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カオナシ

カオナシ

作者: 如月厄人

『状況を開始せよ』

  闇夜に一斉に飛び出す。其処彼処の車両から思い思いの仮面をつけた武装集団がある一点に向かっていた。それと同じくして、四方八方から銃弾が舞う。右も左も、全て味方ではない。同じターゲットを持っているだけの同業者であり、報酬を独り占めせんとする敵なのだ。

  今回のターゲットはある所に監禁された少女を所定の場所まで運ぶ事。募集に応じたのは百人を越す賞金稼ぎ達。つまり、それだけ賞金が出る。加えてターゲットは一人、早い者勝ちだ。

  ふと、ビルの上を影が走る。更にビルからビルへ転々と跳んでいった。その姿に、ある一段が声を上げる。

「おい、あいつも参加してんのかよ…!」

「カオナシ(ノーフェイス)!あいつから潰せ!あいつが残ってたら俺たちは絶対に勝てん!」

  月下に凄まじい速さでターゲットポイントに向かう影。カオナシと呼ばれる人物は、外側からは見えない加工をされた顔面をすっぽり覆う仮面をつけていた。月とともに浮かぶその蒼白な仮面をいつからか人はカオナシと呼んでいた。

  他の賞金稼ぎ達が強化外骨格で全身を覆い、背中にスラスターを装備し、重火器を持つのが主流になっていくなかで、カオナシは軽さと速さ、そして技術のみで賞金稼ぎのランキングをのしあがっていった。

  その武装には、特徴しかない。

  筋力を底上げするための獣の様な鉤爪付きの強化外骨格を腕と足にのみ装着し、周囲の景色と同化するオクトカムジャケット着込み、全て黒で纏められた服を隠している。そして武器は、懐に隠した無数の小型の電磁ナイフ、幅二十センチの鋼鉄も切り裂く鍔の無い超振動小太刀を両の腰に刺し、背中には抜いたところを見たものは居ないという二メートル程の大太刀がある。

  重火器もなく、遠距離武装もない。実剣のみ。一太刀で敵を切り落とす。その戦いぶりはある伝説の存在を彷彿とさせる。

【超人民族 NINJA】

  ガトリング砲の不規則な弾丸を軽々とよけ、その男を踏み台に、ターゲットポイントに一気に迫る。

「ここから先はいかせねえええ!!」

  カオナシの走っていた建物を崩すように大型のパワードスーツが空から潰しに来る。それも軸をズラして通り抜けた。しかしそこで終わらせられるほど、賞金稼ぎ達は諦めが良いわけがない。

「……っ」

  上空からの爆撃、ターゲットが近いというのにお構いなしだ。しかし、その一発以降は落ちては来なかった。装甲の厚さは、ここに出る。直撃はしなかったものの爆風でビル壁に叩きつけられたカオナシは、地面に落ちるスレスレで身を翻して着地する。少しフラつく足を抑えながら、顔を上げた。

  燃え上がるビルを目の前に、腕につけた小型端末からマップを確認する。どうやら、更にターゲットポイントに近くなったようだ。足の強化骨格の調子を確かめながら、また走り出す。

(スラスター音…)

  恐らくカオナシをやれたかどうかの確認に来たのであろう。構わず正面から突っ込む。

「っ!カオナ…」

  小太刀によって斜め十字に割かれた体からもはや漏れる声は無く、その場に崩れる音も、ビルが崩れる音に掻き消された。

  ターゲットポイントにあったのは、寂れた小さなマンションだった。カオナシはもう一度マップを確認し、首を巡らせる。確認しても、首を巡らせてもそれらしきポイントは見当たらない。確かにゴーストタウンとはいえ、監禁するにしてももう少しいい所があったと思うのだが…。

  備考に書かれた三つの数字の部屋を探す。初めに見た時には何の数字かわからなかったが、ここでその役目を果たした様だ。カオナシは正面から扉を斬り伏せる。

「っぶねえなスカポンタン!ってうわぁ!おおおおおおおおお化け!お化けが来た!」

  ターゲットの顔写真は載っていなかった。しかし、監禁されているとは書いてあった。

  勢い良く壁に後ずさる女を見る。ブロンドの髪の女は薄い布のワンピースを着ており、手も足も拘束されておらず、四畳程の部屋には食い散らかされたバランス栄養食品が転がっている。加え、扉には外側からの施錠はなかった。つまり、

(野放し…?!)

  監禁とは一体…、そう考え始めた時、多数のスラスター音が耳に届く。恐らく他の賞金稼ぎがターゲットを捉えに来たのだろう。こうしてはいられない。カオナシは部屋にズカズカと入り込み、女の抵抗を無視し、俵背負いで担ぎ上げる。

  ギャーギャーと喚き散らす女をに構わず、壁に一つの電磁ナイフを投げ刺す。ソケットから外されたナイフは指先一つ動かすだけで小型の爆弾と化す特注品だ。人差し指を握る動作とともにナイフが爆発し、通れるだけの穴が空く。既に目の前にはホバリングする複数の商売敵がいた。

  カオナシの姿を見た商売敵はギョッとして一瞬動きが止まる。その一瞬を、逃さない。集団の真ん中に突っ込み、そのうちの一人の頭を掴む。飛び出した勢いとホバリングの抵抗で体を翻し、踏み台ににして更に踏み出して行く。ホバリングしている商売敵たちを次々に踏み台にして、集団から抜け出す。

「うひょー!すげえ!NINJAみてえだ!」

  踏み台にされ、バランスを崩した者以外はカオナシに銃口を向ける。

「馬鹿野郎!ターゲットに当たるぞ!」

「じゃあどうしろってんだ!」

「良いから追え!」

  撃ってこない分楽ではあるが、振り切るのも難しい。強化骨格の無いターゲットには、カオナシのスピードの緩急に体が持たなくなる。

「ノロノロしてんなぁ!カオナシィッ!」

「………ッ!」

  狐の面をつけた男がバックパックに武装した9連ミサイルポッドを斉射する。キュウビだ。

  ミサイルが残す煙が尻尾の様に見えることから、キュウビと呼ばれている。同じく賞金稼ぎだ。賞金ランキングにも上位に常駐しているが、非常に好戦的な性格故あまりこういう依頼には参加しないはずだが、カオナシは何と無く理由を悟る。

(大方、ばれずに人殺しが出来るからだろう。警告を受けたと聞いていたが、やはり狂い者か)

  賞金稼ぎ達にはその仕事をバックアップし取りまとめる協会がある。そこから、キュウビは殺人に関しての警告をうけていた。しかし、キュウビは気にしている様子はない。

  ミサイルをナイフで迎撃する。爆音を背に爆風を利用して更に跳ぶ。

「ちょ、なんで撃ってくんのあいつ!私死ぬぞ!」

  知らん。カオナシは心の中で毒づく。女と同じ反応を示した商売敵達がキュウビに詰め寄る。

「死んだらどうすんだてめえ!」

「あぁ?おいおい考えてみろよ、要項に五体満足なんて載ってねえし、ましてや生死の条件なんてなかったぜぇ?用件は『運べ』ただひとぉつ!だったらよぉ、たのしくなってくるだろぉがよぉっ!!」

  九尾が群れを抜けて突っ込んでくる。厄介なことをしてくれた。カオナシが担いでいるとわかって諦めていた連中の目が光る。

(確実に撃ってくる。俺としても生死を気にしなくていいとしても後味が悪い。下道に降りるか)

