして落ち着かない人や、逆に気が大きくイヤホンやヘッドホンから音をガンガン漏らすクソ野郎が目立った。
恰好はアニメキャラクターがプリントされたシャツやバッグを纏った者が多く、格言のような文言がプリントされたシャツを着ている人もけっこういた。
もしかして僕、場違いなところに来てしまったのでは?
電車内や炎天下の人混みを歩きながら、そんな不安に駆られた。
逆三角形の建物にはスムーズに入れた。僕のような一日のほとんどをエロい妄想に費やす変質者が思うのもなんだけれど、周囲にいる何万もの人々は、僕より1,5倍くらい怪しい!!
野郎だけじゃない。女も怪しい。
なるほど、ここは怪しい人が集う場なんだ。僕もその一員なんだ!
怪しい、僕も怪しいぞ!
内心で叫びつつ、ノロノロ歩きの間を縫って蒸し暑い建物内を足早に進む。
電車が着いたばかりの駅くらい混み合ったエスカレーターを下り、通路から会場内に入った。ここで同人誌などの即売が行われているようだ。
ぶふぉああああああ!! ぶっふぁああああああ!!
なんという汗臭くクソ熱い芋洗いだ。高い天井にはここから出た熱気が集まったものと思しき雲のようなものが浮かんでいる。
イテッ!
何かに足を踏まれて下を見たら女がキャリーバッグを引いていた。通勤ラッシュの電車並みかそれ以上に混み合った会場内に、よく見るとキャリーバッグの姿は多くある。中にはスーツケースを引いている者も。
危ないし場所取って邪魔だからやめろよホントに。
学校で上矢部部長に「コミケは規律の取れた人々の素晴らしい祭典さ」と聞いていたけれど、実際は違った。僕の前にはケータイを操作しながら歩いている野郎がいて、行違う人々と次々にぶつかり、同一方向に進む僕らの流れを妨げている。
もうやだ帰りたい。でも部活のメンバーで集まる約束がある……はぁ……。
僕は、こういう人たちに向けて物語をつくらなきゃいけないのかな。
非常に混んでいる外周の通路から、網目状に張り巡らされている内側の通路に入った。凛奈いわく島中というらしい。こちらも混み合ってはいるものの、茅ヶ崎駅のコンコースとあまり変わらない人の密度だから免疫が効くレベル。
ずらっと並んだ机にはそれぞれ自作の本が並んでいる。本の厚さはどこもだいたい映画のパンフレットくらいで1冊5百円前後。
アルバイトをしていない僕は欲しい本を慎重に見極め、数冊購入した。
ところどころ、売り手と買い手が談笑しているサークルがある。まるでサザン通りやラチエン通りにある昔ながらの商店のような雰囲気。汗が噴き出る激暑の会場で、ちょっと心が和んだ。
おや、見覚えのある人が本を売っている。パイプ椅子に座る彼女の前に立ち、声をかけてみた。
「凛奈のサークル、ここだったんだ」
「うん、メールしたじゃん」
「東何番とか言われてもわかんないよ。とりあえず、本1冊ずついただこうかな」
言って僕は凛奈に千円札を差し出した。
「お金はいいよ。清川くんは部活仲間だし」
「え、でも」
「いいのいいの、声優さん知り合わせてくれた恩もあるし」
周囲に聞かれたくない内容だからか、凛奈は小声で喋っている。
「う、うん……。じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう」
押しに弱い僕は、机に置いてあった新刊既刊を1冊ずつ有難くいただいた。
「初めてのコミケはどう? 楽しんでる?」
「もう帰りたい」
「えぇ!? うーん、まぁ、暑いし臭いし環境は劣悪だけどさ、色んな作品があって楽しくない?」
「うーん、まぁ、刺激的な作品はたくさんあるけど、なんというか、戦々恐々としてて落ち着かない。スタッフがタカハシ走るなー! って走ってる人に怒鳴ってたときはびっくりしたよ。名前知ってるとかエスパーかよ」
「いや、それはたまたま知り合いを見かけただけでしょ」
「そっか。まぁ、それだけじゃないけどね。キャリーカートに足を踏まれたのは精神的ダメージが大きかった。全然規律の取れた人々の祭典じゃないじゃん」
「あぁ、この人混みでキャリーカートはあかんわ。実際はチャラい人が集まるフェスよりマシってくらいだね」
「美化して期待させて裏切られた最悪のパターンだ」
「あの人たちはね。なんだか私も信用できない。部活の集まりも、ゲットしたいアイテムがいっぱいできて集まる体力は残らなそうだからナシになったし」
「はぁ!?」
驚いたときの「は?」は感じが悪くて好まない僕だけれど、思わず漏れた。
「さっきメール来たよ。清川くんにも同時送信になってたけど」
バッグからケータイを取り出して確認。ほんとだ。
「あいつら最低だ。八つ裂きにしたい」
「うん、クリエイターって約束守らない人多いし、ぶっちゃけ私も集まりをドタキャンしたり、イラストの納品が遅れたこともある。納期が決まってないと延々と伸びたりもした」
「お前もか」
「いまはやってないよ! ワタシ、ヤクソクマモルアル!」
凛奈は少し間を置いて、再び口を開いた。
「それでね、これは言い訳だけど、周りにそういう人がいっぱいいるから、約束を守らないのも、絵の納品が遅れるのも、本当はいけないけど、当たり前にあることなんだって、甘えてる自分に、あるときふと気付いたんだ」
僕はただ頷きながら、凛奈の話を聞く。頬を伝う汗がくすぐったい。
「でも、私がそう思っても、周りのクリエイターは何も変わらない。私にとってのクリエイターの世界は、周りにいる知り合いの作家がすべてだから、もしかしたらこの世界はそういう不誠実さが正義なんだって、半ば諦めてた。でもそんなとき、ある人に出逢って、私は私の考え方を貫いてもいいんだって、思えたの」
「ある人って?」
「あの声優さん。会社であんなこと、普通できないよ」
あのこと。上司をリンチした件か。犯罪だけどね。上司だって会社の偉い人から言われたことを立場上仕方なくやっただけで、本当は悪人ではない可能性も十分にある。
「私はあの人に勇気をもらったよ! おかしいと思ったら大きな力に立ち向かってもいいんだって!」
「そっか、それは良かった」
しかし意外だ。納期を守らないということは、当然納品先のお客さまはがっかりさせるし、支障が出る。遅れた分、支払いも遅くなる。それどころか受け取りキャンセルされても仕方ない。
そういう癖は仕事を重ねて取引先が増える度に相手方から見抜かれる。でも相手も仕事だから、下手にクリエイターを刺激するよりは、なるべく褒めちぎりながら、やんわりと納品を促してくるだろう。
こうして誰にも何も言われないまま嬉々として活動を続けていったクリエイターは自らが知らぬうちに信頼を損ねて、依頼が来なくなるのでは?
素人の僕でもそのくらいは想像できる。
友恵や三郎もよく言うけれど、結局長く生き伸びるのは、技術が高いだけじゃなくて、お客さまの気持ちをちゃんと考えられるクリエイターなんだろうな。
「うん。ねぇ、良かったらこの後、いっしょに会場回らない? コミケがイヤな場所と思われたまま帰るのは勿体ないから、私がいいところも教えてあげる」




