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都合のいいオンナじゃイケナイの? リカの恋愛講座

作者: パトリシア・ワトソン


 

 リカにはひどいコンプレックスがある。それは目である。父親に「アカギレみてえな目だな」と言われてトラウマになったが、実際リカの目は小さくて離れている。大学時代に必死でアルバイトをして金をためて二重にしたけれど、それでもまだ小さいし、両目が離れているという位置関係は整形では直せない。

 リカの出身地は四国の愛媛県。リカは生まれたときに双子だったのだが、片方が乳児のときに死んだ。そのためか、両親は過剰な期待をリカにかけてきた。リカは両親の期待にこたえるべく、子どもの頃から猛勉強をして国立大学に受かった。いや、期待にこたえたというのだけではない。小さな子どもの頃から、男の子に好かれたことがなく、自分は仕事に生きると決心していたからかもしれない。もともと教育熱心な土地柄である。勉強する子はほめられる。

 小学校から公立共学で、常にクラスに男の子がいたが、いつも彼らはリカには意地悪だった。小学校の頃は「ブス、ブス」とあからさまにののしられ、中学では無視され、高校ではやつらも大人になったせいか、態度には出されなかったが、告白される女子も増える中、リカには「ノート見せて」と頼んでくる男子はいても、「週末に会わないか」と聞いてくる男子は皆無だったのである。

 大学も地味な国立だったので、リカはそこでも勤勉に4年間過ごしてしまった。しかし大学4年の最後の春休みに英語研修と称してロスアンジェルスにひと月行ったときにリカははじけた。厚化粧に超ミニスカート。夜な夜なクラブに出かけて、そこで知り合った金髪の男の子と即ベッドイン。相手がどこの誰かもわからなかったけれど、クラブで踊っていると四方八方から声がかかった。そこではリカの顔のことなどどうのこうの言う男はいなかった。若くてやらせてくれるセクシーな女がもてる場所だった。どのオトコに微笑むかはリカしだい。リカが男を選んで、クラブを出て男の車でアパートに連れていかれて朝まで楽しむ、という毎日は日本のまじめな大学では想像だにできない刺激的な体験だった。渡米したときは処女だったのに、ひと月後に帰る頃には立派な遊び人になっていた。リカはまた、自分がセックス大好き人間であることも発見した。堅物の親からは想像できない遺伝子だが、そういえば、どちらかの叔母に昔妻子もちの男と駆け落ちしたのがいると聞いたことがある。

 帰国はしたけれど、リカは日本での退屈な毎日に順応できなかった。ロスのクールな男たちに比べたら日本のダサくて子どもっぽいオトコは問題外だった。こっちから願い下げだ。リカは就職活動中に上京して六本木や麻布のクラブで、白人のオトコをナンパした。そして自分からも「外人専門」を豪語してはばからなかった。

 とはいってもそんなリカの夜の顔はリカの生活のホンの一部だった。リカは大学を卒業し、中堅の広告代理店に入った。娘が公務員になって地元に残ることを期待していた母親は親戚じゅうにこぼしてまわって嘆いていたが、リカは確信犯だった。そのため地元では大手銀行にも受かっていたのだが、あえて東京の広告代理店をとった。東京に住むことは悲願だった。親との同居が限界だったこともある。

 東京に6畳一間の、マンションとは名ばかりのアパートを借りて新しい生活が始まった。そして金曜から日曜にかけてはリカは別人になった。行きつけのクラブでその夜に知り合った男とワンナイトスタンド。その夜限りの付き合いだが、それはそれでゲームみたいで楽しかった。ルールとタイミングさえわきまえれば、日本の男のように失礼な態度をとられたり心無い言葉を投げられたりすることはなかった。ルール、それは「ハイ、ハワユー」といわれたら「アイムファイン、エニュウ?」とあごをしゃくるようにしてリズミカルに答えること。ダサい質問、たとえば「どこから来て何をしているの」とか「また次の週末会えるかしら」とかそういう話をしない、といったルールだ。そういう相手との別れの挨拶は決まっていた。「とってもよかったわよハニー。またいつか会えるといいわね」という感じだ。引っ張らないのがクラブ流。そのはかなさを楽しめるようでなければクラブで遊ぶ資格はない。

 リカはクラブに来ているほかの女の子に比べて格段に英語がうまいのも快感だった。男たちに「英語、うまいね」「君くらいじゃないの? まともにしゃべれるのは」といわれるとたまらなくうれしかった。ときには自分の回りにオトコの輪が出来た。英語をべらべらしゃべっている自分にほかの日本人は一目も二目も置いた。いうなれば、リカは「特別扱い」のVIPだった。これまで、さんざんコンプレックスを抱え込んで生きてきたリカが唯一自分を誇らしく思えるのは、英語を話しているとき。それもクラブに通った理由だったのかもしれない。