  次々と襲い来るミサイルをひたすらかわしながら、枯れ果てた川に飛び込む。その途中で俵背負いからお姫様抱っこに持ち替えて、女への着地の衝撃を減らした。そして途中に見えた下水道へに入り口に身を滑り込ませ、入り口を爆破する。人がいないおかげか、下水道に鼻につく様な異臭は無く、入り口を潰したため、商売敵も入ってはこれまい。

  ただし、こちらにも問題がある。マップには下水の流れまでは載っていない。つまり、出て来た所でばったりと出くわす可能性はまだ十分にある。女を抱えたまま出口の見えない下水を進んでいく。仮面に搭載したサーモグラフィで視界を確保しながら道なりに進むこと数分。大人しくしていた女が口を開いた。

「あんた、依頼を受けた奴だよな」

「………」

  頷いてスピードを緩める。

「私はどこに連れて行かれるんだ?」

  カオナシは足を止めて、腕の端末から依頼の内容を表示する。頑なに言葉を発しようとしないカオナシに首を傾げつつも、内容を確認してうげ、と声を上げた。

「マジかよ…。あの狐野郎じゃなくてあんたでよかった」

  今度はカオナシが首を傾げた。

「あー、今は気にしなくていいや。着けばわかる。それより、これからどうするんだ?」

  気にはなるものの、端末に文字を打ち込む。空中にディスプレイが表示され、文字が浮かび上がる。

『ナイフの補給に行く。期限は一週間ある。移動するための足も必要』

  そこまで打ち込んだ後で、後ろを振り返った。嫌な予感がする。今まで通り過ぎて行った通路から入って来たか…?これだけの通路を虱潰しに当たっていくには相当な人数がいる。と、そこで無数の駆動音が聞こえる。スラスターを使わない、人数が多い、そこから生まれる人海戦術。

(マウスマーチのギルドか…!囲まれる前に一点突破をしなければ)

「なに…この音…」

  段々と近づいてくる駆動音から逃げる様に、女を担いで走る。静音性ならこちらの方に分がある。気づかれる前にここを去るべきだ。

「なになに!なんなんだよ!」

「チッ!」

「むぐ!」

  口元を抑える。気づかれた…!駆動音のスピードが格段に上がる。位置がバレた。こちらもスピードを上げるが、其処彼処から回り込まれている気がしてならない。

(…後で研がねば)

  立ち止まり、女を下ろす。そして傍に避けさせた。

「え、何で…?」

  電磁石で背中につけていた太刀を構える。深く落とした腰、束にはまだ触れず、気を集中させていく。その間にも駆動音は大きくなり、数が増えて行く。女の焦りが声に出る。

「おい!どうすんだよこれ!かこまれ…」

  ズア!と風に圧される。一瞬、声が出なくなる。凄まじい突風が吹き荒れる。キン、と鞘に納める音と共に天井が崩れた。瓦礫を避けて、また女を担いで飛び出した。

「なに…今の…、なにが起きた…?何をしたんだ?」

  カオナシは答えない。背後からネズミ達の騒がしい鳴き声が聞こえてくる。

「地上に出たぞ!」

「くそ、地上部隊は出入り口で張ってる!今からじゃ間に合わない!」

  どうやら逃げ切れそうだ。そのままゴーストタウンを出る。

  区画整理された道を進んでいく途中で、路地裏に入っていく。小さな露店が並ぶ途中で一つだけ、看板を置いた建物に立ち寄る。

  店の中には実剣がズラリと並んでおり、店の奥の店主はカオナシを見るなり、引き出しを開けた。無精髭にテクノカットというなんとも奇抜な顔をした店主は無愛想に尋ねる。

「何本使った?あと、そいつも寄越しな、抜いたんだろ」

  背中の太刀を指差して、寄越せとジェスチャーする。カオナシは空中に11と書いた後、女を下ろして背中の大太刀を渡す。それを受け取り、抜きもせずに店主は呆れた様に言う。

「あーあー、まーた派手に使いやがって…。明日取りにこい。代金はいつも通り口座からしょっぴくからな。それと嬢ちゃん、あんまり商品にベタベタ触るな、怪我をされちゃ敵わん。俺がこいつに殺される」

  変わった実剣に目を輝かせていた女が店主の言葉で我に返る。

「わりいわりい」

  カオナシは女の様子を見た後で、モニターに文字を打つ。

『隣国まで単独でいける足が欲しい』

「足?お前さんなら走って…、あぁ、そこの嬢ちゃんか。いいぜ、くれてやる。レトロだがスラスターを使わねえモーター駆動の二輪がある。ただ俺が魔改造してブースターをケツにつけてっから、使う時は気をつけろよ。下手すりゃ走らず滑る。なーに、俺は使わねえ代物だし、スラスター付きのワンホイールがある。ガレージの隅っこにあるから乗り捨ててくれて構わんぜ」

  カオナシが親指、人差し指、中指をこする。代金は?

「くれてやるって言ったろ、サービスだサービス。いつも高い金貰ってるからな。趣味の改造品なんてくれてやるよ」

『恩に着る』

「こっちこそ、今後とも贔屓にな」

  頷いて、店の中を眺める女に文字を打つ。

『服と食料を買いにいく。その格好では出国審査にも引っかかる』

「お、おう、わかった。ちょっと待ってくれ」

  店主の元に駆け寄り、鞘に入った銃剣を渡した。

「これくれ。請求先は………な」

  その請求先を聞いた途端に、店主は大声で笑い出した。女もにやけている。カオナシは首を傾げながら二人の様子を見ていた。そろそろ拠点に戻って荷造りもしたいところだ。

「なるほどなー、良い玉拾ったぜ嬢ちゃん。わかった、そっちに請求しておくぜ。持って行きな」

「へへ、サンキュー」

「外骨格は良いのか?」

「あぁ、無くても大丈夫だ。待たせたなカオナシ。行こうか」

  店主に手を振ってカオナシの背中を押す。ここに来るのは二日後だ。店の隣のガレージを開けて、奥に見える二輪に触れる。少し埃を被っているものの、手入れはしっかりされている様だ。運転の仕方もスラスターホイールと変わらない様なので、ストッパーを外してガレージの前に出す。二輪に跨ると、女に後ろに乗るよう合図を出した。

  女はその合図に少し噴き出した。

「なんかナンパしてるみたいだぜその合図」

「………」

  若干気恥ずかしくなったのか早くしろと言わんばかりにシートを叩く。はいはい、と女が跨り、カオナシの腰に手を回したのを確認し、ゆっくりと発進する。発砲禁止区画はすぐそこだが、ここで発砲すると、警邏達に勧告を受けることになる。言わば準発砲禁止区画だ。

  関門で警邏に依頼の内容と協会のIDカードを見せる。通行証を持たない者は入れない様にはないっているものの、依頼内容に沿ったものであれば、自由に行き来させることができる。

  発砲禁止区画というのは言ってしまえば居住区だ。人が多く集まり、市場やショッピングセンターが多く集まっている。ただし、賞金稼ぎはここに住むことが出来ない。街の意向として、危険分子はなるべく外に置いておきたいのだ。そのためにできた区画が先ほどの準発砲禁止区画。

  こちらの区画には賞金稼ぎの住処が主になっており、それら相手に商売をする武器、防具屋があちらこちらに店を出している。賞金稼ぎが集まり、依頼を受注する集会所もここにある。

  今回の目的はショッピングセンター。服と食料を調達する。カオナシよりも慣れた動作でショッピングセンターに入っていく女に、女性物の服は任せることにした。クレジットカードを渡す。

