魔法使いの参戦方(8)
本当に獣の様だ。
走るイリスの背中を見て、クルトはそんなことを考えていた。速度は早く、迷いが無い。伸びた草も遮る枝も、イリスの速度を止めることは無い。さらに早くなっていくかの様にすら感じる。
(それはつまり、僕が置いて行かれつつあるってことだよね!)
自身の息が乱れるのを感じる。それだけ全力で走っているのに、クルトがイリスに追いつくことは無い。さらに距離をあけられて、イリスの背中はどんどん小さくなっていく。これが完全に視界から消えた時、クルトはイリスとはぐれることになるだろう。
(目的地はヘリスラー先生と分かれた場所だろうけど)
森の中に異音が響いたのは、30分程前に別行動をとろうと決めた方向だった。30分後に再び同じ場所で落ち合おうという取り決めであり、一足早くヘリスラー教師達は戻っていたに違いない。
そしてそこで何かあったのだ。
(走ってるから、自分がどれくらいの位置にいるのか……駄目だ、わからなくなってきたぞ)
前を走るイリスは、その動物的勘で大凡の場所を把握しているのかもしれないが、クルトは突然走り始めた結果、完全に現在地についての情報を失ってしまっていた。
(これでイリスさんを見失えば、僕の方が迷子になる!)
もしかして危険なのは自分自身なんじゃないかとクルトが気付き始めた頃、イリスがその速度を落とした。
「あ、あれ。もう目的地に―――」
「シッ」
立ち止まるイリスになんとか追いつき、息も絶え絶えでクルトは話し掛けるが、それをイリスは制する。
「………その場でゆっくりとしゃがめ。そして向こうの方を良く見ろ」
イリスは小声で話す。言われた通り、クルトは地面に座り、イリスが指差す方を見る。
人影が居た。ヘリスラー教師とナビィがかなり遠くであるが、木々の隙間から見える。問題は見えたのがその二人だけでなく、別の者もいたということだろうか。
「良く見えませんが……服装は前に見たフィルゴ帝国兵に近い様な………」
ヘリスラー教師達を含む人影は絶えず動き回っているため、はっきりとは分からないが、どうにも格闘を続けている様に思えた。
「間違いない。敵と遭遇したんだ」
「た、大変じゃないですか。助けに行かないと」
小声ながらも慌てて話すクルト。ヘリスラー教師に戦闘能力があるのかどうかはわからないが、既にフィルゴ帝国兵に接近された状況であり、魔法を使う機会は少なく、頼りになっているのはナビィだけだろう。
フィルゴ帝国兵が一人だけという可能性は無いだろうから、ヘリスラー教師達側が不利である。
「助けには行く。ただし、できる限り相手に悟られずにだ」
「今度も奇襲を仕掛けるってことですね。間に合うかな」
「お前はあそこに3本の木が並んでいる場所までゆっくりと歩け。あそこからなら魔法が届くだろう。慎重に進めば、気付かれない距離でもある。私は、接近できる場所までなんとかしてみせる」
今ここでは非常に頼りになる言葉であった。既にクルトはイリスに対して一定の信頼を置いている。
ただ不安なのは、自分自身を信頼できないことだった。
「確かに集中して狙えば、遠距離でも魔法を当てられるかもしれませんが………」
イリスが指定した場所を見てクルトは呟く。もう一度、人間に向かって魔法を使えるのだろうか。
再び、人を殺すことになるかもしれないのだ。
「………やってもらうしかない。としか言えないな。心配するな。お前が動かなくても、私が動く」
彼女なりの励ましなのだろうか。実際、クルトはその一言で少し安心した。
「行きましょう。時間を掛ければ掛ける程に、ヘリスラー先生達が不利になる」
一歩足を踏み出すクルト。それに合わせて、イリスも前に進み始める。スルスルと音も立てずに動くその姿を見れば、確かに彼女は一流の戦士に見えた。
(せめて、足を引っ張らない様にしないと……)
クルトもできるだけ音を立てない様にするが、足を動かす度に、落ち葉や枝を踏み、かすかな音を立ててしまう。
(確かに気付かれず近づけるのは、あの場所くらいまでだよね。これじゃあさ)
ただイリスの言葉だけを信じる。3本の木が並ぶ場所までなら、敵兵に気付かれる心配は無いはずだ。
(……………よし、辿り着いた)
すぐに木々へと身を隠し、ヘリスラー教師達の方を覗く。
(ナビィさんは右腕しか動かしてない。左腕を怪我したのか? 先生はただ立っているだけ。無事みたいだけど、あっ、危ない!)