 基本はワンナイトスタンドだったが、たまたま人のよさそうなクリスというオトコと親しくなった。まじめさが顔に出ているタイプで、クラブにはほかの友だちに無理やり引っ張ってこられた、といって目を細めた。オーストラリアから日本のジェットプログラムという文部省の英語教師派遣システムでやってきた、という話だった。来たばかりなので、派遣先がまだ決まらず、東京で研修中なのだが、その間は同じ国の友人のアパートに転がり込んでいるのだという。だがその友人は一足先に今夜のお相手を見つけてすでに自分のアパートにふたりで帰ってしまったので、自分は邪魔をしたくないからクラブで夜明かしだと、あくびをしながら話した。クラブにいる面子と比べるとあまりにもまともなので、リカは柄にもなく同情し「うち来る?」と聞いていた。

 遠慮して、大きな体をちぢこめるように入ってきたクリスは、蛍光灯の下で見ると本当にまじめそうだった。ベッドに来てもいいよ、という申し出にとんでもない、といってソファに横たわり、ものの1分とたたないうちにすやすやと寝息を立て始めた。

 朝、リカが目覚めると、クリスが身支度して帰りかけていた。「コーヒーでも飲んでいきなよ」と背中に声をかけ、朝食を作ってやったのがクリスとの付き合いの始まりだった。

 その日は日曜日で、特に何の予定もなかったので、入国して1週間しか経っていないクリスに浅草寺を見せてやろうと外に出た。昼間の太陽がまぶしかった。浅草寺、靖国神社、そして台場など回っていろいろなことを話した。

 クリスはオーストラリアのアデレイド出身。父親は農夫で神父。母親は農婦で保母。兄弟は弟がひとりいるけれど、歳が離れていてまだ中学生だといった。クリスは日本に来る前は大学生で、この2年間のプログラムが終わったら「多分エンジニアになるかな」とのんきなものだった。なにせまだ21歳という若さだから、好奇心と冒険心が先にたつ、という感じだ。

 日曜の夜、リカのリードでクリスとリカはベッドインした。クリスは童貞とは言わないまでも、あまり経験がないようだった。このオージーボーイのベッドでの初々しさをリカはかわいいと感じた。自分よりも年下、ということもあったと思う。クリスはセックスのあと、律儀にベッドを整え、自分の連絡先などを紙に書いてテーブルに置いて帰っていった。リカがいつものように「またいつか会えるといいわね」といったとき、クリスはやさしく微笑みながら「僕はぜひ会いたいよ。近いうちに。君はそうじゃないの?」と聞いてきた。それがかえって新鮮で、リカは胸を衝かれた。振り返ればそういわれることを長い間待っていた気がする。そしてそういわれないことにがっかりしないために、先回りしてはぐらかしてきたような気がする。リカは不覚にもちょっと涙ぐんでしまった。

「ごめん、なんか変なこと言った僕?」というクリスにリカは首を振って、「ちがうのよ、とても楽しかったからさよならいうのが寂しいなって思って」といった。そんなリカをクリスはそっと抱きしめて、髪の毛にキスしてくれた。

 これがクリスと付き合い始めた顛末だ。しかし縁がないというかなんと言うか、結局クリスは静岡県浜松市の郊外に赴任が決まり、翌月早々に越して行ってしまった。

「エンレンかー」

 エンレンとは遠距離恋愛のことである。リカとたまに一緒にクラブにも行く友達ヤスコに電話で報告したら、ヤスコはそれもありなんじゃないかといった。

「だってさ、東京にいたら変な虫がつくじゃん。外人好きが多いしさ、オージーだったら簡単に足開いちゃうコ、多いからさ」

「浜松ならクラブもないしね」

「そうそう、そっちにとっといた方が安心だって。新幹線で会いに行けばいいんだし」

 そうはいっても、なかなか会えるものではなかった。深い恋愛関係に陥る前に離れ離れになってしまった、というのもある。クリスは年に2回、故郷に帰るときには出発便を東京発にしてそれを理由にリカに会いに来てくれたが、リカは結局浜松へは行かなかった。故郷愛媛に帰るときでも、結局飛行機なので途中下車で会いに行けないのだ。だが、クリスはリカを自分の彼女として大切に扱ってくれた。電話もしょっちゅうくれた。地元の中学生に英語を教えるのはとても楽しい、といっていた。日本人の犯す英語の間違いについてリカに意見を求めてくることもあった。クリスは本当にまじめで前向きなのだ。

 しかし、リカはエンレンでは満足できなかった。ひょんなことから彼氏になったが、クリスを愛しているわけではない。というより、よく知らない。クリスだけに愛をささげるというのは無理だった。リカは次第にまたクラブに顔を出すようになった。そしてときどきつまみ食いを再開した。「こころとカラダはちがうのよ」とオトコみたいなことをいって、リカは自分を正当化した。「エンレンだからねー、リカ、寂しいんじゃないの? しかたないよ」とヤスコも言ってくれる。ヤスコは基本的にリカが何を言っても反対しない。リカが怒れば一緒に怒るし、リカが愚痴れば正当化してくれる。それがヤスコのいいところだった。

