魔法使いの失い方(5)
目蓋を閉じた後の衝撃。それを覚悟していたクルトだが、それは襲ってこなかった。何かあったのだろうかと目を開けたクルトの視界に映ったのは、目の前で止まる剣の刃だった。
敵兵がクルトを斬りつけるのを中止してくれたのだろうか。そんなことを考えたクルトだが、敵兵の形相は、必死に剣を振り下ろそうとしているそれだった。
事実、ほんの少しずつであるが、剣はクルトに近づいてきている。
(まるで剣と僕の間に、空気の壁がある様だ)
その壁は剣の圧力に少しずつ潰れているが、それでもクルトの体には届かない。
「クルト! 早く反撃しろ!」
ナイツの声が聞こえ、クルトは漸く状況を理解した。この不思議な現象は、ナイツの魔法によるものなのだ。
クルトは目の前に立つ敵兵へ杖を向けて、炎の魔法を放つ。発生した炎は、一瞬だけ敵の目の前で止まった後、またすぐに敵兵へと向かった。
ナイツが作った見えない壁の様な物が、一度は炎の侵攻を阻んだものの、すぐに無くなったのだろう。ナイツがクルトの魔法に合わせて、自身の魔法発動を止めたのだ。
壁が無くなったのは敵兵も同じだが、手に持った剣を振り下ろす前に、クルトが放った火の勢いで後方に吹き飛ばされ、そのまま炎に包まれた。敵兵の叫び声が聞こえ、それが途絶えるのにはそれ程時間は掛らない。
数秒間の間に、殺す側と殺される側が入れ替わる。そんな事態にクルトは混乱し、気持ちの悪さを感じるものの、その感情が真っ当なものであると認識した時点で、どうしてだか安堵をしていた。
「そうだ! ナイツ! さっきのは君が?」
いつまでも立ち尽くすわけにはいかない。クルトは自分を助けてくれた友人が、無事かどうかを確認するため、後ろを振り向いた。
確かにそこには友人がいた。しかし立ってはおらず、地面に伏せた姿勢で、顔だけを上げている。
彼は、近くの木まで走っていたはずなのに、クルトのすぐ近くに倒れている。いったい何があったと言うのか。
「悪い、クルト………足に矢を受けた」
ナイツが倒れている理由。それは、彼の右太腿に深々と刺さっている矢が原因であった。傷口の周辺どころか、足全体が赤く濡れており、明らかに大怪我の部類である。
「早く手当をしないと!」
クルトはナイツに近づき、応急手当を始める。矢を抜き、消毒し、包帯を巻く。それらの痛みに苦痛の叫び声を上げるナイツだが、しなければ後が無い。
ただ、その過程でもかなりの出血をしていた。ナイツの顔色はかなり悪い。
「一旦、ここで休んだ方が良さそうに思うけど………」
ナイツの状態はかなり危険だ。傷のある足を動かさず、血を回復させる栄養と休息が必要なのは目に見えて分かる。
「ダメだ………すぐに別の敵兵が来る可能性だってある。それに、敵兵の情報を……ハマツにできるだけ早く伝えなきゃならないんだろう?」
先ほどまで痛みに苦しんでいたはずのナイツだが、気丈にもそんなことを言う。度胸と言う点でなら、クルトよりも彼は優れているのだろう。
「……わかった。足が痛みだろうけど、多少は我慢して貰うよ」
クルトはナイツが傷を負った側の肩に手を回し、持ち上げる。ナイツは顔を歪めるものの、傷を負っていない方の足に力を込めて、立ち上がった。
「悪いな。………ハマツへの帰還が遅れそうだ」
歩き出すと同時に、ナイツはクルトへ謝罪する。確かにナイツの体は重く、歩く速度も相応に遅くなるだろう。
「良いさ、別に。さっき、命を助けて貰ったばかりだしね。良くそんな怪我で魔法なんて使えたよ」
ナイツの魔法による助勢が無ければ、今頃クルトは敵兵の剣の餌食になっていたことだろう。
「近くの木へ…逃げる途中。お前の…すぐ近くに敵兵が迫っているのを見てな……。引き返してなんとかしようとしているうちに……矢で…撃たれた」