「ん?好きな物買えってことか?おいおい釣れないこと言うなよ。折角なんだから、あんたが選んでくれ」

  カオナシと腕を絡めて連行をする。周囲の視線のせいで振り払うことも叶わない。女性服のフロアに到着すると、カオナシは諦めたように周りをゆっくりと見回した。

(さっさと選んで終わらせるに限る)

  伸縮性に富んだレギンスを掴み女に渡す。それから対燃、通気に優れたロングジャケット。破れにくい繊維のインナーをそれぞれ選び取る。

「オッケー、ちょっと着てみる」

  試着室に入り、数分で出てくる。

「これすげえ体の線出るな。しかも全身真っ黒。あ、これ、お揃いだな」

  オクトカムジャケットを指差して朗らかな笑みを浮かべる。何と無く、胸が痛んだ。既にいない既知の顔が浮かんでくる。

(生かしておいて、よかった)

  頷くだけに留め、丸を描いた。

「よし、じゃあこれで。悪いな、出してもらって」

  必要経費ならば仕方ない。カオナシ自身、相当額を稼いではいるものの、使い所も特にないため、こういう使い方もたまには有りだと思っていた所だ。

「おや、君が女を連れているとは珍しい」

「………?」

「カラス?」

「初めましてお嬢さん、クロウだ。君、あの依頼の子だろ?」

「お、おう、よくわかったな。そんなに有名なのか私」

「そりゃあもう。そこら中の酒場でカオナシに抜かれたって嘆いてる奴らがわんさかいるよ」

「へぇ、あんたは参加してたのか?」

「んーん、私の生業は暗殺だからね、他の依頼に興味はないよ。あ、でも…」

  女に絡みつくように身体を滑り込ませ、体をまさぐる。

「ひっ…」

「こんなに可愛い子なら、運ばずにお持ち帰りかな」

  カオナシが引き剥がして自分の後ろに寄せる。顔を真っ赤にした女が大声で怒鳴る。

「初対面で胸を揉む奴があるかばーか!」

「ごめんごめん、つい、ね?」

「ついじゃねえよ!」

  シャー!と猫の様な威嚇をして、ジャケットで身体を隠す。クロウは笑って手を振った。

「じゃあお邪魔虫は退散するよ。ごゆっくり」

  姿が見えなくなるまで警戒していたものの、見えなくなるとほっと一息ついた。

「あの野郎、なんなんだ…」

『あいつも女だ』

「…え、レズかよ、なおのことやだわ」

  素直な奴だな、と思いつつ、レジにてカードで代金を払い、そのまま食品売り場に向かう。夜中の割に人が多いのは、夜明けの飛行機に乗るためだろう。逃げ場を確保出来ないため、カオナシは利用したことがない。

  携帯食糧を大量に購入して、センターを後にする。

「んーっ、はぁ…、疲れた…。こっから家は遠いのか?」

  首を振る。そう遠い所ではない。二輪駆動なら5分程度だ。発砲禁止区画から出てすぐそこにある。

  二輪駆動に乗り込み、発進する。駆動音が雄叫びを上げながら二人を運んでいく。発砲禁止区画を出てすぐに曲がり、奥まった行き止まりに二輪駆動を止める。女が首を傾げる横で、カオナシは隣の壁を押した。壁が回転し、一瞬で姿が消える。

「………、え?」

  女が首を傾げながら辺りを見渡す。カオナシが居なくなった所の壁を押してみる。ぐりん、と壁が回転する。思ったよりも軽かったおかげでつんのめる。カオナシがうまく受け止めてから、荷物を床に置いた。

「あ、ありがとう」

  少し恥ずかしそうにしながら、自力で立つ。玄関と呼べるかわからないが、部屋の入り口にはサンダルと靴が並んでおり、その隣に強化外骨格を外して並べる。素足で部屋に上がる。畳が敷かれたその部屋は、蛍光灯とベッド、クローゼットがあるだけで、他には何も無かった。

  クローゼットを開き、カオナシは腰の小太刀をソケットに突き刺す。振動させるバッテリーを充電させなければならない。ジャケットも壁にかける。懐のナイフが騒がしく音を立てた。ぴっちりとしたインナーが電光を反射し、細身ながらもしっかりとついた筋肉を浮き上がらせる。

  女がカオナシに少し見とれていると、カオナシは女を指差し、次いでベッドを指差した。ここで寝ろと言いたい様だ。女はずっと思っていた疑問を口にした。

「なぁ、あんたって喋れないのか?」

「………」

  無言で文字を打つ。

『喉は焼けて壊れてしまった。声は出ない』

「…そう、なのか。なんかあったのか?火事とか?」

  カオナシは少し悩んだ後で、また文字を打った。

『昔、仲間だった奴らに燃やされた』

「は?仲間だったのに?」

『この世界では良くある事だ』

「なんだよそれ…、そんなんで納得いくわけねえだろ。あんた良いやつじゃねえか!何で裏切られる必要があんだよ!」

  自分の代わりに憤る女を見て、カオナシは不思議に思った。何故この女が憤るのだろうか、わからなかった。ともあれ、自分は依頼を完遂させればいい。する必要もない自分の話を切り上げて、床に置いた携帯食糧を一つ、女に放った。

  女は慌ててそれを受け取る。不服そうな顔のまま、その食糧をムシャムシャと頬張り、寝るとだけいって遠慮無くベッドを占領した。カオナシは壁に寄りかかると、そのまま眠りについた。

  しかしまぶたの裏に焼き付いた燃え盛る炎が目の前でうねる。火の元などどこにも無いのに自分の体が燃えている様な錯覚を受ける。熱い、肌が爛れていく姿が見える。すぐに耐えられなくなり、目を開いた。凄まじい量の汗が服を濡らしていた。立ち上がると、畳にくっきりと汗の形がついていた。

  風呂場に向かう。服を洗濯乾燥機に突っ込み、スイッチを入れた。仮面を外して、洗面台に置いてから気づく。

(…洗剤いれてねえ)

  蓋を開けて洗剤をいれてまた蓋を閉じる。ふと、鏡に映る自分を見た。治りきらない、治ることのない火傷の後が身体中を蛇の模様の様に這っている。そして、皮が剥かれた顔の左半分に触れる。左眼はほとんど見えていない。半分の視覚と聴覚、そして気配を武器に今まで戦ってきた。この世界では、弱みを見せれば付け込まれる。当たり前のことだ。だからこそ、あの女の怒りがよくわからない。

  風呂場に入る。木製の床が程よく暖かく足の裏に吸い付く。シャワーのノズルを捻り、勢い良く飛び出す水流を頭からかぶる。熱さが丁度良い。燃えるような熱さから人並みの体温へ引き戻される。

  汗を流してから風呂場を出る。

「あ…」

「………」

  女が何故か起きていた。気配に気づけなかった自分を叱咤し、何事も無かったかのように乾燥機の中の様子を見る。

「…ごめん」

  女は頭を下げて部屋に戻って行った。何に対して謝ったのか、今一よくわからないカオナシは、乾燥機が声を上げるのを待ってから、部屋に戻った。あの武器屋から買った銃剣を眺めながら、女はカオナシに目を合わせることを避けていた。