 つまみ食いを再開してしばらくたったころ、リカは生まれてはじめて淋病になった。生理でもないのに変な出血があってクリニックにいったら淋病といわれひどいショックを受けた。そういえば1週間~10日前に福生の米軍基地勤務のアメリカ人連中が来ていて、その中の若くて細い自称19歳、アレンというオトコの子と遊んだが、きっとそいつからいただいたのだ、とリカは唇をかんだ。あんなに若くて何も知らないような顔しちゃって、病気もちとは世の中恐ろしい。だがショックで青ざめているリカに向かって医者は「淋病ですんだからいいけどエイズだったら死んじゃうよ。避妊具つけないとだめだよ」といった。

 リカはこれまでピルで避妊してきた。クラブで酔っ払っているオトコに「コンドームつけて」とは言いづらいししらけるから、ピルで武装してきたのだ。だが、確かに医者の言うとおり、セックスのリスクは妊娠だけではないのだ。

 相手によってはコンドームを要求しよう、と考えてリカはその矛盾に気づいた。だめだめ、危険だと感じる相手とは遊んではダメ。でも、危険かそうでないか見分けるのは難しい。だから今回、意外な相手から病気をもらっちゃったのだ。所詮クラブで遊んでるオトコなんて最初から危険だと思ったほうがいい。だけど、でも、じゃあ、あたしはどこで遊んだらいいの? ぐるぐる、ぐるぐる、考えは回り廻り、結論が出ないままリカは薬をもらってクリニックをあとにした。


 エンレン2年。クリスはジェットプログラムを終えてオーストラリアに帰国することになった。最後の1週間はリカのアパートで過ごすことに話がまとまり、クリスは笹塚のマンションにやってきた。

 ふたりでスーパーに買い物に行き、映画を見に行き、ファミレスで食事をし、平和この上ない1週間を過ごした。この人がずっと東京にいたら、付き合いは変わっていただろうな、とリカは感じた。最後の夜、ふたりベッドで愛し合ったあと、クリスは「オーストラリアに今度遊びに来て」といった。「オーストラリアに僕と一緒に来て」ではなく「今度遊びに来て」というあてのなさに、リカはふたりの距離を感じた。彼はまじめな人だから、これで終わりだと言わないけれど、クリス自身もリカとの距離を感じていることは確かだった。そして彼は帰っていく。もう日本には住むことはないのだ。

 リカは「ありがとう、近いうちに遊びに行きたい」といって微笑んだ。そして次の日、クリスは京王線に乗って去っていった。空港まで送ろうかと聞いたが、大丈夫という返事だった。リカは「エンレン」がはっきりと終わったと思った。

 その日からまたリカは心身ともにフリーになった。でもあまり無茶な遊びはしないようにした。あの病気以来、ちょっと懲りていた。だが、クラブで遊んでたまに貯金で友だちと香港やグアムに3~4日の海外旅行に行く、というOL生活を楽しんでいて、気がつくと2年が過ぎていた。

 母親は就職以来あまり実家に帰ってこない娘に腹を立てていた。もともとぶつぶつ言うたちの人だが、そのぶつぶつが習慣化していた。

「いくら忙しいったって、盆暮れくらい休みはまともにくれるんだろう? 昔の丁稚奉公じゃあるまいし、元旦と終戦記念日だけの里帰りなんて、聞いたこともない」

 最近正月は大晦日の深夜に帰って2日の昼前に家を出る、というのが習慣になっている。幼馴染もほとんどが関西や関東などの大都市に出てきているし、田舎に残っている友だちはお嫁に行っていたりして長い時間話し込んだり出来ない。だから元旦に近所で初詣を一緒にやれば会うべき友だちとは会えてしまう。親と長くいても話すことはないし、生活についてとやかく言われてもけんかになるだけである。夏休みは年によって日が異なるがまあ似たようなスケジュールだ。広告代理店は忙しいのだ、と親には説明して何とか速攻帰京している。最後はリカの死んだ姉の話「ああ、ミカが生きてたらねえ」という母親の嘆息を背中に聞きながら、リカは転げるように家を出るのである。その足で空港に向かって、ハワイに飛んだ年もある。盆暮れの長い休みにははなるべく旅行をしたい、というのが本音だった。

 そんなリカに転機が訪れたのは、カナダのMBAを取った新入社員が欧米担当として入社してきたことがきっかけだった。秋庭君というその新入社員は後輩ながらリカよりもひとつ年上の27歳。リカの会社が海外事業部を立ち上げ、日本の大企業の海外進出に伴って海外向けの広告を担当する部署に秋庭君を雇い入れたというわけだ。しかし、こういっちゃなんだが、秋庭君の英語はリカよりも下手だった。読み書きはともかく、話す英語はつたなく発音は完全にカタカナだった。しかしMBAを持っているというだけで秋庭君は尊重され、海外出張なんかも頻繁にあるのだ。リカは忸怩たる思いだった。

「じゃあ、私も留学しよう!」

 それがリカの結論だった。留学といったって語学留学じゃしょうがない。目指すは大学院留学である。しかし、である。先だつものが心細い。毎週末のクラブがよいとOLショッピング旅行で、貯金はゼロに等しかった。ああ、なんてこと! こんなことなら貯金しときゃよかった。