クルトが倒した敵兵の一人が、あらぬ方向に矢を撃っていたが、それはナイツを狙ったものだったのだろう。
敵兵の矢はナイツの足に命中し、それでもナイツは魔法を使ってクルトを守ったというわけだ。
「あの魔法、いったいどういうものなの?」
「ヘリスラー先生に教えて貰った物なんだけどな…、魔法で特定の部分に、物を反発させる力場を作って………その場に置くんだよ。強いものなら………そのまま攻撃してきた敵を吹き飛ばせるらしいが…俺は押し留めるのが精一杯だったな………」
確かに以前、紹介任務中に、その様な魔法をヘリスラー教師が使っていたことを思い出す。あれがそうだったのか。
「戦いとなれば……そういう防御術の方が役に立つだろうからって………教えて貰った」
「あの人もそう言うところはしっかりしてるよね。うちの先生もそれくらいの気を利かしてくれても良いのに」
ヘリスラー教師がそんな魔法をナイツに教えながら、クルトには教えなかったことについては深く聞きはしない。恐らく、教えてすぐに使える様になるのがナイツくらいだったのだろう。
そういう魔法があると教えられても、現状、クルトが使えるかどうかは怪しい話なのだから。
「………はは。オーゼ先生と言えば……お前が大学を出発する日も…………どこかに出ていて不在…だったらしいな」
「迷惑な話だよ、まったく。ここで死んだら、今生の別れすらできてない状態になる」
もっとも、あの先生らしいと言えばそうだ。リブクインに来てから暫くになるが、クルトが自分の師と顔を合わせていない期間はもっとになる。
なんとかして、もう一度会いたいものだ。そのためには、この場を生き延びなければならない。
「なあ………クルト」
「何?」
「急ごうなんて……言って…おいて…悪いんだが………」
「やっぱり休む? そうだね。大分疲れているみたいだし」
ナイツの体は重い。それだけ本人の力が抜けているのだろう。多少、ハマツへの到着は遅れるかもしれないが、それも仕方あるまい。今はナイツの体が心配で―――
「なあ………俺を置いていけ。お前だって……わかってるだろう?」
「………何を言ってるんだよ。怪我だって今すぐ命に係わる物じゃあないし、こうやって支えながら歩くことも―――」
「無理だ……。今は大丈夫かもしれないが……ハマツまで持たない。ほら、見ろ」
ナイツは怪我をした足を見せてくる。何時の間にか、包帯が赤黒く染まっているその足を。
「血が……止まってない?」
止血だってしたはずだ。自分の技術が拙いからだろうか。早く包帯を交換しなければ。
「応急措置が……悪いんじゃない……こうやって…無理に動かしていれば、どんな治療だって無駄……だろ」
「だから、一度休んだ方が」
「休んでる間に……敵に見つかる可能性の方が………あるだろ。ここは……まだ…敵地から近いんだぞ。俺を置いて行った方が……ハマツの支援団の…助けになる。わからないお前じゃあ……無いだろ」
ナイツの声がどんどん小さくなる。それだけ体力を消耗しているのだ。森の中を少し進んだ程度だと言うのに。
「ふざけるな! 僕の目的は、支援団に被害を出さない様にすることだ! きみだってその一人なんだ! 絶対に見捨てないぞ!」
理屈はナイツの言う通りであり、クルトの頭の中でも、その方が良いと囁く何かがいる。そのすべてを振り払いたくて、クルトは叫んだ。
「二人でハマツに帰るんだ。そこでならちゃんとした治療もできる。きみだって助かるんだ」
それは希望では無く、嘆きだった。ハイマウントに近い場所で立ち止まり、治療をしていれば、再び敵兵に見つかるかもしれない。だからハマツへ帰る道を進むしか無いのに、歩みを進めれば進める程に、ナイツの消耗が激しくなっていく。
「……クルト、俺……夢があったんだよ」