  カオナシは女の前に立ち、端末のディスプレイを開く。

『見られて減るものでも増えるものでもない。気にするな』

「…気にしない訳にもいかねえよ。そんな傷、見せたいものでもないだろ」

『過去の話だ。それに俺自身がケジメをつけた事でもある。だから大丈夫だ』

  女は銃剣を置き、少し畏まってカオナシの前に座った。

「じゃあ、教えてくれ。何があったんだよ」

  その真剣な表情にカオナシは逆に聞き返してしまった。

『なぜそこまで知りたがる』

「…それは、まぁ、気になるからな」

「………」

  じっとりとした視線を送る。納得のいく理由でもないし、何か隠しているのがバレバレだったからだ。女はその視線から逃げるようにそっぽを向いた。

「…これから重要になるんだよ」

  これから、というのがいつからのことなのかわからないが、何かしら重様なことらしい。纏めて文字に打ち込んでいる間、正座していた女がもじもじし始める。その様子に気づいてはいるものの、敢えて無視をした。大方足がしびれているのだろうと適当に考えていたのだが、思っていたよりも事態は深刻だったらしい。

「か、かおなし…」

  声をかけた女の顔は今にも泣きそうで、というか半泣きだった。震える声を絞り出して、女はぼそっと宣った。

「漏れる…」

「っ!!」

  急いで女の首根っこを掴み脇に抱えてトイレにダッシュする。

「ぅ……そこ…おなかぁ…だめぇ…ぇ……」

  …抱えどころが悪かった。トイレを目前にして、床に広がる水溜り、仄かに鼻につくアンモニア臭、小刻みに震える女、なんだろうこの虚無感。拭い去れぬ喪失感。水溜りの広がりが収まるのを待ってから、長いため息をついた。

  泣き出してしまった女を脱衣所に立たせた。風呂行け。服はその中。指差しで指示を出してから片付けにかかる。なぜ漏れるまで我慢していたのだろう。見た目からして、お漏らしをするような年齢には見えなかった。お互いの精神的ダメージが大き過ぎる。

「ごめん…、なんか…ほんとにごめん…」

  羞恥心の大きさが行動に反比例している。小さな挙動で服を全て指示された場所に入れ、同じようにシャワーを浴びる。答えることが出来ないカオナシは、先に片付けを全て終え、ジャケットを着込んだ。ディスプレイに後で見せる文字を先に打ち込む。

  クローゼットの底に飾られていた一つの仮面を手にする。少しススを被った、幾何学模様があしらわれたハーフフェイスの仮面だ。顔の右上と左下だけを隠し、目の部分には多機能アイカメラが備えられている。既知の使っていた仮面だ。女の顔は大分割れてしまっていると思われるため、そのままよりも多少は隠した方がいい。

  仮面を手に持ったまま、持っていく食糧などをリュックに詰め込み部屋の隅に置いた。夜中の4時、そろそろ夜が明ける。丁度良い。

「お、お待たせ」

  まだ恥ずかしそうな女に、先ほどの文字を見せる。

『何故そこまで我慢していた』

「し、仕方ないだろ!そもそもトイレに行きたくて起きたんだから!」

  それでうろうろしていたらしい。タイミングが悪かったとしか言いようがない。カオナシはそのまま文字を打ち込んだ。

『ドライブ、行くか』

「え…?」

  親指で玄関を指した。女は笑って、頷いた。

「やっぱりナンパにしか見えねえんだよなぁ」

  その一言は余計だ。ジャケットを羽織り、洗面台に置きっ放しになっていた仮面をつけ、女にも仮面を渡した。余りにも面が割れているため意味はないかもしれないが、つけておいて損はない。仮面を受け取った女もクロウに声をかけられたことを思い出したのか、何も言わずに仮面を付ける

「似合う?」

『悪くない。それをつけている間はヘクサと名乗れ』

「わかった」

  女、ヘクサは銃剣を腰に下げ、カオナシの後についていく。バイクに乗り込みヘクサの居たゴーストタウンへとタイヤを回した。ちょっとした抗争があったせいか、黒い煙が二三立ち上っているのが見えた。

  会話が出来ないのはヘクサにとって少し痛かった。こういう時、何をすればいいのかわからない。そもそも、喋れない人間と一緒にいること自体がほとんど無かったのだから、それも当たり前と言えたが、ヘクサはそれでは納得しない。

  当たり前、仕方ないが大嫌いなヘクサには、やはりカオナシが息も荒げずに平然と、淡々と語れる事が信じられなかった。自然、腰に回す力が強くなる。

  カオナシはそれにも何も言わずに、ただバイクを走らせた。坂道を登り、高台に辿り着く。ヘクサに降りる様に指示を出し、ある方角を指差した。彼方の空が白む、柔らかな光が夜の闇を優しく染めていく。ヘクサが無邪気な声を上げる。

「きれぇ…」

  ゆっくりと登っていく朝日と一緒に、スラスターのホバリング音が近づいてくる。

「じゃーんじゃーんじゃーんじゃじゃーん!キュウビ様参上ぉ」

「………」

「………」

  先程までの素晴らしい景色をぶち壊して、狐のお面が不敵に笑う。

「はい、出番終わり。帰れお前、ってか返せよあの感動を。初めてだったんだぞ私。空気読めよクソ狐」

「かぁおぉなぁしぃ、さっきはまんまと逃げおおせたのにわざわざ戻ってくるとはなぁ…!」

「聞けコラ」

「………」

  なんだろうこれ、すごく疲れる。前々からキュウビがカオナシを狙っていたのはカオナシ自身わかっていた。どの依頼を受けても必ずどこかしらでこいつが出てくるもんだから、いなすのも慣れてきたものだが、ヘクサがいう通り、本当に間が悪い。

  強化外骨格はつけているものの、小太刀も持ち合わせて居ない上に、ナイフも少し使ってしまっている。ここで足を失うわけにもいかない。本当に帰って欲しい。

「そんなに死にたいかカオナシぃ!望み通りぶっ殺して二度と俺の上に立てねえようにしてやるよぉおおおおおおおお!」

  いや、何もいってないんだが。

  一斉に放たれるミサイル。懐のナイフを複数掴んだ所で先頭のミサイルが爆発、立て続けに他のミサイルが誘爆した。

「聞けっつってんだろうがクソ狐。その耳は飾りかよ、それとも耳に突っ込まれてぶちこまれなきゃわかんねえか?あぁ?」」

  撃鉄を下げる。銃剣のリボルバーが一つ回る。銃口から煙が燻っていた。次はお前を撃つ。言わなくてもわかる程の殺気に、キュウビが口を歪めた。初めて興味を持った、そんな顔だ。

「いいねぇ…明確な殺意…カオナシには無いもんなぁ…殺し合いだってのによぉ…殺意がなきゃ始まんねえよなぁぁあああ!!」

  爆発的な速度でヘクサに殴りかかる。恐らくカオナシの実剣を折るために用意したのであろう太めの打撃武器を銃剣の腹で受け止めるが、強化外骨格フル装備のキュウビに勝てるわけもなく、軽々と吹き飛ばされる。カオナシが即座に受け止める。

「チィッ!強化装甲ばっかで固めやがって…!」

「つけてねえ方がアホなんだよぉ!」

「んの野郎…!」

  無言でカオナシが強化外骨格をヘクサの腕と足につける。

「え、いいのか」

『死にそうになったら助ける』

「なにそれ間に合わなそう」

  でも、と足を踏みしめる。

「信じてるぜ、相棒!」

  獣の鉤爪が地面を捉える。地面がめくり上がる。ビリビリと空気が振動する。

(なん…!)