 リカは留学2カ年計画を立てた。この間に貯金と、英語力のアップを図るのだ。なんといっても大学院留学するに当たって英語のテストは避けて通れない。いくらクラブで培ったリカの英会話は筋金入りだといっても、なんらかの数値や試験結果で証明しないと大学院には入れない。

 ちなみにアメリカの大学院に入るためにはTOEFLという英語テストを受ける必要があり、イギリスの大学院に入るためにはIELTSという英語のテストを受けなければならない。お国柄を反映してか、前者はマークシートだが、後者はすべて手書きの昔ながらの英語テストでまぐれがない。そういう意味ではIELTSのほうが正統派だといえるが、イギリスが腰砕けなのは留学生に対して「入試はTOEFLでも認める」としている大学が多いところだ。小国イギリスにとって海外からの留学生が落としていく外貨は大きな産業なのだ。背に腹は換えられない。アメリカの大学院に振られた留学生もウエルカムである。だがアメリカは絶対IELTSでOKなんていわない。だから事実上TOEFLをとっておけばアメリカでもイギリスでも出願できるわけで、両天秤をかける場合、IELTSなんてとる人はいない。

 リカはもちろんTOEFL1本で行くことに決めていた。だが、問題はアメリカの大学院の場合GMATといって数学などの学科試験を課す大学院が多いことだった。しかも最初は「MBAをとろう!」と決めていたが、まもなく自分は経済にまったく興味がないことに気づいた。こればかりはいくらMBAがステップアップに有利だからといって自分を変えることはできなかった。まあ、MBAじゃなくても大学院ならよかろうと、人文系、つまり文化人類学とか英語学、社会学なんかも視野に入れて大学院を探すことにした。

 問題はスポンサーだが、結局リカは正統派のスポンサーに白羽の矢を立てた。親である。

「留学したいの、お金貸して」

 という、文字にすると11文字の用件を、リカは2時間半という長い時間を使って母親を電話で口説き落としたのである。山ほど愚痴や文句を言われたが、結局勉強のためにお金が必要であるということだけは伝わり、最後は返済を条件に、それなら貸そうということになるのだからやはりもつべきものは親である。

 TOEFLの満点は700程度と聞いたことがあるが、少なくとも大学院には600点取らないと出願できない。リカはTOEFLを専門に教える英語学校に通い始めた。そこでリカはジムにめぐり合った。ジムはTOEFLのクラスの先生で、アメリカ人だった。日本の大学で博士課程を勉強しながら、生活費のために英語学校に勤めていた。ジムにはクラブで出会うオトコにはない「知的な魅力」があった。

 火曜日と金曜日の夜のクラスに熱心に出てくる生徒は少ない。生徒がふたりだけ、などという日もあってジムとリカは急激に親しくなった。リカはジムの誕生日に彼を夕飯に招き、その夜にふたりはベッドをともにした。リカは今まで感じたことのないオルガスムスをジムによって感じ、ジムが自分にとって運命の相手だと感じた。

 リカは恋をした。久々に。火曜日と金曜日が待ちきれないほどジムに会いたかった。だが皮肉なことに、リカはほどなくTOEFLをクリアし、出願できることになった。予定よりも1年早かったが、親がお金を出してくれるんだし、もう一年待つ理由はない。リカはいくつかの大学院に出願し、そのうちふたつからOKの返事をもらった。どちらもイギリスの大学で、そのうちのロンドンにある大学にリカは留学を決めた。選考はパブリックリレーションズ。広報活動に近い学問だ。

 5月だった。リカは渡英を8月末に決めていたため、あと3月で日本とはしばらくお別れである。しかし、皮肉なもので、リカは会えば会うほどジムに惹かれる自分を感じた。ヤスコにも紹介した。「いい人じゃん」ヤスコは例によってとりあえず肯定するが、かといって「かっこいいね!」とか「素敵じゃない!」といった熱のこもったコメントはなしだ。ということは、ヤスコ的には本音は「普通」という評価なのだ。そう、見た目には34歳の普通の白人で、髪が薄くなりかかっているし、腹は出てきているし、とくに美形というわけでは決してない。しかしそれが「恋」の不思議なケミカルなのだ。リカは携帯で毎日メールを送り、ジムが少しでも時間があればそれにあわせて会いに行った。幸い職場が近かったので、授業を終えるジムを待ち伏せのように待ったことも再三だった。自分でもストーカーみたいだと思った。こんな焼け付くような思いは正直、生まれて初めてかもしれない。昼間、会えないときでもジムのことで頭がいっぱいになる。苦しい胸のうちは彼の顔を思いだしてぽ~っとなる、というような生易しいもんじゃない。あのときにこう言った彼の言葉の裏にはこんな遠まわしな否定があったんじゃないか、とかあのときあんなこと言っちゃって、向こうが誤解したんじゃないか、とか、はっきりしない恋の段階特有の「考えすぎ」と「気の回しすぎ」と「相手を買いかぶりすぎ」という3つの「杉過敏」に完全にやられていた。あと少しで会えなくなる、という切羽詰った思いが拍車をかけたこともあり、リカは携帯メール、携帯電話、家電話、さらにイーメールまで総動員してジムにコンタクトしたため、ついにジムからストップがかかった。仕事や論文に支障をきたす、と言うのだ。さらに残酷な言葉が発せられた。

