36 : 眠らないきみへ。
小日向の日常はあれからも変わらない。日々、魔法薬学の研究に勤しみ、ガーナムのところへ出向いてはその結果を報告し、必要であれば薬の調合をする。ときおり、慣れた患者との会話も弾ませ、一緒に笑い合い、楽しいひと時を過ごすこともある。
ちなみに、成長期に入ったらしいアクセルは、たった数か月のところで一気に背が伸び、華奢だった身体は男らしく成長した。身体中が痛いと言ってはガーナムに喜ばれ、嬉しそうにどれくらい力がついたかを報告している。知識のほうも、ガーナムに徹底的に仕込まれたおかげで、難しいとされた学院への途中編入が叶った。これにはガーナムばかりでなく、治療院に通う人たちや地域の人々も喜んだ。
「子どもってのは、気づくと大きく育っているもんですねぇ」
アクセルの成長を、ガーナムは優しく朗らかに見守っている。血縁にはないが、彼を育てたのはガーナムなので、産んだことはなくても立派な息子だ。
「あたしはね、子どもが産めない身体なんですよ。内臓がいかれちまって、役に立たなくてね」
「え……そう、だったの?」
「昔、小さい頃にね、ずたずたにされちまったんです。悔しくてねぇ……今でもたまに痛みますよ。でも、そんなとき、アクセルがいてくれると、そんな痛みも忘れっちまう。あたしにとってアクセルは、あたしのだいじな息子だ。あっというまに育って、そりゃあ寂しいが、嬉しくも思います。ああ、あたしの子どもが、こんなに育ってくれたんだってね」
嬉しそうに語るガーナムは、いっぽうでやはり寂しそうではあったが、それを凌駕するほどにアクセルの成長を誰よりも願い、喜んでいた。
「そうかぁ……あんなに小さかったアクセルも、今ではもう立派な青年……僕も歳を取るわけだよ」
アクセルの成長に対し地味に歳を感じていたのは紫武で、そういえば紫武の実年齢をちゃんと聞いていなかったことを小日向は思い出した。
「ねえ、紫武っていくつなの? アクセルが赤ん坊だった頃を知っているなら……けっこうな歳ってことだよね?」
外見は若い、二十代後半くらいの紫武だ。
「それほど若くはない、と言っておこうかな」
「なにそれ。また誤魔化すの?」
「誕生日に都記が口頭で祝ってくれるくらいだったから、数えてないんだよ。というか、数えたこともないかな」
「え……」
小日向でさえ季節の数を数えて年齢を把握しているというのに、紫武はそれすらしたことがないという。なんというか、紫武らしいといえば紫武らしいかもしれない。
「思い出してみると、公は最初に逢った頃から変わりませんな」
「ガーナムさんも変わらないよ」
「さすがにあたしは老いましたよ」
「そうかなぁ」
「羨ましいですな、公の美肌」
「え、僕って美肌?」
「日焼けもしませんでしょう、あんまり」
「焼けないんだよねえ。赤く爛れるだけで痛い」
「あたしは焼け易くて……ほんと、公が羨ましいです」
「こひなも白いよね」
「フィアはそもそも外に出ませんでしょう」
紫武とガーナム、ふたりの視線が一気に小日向に集まる。いつのまに肌の話になったのか、というところであるが、確かに小日向の肌は白いし、紫武も白い。どちらもあまり外に出ないせいだろうが、小日向の場合は暑い時期になっても魔法師の外套を羽織って肌を露出させていないだけである。ガーナムはそれなりに肌が焼けているが、それは医師として動き易い恰好が腕の露出を控えないからだろう。
年齢の話は、けっきょく肌の話で誤魔化された。
「アクセルはここから学院に通う予定?」
「寮に入れと薦めたんですがね、それだとあたしがひとりで大変だろうって」
「ああ、そうだねえ……誰か雇うって手もあるけれど」
「金銭的余裕があればそうしますがね」
「僕が援助してもいいけれど、僕も貴族ではなくなるからなぁ」
「おや、公、では魔法師として?」
「もともと魔法師団には在籍していたからね。本格的にそちらで動くことになるかな」
「では忙しくなりますな」
「うん。だから、こひなをよろしくお願いね」
「それは任せてください。むしろこちらから改めてお願いしますよ。フィアの薬は評判ですからね」
