魔法使いの遭難方(5)
船の甲板を雨が激しく叩く。長くそこにいると、冷たさや濡れた不快感より、どうしてだか痛みを感じてしまう。
そんな場所で、クルトはハマツと海を見ていた。
「さすがにこうなってくると、海に人魚がいるかどうかもわかりませんね」
クルトは海を見渡しながら、ハマツに告げる。できれば、人魚がいるであろう方向を知りたかったのだが、雨と風で荒れる海で、何かを見つけるのは至難の業だ。
「それは仕方あるまい。しかし、これを海へ放り込めば、本当に人魚が魔力櫂を暴走させることはなくなるのかね?」
ハマツは船の縁に結びつけた、一本の木片を見る。木片には魔法陣が描かれていた。これは遊覧船にあった魔力櫂、その動力部分である。事故の資料になるかもしれないと、ハマツが救助船に運び込んでいたものだ。
「もしかしたらですよ、もしかしたら。どうせ救助船の魔力櫂は動かさなければならないんです。人魚による船の暴走を防げる可能性があるのなら、やっておくべきでしょう?」
実を言えば、これでどうにかなる自信がクルトにあるかどうかと聞かれれば、あまり無かったりする。
ただ、やったところで支障はないのだから、別に構わないではないか。
(それに、もしかしたら人魚の情報を新たに得られるかもしれないし)
そんな目論見もあったから、クルトは積極的に行動した。もし、この魔力櫂の破片に人魚がなんらかの反応を示せば、それは貴重な観測結果となる。クルトの研究にも役立てるわけだ。
「なんだかなあ。わざわざこの雨の中、こういう細工をしたのだから、役に立って欲しいと思うのだが」
ハマツは自分の服を見ながら話す。既に全身、濡れていないところがまったくなく、まるで水の中にいる様な気さえする雨の中。ハマツとクルトは、ずっと船の縁にこの魔力櫂の破片を結びつける作業をしていた。
「それはもう祈るしかないですね。船が無事であることを神様にでも。この細工に仕込んである魔法陣についてはちゃんと動くんですよね?」
遊覧船の魔力櫂は事故によって壊れていた。魔法陣の部分は無事だったのだが、今回は本来の使い方とは違う方法で魔法陣を発動させるため、ちゃんと動作するのかどうか不安である。
「別に複雑な魔法陣ではないからな。これに魔力を込めれば、縁へ結びつけた紐が切れて、そのまま海へ突撃だ」
魔力櫂の魔法陣は、物に推進力を与えるだけのものなので、魔法陣だけを動かせば、陣を刻まれた木片が、推進力を持って飛び出すのである。それは船を動かすだけあって、結んだ紐を切るくらいの力はあるそうだ。
「なら、あとはタイミングだけですね。まずこの木片を海へ発射。そのすぐ後に船の魔力櫂を起動して、船はこの海域を脱出するって手筈で。ハマツさんは、あの船内への入口付近で立ってくださいね」
救助船の魔力櫂は船底近くにあるため、木材を発射したかどうかをそこからでは確認できない。
なのでハマツには、クルトが木材へ魔力を放出する瞬間を見たすぐ後に、甲板から船底へと向かって貰うことになる。
「なあ、本当に私が魔力櫂まで走らなきゃ駄目かね? こう見えても、私は体力に自信がなくてだね?」
いまさらハマツがそんなことを聞いて来る。
「僕じゃあ魔力櫂を動かした経験が無いから駄目なんですよ。それとも、やっぱりやめますか? どうせ、僕の仮説に基づいた実験みたいなもんなんですから」
「い、いや。魔力櫂が暴走してしまうことは、なんとか避けなければならない。そ、そうだ。そのはずなんだが……」
そんなに走るのが嫌か。それでも海の男なのか。いや、魔法使いなのだろうが……。
「じゃあ、始めますよー。早くしないと、船長から叱られることになりますかね」