ジムは「リカは大学院に行くためにTOEFLを受けていたんだから、ちゃんと留学すべきだ」と言った。そして「このまま好きになってしまったら別れられなくなるから友だちに戻ろう」と提案してきた。リカはそれはそうだと納得したものの、感情的にはひどいショックを受けた。あの夜「あうあう」とオットセイのような声であえいでいたアンタって一体どういうつもりだったの? 友だちに戻ろうってどの面下げて言うわけ? それって世間では「のりすて」とか「やり逃げ」とか言わない?

 それっぽい抗議をするとジムは「そんなことはない、君が大好きだ。だからこそ怖いんだ、これ以上好きになったら離れられなくなる」という。「じゃあ、最後の思い出をちょうだい」リカはそういって温泉旅行を提案した。熱海。ベタである。

 7月末の土曜日、リカは思い切りおしゃれをしてジムと新幹線に乗り込んだ。いつもながら、白人男性と一緒に歩いていると、周囲がじろじろ見るのが気持ちいい。思い切り目立っている感じだ。中には「英語」とか「外国」とか「海外旅行」なんかに話題を変える日本人カップルなんかもいて、意識されまくってることが如実にわかる。リカは自分よりも英語がうまい日本人にはめったにお目にかからない、という自信を持っている。英語で話しているときのほうが自信がもてるほどだ。だから、そういう目立ち方は大好きなのだ。とくに今回はジムと一緒。あとはどうなれ、このときは思い切り楽しもう、そう決心して出かけたリカだった。

温泉の季語は冬、かどうかはしらないが、やはり冬場がシーズンのようで、季節外れだからか、かなりいい宿が格安料金で取れた。流行の個室露天風呂つきの宿である。普通の部屋と比較すれば料金は倍から3倍になるが、一度ためしてみたった。もちろん部屋食。さしで食事が出来て温泉でHも出来る、カップル垂涎のコースだった。が、それなのに、「いっしょにお風呂に入ろうよ」というリカについて入っては来たものの、ジムは戦闘体制になっていない。湯船でのいちゃいちゃもなしである。

「ねえージムー」とリカが擦り寄ると、「リカ、聞いて。あのね、この間も言ったように、僕らいい友だちになりたいんだ。僕はリカが大好きだけど、だからこそ怖い。君が日本からいなくなってしまうのに、これ以上惹かれていくのは危険だ。僕のつらさもわかってほしい…」 

 オンナは不便である。いくら自分がやりたくたって、相手がその気になってくれなければ関係が成立しない。レイプが出来ないのである。リカは正直、出来ることならレイプしてでもその晩は一緒になりたかった。理屈なんていい、今宵限りでいいから夢を見させてほしかった。だが、ジムは完全にその気にならなかった。それは一目、いやイチモツ瞭然だった。

「わかった、じゃあ、一緒にお布団で寝よう。手をつないで…」

 リカがそう提案すると、幼子を寝かしつける親のような表情でジムが隣に横たわった。そしてリカの髪をなでてくれた。リカは涙ぐんだ。でもそれを見せたくなくて、目の高さまで布団にもぐりこんだ。そしてそのうち眠ってしまったのである。


「それって、リカのこと応援してるんだよー。だってジムは先生じゃん。リカの留学をサポートする立場なんだからさー。あっちもつらいんだと思うよ」

 温泉旅行のことをこぼすリカに、ヤスコが解説してくれる。ヤスコのおしゃべりはいつでも心地いい。リカの気持ちや立場を誰よりもわかってくれているからだ。

「ジムを安心させるためにも、留学しっかりがんばんなよー」

「わかった。そうだね。ヤスコさ、私が留守のときジムを見守ってあげてね。何かあったら私に連絡して」

 ヤスコはもちろんだといった。

 リカの出国の日が近づき、温泉旅行以来会っていなかったジムと、最後の食事をするために会ったのは、日本での最後の週末だった。ファミレスに入ってドリンクバーで何度もお代わりをしながら2時間近く話すことが出来た。

「向こうで論文とか大丈夫かな。考えるとなんか怖くて。ね、向こうに行っても連絡とっていいでしょ?」

 ジムはウインクしていった。

「あんまり気が散らない程度にね」

 それでもジムはいろいろアドバイスをくれたし、それだけでもリカはうれしかったのだ。正直、まだ惚れていることをリカ自身認めないわけにはいかなかった。ジムとつながった一筋の糸をしっかり握ったまま、リカは日本を出ようと思った。

