06 : くおん。2
手加減しておられるわけではないのですよ、と都記は言った。だからといって、本気でもないと言う。
小日向は紫武がひとりで出かけたあと、自室に来てくれた都記にオリアレム来訪時のことを訊き、気になったことを問うていた。
「本当のところ、紫武さまの魔法やわたしの魔法は、オリアレムさまには有効ではないのです」
「え、そうなの?」
「ええ。国主であらせられますゆえ、有効なものが少ないのですよ」
国王陛下、という地位が、魔法を無効化させるのだと、都記は言う。
「そういえば昔、本で読んだ気が……久遠の王と古き魔法師の誓約、だったかな」
「はい。かつて、久遠の王は古き魔法師と、絶対不可侵の誓約をなさいました。久遠の王は古き魔法師の領分には手を出さず、古き魔法師は久遠の王の領分には手を出さないと。それが絶対不可侵の誓約であり、今も生きている誓約です」
「魔法師は国主の命令には従うけど、従わないこともある。逆に国主は、魔法師に命令することはできても、それに従わない場合はそれを諾としなければならない。だよね?」
「簡単に言えば、国主と魔法師はほぼ同格の存在です。国主と魔法師の間に身分などありません」
改めてそれらを確認すると、魔法師は最強だなあと思わなくもない。
「ですから、国主であるがゆえに、魔法師の力は無効化されてしまうことが多いのです」
「魔法が王には効かないってことか」
「場合にもよりますがね。国主は魔法師を殺すことができません。魔法師も国主を殺すことができません。そういう絶対不可侵です」
「んー……ややこしいな」
「簡単に考えてください。オリアレムさまの逃げ足は速いわけではなく、そういった誓約に護られているだけですし、紫武さまは手加減しておられるのではなく、そういった誓約に縛られているだけなのです」
「……なんか、面倒な兄弟喧嘩だね」
果てがないではないか、と顔を渋めると、都記は苦笑した。
「ねえ、訊きたかったことがあるんだけど……どうして紫武はお兄さんとあんなことに? 都記さんもそうだけど」
「それは……」
曖昧なことは言わない都記にしては珍しく、言葉を濁した。口にするのがよほど阻まれることのようだ。
「紫武さまにお訊きになられたほうがよいでしょう。わたしからは、なんとも申せません」
「訊いても流されるよ」
「そうですね」
曖昧なことは言わないが、都記も流すことはする。今もそうだ。さらりと流すとは、少々腹立だしくもある。
しかし、この男は紫武が世界の中心だ。紫武を中心にものを考えるから、紫武のことを訊くために相手にするのは厄介である。
「ねえ、都記さん」
「はい」
「紫武って、王弟殿下?」
「そうですね」
「魔法師?」
「ええ」
「王弟殿下で、魔法師なのに、なんでここにいるの? 王城にいるものじゃないの?」
「紫武さまは王城がお嫌いですので」
「なんで」
「腹の腐れたジジイどもの巣窟だから、とおっしゃいましたね」
あながち嘘でもなさそうな返答に、やはり都記は難攻不落の鉄壁だと思う。
「偉い人に囲まれるのも疲れるだろうし、紫武のあの正確じゃあ王城になんかいられないか」
「小日向さまがここにおられることもございません」
「それもそうだ。紫武が王城にいなかったから、わたしは拾ってもらえたわけだしね」
くす、と笑うと、都記もふつうの笑みを浮かべた。
「ほかになにか訊きたいことはございますか?」
「今のところはないかな……仕方ないから、紫武に地道に訊くことにする」
「それが一番です。では、わたしは失礼しますね」
「面倒なこと訊いてごめんなさい」
「いえ、かまいませんよ」
そう言って部屋を出て行こうとした都記に、小日向は「あ」と思い出して呼び止める。
「紫武はどこに行ったの?」
小日向のその問いに、なぜか都記はにっこりと今までになく優しく微笑んだ。いや、不気味なほど綺麗な笑みを浮かべた。
「下準備に出かけられたかと」
「下準備?」
まさか兄を殺すためにか、と思ったが、どうやら違う。
「すぐにわかりますよ」
それだけ言って部屋を出て行った都記の言葉が理解できたのは、それほど時間をかけずして紫武が帰ってきたときのことだ。
「遊びにいくよ!」
帰ってくるなり紫武は大声でそう言って、小日向の部屋に入ってきた。
「……なに言ってんの、紫武?」
「遊びに行くんだよ、こひな」
ほら行くよ、とどやされても、いきなりのことに頭が働かない。
「都記、こひなを連れて来て。荷造りは適当でいいから」
「わかりました」
「僕は最後の微調整をしてくるよ。間違えると変なところに飛ばされちゃうし」
「はい」
という紫武の言葉と都記の行動に呆気に取られているうちに、気づけば玄関の前まで移動していた。
「え、ちょ、なに? どういうこと?」
足許には小日向と都記の荷物、目の前は玄関の扉、扉になにか書いている紫武、その足許にはやはり荷物。
遊びに行くと言っていたが、これは旅行の間違いではないだろうか。
「紫武、どこに行く気?」
扉になにか書いていたが、それを終えたらしい紫武は笑顔で振り向く。
「サリエのとこ」
誰だそれは、と思いつつも、首を傾げているうちに扉が仄かに光り始める。紫武が書いていたものは、どうやら魔法陣のようで、それが光り出していたのだ。
「さあ行こう! サリエがいるところに!」
ぐん、と腕を強く引っぱられる。
「わたし、行くって言ってないんだけど!」
「今言った」
「それすっごい理不尽だよね! ていうかサリエって誰!」
「ほら行くよー」
「ちょっ……っ」
それは一瞬のできごとだ。紫武が玄関の扉を無造作に開けたとき、その魔法は発動する。空間転移の、難しい魔法だと思い至ったのはそのときだった。
「久しぶりー、サぁリエ」
と、紫武がその空間に足を踏み入れたとき、小日向はそこに神々しい姿の青年を見た。