魔法使いの帰り方(4)
目の前に居たはずのクルトが、今は狼に襲われている。そんな突発的出来事に反応できずに居るロザリン。クルトは腕を噛まれており、狼によって地面に押し倒されていた。クルトは必死に抵抗しようとしているが、狼はその口蓋を離そうとはしない。
「え、な、何? 何よ」
まだ状況理解できていないロザリンの様子に、彼女の危険を感じたクルトは必死になって叫んだ。
「早く逃げて! 人を呼んでくるんだ!」
腕の食いつく痛みに耐えながらも、聞こえるだろう声量だったと思う。そんな声を聞いて、ロザリンの顔が少し落ち着くのが分かる。
良し、これで彼女だけでも逃げられる。そんなクルトの期待は、すぐに裏切られる事となった。
ロザリンは逃げずに、手に持った剣を鞘から抜いたのだ。
先程までロザリンは確かに混乱していた。それ程人生経験が豊富な訳では無い。まして危険な状況なんて初めてだ。何もできずに居る自分を客観視すらできない。
だが、クルトの一言が彼女の心に火を付けた。
「逃げる? 嫌よ、そんなのは嫌」
いつも通り、彼女の衝動が出てしまった。言われた事や、される事につい反発してしまう。そんな彼女の性格は、こんな時でも顔を出す。
「良く考えて! 素人の剣なんかじゃあ狼を斬るなんて無理だ!」
無謀な事をするロザリンに、クルトが叫ぶ。
良く考えて。確かにその通りだ。この行動に何の意味があるのだろう。いつも衝動で動いていた彼女は、いつも悪い結果だけが残った。いつまでも子供の自分は、こう言う危機的状況で上手く行動できるはずが無かった。
(逃げるべきなのかしら)
考えればそれが賢明なのは分かる。そうだ、彼女の人生で、唯一上手く行っていた時があった。子供から、必死に大人になろうとして、貴族の娘を演じていた。あの商人の家で。
そうしなくても良いと言われなければ、きっとその演技は本物になっていたはずだ。それが彼女にとって、大人への第一歩だったのだから。
そう、良く考えなければならない。ここで無意味に剣を振るって、自分が犠牲になるか、逃げて人を呼ぶか。
考えてみれば当たり前の結論に達した。どちらも駄目だ。どちらも人への被害が出てしまう。姓は名乗れないが、ロザリンもこの土地を治める領主一家の一員だ。土地の者に被害が出る事を許容できない。
何故なら、誰もが被害を出さずに済む方法が一つだけあるのだから。
「クルト!」
狼に噛まれる少年に向かって叫ぶ。
「狼が口を離したなら、私にした事と同じ事を狼にしなさい!」
そう言って、ロザリンは走り、狼に向かって剣を振るった。
当然、人間の反射神経より狼のそれの方が優れている。剣を振り下ろす直前、狼がこちらを見据え、睨み付けてくる。
「ひっ」
その目線だけでロザリンは剣を止めてしまった。当たり前だ、剣術の心得も無い女が、獣への恐怖を拭えるはずが無い。
ただ、いくら怯えようとも、ロザリンにとってはどうでも良い話だ。何故なら、彼女は自分の義務を既に果たしていたから。
狼はロザリンを睨み付けるため、クルトの腕から口を離していた。まだ踏みつけている状態だから、自分の優位を疑わなかったのだろう。だが、それは油断以外の何物でも無い。何故なら、狼が踏みつける者は、ただの人間では無く、魔法使いなのだから。
ロザリンの一言で、クルトの精神は少し落ち着く。私にした事と同じ事を狼にしろと言う言葉は、クルトの心にほんの少しだけ余裕を作った。
さらにロザリンの無謀な特攻のおかげで、狼の牙から逃れられたため、痛みも少しは引く。
これならば、魔法を使える。精神に余裕が出来たからだ。口を離したとは言え、狼の頭は片腕のすぐ近くにあった。だから手を伸ばす。手の先が少しだけ狼に触れる瞬間、一気に魔力を放出する
「この!」
光が走る。手加減をする余裕が無い全力の一撃。ロザリンに使った雷の魔法より、もっと出力の大きな雷光が狼の頭を襲った。
ギャン!