敵兵の数はクルトから見る限り3人はいるだろう。うち二人はナビィと剣を撃ち合い、もう一人がヘリスラー教師へと剣を振るう。
(って、なんだアレ!)
ヘリスラー教師へと剣を振り下ろした敵兵だが、何故か剣がヘリスラー教師に直撃する前に、剣を持つ腕ごと体を吹き飛ばされた。
飛んだ敵兵は、近くの地面に倒れ、よろよろとその場で立ち上がる。
(何かの魔法なのかな……多分そうだ。もっと近くならなんなのかわかるんだろうけど)
とりあえずヘリスラー教師は安全だろう。問題はナビィだ。イリスが辿り着くまで、身を守ることはできるだろうか。
(可能性は高く無し低く無しってところかな。なら、援護さえすれば)
クルトは遠くの敵兵に杖を向ける。集中さえできれば、精度は悪く無いはずだ。使う魔法は雷。敵兵までの距離ならまっすぐ飛ばせる魔法である。
(できれば当てたい………。当たらなくても牽制にはなるだろうけど、あの状況を見れば、それを活かせる状況じゃあなさそうだし)
剣を振るうナビィの動きは、明らかに鈍くなっている。やはりどこかを怪我しているのだ。
イリスの援護はまだだろうか。既にクルトの視界内にはいないが、敵に見つからず接近することに時間が掛っているのかもしれない。
(やるしかない………。けど、ちゃんと僕は魔法を使えるのか?)
一番の不安は、クルト自身の精神状態だった。
(手は震えないだろうか。また人を殺すかもしれない。その恐怖は?)
心的な衝撃は、自分自身の行動を阻害することになる。そういう知識があったので、クルトは自分の行動に不安を感じていた。
(杖の方向はこれで良い。敵は動いているけど、なんとか狙える。魔力の放出と制御はこんなものか………)
クルトの考えに反して、不思議と集中できていた。何時も通り、不備無く、魔法を放つ前から、何が起こるのかを予想できる。
(………今だ!)
敵兵が少しだけナビィから離れた。そこを狙い、雷の魔法を発生させる。進行を曲げる様な制御はせず、まっすぐと飛ぶ雷の魔法。
一閃は数瞬も待たずに目標に届き、その道筋には光の残像だけがある。狙った敵兵は視界から消えていた。地面に倒れたのだろうか。
覗くクルトの視界に、動く影が一つ。
(敵? いや、違う)
イリスだった。クルトの魔法を合図にしたかの様に、ヘリスラー教師達と敵兵がいる場所に飛び込み、動き回る。
ナビィを狙うもう一人の敵兵を斬り捨て、ヘリスラー教師を相手にしていた兵士へ向かう。
敵兵はイリスの剣を自分の剣で弾いたものの、もう一方から近づくナビィに隙を突かれ、脇腹を斬られた。
結果、体勢を崩す敵兵に留めを指したのは、やはりイリスだった。体を傾ける敵兵目掛けて、渾身一撃を振るう。
あの体のどこにそれだけの力があるのか。敵兵の体が一瞬だが宙に浮く程の一撃。恐らくそのまま倒れたのだろう。
イリスはその場で何度か顔を振り、クルトがいる方向へ手招きをした。
敵兵を排除したから、集まれと言う合図だった。
(なんとか、やった?)