ガーナムから太鼓判をもらえるくらいには、その信用を得られるようになってきた小日向である。王立の魔法師団からも、近頃は勧誘があるくらいだ。ガーナムのところで働いているようなものなので師団には入らないつもりだが、紫武は実は以前から在籍していたらしいので、そちらに専念するという。
「いつもなにしてるか疑問だったんだけど、ちゃんと働いてたんだね、紫武」
「なにそれひどい」
「いつも家にいるんだもん」
「兄上に邪魔されてまともに動けなかったんだよ」
「ああ……お兄さんならやりそうだね」
「これからはもう、そんな邪魔はさせないけどね」
ニッと笑った紫武は、少しずつ、魔法師として活動し始めている。相変わらず嫌そうな顔をするが、その腕は昔から信用されていて、今でもそれは崩れていないらしい。
「で、本題なのですが」
「なに、ガーナムさん」
「おふたりの挙式はいつで? もちろんあたしを呼んでくれますよね?」
目をきらきらさせたガーナムにそう言われたとたん、小日向は笑顔のまま硬直した。紫武のほうは、ガーナムと同じくらい目をきらきらさせている。
「兄上の邪魔があるから挙式は残念ながら。けれど、細やかな式は挙げようと思っていてね。よかった、ガーナムさん来てくれるんだね」
「もちろんですよ。むしろ、細やかなほうでよかった。フィアの着つけはあたしがやっていいですかね」
「都記も張り切っているから、ふたりで話し合ってくれる?」
「相わかりました。ふふ、楽しみですなぁ」
「僕も楽しみぃ」
紫武とガーナム、ふたりしてによによと笑う隣で、小日向はひとり真っ赤に顔を染め上げて俯くしかない。
「おやおや、照れちゃって、可愛いですなぁ」
「うう……」
「おめでとうございます、フィア」
「う……うん、ありがと」
「ばっちり着飾らせますから、楽しみにしといてくださいな」
「わ、わたし、そういう礼装、着たことないんだけど」
「だいじょうぶですよ」
ぽんぽん、と小日向の肩を撫ぜて笑むガーナムは、自分のことのように喜んでくれていて、そうすると照れ臭い気持ちもなんだか心地いい。喜びを分かち合うというのは、こんなにも気持ちいいものらしい。
幸せだな、と思った。
「さて、では聞きたいことも聞けたことですし、あたしは午後診療の準備に入りますよ」
「あれ、もうそんな時間? 長居して悪かったね」
「いえいえ、楽しい時間でした。式のことでお話がしたいと、ルイどのにお伝えくださいね」
気づけば太陽が中天に差しかかる時間になっていて、調合した薬を届けに来たついでだったのもあり、長居してしまった詫びを入れるとすぐ、小日向と紫武はガーナムの診療所を失礼する。時間を気にせずいつでもまた来てくれ、というガーナムに見送られて外に出れば、もはや見慣れた街の賑わいが耳に入ってきた。
「さぁて、僕も仕事しようかなぁ」
「出かけるの?」
「ぐうたらしていられないからね。僕、大黒柱だし」
「そういえば都記さんも師団に在籍してたんだっけ……」
「僕の監視ってことで、それ以外の任務にはついていなかったから、これからは都記も邸を空けるようになるよ」
「そっかぁ……わたしも師団に入ったほうがよかったかな」
「いやいや、国に振り回されるのは僕と都記だけで充分だよ。こひなは、自分がやりたいように、好きなようにしたらいい」
「でも……」
「こひな。僕は、こひなになにかを強要するために、魔法師になるかと聞いたわけではないよ」
ゆっくりと、邸のあるほうへと歩きながら、のんびり紫武は微笑む。
「いいの?」
「いいの。僕も、強要されて師団に戻るわけではないからね」
これからの道に、心配はない。不安になるようなことはない。そう勇気づけるように笑う紫武に、小日向もほっと息をつく。紫武にすべてを任せてしまうわけではないけれども、間違いはないと思うからこその安堵だ。
「こひな」
「うん?」
「幸せになるよ」
「……うん」
「ふふ。今夜はよく眠れそうだなぁ」
足を弾ませるように歩く紫武は、本当に、幸せそうだった。だから小日向も、とても、とても幸福な気持ちに包まれた。
これにて「眠らないきみへ。」は終幕となります。
長らくおつき合いくださり、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。