どこかで聞いた様な断末魔を上げて、狼は脱力してクルトの体から転げ落ちた。頭を中心にして、焦げ付いた様な煙を出す狼は、そのまま立ち上がってくる事は無い。
「だ、大丈夫?」
ロザリンが心配そうにこちらを見てくる。
「頭への雷だからね。多分、生き返らない限り、起きてくる事は無いんじゃないかな?」
狼を見るが、白目を剥いて口からは泡を吹いている。
「そうじゃなくて、あなたの腕よ」
「腕? ああ、そうか。季節が秋で良かったよ。厚着をしてたからかな、そんなに深くは―――」
クルトの腕からは、血がダラダラと流れている。どう見ても深い傷である。
「あはは、ごめん、今度こそ、走って人を呼んできてくれるかな。できればお医者さんが良い」
「……そうね、ちょっとそこで待ってて」
ロザリンは素直に従って、屋敷へ向かっていった。ここは屋敷の近くだ。すぐに人がやってくるだろう。
「ほんと、早く帰って来てよ……」
血が流れる腕を直視できぬクルトは、空を見上げながらそう嘆いた。
結局クルトは腕を何針が縫う事となった。ちゃんと消毒はしたので感染症の心配は無いそうだが。
「食い千切られなかっただけ幸運だろうね。狼を退治する事ができたし、万事上手く行って良かった」
「良くないわ! まったくこの子ったら無茶をして」
自分の部屋のベッドで寝転がるクルトを、横で椅子に座るケレナが叱る。両親も獣に殺されたのだ、その気持ちをクルトは十分に分かっている。
「それにロザリンさんも! これまで大目に見て来たけれど、もう我慢できないわ!」
カーナ家で唯一ロザリンに同情的だったケレナだが、弟の命が失われる可能性があった事を知って、態度を極端に変えていた。
「ごめんなさい。謝っても謝りきれないわね……」
肝心のロザリンは、クルトの部屋に居た。部屋で一応、姉の看病を受けていた所に、ロザリンが突然やってきた。姉が怒るのはそれが理由だ。
「ごめんなさいって、そんな事を言われても……」
言葉が続かないケレナ。肝心の性根が人を恨む事に向いていないのだ。怒りも長続きしない。
「姉さん。もう良いよ。僕はこの通り無事だし、ロザリンさんもこれからは心を入れ替えると思うよ。ねえ?」
クルトはロザリンを見る。なんとなくクルトには分かった。彼女は恐らく、昨夜の一件で漸く自分自身の心情を理解したのだと。
「ケレナさん。あなたにも謝っておきたいの。いきなり実家に帰って来て、またすぐに出て行く小姑なんて、許す気も起きないでしょうけど……」
「ど、どう言う事なの?」
状況を理解出来ぬ姉は、クルトの方を向く。状況を説明しろと言う事だろう。
「要するにさ、これまでの無茶は、大人になるための一歩を阻止された。それへの反発ってこと。せっかく、これから大人しい女性になろうとしていたのに、別にしなくても良いなんて言われたら、そりゃあ反発するよ。本人自身がその事に気付いてなかったみたいだけど」
「そうね。でも漸く気付いたわ。私は、夫に嫌がらせをしていたのね。きっと」
「ええっと?」
まだ分からない様子の姉に、これまでの経緯を説明する。ロザリンが、商人家に嫁いだ当初は大人しくしていた事。大人しくしなくても良いと夫に言われた事。せっかく成長しようとしたのに、それを否定されて反感を覚えた事。その反感を、昨夜まで反感だと気付いて居なかった事。
「ふうん。そうね。確かにそんな事を言われれば、ちょっと反発しちゃうわよねえ」
ロザリンへの怒りが収まったのか、むしろ共感する様な姿勢を見せ始めたケレナ。当初からロザリンの事を気にしていた姉なのだから、こちらの方がむしろ普通の態度なのだろう。
「でも、出て行くって?」
「夫の所へ戻ろうと思うの。私が出ていった事で、向こうには随分と恥をかかせたと思うし……。とりあえず、その事を謝らないとね。その後は、どうしようかしら。もう追い出された身だし」
今後の身の振り方を考える必要があると嘆くロザリン。
「そう言う殊勝な態度を見せるのなら、商人家だって無下にはせんだろうさ」
「お父様?」
クルトの部屋の扉を開いて、領主のユルゲンが顔を出した。どうやら扉の外で話を聞いていたらしく、そのままノックもせずに部屋へ入ってくる。
「ユルゲンさん。どうしてここに?」
疑問に思うのはクルトだ。この家の当主が、何故わざわざ居候の部屋に?