 8月の下旬に、リカは日本を発ってロンドンに向かった。

 イギリスの大学は一大外貨獲得産業なので、何でもパッケージだ。行ってみれば寮が手配されて、外国人相談窓口から授業料の支払い締め切りまで、すべてが明文化されており、到着と同時に留学生に配られた。リカが選んだ大学院は特に留学生が多かったので、教授もゆっくり講義をするため、リカは勉強面では格別困ることもなく、留学生活に入った。

 だが、予想だにしない事態が起こった。リカはホームシックにかかったのである。いや、ずばり言うならジムが恋しくてたまらなかった。到着早々メールを出したが、返事は3通に1回という頻度だった。

「寂しいです。あなたのことばかり思い出すの」

 と書けば、ジムは

「そんなこといってちゃダメじゃない。勉強がんばって」

 と教科書的な返事を書いてくる。

 ある日、我慢できなくて電話をかけた。ジムは日本で会っていたときと変わらないやさしい声で答えてくれる。

「どうしたの? リカ。何かあった?」

「うううん、特にないけど、声が聞きたくて」

 電話の向こうでジムが微笑むのがわかる。

「電話して悪かった?」

「そんなことはないよ。電話で話せて楽しかったよ」

 今度はこっちから電話する、とは決して言わないけれど、それでもリカは、ジムが電話に出て話してくれたことがうれしかった。

 それ以来、リカは週に2~3回はジムに電話をかけた。公衆電話で、クレジットカードを使ってかけた。高くついたけど、そんなことはかまわなかった。親に借金して、いつか返せばいい、と思った。今ジムと話すことは自分にとって必要な行為なのだ。

 リカは深みにはまっていった。寂しいという気持ちが手伝って、ますますジムを思い切ることは出来なかった。離れたら忘れられるかもと思っていたのに、逆だった。ロンドンはクラブが本場なので、留学先でのクラブ通いを楽しみにしていたのに、ふたを開けてみれば留学して3月もたつのにクラブに行ったのは1度か2度だった。

 そんな矢先、別ルートからおかしなうわさが届いた。ジムが誰かと付き合っているというのだ。あわててヤスコにメールを書いた。現金なもので留学してからヤスコには数えるほどしかメールしていない。でもこういうときはヤスコを置いてほかに信用して情報を聞き出せる相手なんていなかった。早速ヤスコの携帯にメールを入れる。

「ジムの彼女について、詳しいことはよくわかりません」

 ヤスコの歯切れの悪い返信メールにいらだったリカは、結局電話をかけた。

「で、どうなの? 何か知ってんでしょ」

 リカに詰め寄られて、ヤスコはとうとうしゃべった。

「クラブに来る、エミって娘と付き合ってるみたい」

「エミってあの、パンツ丸見えの?」

「そうそう、リカ知ってたっけ?」

 クラブに出没するエミは、足がきれいなことが唯一の自慢で、とにかくいつもパンツの見えるスカートをはいて来る。英語もろくにしゃべれないくせに、外人が大好きの頭が空っぽのオンナだ。リカの英語能力を高く買ってくれていたはずのジムが、選ぶに事欠いて、エミっていうのはどういう了見なのか理解できなかった。

「頭の悪い女は嫌い」

 ジムから直接聞いたわけではなかったが、ジムはそういう種類の人間だと信じていた。だがそういう理解が根底から覆されそうだった。エミは酔うと、「ジスイズアペーン」などとカタカナ英語でいいかねない女だった。でも、見てくれだけで白人と寝る女。 

 頭の中身はどうでもいいの?

 ジムにはっきり聞きたかった。でも怖くて聞けやしない。

「ジムも血迷ってるよね、きっとすぐ目が覚めるよ。でも今は仲良く暮らしてるみたいで」

「ちょ、ちょっとまってよ。暮らしてる? なにそれ」

「あ」

 そういったまま、ヤスコが黙った。

「一緒に住んでるわけ?」

 畳み掛けるリカに、ヤスコは、

「ていうかー」

 と間の抜けた返事。

「お願い、ホントのこといって」

 ヤスコが吐いた。

「リカが行く2週間くらい前から、ふたりで住んでた」

 一瞬視界が真っ白になってリカは切れるほど唇をかんだ。馬鹿みたい。知らぬは自分だけ?

「わかった、ありがと」

 もう、ジムなんて信じない。留学から帰ったってふたりの間に「焼けぼっくい」はないのだ。それはひどいショックだったけれど、ある意味では開放された瞬間でもあった。この先誰にも義理立てしなくていいのだから。