  前述の通り、強化外骨格は筋力を底上げする物でしかない。だから元々筋力をそれなりに持っていなければ意味が無いものなのだ。さらに言えば、カオナシの強化外骨格は軽さを重視した軽量タイプで底上げする筋力もそれほどではない。

  それなのに、だ。

(この力は何処から出ている…!ただの女の力ではないぞ!)

  身体を回転させながらキュウビに突っ込むヘクサ。ただの一撃でキュウビが弾き飛ばされる。スラスターが思い切り青い炎を吐いても空を滑った。驚きを隠せないキュウビが先程とは違う意味で口を歪めた。

「てめえ…!…ん?」

  ヘクサの姿が見えない。それもそのはず、スラスターのないヘクサやカオナシは、基本的に地面を走る。弾き飛ばされた拍子にヘクサを見失ったキュウビが視線を彷徨わせる。カオナシだけが、ヘクサの動きを捉えていた。

(速い…!)

  キュウビから死角になっているビルの壁を蹴りながら背後に回り込み、飛び出した。キュウビが振り向こうとするも、反応が遅れた。

「落ちろ…!」

「ちぃいいい!!」

  スラスターに銃剣を突き刺し、引き金を引く。ガン!ガン!と内側からスラスターが壊されていく。カオナシがその場から飛び出しヘクサの更に背後に回る。スラスターが耐えられなくなりその場で爆発した。

「あっつ!」

「クソが!クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがぁぁぁあああああああああああああああ!!!」

  受け身を取ろうともせず、ミサイルを放つ。爆発の衝撃でバランスを崩し、空中での身動きが取れないヘクサは銃剣を盾にしようと構える。が、ミサイルは背後からのナイフによって落とされ、更に爆風に吹き飛ばされた。

「ぐぅっ」

「……!」

  ヘクサを受け止めたカオナシも一緒に吹き飛ぶ。だがいつも吹き飛ばされることが多いカオナシは身体を縦に回転させ、力を分散させながら手近なビルの屋上に着地した。

(足への負担がでかい。少し無謀だったか)

  ジンジンと響く足を少し気にしながら、腕の中で荒い呼吸を繰り返すヘクサを見た。目を閉じて額に玉の汗をこさえながら、脱力している。薄目を開けて、カオナシを見つけるとニッ!と勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「信じてたぜ、相棒」

  カオナシの頬を優しく撫でる。気恥ずかしくなったカオナシはそのまま抱きかかえて、遠くに見える高台を見た。少し距離はあるが、すぐに着くだろう。

  ヘクサの足の強化外骨格だけを外して身につける。ビルの屋上から跳ぶ。ビルの上を伝いながら、元いた二輪の元へ辿り着いた。その頃にはヘクサの汗も引いて、荒い息も戻っていた。

  カオナシはヘクサを降ろし、疑問をぶつけた。

『どこでそんな力を?』

「私?んー、あんたの戦い方をイメージしてみたんだ。まぁこんな派手なことはしないだろうけどさ」

  イメージだけでどうにかなるような代物ではない。しかし微妙に解答をズラされたため、これ以上の追及は難しかった。そして、なんだかんだで自分もこの女に干渉しようとしていることに気づいて、頭を切り替えた。

(今は依頼を完遂させる)

  疑問を振り切って、ヘクサを乗せて武器屋に向かった。まだ早い時間ではあるが、日は跨いでいる。それに、今の戦闘のせいで大分日が昇ってしまった。待ちくたびれることはないだろうが、あまり遅くなるのも好きではない。

  二輪を走らせ、武器屋の前で止めた。中に入ると、カウンターの近くに大太刀と、恐らくナイフが入っているであろうアタッシュケースが置かれていた。店主は眠そうにしながらも二人の姿を見て首を傾げた。

「おー?なんか焦げてんな、ドンパチでもしたのか?」

  カオナシは自分の胸ほどの位置にあるヘクサの頭にぽんと手を置いた。こいつのせい、とでも言いたいのだろう。

「やんちゃだなぁおい。ま、元気なのは良いこった。んで?いつ頃戻る予定なんだ?」

『3日で戻る』

  カオナシの計算では運ぶのに一日、引き渡しで一日休み、それから帰ってくる予定だった。所定の場所は陸続きの隣国。道も整備されており、夜でなければ盗賊もおらず、商人を守るための賞金稼ぎたちも道に配備されている。

  よほどのことでもなければその予定が狂うことはありえない。

  しかし店主は怪しい笑みを浮かべ、そうかい、とだけ言って店の奥に引っ込んでしまった。

(昨日といい、何か含みがあるな。何を知っているんだ?そしてこいつは何を隠している)

  背後でまた商品を眺めるヘクサを見る。

  あの細い手足からは想像出来ない程の力で以って、キュウビを圧倒した。そして何かしら知っている口振り、挙動。

(警戒すべきか、否か)

  まだわからない。わからないが、なぜか疑う気にもなれなかった。この女のどこに気を許したのか全くわからなかった。

「?」

  視線に気づいたヘクサが身体ごと傾けながらカオナシに向き直る。首を振り、大太刀とナイフを受け取った。ヘクサを連れて店の外に出る。

  いつの間にか店主が外にいた。そして二輪の脇に何かをとりつけていた。一見座席に見える。

「これもサービスだ。荷物もあるだろ、これに乗せれば多少は楽になる。それから嬢ちゃんもこっちに乗んな、こっちなら休める。クマがすげえぞ」

「あー、まぁ寝れなかったからな。ありがとうなおっちゃん」

「気にするな。こいつが稼げば稼ぐほど俺に金が入る」

  取り付けが終わった様だ。乗んな、と店主の声でヘクサが乗り込む。背中に太刀を装着する。アタッシュケースを座席の後ろのスペースに乗せて店主に手を振った。

  店主は二人の乗った二輪が角を曲がり見えなくなると、小さく呟いた。

「じゃあな、カオナシ。帰ってくんじゃねえぞ」

  二輪の音が街中を騒がせる。座席をつけたはいいが、より一層騒がしく感じる。雄叫びから絶叫になった気分だ。聴覚を鍛えていたカオナシに少しばかりキツく感じる。

  拠点に辿り着く。恐らくここも二輪駆動のお陰でバレてしまっているだろう。拠点に入り携帯食糧の袋と小太刀だけを持ち、すぐに引き返した。食糧をヘクサに渡し、また二輪に乗り込み、隣国との道がある発砲禁止区画に入る。カオナシの顔を見れば、大抵の看守は連れの一人は見逃してくれる。賞金ランキングが高いからこその利点だ。

  道路の案内を見ながら関所に向かう。隣のヘクサが妙に静かだと思いながら見てみると、既に眠りについており、大口を開けて寝ていた。油断と隙しかない、そんな顔だ。

(…困ったものだ)

  こんな顔を見せられては、疑う物も疑えなくなる。夜中の怒りに満ちた顔とは全く違う、気の抜けた顔。そういえばと思い出す。結局、あの怒りは何処から来ていたのだろう。出る杭は打たれる。世の理に間違いはなく、自分もまた、その理の中に身を置いているのだ。

  里にいた頃を思い出す。人里離れた山奥にある忍の里が彼の出身だ。戦う為の術だけを伝え続けるその里で、カオナシは一つ飛び出してしまった。打たれるような杭を出してしまった。

  彼の天性の才能は他の物を嫉妬させ、更にそれを褒めて伸ばす大人達が競争を促し、争いを生んだ。そして事が起こる。

  カオナシを複数の里の者が闇討ちし、磔刑にかけた。その時にカオナシは悟ったのだ。自分は打たれるべき存在なのだと。それと同時に悟った。比べる杭があるから飛び出るのだと。