「わ、わかったから、ちょっと待ってくれ」
杖を船の縁にある魔法陣を刻んだ木材へ向ける。クルトが構えると、ハマツは急いで船内へ降りる階段まで向かった。
「よし、配置についてくれた。それでは、いきまーす!」
ハマツに聞こえる様、声を張り上げると共に、魔法陣へ魔力を込める。木片へ刻まれた線は、クルトの魔力を反応して、外側から魔力光を放ち始め、徐々に光はすべてが交差している中心部分へ。
バチバチという音が聞こえる。木片を縛っている紐が千切れ飛んで行く音だ。まるで張りつめたゴムの様に伸びたそれは、ゴム程に弾力性がないので、すぐにすべてが切れた。
木片の推進力を押しとどめる物は無くなり、一気に船の縁から加速して、海の彼方へ。
「ハマツさん!」
木片が予想通りに飛んだことを確認したクルトは、ハマツがいた方向へ振り向く。しかし、もう既にそこにハマツはいなかった。さっそく魔力櫂へと向かったのだろう。
「………よし、これで、僕ができることはお終いかな」
大声を出したことがいまさら恥ずかしくなり、そんなことを呟くクルト。頭を掻くものの、激しい雨によってびしょ濡れの頭では不快感が増すだけだ。
「それにしても、良く飛んだなあ。投石器なんて目じゃないくらいだ。新しい兵器案になるかもっと、あれは……もしかして?」
木片が飛び出した方向に、何かを見た。小さな影だ。雨のせいで良く見えないのだが、その輪郭は、上半身が人、下半身が魚に見えた。
「はは、もしかしたら、成功かもね。この実験」
やはりはっきりとは断言できないが、クルトはこの船は助かるだろうという確信が持てたのだった。
一方、ハマツは船内部を走っていた。
「はあ、はあ。どうして私が、こんな肉体労働を………」
息を切らしているが、まだ走り始めたばかりである。別に大きな土地の道を走っているわけでもないため、それ程長い距離ではないのだが、船員としてはあまり体力仕事をしてこなかったハマツにとって、かなり辛い労働であった。
「そもそも、魔力櫂を動かす準備は既にできているんだ。魔力を込めるだけなら、あの少年だってできるだろうに」
心臓がバクバクと高鳴るのを感じるものの、愚痴を止めないハマツ。船底に到着する前に倒れるのではないかとも思えたが、なんとか無事到着する。
「おおーい。どいてくれ! さっそく魔力櫂を動かす!」
魔力櫂の周りには、船員が集まっていた。場所の関係から、魔力櫂のある場所から、船がどう動くのかを見ることはできないため、事前に動かす方向を決めておかなければならない。魔力櫂を動かす場合、複数の船員が方角調整のために必要なのだ。
「ハマツさん。進行方向はこのままでお願いします。嵐が来る方角とは反対方向だというお墨付きを、船長からいただいていますので」
船員がハマツへ状況を説明する。魔力櫂によって船が進む方向は、魔力櫂を構成する部品を動かすことで決定する。部品を動かせば、魔法陣の方向が変わり、船へ伝わる推進力の向きも変更されるというのが、魔力櫂の構造だった。
「後は、私の魔力でもって作動させるだけ……か」
少々不安だった。別に動かすという行為そのものが心配なのではなく、やはり動かした後、暴走しないかを憂慮する。
「ええい。ままよ!」
悩んだところで、魔力櫂を動かすという船長の意思は変えられぬのだ。すべての責任は船長にあると心の中で責任転嫁しつつ、ハマツは魔力放出を行う。
きっと、甲板でも似た輝きを発したのだろうと思える、魔法陣の輝きが船底を照らし、魔法陣の推進力は船全体へと伝わる。
部品と部品とが軋み、音が鳴る。外はどうなっているだろうか。船は順調に動き始めたのか。ハマツは魔力櫂を見つめる。
「暴走は……していない様だが……」