「喋っていると、余計に体力を消耗するよ」
クルトはナイツの言葉を聞きたくなかった。それが会話では無く、遺言に聞こえそうだったからだ。
「笑うなよ……俺は、なんでもできる……スーパーヒーローみたいな人間に……なりたかったんだ」
「笑わないよ。夢なら、それくらい大きくないとさ」
「けど……やっぱり馬鹿みたいな考え…だろ? 魔法使いを目指したのも……それが理由なんだ……。できないことが……訓練次第でできる様に…なる。それが………すごく魅力的に思えた」
そんな体力など無いはずなのに、ナイツの言葉は続く。既に会話では無く、独り言に近い形で。
「親にも……それが見透かされていたんだろう……な。魔法大学に……入りたいって話したら……喧嘩になって……すぐに勘当さ。当たり前……だよな。今、ここで……何にもできないのが…俺だ」
「生きてさえいれば、何だってできるさ。魔法研究が進めば、もっと面白いこともできる様になる」
クルトはナイツを支えながら歩き続ける。一歩一歩は重く、遅々として進まない。
「魔法…研究……か。ゴーレムが気になったのも……強い何かを…作りたかったから…かもな。なあ、クルト……こんな時だから…話すが……、俺は…お前に……憧れていたんだ」
「それこそ何を言ってるんだよ。僕ときみとで、そんな立場や能力の違いなんて無いだろうに。魔法技術なら、むしろそっちの方が―――」
「そうじゃないんだ………。俺の目には…お前が……できないことを…できるようにしている……凄い人間に…見えたんだ。頭の回転が……違うのかも……。いや、考え方か……。とにかく……だから…お前は……凄い奴なんだよ」
こいつは何を言っているのだろうか。自分の身が危ないというのに、他人を褒めるなんて馬鹿げている。
「混乱している様だから、あんまり喋らない方が良い」
「話させろって………。俺は……お前に憧れてる。だから、お前を守るために……逃げずに引き返した時……、別に……自分が死んでも良いやって……そう思ったんだ」
「だから喋るなよ! 本当に……本当に死んじゃうぞ!」
「俺がこうやって……怪我をしたのは……俺の意思の…結果であって……お前のせいじゃ……無いって…ことだ」
その言葉を最後に、ナイツは話すのを止めた。クルトツは体力を温存するためだろうと自分に言い訳をして、歩き続けた。
友人が口を開かぬまま、何時間も経ったとしても、自身の体力に限界が来ていても、ナイツを支えて歩き続ける。一歩足を前に進める毎に、肩が重くなっているのに気が付かぬ様。
友人の体から熱を感じられなくなり、呼吸も聞こえなくなるのも、きっと疲労のせいだろうと深く考えない様にする。
例え、友人の体を引き摺っているだけだとしても、それはきっと、歩く体力が無いだけだと思い込もうとする。
「だから………」
クルトの足が止まる。同時に膝から崩れ落ちた。友人の体は、するりとクルトの体を滑り、地面に倒れる。
クルトは倒れた友人の手を握る。酷く冷たい。
「だから、もっとちゃんと立ってくれないと、歩けないじゃないか………」
倒れたままの友人を見る。目を閉じて、足から流れる血は無くなり、心臓の鼓動を止めた友人を見て、クルトは漸く理解した。
彼はもう二度と立つことは無い。話すこともできない。まだ、町からは遠く、動かなくなってしまった彼を、祖国どころか、ハマツへ帰すことすらできないだろう。
「きみは僕を庇ってそんなことになったんだ! 本当なら、生きているのはきみの方だった!」
クルトの叫び声に答える者は誰もいない。ただむなしく、森の中にこだまするのみである。それがどうしようも無く悲しかった。この感情をどうすれば良いのだろう。
マジクト国から遠く離れたこの土地で、クルトは大切な友人を失ったのだ。