二度目の遭遇でも無事だった。今度は敵兵を倒した際の気持ち悪さも感じない。
(こんなものなのか? もっと、いろいろと葛藤があると思っていたのに)
気分の悪さと言うのなら、その違和感こそがそれだった。人へ殺人的な魔法を放つことに慣れてしまっている。それもたった一度の経験で。それがどうしようもなく恐ろしく、気分の悪いことに感じる。
「いや、深く考えない方が良い。今はまだ………」
ここで歩けぬ状況になるわけにはいかない。声に出して思考を振り切り、イリスが手招きする場所へと歩くクルト。こんなことを何度も続ける必要がある。それだけはわかるのだ。
敵兵との遭遇戦が終わった後、すぐにハマツへと帰還したクルト達。遭遇した件への報告のためというのもあるが、それ以上にナビィの怪我が心配だった。
「止血はしておいたが、もしかしたら腕が動かなくなるかもしれん」
「そんなに酷いんですか?」
クルト達がいるのは、ハマツの司令官部屋の前にある待機室だった。飾りも無いあっさりした部屋で、用意された椅子に座るクルトとイリス。ナビィを医者に任せた後、状況報告のためにやってきたのである。
「筋を斬られてなければ大丈夫なんだろうが………。結構、血を失っていた風だった」
「さっそく一名脱落って感じでしょうか」
「さてな。あいつもあれで騎士団員だ。片腕だけでも働こうとするかもしれん」
暇な時間を持て余して、話を続けるクルトとイリス。司令官への面会はヘリスラー教師がしており、二人はこの部屋で待つことになっていた。
「……仕事熱心なのは良いですけど、生きてこその話ですよ」
「私に言われてもな。こればっかりは本人次第だ。それに怪我が深手で無ければ、嫌でもまた哨戒任務に付くことになる」
怪我で動けない方が安全だというのは、戦場での皮肉だろうか。いっそのこと、全員で腐った物でも食べて腹痛になれば、支援団は戦争を生き残ることができるのではと考えてしまう。
「……暗い話より明るい話をしましょう。今回、僕らは一定の成果を上げたことになるんでしょうか」
「だろうな。二度森に入って二度敵兵と遭遇した。これはかなり重大なことだろう。フィルゴ帝国兵は、明らかにサンポ大森林へ兵を送っている。それも積極的に」
「意図を考えるとして、主力を森へ侵攻させるという物や、森を抜けた先にあるハマツやスリーアイランド港の状況を探るためなどがありますね」
「もしくはその両方だな。侵攻し易い地形を探し、尚且つ森を抜けた先での諜報行為。後者については、装備が明らかに他国の物とわかるから、観察程度の物だろうがな」
「なるほど。そういう絡め手を使わなきゃならないくらいに追い詰められていると」
戦場が有利であるのならば、森へ兵士を侵入させる必要は無い。森林内部を進むのはかなりの労力であるし、獣と遭遇する危険性も高い。
それでもフィルゴ帝国は森に兵を進ませなければならなかったのだ。戦争の状況は、もしかしたらかなりリブクイン側が有利になっているのかもしれない。これは確かに明るい話題だ。
「だとしても、私達にとっては厄介な状況になっているというのがわからないか?」
「はい?」
「森林哨戒は私達に与えられた任務で、フィルゴ帝国兵は森林を越えて来ようとしている。良かったな。仕事が増えるぞ」
なんてことだろう。明るい話題のはずが、暗い話になってしまった。
「………厄介このうえありませんねえ」
「まあ、なんとかするしかないさ。それと、ナビィがああなった以上、次の森林哨戒も、私達がすることになるぞ。次に組むペアは誰だったか」
「ナイツのことは知っているでしょう? それと騎士団員側は―――」
「メッズか。ナビィ程おしゃべりじゃあないから助かる。不言実行を絵に描いた様なタイプだから、付き合いには少し困るが」