魔法陣へと魔力を放ち続けるハマツ。前回、暴走した時は、ハマツが魔力を送っていないというのに、魔法陣が作動し続けた。
「このまま、無事に済めば良いのだが」
ハマツは魔力櫂を見る。見る限り、魔力櫂の調子は順調そのものだった。
船が動き出したのを、船長カストナは肌で感じていた。これからは忙しくなる。魔力櫂によって船を動かす場合は、船員同士のこまめな情報伝達が必要不可欠だからだ。
「こればっかりは、船長が取りまとめなければ、混乱してしまうからなあ」
普段は暇だが、有事となれば忙しい。責任のある良い仕事だと何も知らない人間なら言うだろう。しかし自分の手のひらに知人や他人、それら複数人の命が乗っているという気分は、良いものとはとてもではないが言えない。
「ただ、案外俺の能力とは関係無く周りが上手くやってくれるから、こんな立場でいられるんだろうさ」
船はカストナが指示した通りに動き出した。魔法使い達が心配していた様な暴走も起きない。
「これは、だれかが上手くやったからだろうか。それとも、単なる杞憂だったのか」
どちらにせよ、どうにか嵐から逃げることはできそうだ。そうなれば、船長である自分が、船員を責める理由は無くなる。
「あのハマツとかいう遊覧船の船員。きっと責任を追及されるんだろうな」
ならばせめて、ある程度は庇ってやろうと考えるカストナ。海の男としては、厳しく的確で、ある時は情の無い鬼とまで言われるカストナだが、丘の上では、ただの甘いおじさんだった。
「ほらみろ、やはりあの魔力櫂という装置。良いものじゃないか」
カストナにしかわからぬ小さな変化だったが、嵐の勢いが少し弱くなった。
船は進むだろう。嵐を抜け、アシュルの港まで。
「無事にアシュル港まで帰った後も、そりゃあ大変でしたね。事故の規模が規模ですから、港も凄い人で、僕なんか船の操舵にも関わったことになりますから、海軍の取り調べまで受けましたよ。調書を書く程度で終わりましたが」
クルトは師であるオーゼの研究室にて、その部屋の主と話していた。
遊覧船での一件から数日後、事故の後始末や調査などで慌ただしい日々を過ごしたクルトだったが、漸くひとここちつける状況になったので、今度は自分の教師に、何があったのかを事後報告することになったのだ。
「そりゃあ大変じゃったのう。しかしまあ、よくよく厄介事に巻き込まれる性質じゃな、きみも」
関心半分、呆れ半分といった様子で、オーゼはクルトの話の感想を述べる。
「それは言わないでくださいよ……。自分でも、変な運命の元に生まれて来たんじゃないかって、疑わしくなってきたんですから」
遊覧船に乗ったら事故にあったなどと、どんな偶然だ。安全な航海の予定が、酷いことになってしまった。
神様とやらがいるのなら、直談判したい気分である。
「それで、結局どうだったんじゃ」
「何がですか?」
「わかっとるじゃろう、ゴースト研究じゃよ、ゴースト研究。精霊か人魚かは知らぬが、何かしらがわかったから、海に魔力櫂の残骸をぶち込むなんてことをしおったんだろうに」
船の上での経緯をオーゼ師に話していたが、島で見つけた人魚について詳しく話たわけではない。
隠すつもりはないのだが、観測回数自体がそう多く無く、予想や仮説だらけの話なので、研究者として話すのが気恥ずかしい。
「別に、何かわかったとかじゃないんですけど………。えっと、人魚が船を暴走させたのは、むしろ僕らを助けるためだったんじゃないかって………そう思うんです」
口ごもりながら、自信無さげにクルトは話す。だが、そうでなければ人魚が救助船まで着いてきた理由が説明できない。敵意や恐怖心があるのなら、わざわざ島を離れて船を追跡するだろうか?