リカはロンドンでクラブ通いを始めた。ワンナイトスタンド再開。というか全開である。遊んでいないと、ジムの裏切りに心が張り裂けてしまいそうだった。

「君はいいけど、英語が出来ない女性とはコミュニケーションが出来ないでしょう?」

「たかが言葉、だけどインテリジェンスのバロメーターだよね」

「日本では英語が出来るかどうかは、その人の教養と比例しているよね」

「僕の理想は、日本人女性でネイティブ同様に英語でまともな会話ができる人。贅沢かもしれないけど」

 ジムの言葉。リカの優越感をくすぐった、たくさんのセリフ。

 あれはぜ~んぶ嘘? だとしたらジム恐るべし、である。

 エミは英語なんてしゃべれない。パンツ見せて歩く、見てくれだけの女だ。

 リカはその日からジムを忘れるべく努力を開始した。男性不信に陥りそうだった。


 卒論を書き終えて、それでも4ヶ月学生ビザが残っているというのはイギリス政府の金儲けの陰謀だと思うのだが思い過ごしだろうか。だが少なくともリカはビザが切れるまでイギリスに残って海外生活を楽しんだ。帰国後の身の振り方は気になったが、せめて数ヶ月、最後になるかもしれないイギリス暮らしを、心行くまで楽しみたかった。ほとんど毎日のクラブ通い。ジムに惚れたときのように無垢にはなれなかったけれど、男性からの誘いには積極的に応じた。いやむしろ、リカはジムのことを考えないためにも、ほかの男と遊ぶ必要があると感じていた。自分の肩を押す気持ちで、クラブに出かけて男と知り合うように心がけた。帰国をあと2週間に控えた頃、リカはあるイギリス人と出会った。クラブでの出会いだったが、高級スーツをぱりっと着こなし、身につけるものもブランド品ぞろい、今までに付き合ったことのないタイプだった。ピートと名乗ったその男は、どう見てもリカよりも年下だったが、自信たっぷりな物腰で、やや強引なほどだ。仕事を聞くと「シティで働いている」とだけいった。その夜、リカはピートについて彼のフラットに行った。テニスで有名なウインブルドンにある彼のフラットは2ベッドルームだったが、すごく大きくて家具も高級品が揃っていた。金融関係で羽振りがいいにちがいない。

 部屋に入ったとたんすぐに求めてくる性急さは若さからだろうか。しかもピートは一晩で3回もイッた。3時頃からリカは眠かったけれど、結局眠らせてもらえなかった。朝日が射し込んできたのを見てピートはリカに言った。

「1時間眠る。そのあとは会社だから帰って」

 そこで1時間眠るのもかえって疲れるので、リカはそのまま帰るといった。

「そう、じゃあ」

 そういったきり、ピートは次の瞬間にベッドですやすやと寝息を立てていた。

 何の本でだか、リカは読んだ覚えがあった。セックスのあと反対側を向いて眠り始める男は自分勝手なタイプだ、と。そうかもしれないが、だとしたらどうしたらいいのだ。それでもそいつと付き合いたい、という場合だってあるだろう。完璧なオトコを捜し求めるほうが間違っている。誰にだって欠点はあるのだ。問題はどこを許してどこを許さないかだ。

 リカは、テーブルの上に自分の携帯番号を置いて帰った。2~3日するとピートから連絡があって、リカはまたピートと会った。だが、今度はクラブには行かず、ダイレクトにピートの家との指定だった。玄関を開けたとたん、ピートに抱きすくめられ、リカはベッドに運ばれた。さすが若い、とリカは驚嘆する。ろくにおしゃべりもなく、ふたりはベッドでむさぼりあう。そのまま数時間のくんずほぐれつ。デートだと思ったから何も食べていないリカは、真夜中近く、

「おなかすいた」

 とピートに訴えた。ピートは無言で体を起こすと、携帯電話でピザのデリバリーに電話をかける。

「ピザマルガリータ」

 リカに「トッピングは何がいい?」と聞いてこないのがちょっと悲しかった。

 それからまた一戦交え、ピザが届いたときに少しだけ話しをした。ピートは投資会社に勤めているらしい。このフラットは親に頭金を出してもらって自分で買った、という。若いのにそうとうの財産だ。貧乏はしたくないのだという。リカがこれまでに付き合ったオトコにはない発想だった。ピートは北欧系らしく、髪も体毛もプラチナブロンドだ。顔はごついけど、髪の毛は絹糸みたいに美しい。

「あたし、もうすぐ日本に帰るの」

「ふうん」

 ピザを頬張っているピートの表情は変わらない。

「日本に帰国する直前にアパート引き払っちゃうんだけど、ここに1泊だけ寄せてもらっちゃダメ?」

 ピートは意外なほどあっさりと「かまわない」といった。

 なぜだか、リカは涙が出そうになるほどうれしかった。しばらくオトコにやさしくされていなかったせいかもしれない。

 帰国の前に部屋を引き払う、という厄介な仕事が残っていた。たかだか1年いただけなのに、まるでコレステロールのように持ち物がたまっていて、処分するのに意外に時間がかかった。リカはネットと大学院人脈でほとんどの金目のものを売り飛ばし、どうしてもほしいものだけ日本に郵送した。それでもダンボール3つもあって出費は大きかった。残ったものをゴミ箱に捨ててスーツケースひとつになって深夜近くピートのフラットにたどり着いた。

 呼び鈴を押すと、携帯で電話中のピートがドアを開けてくれたが、電話の相手にしゃべり続けている。

「ああ、宅配便だよ。ピザ頼んだんだ。そう、ひとりで夕食なんだ」

 聞いたこともないフレンドリーな話し方。リカは唖然として電話を続けるピートの背中をしばらく眼で追ってしまった。こういう嘘をつく場合、電話の相手はオンナと相場が決まっている。これから一晩中ヤろうと思っているオンナを脇に、まあ、恥じらいもなくほかのオンナのご機嫌をとっているピートって一体何者?