  全身に大火傷を負いながらも、彼は生きた。生き残ってしまった。そして、比べられる杭を全て、一つ残らずへし折った。

  そこにいた友と呼べた者も、総て。

  彼が里を滅ぼしたお陰で、NINJAは伝説になった。それがもう10年も前、彼が十五の時である。

(感傷に浸ってどうなるんだか)

  その後生活をする為に賞金稼ぎになった彼は、また、打たれるような杭を出してしまっている。しかし、彼もそれを甘んじて受けている。出ている杭は自分だけではない。自分よりも飛び抜けた杭はいくらでもある。それだけでも分かれば十分だった。

  そうこう考えているうちに、隣国までの道の半分を通り過ぎた所だった。何か別の騒がしい音が後ろから迫っている。ヘクサも鬱陶しそうに目を開いた。ヘクサと目が合い、振り向く。

「…冗談だろ」

  冗談では無いようだ。

  大型のパワードスーツが猛ダッシュで追いかけてくる。コックピットに見えたのは狐の仮面。今のさっき吹き飛ばしたばかりの顔がすぐそこまでやってきていた。パワードスーツが地面に足型を付けながらスピーカーから恨みの大量に篭った言葉が大音量で発せられる。

「かぁおぉなぁしぃぃいいいいい…!おおおおおんんんんなあああああああああああああ!!!」

「あれ、恨みの比率私の方が大きくないか」

(そりゃそうだろ。吹き飛ばしたんだから)

  心の声はヘクサには届かない。見た所、装備しているのはガトリング砲と大量のミサイルポッドだろう。道をぐちゃぐちゃにされてはせっかくの二輪も使えない。整備してもらったばかりで申し訳ないと思いつつ、背中の太刀に手をかける。

「お、おい!打ってきたぞ!」

  9連では最早数え切れない程のミサイルが放たれる、それぞれがそれぞれの軌道で二輪に迫る、かと思いきや、何処かから放たれたフレアによってミサイルが逸れる。空を見ると無数の黒い影、その一つがバイクの脇についた。

「お前…クロウじゃんか!なんだってここに…」

「ハロー、昨日ぶり。ここにいる理由は一つしか無いんじゃないかな?今日はうちのギルドが警備番なのさ、運が良かったね。さて…」

  背後の巨大パワードスーツを見ながらカオナシに語りかける。

「出来ればあいつは殺さずに捕らえてウチの手柄にしたいわけなんだけど、良いかな」

「………」

  頷いたのを確認して、クロウはニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた。

「ありがとう。あいつには一つ借りがあったんだ。君にはあんまり手の内を見せたくないから、今すぐここを離れるんだ。それに、巻き込むのもいただけないしね」

  カオナシは無言でメーターのちょうど下についていた赤いスイッチを切り替える。途端、足元から巨大なブースターが姿を現し、後輪の両脇に備えられる。そして胴体が伸び、ほぼ座席に這いつくばる様な形になり、ハンドルも畳まれて細長い形になる。更にウィンドガードが少し伸び、手と頭を覆うほどになる。

  クロウが口笛を鳴らした。

「お嬢さん、シートベルトしっかりして、ちゃんと掴まっててね」

「お、おう」

  カオナシがボタンを押した。轟ッ!とブースターが咆える。グン、と置いてかれそうになるのをしっかりと抑えながら、前を見る。クロウのギルドがすでに退避を済ませているお陰か、障害物は見当たらない。助かったといえば助かったが、無くとも命の危険しか感じられない。

(畜生何がレトロだあのクソ店主!スラスターの最大出力でも追いつける速さじゃねえ!)

  咆哮は終わらない。店主の言葉を思い出す。

『下手すりゃ走らず滑る』

  地面を見る。もし滑っていたらタイヤが無事では済まない。が、想定を超えた状況を目の当たりにする。

(…滑ってない…!ういてる?!おい飛んでんじゃねえかどうなってやがる!)

  最早止め方も分からぬままグングン高度を上げ続ける二輪は途中嫌な警報音を発した。

  ランプが灯っている所に表示されているのは、燃料の残りを表すメーターだった。メーターはEを指し示している。ということはつまり

(このままじゃ落ちる!)

  咄嗟にヘクサを掴むが、シートベルトで固定されていて動けない。ヘクサ自身もあたふたとするばかりで状況が理解できていない。遂に燃料が尽きる。思い切り高度を上げていた二輪は推進力を失い自由落下を始める。やっと状況を掴んだヘクサがシートベルトを外す。カオナシがアタッシュケースを掴み二輪を蹴り飛ばし突き放す。

  苦境は続く。この高さから、しかもヘクサを抱えたまま着地せねばならない。そのまま着地したのでは足が持たない。咄嗟に懐に残ったナイフを全て真下に投げつけ、起爆させた。

  大爆発。その風は上空のカオナシ達にも届いた。更に先に落ちた二輪も爆発を起こす。その爆風で着地点が大爆発を起こした地点から少しズレた。行ける、そう確信してヘクサを抱きとめる。

「え?!ちょ!いきなり…」

  ゴニョゴニョと訳のわからないことを続けるヘクサを無視して受け身を取る。掌が地面に着いた瞬間に肘を折り、肘がついた瞬間に体を捻り、肩から落ちる。そして肩の曲線を利用して衝撃を受け流す様に転がった。

  うまくいった。肩で息をしながら、背中の汗を感じていた。ひんやりとした感触が心地いい。様子を見ていたと思われるクロウのギルドのメンバーが安否を確認しにきた。

「おい、あんたカオナシだろ?大丈夫か、あんな無茶して」

  頷いていつまでも抱きついて離れないヘクサを引き剥がした。

「はっ!私は今何を…!」

「無意識かよ。めっちゃだらけた顔で抱きついてたぞ」

「うるせえ逃避だよわかれよクソガラス!無かったことにさせろ!」

「…はぁ、そうかい。立てるか?」

  シャー!と毛を逆立てるヘクサを無視してカオナシに手を差し伸べた。カオナシはその手を掴むことなく端末に文字を打ち込んだ。

『斬り飛ばされたくないならその手を退けろ。今なら許してやる』

「………、何の事だ?おいおい、人の善意を無駄にするなよ。そうだろう?あぁ?」

  表情が無くてもわかる殺気が男に襲いかかる。怖気付いた男は考える。

(このままじゃ本当に斬り飛ばされる…!どうする…、こいつから手柄を横取りするにはどうすればいい…!)

  視界の隅に、ブロンドがなびく。

(これだ…!)

