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254人目

作者: 黒江秋水
掲載日:2026/09/11

これは、確率では説明できない“増えた存在”を追う物語だ。

その年の夏、田中みずきは統計学の課題に追われていた。


テーマは「誕生日のパラドックス」。


二十三人集まれば、その中の誰か二人の誕生日が一致する確率は五〇%を超える。


直感に反して跳ね上がるその数字が、みずきは好きだった。

偶然のように見えるものを、数式にすれば説明できる。

その感じが、魔法みたいだった。


レポートを書きながら、ふと自分のクラスを思い浮かべる。


三十二人。


二十三人を超えている。計算すれば、誰か二人の誕生日が一致する確率は約七五%。


四回に三回は、誰かと誰かの誕生日が重なる。


なんとなく、確かめてみたくなった。


時計を見ると、深夜の二時を回っている。


眠気覚ましのつもりで、みずきはクラスメートのSNSを調べ始めた。


最初の一致はすぐに見つかった。


佐々木と中村。どちらも四月十四日。


次に、木村と自分が同じ十一月三日生まれだと気づいた。


そこまでは、パズルのピースが綺麗にはまっていくような快感すらあった。


問題は、十七人目だった。


スクロールする指が、ぴたりと止まる。


橘さくら。


二か月前に転校してきた女子生徒。


プロフィールに表示された誕生日は、十一月三日。


みずきと、木村と、橘さくら。


三人が同じ誕生日になること自体は、あり得る。


それなのに、胸の奥に小さな違和感が残った。


毎日、教室で見かけているはずだった。


なのに、橘さくらの顔が思い出せない。


席はどこだっただろう。


どんな声だっただろう。


笑っていたことはある。


たぶん。


記憶を掴もうとすると、輪郭だけが霧の向こうへ逃げていく。


もう一度、プロフィールを見る。


「友達」の欄には、自分の名前だけがあった。


田中みずき。


いつ、友達になった?


自分のアカウントを開く。


友達リストに「橘さくら」はいない。


リロードする。


いない。


もう一度。


やはり、いない。


向こうのリストには自分がいる。


こちらのリストには、彼女がいない。


一方向だけに開いた関係だった。


みずきはスマホを伏せた。


やめようと思った。


けれど、数秒もしないうちに、また手に取った。


偶然なのか。


自分の記憶がおかしいだけなのか。


数字にすれば分かる。


そう思った。


午前三時を過ぎた頃、みずきは二十三人目のプロフィールを開いた。


藤原だった。


タイムラインの隅に、見覚えのない集合写真が一件だけ投稿されている。


教室で撮られた写真だった。


窓から差し込む西日。


黒板。


机。


笑っているクラスメートたち。


撮った記憶はない。


それでも、みずきは自分を見つけた。


最後列の端。


少し俯いて立っている。


そのすぐ隣に、女子生徒がいた。


橘さくら。


そう思った。


顔を見た瞬間、息が止まった。


目がないわけではない。


そこだけが、写真の中で不自然に潰れていた。


光も影もない。


輪郭すらない。


ただ、黒い部分だけが、妙に鮮明だった。


みずきは写真を拡大した。


黒い部分が、画面のこちら側を向いている。


その瞬間だった。


俯いていた橘の顔が、ほんの少し持ち上がった。


写真の中の誰も動いていない。


橘だけが、ゆっくりとこちらを向いた。


「あ……」


声が漏れた。


指が震える。


もう一度開こうとした瞬間、写真が消えた。


投稿そのものが消えている。


画面には、


「読み込みに失敗しました」


とだけ表示されていた。


最初から、何もなかったように。


翌朝。


学校に着いたみずきは、教室を見渡した。


橘さくらはいなかった。


担任に近づく。


「先生、橘さんは今日、欠席ですか」


「橘?」


担任は怪訝そうに眉を寄せた。


「誰だ、それ」


「橘さくらさんです。二か月前に転校してきた……」


そこまで言って、みずきは口を閉じた。


担任の顔には、本気で分からないという表情が浮かんでいた。


「このクラスは、新学期からずっと三十一人だぞ」


みずきは振り返った。


教室を見渡す。


一人。


二人。


三人。


数える。


三十一人。


空席は、どこにもない。


昨夜、SNSで確認したクラスメートは三十二人だった。


なのに今は、三十一人しかいない。


消えたのは橘さくらではない。


そう思った瞬間、背中が冷たくなった。


最初から、三十一人だったのだ。


では。


昨夜、自分が見た三十二人目は、誰だったのか。


その日の放課後。


無人の教室で、みずきはもう一度スマホを開いた。


「橘さくら」


検索結果はゼロだった。


写真もない。


アカウントもない。


名前さえ残っていない。


ネットの海から、彼女の存在だけが綺麗に消えていた。


ただ一つ。


「友達申請の履歴」だけが残っていた。


そこには、


『橘さくらさんがあなたに友達申請を送りました』


その下に日付がある。


十一月三日。


みずきの誕生日。


去年の。


指が止まった。


さらに、その下。


『承認しました』


そんな操作をした記憶はない。


みずきは机の上のノートを見た。


統計学のレポート。


余白に、自分で書いた数字がある。


「253」


二十三人から二人を選ぶ組み合わせの数。


二十三人。


誕生日のパラドックスが五〇%を超える人数。


みずきは、その数字を丸で囲んでいた。


そのすぐ下に、見覚えのない筆跡で数字が書き足されている。


「254」


みずきは息を呑んだ。


足りないのではない。


増えている。


二百五十三の組み合わせの中に、二百五十四番目がある。


そんなはずはない。


窓の外から風が吹いた。


夕暮れの校庭に目を向ける。


グラウンドの隅。


最後列の端に立つような、細い影があった。


少し俯いている。


距離がある。


顔など見えるはずがない。


なのに、分かった。


あの黒い部分が、こちらを向いている。


ポケットの中で、スマホが静かに震えた。


通知が一件。


『橘さくらさんが友達申請を送りました』


その下に、もう一行。


『共通の友達 三十一人』


みずきは画面を見つめたまま、動かなかった。


承認ボタンは表示されていない。


表示されていないのではない。


もう、押されていた。

読んでくれて、ありがとう。

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