 リカの心を知ってかしらずか、ピートはそれから延々15分以上どちらでもいいことをしゃべり続け、そして何ごともなかったかのように電話を切ってリカに微笑んだ。

「楽しそうな電話だったわね」

 リカが勤めて冷静にいやみを言うと、ピートは笑いを隠そうともせずにうなずきながら、「そうなんだ。来週から彼女と一緒に休暇に行くんだよ、キューバに。楽しみでね」

「へえ~。彼女なの?」

 ピートは誇らしげにうなずいた。

「ウスタシャーのりんごの女王に選ばれたこともあるきれいな娘なんだ。彼女のパパは偶然、僕の会社の役員をやっていたことがあってね。そういう意味でも理解しあってるんだ」

 こんなに饒舌なピートを見たのは初めて。リカはカチンと来た。

「あなたの彼女、あなたがベッドで私とヤッテルのを見ても理解できるのかしら」

案ずるかな、たちまちピートは不機嫌になった。

「だって、君と僕は付き合ってるわけでもないし」

 ただのセフレ、といわんばかりである。

 本当はドアを蹴って出て行ってやりたかったけれど、その日リカは宿なしだった。精一杯のいやみを込めてリカはいってやった。

「携帯に注意したほうがいいわよ~。もしかしたら、私あなたの彼女にリダイヤルしちゃうかもよ。ハロー私ピートの女友達なのって。こう見えても私子どもの頃すごくいたずらだったんだから」

 ピートはさっと青ざめて、携帯電話を持って部屋を出て行った。どこかに携帯を隠して戻ってきたものの、もうその気にはなれないようで、ベッドにもぐりこむとしばらくもそもそやっていたが、そのうち寝息を立て始めた。

 勝手なオトコ! 本性見たり、である。こんなヤツとベッドインした自分も自分だが、そいつと休暇を過ごす相手のオンナもいい面の皮だ。付き合ってるわけじゃないですって? こいつにとって付き合ってる付き合ってないのボーダーってどこにあるのさ。やることだけはやりやがって。

 リカは怒りでしばらく寝付けなかった。考えれば考えるほど自分が浅はかだった気がする。慰めがあるとすれば今夜、ホテル代を払わずにすんだことかも。ロンドンのホテルは高いのだ。

 翌朝、リカは朝6時にたたき起こされた。ピートは仕事が早番だといったが嘘に決まっている。リカにこれ以上家をかぎまわられたくないのだろう。そして別れのキスはおろか、握手すらなく、そっけない「グッバイ」の言葉と一緒にリカはうら寒い早朝のロンドンに放り出された。結局明け方まで寝付けなかったので、頭が重かった。大きなスーツケースと一緒じゃ、遊んで時間をつぶすことすら出来ない。リカはヒースロー空港に直行し、夜6時発の便までずっとロビーにいた。


 イギリスで身に着けたもの、それはいっそうの英語力と、ちょっぴりの専門的な学識、一握りの留学生友だち、そして「ジムに対する未練を断ち切った」という心の成長である。代償も払ったけれど、自分なりに成長したと思っている。

 実際の話、ジムには後日談があった。あのパンツ女(というあだ名がついた。エミのこと)とは半年もしないうちに別れ、女子大生と付き合っていたようだが、それは数週間の話でそのあとは日本に英語を教えに来ていたカナダ人のオンナと付き合うようになって、それで安定したようだった。リカは相手がカナダ人と知って、なんだかほっとした。でも相手が日本人だと許せなくて白人だと許せるというのはどういう心理からなのだろうか。自分でもわからなかった。

 リカは留学後に、外資系の自動車メーカーを受験して合格、契約社員ながら高給取りに変身した。外資系だから出向している白人と社内恋愛でも出来るかと思ったら、周囲にいる白人は妻子もちのオヤジばかりだった。白人は中年になるとすぐに禿げるからすごくふけて見える。リカは理想と現実とのギャップに愕然とした。これではいくつになったら結婚相手を探せるのか、道は遠かった。

「だからさー、ロンドンで彼氏見つけてつれて帰ってくるかと思ったよー」

 愚痴を言うとヤスコは必ずそういう。

「だってさー、ロンドンに行った当初はジムのことで悩んでたんだもん。あ~今考えるともったいない!」

 ヤスコはふふふ、と笑う。彼女は決して追い討ちをかけない。そういうところが好きだ。

「外人のオトコは日本に来ると不良外人になっちゃうしね」

「そうよ、日本の腐女子、外人を甘やかしすぎだよ!」

 自分は棚に上げて、棚に鍵までかけて、リカは叫ぶ。

「あ~あ、まともな恋愛したい」

「できるって。もうすぐ」

「もうすぐっていつよ」

「もうすぐはもうすぐだよ」

 ヤスコはそういってまた、ふふふと笑った。







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