  その手を引かずにそのままヘクサに伸ばす。横になっている今なら反応も出来まい、そう考えたのが甘かった。

  一瞬。

  閃光だけが走る。

「ーーーは?」

  ヘクサに向かっていた手がカオナシの小太刀の腹に阻まれる。しかし、その小太刀が受け止めていたのは、ヘクサの銃剣だった。射殺すような殺気が男を貫く。ヘクサだ。止まりそうな思考を必死に動かす。

(全く見えなかった、何が起きた、カオナシは寝ていたしこいつは俺を見ていなかったはず、どうしてこうなってる)

  カオナシがヘクサに向かって首を振る。ヘクサは渋々銃剣を納める。カオナシも小太刀を納め男に顔を向ける。顎をクイ、と外へ向ける。行け。言われずともだ、と男は一目散に逃げて行った。

「何で逃がすんだよ。私にも針は見えてたぞ」

  文字を打つ。

『ブラックフェザーに借りを作る。クロウを味方につけるには持ってこいだ』

  そのままクロウにメッセージを送る。お前の部下がやらかしたぞ。その一言だけ飛ばすと、直ぐにメッセージが返ってくる。

『そうか、借りが出来たね。そのうち必要な時に言ってくれ、全力でお答えしよう』

  空中のディスプレイに映ったメッセージには、ギルドのマークと可愛らしい顔文字が一緒だった。ヘクサが意外そうに頷いたあとで、カオナシに尋ねる。

「付き合いは長いのか?随分と仲が良いみたいだけど」

『商売仲間だ。利害が一致している間は仲良くする必要がある』

「ふーん」

  何やら不満気な様子で道の先へ顔を向けた。二輪の煙が風に流れる。隣国の頭脳であるペンタゴンタワーが遠目に見える。直ぐそこには関門が見えた。先に歩き出したヘクサに続いて、カオナシが続く。食糧も燃えてしまったし、ナイフの残弾ももう無い。幸い、アタッシュケースは無事なので、一度休める場所に先に行こうと提案する。

  ディスプレイの文字を読んで頷くヘクサ。やはり何か不満があるようで、なにやら気配がツンケンしている。カオナシは腕を組み、どうしたものか、女の扱いはイマイチわからない。

「なぁ、カオナシ」

  立ち止まって、振り向く。

「あんたの名前、教えてくれよ」

  藪から棒な言葉に、カオナシも立ち止まる。片方しか見えない瞳には、何かの焦りが見えた。口を真一文字に引き締め、息を飲む。何かに必死な彼女の顔は、真っ直ぐとカオナシを捉えていた。

  その視線を、その表情を、無邪気な狡猾さを、必死な懇願を、カオナシは受け止めることができなかった。否、受け止めるべきでは無い。そう思った。

  何も言わず、何もせずに歩き出した。

  受け止めるには、余りにも、人を殺めすぎた。女も、子供も、友でさえも、殺めてしまった過去は変えられない、戻れない。今更救われることなど無いのだ。

  身体の蛇がうねる。

  ヘクサの横を通り過ぎる。握られた拳は、力なく項垂れる。関門を通り過ぎ、途中の公園のベンチに座る。アタッシュケースを開き、ジャケットの裏にナイフを差し込んで行く。ヘクサは微妙な距離を空け、俯いたまま口を開かない。

  気になる。気にしてしまう。こんな時に聞ける口があったら何を話しただろうか。昨日の今日でも弾む話は出来ただろうか。色んなことで頭がいっぱいになる。今まで一度も考えたことの無かった事だ。

  最後に浮かんだのは、朝方に見たあの笑顔と、その言葉だった。

『信じてたぜ、相棒』

(相棒…か)

「お前がカオナシか」

  ザッ!と距離を取る。全く気がつかなかった。口と鼻をマスクで隠した男は、長いローブに巻かれた巨大な剣を背に、ヘクサの首に手をかけていた。ヘクサの頬に汗が伝う。

「ふむ、噂より少しばかりぬるいな。まぁいい、確かめたいことがある。強化外骨格を外してコロッセオに来い。この女と共に待っている」

  横から来たスラスターを付けた誰かにそのままさらわれていった。

(あのマスク、この気配の消し方、間違いない…)

  カオナシはスラスターを追いかける。しかしスラスターも並のスピードではない。何かしら改造が施されているのだろう、全く追いつける気配はない。

(ここで先駆に会うとは思いもよらなかった)

  気配の消し方も技術も恐らくあちらが上。勝てる算段が一つもない。それでもカオナシは走った。

(報酬を目の前にしてむざむざと帰れるものか。それに、まだまだ聞きたいことが山ほど残っている)

  自分に言い訳をする。そんなことでこんなに必死になって走っているのではない。自分の胸に渦巻く得体もしれない不安が、込み上げる不条理な憤りが、カオナシを突き動かしていた。その正体がわかるまで、あの女を手放す訳にはいかない。

『相棒』

  そうだ。

  助ける理由があるじゃないか。

(しょうもねえ相棒だぜ)

  遠くに見えるコロッセオに入っていくのを見届けてから、さらにスピードを上げる。少し遅れて中に入る。走りながら強化外骨格を脱ぎ捨て、真ん中で立ち止まると、観客席の上から先駆の男が合図を出した。席の陰から大勢の先駆と思われる者がカオナシを取り囲んだ。

「カオナシなんて名乗っているようだな、剣神」

  剣神。懐かしい呼び名を噛み締めながら仮面を叩いた。

「ふん、生意気なやつだ。話す言葉もないとでも言いたいのか」

  ある意味、それも正しかった。カオナシに話せる言葉など無い。

「まぁいい。お前、随分と熱心に追いかけて来たじゃないか。この小娘にご執心か?」

  髪を掴まれ、ずい、と押し出された女に仮面は無く、口に布を巻かれて喋れずにいた。もがいてはいるが、勝てるはずもない。

「この小娘にお前がしたことを聞かせてやろうじゃないか、どうせ何も話していないのだろう?良い機会だぞ」

  カオナシは微動だにしない。男はつまらなそうにしながらも女の反応を見る。興味を示したようだ。今まで一度たりとも向けなかった視線をむけている。男は口の端を吊り上げた。

「こいつはな、里の人間を皆殺しにしたんだ。女も、子供も、親も、友も、構わず全員殺したんだよ。この中にもこいつに妻や子を殺された奴らが仰山いる。こいつはそのまま姿を眩ましたからな、探すのに苦労したぜ。これは十年越しの復讐だ。お前は黙って見てるんだな」

  男が話し終わると、女はクツクツと肩を揺らした。男が恐怖で震えているものを思い、口の布を外した。その表情を見せようと、顔を上げさせる。それと同時に、耐えきれなくなったように女が大口を開けて笑い出した。男の顔が歪む。何故笑っていられる。気でも触れているのか。

「あんたら、カオナシが何でそんな事をしたのか知ってんのかよ。カオナシ、面外せ」

「………」

  命令されるのも気に食わないが、面を外す。無惨な顔の左半分に、囲んでいた者達が少しばかりどよめいた。

「こいつはな、あんたらがいない間に、火炙りにあってた。仲間だと信じてた奴らに、全身を燃やされた。やられた分をやり返すことの何が悪い。あんたらに復讐する権利があるっていうんなら、カオナシにも立派なもんがあるぜ」

  男は女の頬を殴った。鈍い音が響き、女が地面を転がる。

「だからどうした!お前に失った者の哀しみが分かってたまるものか!殺せ!奴を許すな!骨も残すな!殺し尽くせぇ!」

  各々の武器を握りしめ、カオナシに飛びかかった。

  カオナシの口が動く。

『ユルサン』

  閃光。

【小太刀二刀一式 斬牙】

  カオナシ前方の数人がバラバラの道化と化す。

【小太刀二刀二式 凶双】

  続けて左右が吹き飛ぶ。

  そして、

【小太刀二刀三式 蝕刃】

  背後には微塵も残らなかった。

  様々な音が遅れて、一度に耳に届く。

「………」

  言葉を失う。あれだけいたはずの先駆達が、一瞬で消えた。

  手に持たれた小太刀には血すら残っていなかった。代わりに、カオナシを中心に円を描くように地面に血痕が飛び散っている。

  これが剣神。これが、忍の里を一晩で滅ぼした男の力。

  圧倒的な力を前に、男はむしろ冷静になる。弱点は見えた。ゆらり、動き出す。

  ザッ!