「村を襲う狼を退治してくれた息子に、顔見せするのは親の務めだろう」
「息子!?」
いつからクルトはユルゲンの子供になったのだろうか。
「お前が正式に魔法使いになったら養子にするつもりだったんだがな。魔法で村を救われたのなら、それを待つまでもあるまい」
どうやら、結構裏での動きが有る家族縁組らしい。まあ、それくらいの方がこっちも気にしなくて済む。どうせ、今までと立場は違わないのだから。
「一応、カーナの姓を名乗るかどうかを聞いておきたいのだが」
「止めておきましょうよ。家族になるってだけでも色々大変なのに、領主一族の姓まで名乗ってられませんって」
本来なら養子になった時点で名乗る物だが、魔法大学生として街に出ている身だ。“領主”一族とは到底名乗れまい。
「まあ、お前ならそう言うだろうな。別に構わんよ。それでロザリン。商人家の件だが、実は向こうから、戻って来て欲しいとの連絡はとっくに来て居てな」
事も無げにそんな風に話すユルゲン。何故、そんな物を今まで隠していたのか。
「それを知らせなかったのは、私の態度が悪かったから?」
ロザリンは、ユルゲンの行動に驚きもせずそう話す。本人もそう言った物が来ているだろうと、薄々感づいていたのかもしれない。
「そうだな。向こうに落ち度は無いんだ。荒れる娘をそのまま返したとあっては、我が家の沽券に係わる」
確かに、盗賊ごっこに励む娘をそのまま返すのはどうだろうか。
「だが、今の気持ちを忘れん限りは大丈夫だろうさ。これは私も反省せねばならんな。娘の気持ちを一切考えようとせんかったから」
何故娘がグレてしまったのか。その事を理解できなかった親の気持ちなのだろう。
「でもお父様。私、随分と夫に酷い事をしたと思うの。今更、元の関係になんて戻れるかしら」
「戻らんでも、お前が成長するのなら、それで新しい関係が築けるさ。それにな」
恥ずかし気に頬を掻きながら、ユルゲンが言葉を続ける。
「お前がどんな立場になろうとも、私の娘である事は何時までも変わらん。周りがどう思おうと、何時だってこの家に帰って来て良いんだ」
本当に恥ずかしい台詞だったが。間違い無く親としての言葉だった。
「ふふ。ありがとうお父様」
恥ずかしがる父親を気遣って、素直に礼を言うロザリン。結構色々と複雑な家族だが、親子ってのはどこでもこう言う物だろう。
ロザリンがカーナ家を去り、村を襲う獣の一件が収まってからさらに数日。そろそろ大学へ戻らなければならない時期が来たクルトは、屋敷で家族と別れを告げて、大学への道を進んでいた。
「まったく、骨休めも混じった帰郷だったのに、色々大変だったなあ」
まして右腕に治ったとは言え、狼の歯型を付けるなんて、どう考えても休みとは言わない。大学に帰って師や友人に聞かれたら、どう答えようか。
「家に帰ったら、家族騒動に巻き込まれて、最終的に狼に噛まれましたって。本当の事なのに支離滅裂だぞ。どうしよう」
上手い説明方法を考えて置く必要がある。話を複雑にするくらいなら、いっそ嘘も辞さない構えである。例えば森に潜む凶悪な人狼に挑んだ時に付いた、名誉の傷であるとか。
「あはは、良いなあそれ。帰ったら自慢してみるかあ」
半分は冗談だが、半分は本気である。まだ少しズキズキと痛むこの傷の代価は、それくらいしなければと考えるクルト。
「それにしても、なんだか忘れてる気がするんだよなあ」
先程からの独り言は、それを思い出すために呟いていた。いったい何を忘れているのか。荷物だって、屋敷を出る時に確認したはずだ。
愛用の杖、一応の旅道具。大学への土産に、村の名産品。自習のために図書館で借りた本。
「あ、そうだ! 村に居る間、自習するのを忘れてた!」
魔法の研究は一日一日、努力を続ける事。それを、村に居る間はずっとしていなかった。
「どうしよ、同期にまた差を付けられるかも……」
教師の事情があってか、クルトの魔法勉強は遅れがちである。本人には学習意欲があるので、自己努力でカバーしていたが、それもこの数日して居なかった事になる。
「ちくしょー! これも村であった事件のせいだ! どうしてこうも僕は厄介事に巻き込まれるんだ!?」
太陽に向かって叫ぶも、答えてくる物は何もない。憤懣やるかたないクルトだったが、ぶつける相手も居ないので、地団太を踏むしかなかった。
魔法使いが帰郷すると言っても、そんなもんである。