「だが、助けるという行為と、魔力櫂を暴走させるという行動が結びつかん。そこが問題ではないかね?」
当然の疑問をオーゼ師は投げ掛けてくる。
「そうなんですよね。でも、相手は普通の生き物じゃなくて、ゴーストを本体とする生物なんですよ。僕らが考える危険や安全と言った概念とは違う思考方法をする」
鉱山亀や、何時か見た人間型のゴーストもそうだった。こちらの常識には囚われず、不可思議な行動を起こす。しかし、それもすべては生物として当然のことをしているだけなのだ。
「ゴースト生物にとって、一番危険な状態っていうのは、どういうものかわかりますか?」
「ふむ。そういう知識に関しては、もう既に君の方が上だと思うから、わしがいうのもどうかと思うが、自分の精神をさらけ出すことではないかね? 例のゴーストも、肉体を持たなかったから、常に他人の体を狙っていた」
「そう、その通りです。精神を拠り所としている生物だからこそ、精神を外界へさらすことを避けようとするんですね。それも必死に。さて、そういう性質を持った生物が、さらに他人への仲間意識を持ったら、どんな考え方をするでしょう」
人魚は海で溺れていたクルトを助けた可能性がある。となると、他者に対して仲間かどうかを判断する知能はあるのだ。
「仲間の危険を、どうにかして助けようとするじゃろうなあ。うん? そうなると、なんじゃ、ワシらみたいな魔法使いが、魔力放出をしている場面に出くわせば、助けようとするかもしれんな」
「そうですね。ゴースト生物にとって、使えば精神が疲労する魔法は危険な行為ですし、生身の精神にとって、魔力は毒になる可能性もある」
クルトやオーゼは一度だけだが、ゴーストを単なる魔力放出で撃退したことがある。ゴースト生物にとって、魔力とは危険な存在なのである。
「船を暴走させたのも、魔力櫂を動かすという行為が、人魚にとって危険な行動に見えたからだと思うんです」
魔力櫂を動かすハマツは、魔法使いとしては未熟な部類の人間だった。魔力櫂に魔力を送る時、かなり無駄な魔力を放出していた。
ゴースト生物の人魚にとっては、とても危険な行動を起こしながら、何かしらの魔法を発動させようとしている。そう見えただろう。
「成る程、だから助けようとしたのか。魔法が未熟な相手に向かって、もっと安定した魔力放出はこうだと、見本を見せる様に魔力櫂へ魔力を送る。結果………」
過剰な魔力を投入された魔力櫂は暴走し、島へ突進することになった。不幸だったのが、人魚が人間と比べ物にならない程の魔力放出量を持っていたことだろう。容易く、魔力櫂が想定する限界値を超えてしまったのだから。
「こっちにとっては迷惑な話なんですけどね。向こうにとっては、知識のない子どもに、技術を教える親の気持ちだったんじゃないでしょうか」
だからクルトは、海に魔力櫂の残骸を魔力を使ってぶち込んだのだ。そうすれば、人魚は救助船と魔力櫂の残骸と、発動する魔法のどちらか二つを手伝うか、選ぶことになる。
つまり救助船の魔力櫂が暴走する確率を、2分の1に減らせるのだ。
「ふうん。まだ実証はされていないとは言え、良くそんな考えが思いついたのう」
「洞窟で人魚を観察した時、水を掛けられたんですよね。遊びか何かかと思ったんですが、人魚にとって水は肉体を構成する物なんですから、アレってもしかして、陸上なんて不安定な場所にいる僕に、肉体を作らせるために水を掛けたんじゃないかと思いまして」
こちらに敵意はなく、むしろ善意からの行動だが、それでも迷惑な行為になるという状況から、魔力櫂の暴走回避案を思い付いたわけである。
「魔力櫂の破片を海へ撃ちこんだ後、海に人魚の影が見えた様な気がしましたから、大丈夫なんじゃないかなって。実際、救助船は無事に港に到着したわけで」
「おぬしの予想が、当たったということになるのかのう」
あごに手を置き、自分の生徒の研究が面白い方向に進んでいると、感心する目線をオーゼは向けてくる。
「それはまだ断言できません。本当に、少しの間しか観察できませんでしたので……。ただ、ゴースト生物っていうのは、案外どこにでもいるのかもしれない。そう思える様になりました。あと………」
「あと?」
「………いえ、可笑しな生物なんだなあと再確認しましたよ。ゴーストが関係する生物というのは」
少し言葉を濁すクルト。話そうとした内容が、突飛な予想でしかなかったからだ。別に、師に伝える程のことでもあるまい。そう考えてクルトは口を閉じた。
ただ、やはり気になってしまう。遊覧船の時も、救助船の時も、あの海域には珍しく嵐になったと船員から聞いた。遊覧船は観光船であり、酷く荒れる海域にはわざわざ出向かない。だというのに、一度雨に遭遇し、救助船では船が沈没するかもしれない程の酷い嵐に遭遇した。
そして、そこには常に人魚の影があったのである。遊覧船では船から落ちたクルトをすぐに助けられるくらいに近く、救助船の時は船員の目撃報告があったのだ。
偶然なのだろうか? もしかして、人魚には天候を操る力がある?
(まさかね。一生物が、そんな大層な力を持ってるなんて………)
突飛な考えだ。しかし人魚は人間を超える魔力を持っている。その魔力を使って魔法を使えば、可能なのではないか?
思いついたは発想をすぐに否定できぬまま、クルトは今回の遭難事件を、心に留めておくのだった。