騎士団員の人材も色々らしい。個性豊かな連中が多いと思うのはクルトの気のせいだろうか。
「それと聞いておきたいんだが、貴様は次も大丈夫なのか?」
「僕ですか? そうですね……少しだけ休めれば有り難いですけど、動けないわけじゃあないですよ」
「そうじゃなくて、お前の魔法で倒れた兵士。当たり所が悪かったみたいで―――」
「ええ。わかってます。これで僕の魔法は二人の人を殺したことになります。これが町でのことなら凶悪犯罪者ですよね………」
クルト達が相手にした敵兵は3人で、3人共がクルト達によって殺されている。うち二人はイリスによって切り捨てられ、残りの1人はクルトの魔法によって、身体の機能が停止していた。
「その割には、どうしてだか平然としている。そう考えているだろう?」
「……なんでわかるんですか?」
敵兵がみな死んだと知った時、ショックが無かったと言えば嘘になるものの、以前の様にその場で動けなくなるということも無く、ハマツに戻る頃にはそのショック自体が無くなっていた。
一体自分はどうなってしまったのか。そんなに薄情な人間だったのだろうか。悩みがあるとすればそんなものしかない。
「任務やら仕事で人を殺す人間の半分くらいは、そういう状態になる。一度目は体の調子を崩す程に狼狽するくせに、次からは耐性ができてしまうんだな。私もそうだった」
イリスは騎士団員として、戦争に参加する前からも、人を殺すという仕事をしてきたと語る。
そして本当の新人だった頃は、夜も寝つけぬ程に精神のバランスを崩していたとも。
「誰だって人を殺すのは嫌だ。法律がどうとか、道徳がどうとかの話じゃあ無いんだな。人間っていうのは、他の人間を無条件で仲間だと思う様にできているんだ。その仲間を殺すっていうのは、普通じゃあ無い。だから心が傷つく」
「でも、それは最初の一度だけってことなんですか?」
自身の状態を考えれば、そういうことになる。
「人間ってのは、それ以上に生き物なんだよ。生き物である以上、生きようとする。一度受けた傷を治した後は、二度と傷つかぬ様にしようとするんだ。心のそれは尚更顕著だ。慣れてしまうんだよ。良いか悪いかは別にしてな」
クルトもそうなっているとイリスは語る。一度目に受けた心理的な衝撃を克服してしまい、人殺しに慣れてしまった。もう二度と、一度目に人を殺した時の感覚が自分を襲うことは無い。
「なんだか……怖いです。自分がもっと別の何かになってしまう様で」
「だが、本当に別の何かになるわけじゃあない。お前はどこまでいってもお前だ。だから怖いんだけどな。人殺しに慣れた自分なんて、考えたくも無いだろう?
「はい。正直、気分が悪いです。でももっと嫌なのは、この気分の悪ささえ無くなってしまうことですが………」
「それはまだお前の道徳が正常に働いている証拠だ。その感覚だけには慣れるな。違和感を覚え続けるんだ。そうするしかない。こんな戦地で話すことじゃあ無いだろうけど」
「………」
イリスの言葉を受け止める。本当にクルトがクルトのままで居ようとすれば、彼女の言葉を胸に刻む必要があるだろう。
自分は人を殺したのだ。それは異常なことで、ここではその異常なことを繰り返す必要がある。そんな場所だ。
覚悟をしなければならない。参戦してしまった以上、それは最低限に持たなければならない決意であった。
少しの沈黙が続いた後、司令官室の扉が開く音がする。
「クルト、イリス・ウォーカー。二人とも、部屋に入ってくれるか? ホユニ司令官が、二人からも話を聞きたいらしい」
ヘリスラー教師が顔を出し、二人を部屋の中へ招く。二人共それに従い椅子から立ち上がった。