  音だけが聞こえる。丁度死角のカオナシの左から、刃が迫る。若干の反応の遅れ、逃すわけもない。

  立て続けに斬撃が走る。速い。カオナシ距離を取る暇も与えずに、執拗に左から攻め立てる。受け流す。大剣が流れるように軌道を変える。

(曲がった…?!)

  受け流す構えを取っていた小太刀をすり抜ける。身体を逸らすも、よけきれずに右のまぶたをかする。出血によって見えなくなってしまったカオナシに、遠慮なく斬りかかる。音のみで反応をするが、後手後手に回ってしまう。

  ヒュヒュヒュッ!

  連続する音に対応が間に合わない。小太刀が二本とも弾き飛ばされる。

「………」

(まだだ、奴にあの太刀を抜かせてはならない)

  一気に詰め寄る。然し、一瞬、ほんの一瞬だけ、遅かった。

  大剣が千切れ飛ぶ。その衝撃に、片腕が持っていかれた。

  仁王立ち。

  閉じられた目、大きく息を吐く口。いつ抜いたのかさえわからない太刀。

  身剣合一。

  剣神たる所以は、己と剣との一体化にこそある。

  故に、瞳など要らぬ。

「クッ!き…さまぁ…!」

  無い腕を抑える。出血は止まらない。足下に血だまりを作ろうとも、男は倒れなかった。

「俺は…俺はぁ…!貴様を許さない!貴様が掴める幸福など無い!」

  出血が多過ぎて、朦朧としていく意識に逆らいながら、カオナシを指差した。

「努努忘れるな!貴様がしたことを!貴様が奪った我らの幸福を!許されることの無い罪を!地獄の口は大きく開いている!天上への道は無いのだ!ッハハハハ!ハッハハハハハハハハハ…は…ぁ………」

  ぐしゃり、血だまりの中に落ちる。その場に膝を折り座り込んだカオナシに、静かに歩み寄る。そして、くしゃ、と頭を撫でた。

「私が許す。全部、許す。確かに、全ては許せることじゃ無いかもれしれないけど、でも私はお前を許す。相棒、来てくれてありがとう。追いかけてくれて、ありがとう」

  暖かい。人に直接触れるのは、いつ振りだろうか。声にならない声を上げるカオナシを、そっと抱き締めた。

「一人で頑張ってたんだな、相棒。大丈夫、私がいるから、一緒にいるから。大の男が泣くなよ」

  よしよし、と子供をあやすように、優しく背中を叩く。

  しかし、雰囲気をガン無視して、ヘリコプターの音が上空から聞こえてくる。女のため息と共に、老人の声が聞こえてくる。

「婿は決まったか?随分と、物騒な方法で選別したもんじゃのぉ、あまり感心できるやり方では無いわい」

  ヘリコプターから顔を出した老人は、コロッセオの惨状にわざとらしく目を覆った。それに対して、女は自信満々に答える。

「馬鹿野郎、私の婿は最初からこいつ一択だし」

(………、婿?)

  そもそも周りが見えていないカオナシにはどうなっているのかさっぱりわからない。聞きなれないプロペラ音に知らない老人の声。それから婿という言葉。

(待てよ、聞いた覚えがあるぞ)

  数年前から、高額の報酬で以って行われる似たような応募式の依頼の通知が来ていた。残念ながら去年までは別の依頼と被っていたため、参加していなかった。ただ、酒場に寄り付かないカオナシは、あの店主の流す情報を聞き流す程度にしか入ってくる情報がない。

  その聞き流していた話の中に、確かにあったのだ。

『なにやら婿を探している応募式の依頼があるらしい、通知が来なかったか?』

  そんなストレートな依頼内容では無かったし、興味も無かったため首を振ったが、確かに来ていた。そして今年も来た。受けた。結果がこれだ。

  成る程、それならいろいろ合点がいく。監禁といいつつ監禁されていなかったのも、店主が大笑いしたのも、カオナシの過去が重要だと言ったのも、そして、名前を知ろうとしたことも、全て合点がいく。

  嵌められた、いや、自分から飛び込んだ。

「馬鹿野郎とはなんじゃ馬鹿野郎とは。しかし、婿の条件は覚えておるな?」

「あぁ、わかってるよ。私の剣を寄越しな」

(待て、俺がわかってない。何をする気だ?)

  口をパクパクさせてあたふたとするカオナシに老人が首を傾げた。

「こやつ、口が聞けんのか」

「そうだよ。ついでに、片目も見えてない。でも、この景色を作ったのはこいつだ」

  正直、勝てる気がしない。

  女が弱音を吐くのはこれが初めてであった。老人は顎に手を当て、そばにいた黒服に剣を持ってくるように指示した。黒服はあらかじめ用意していたツヴァイヘンダーを垂直に投げ落とした。地面に突き刺さった剣を抜く。

  それを手にかけ、鞘から抜く前に、カオナシに言った。

「私は、あんたと一緒に居たいと思ってる。こんな方法でしか婿を選べないのは癪だし、納得できるようなもんじゃねえけど、でもこの方法であんたと会えた。カオナシ、あんたは…どう…かな」

「………、」

  カオナシは、自分の胸に渦巻いていた不安と憤りの意味を知る。

(こいつと離れると、どうにもダメみたいだな)

  カオナシは笑う。笑って、太刀を握った。

「そっか、ありがとう。真剣勝負だ。気ぃ抜くなよ、賞金ランキング一位の剣聖はーーー」

  地面を抉るように抜き放つ。


「私だ」


【波動式 斬波】

(カラ)ノ太刀 破】

  ゴッ!と撒き散らされる衝撃に臆せず次の一撃を放つ。

【波動式 蒼雅】

(メグリ)の太刀 輪】

  空気を突き破るような、身体を捻った刺突、それに対して片脚を軸にした回転、遠心力を利用した斬撃が交差する。

  鈍い音の後、お互いの剣が弾かれる。

  ゴァ…!と弾かれた剣を無理矢理に引き戻す。


  【波動式 虎咆】

  【(エグリ)ノ太刀 爪】

  【波動式 影断】

(ソマリ)ノ太刀 碧】

  【(コワレ)ノ太刀 撃】

  【波動式 石覇】


【波動式 裂空】

  地面と身体を平行にしたまま、身体を捻り斬撃を繰り出す、が、太刀の鞘に剣の腹を捉えられ大きく弾かれる。

(見切られた…!)

(ハザマ)ノ太刀 削】

  カオナシの太刀が何もない空間を削り取る。グン、と弾かれた身体が大きく引き寄せられた。

(まず…!)

  ギュッと、目をつむる。

  トス、と背中から受け止められた。頭の上に顎を乗せられ、ふぅ…、と大きく息をつく。瞼の血を拭い、腕の端末に文字を打ち込んだ。

『疲れた』

  恐る恐る片目を開けた女が、文字を見て、そのままカオナシに凭れかかった。

「負けたよ。完敗だ」

  ボロボロになったツヴァイヘンダーを落とす。カランカランと音を立てて地面に転がる。

「私は、マリア。カオナシ、あんたの名前を教えてくれ」

  カオナシに向き直る。その視線に、想いに、笑って、応えた。


「………」


 マリアは頷いて、口を開いた。

「さっぱりわからんから文字に起こしてくれ」

  ガク、とカオナシは肩を落とした。

(でもまぁ、いいか)

  応えることができた、それだけでも。

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