34 : 金の瞳。追記。
*前話の、オリアレムの話になる直前までの、紫武と小日向とロレンスの話になっています。
視点は小日向です。
一緒に行くと言い張ったから、小日向は王城のなかにも入ることができた。紫武への視線はひどかったが、そのどれも好奇の混じったものではなく、どちらかというと畏怖の念が込められていたように思う。
王城の中枢、多くの文官武官が見られる内部にまで進むと、前方から目つきの鋭い文官が歩いてきた。紫武を見つけて軽く頭を下げ、その場に立ち止まる。
「お久しぶりにございます」
「相変わらず慇懃無礼……怖いね、ロレンス」
「あなたは王弟殿下であらせられます。対してわたくしは一介の文官、なにを恐れましょうや」
「その態度だよ、宰相閣下」
驚いたことに、立ち止まった文官は宰相ロレンス・ディレッツであったらしい。
「実に恐ろしきはルー・ティエナ公、あなたさまですよ。この結界……あなたの精神感応魔法が付加されておりますね」
「ああ、さすがにロレンスは気づいたかい」
「漸く重い腰を上げてくださいましたか」
「重い……そうかな」
「ええ。わたくしとしては、もっとお早く、実行していただきたかったことです」
漸く顔を上げた宰相ロレンスは、不満そうな顔をしつつ周りを見渡す。静か過ぎるくらいの城内は、しかし彼にしてみれば騒がしいらしい。
「片づいた?」
と、紫武が笑顔で問えば、軽いため息つきでロレンスは頷く。
「昨日、ほぼすべて、片づきました。一つ意見を述べさせていただくなら……」
「なにかな」
「わたくしの部屋にあのような仕掛けは要りませんでした」
「面白かったでしょ」
「その感覚は理解できません」
この国の宰相たるロレンスにいったいなにをしたのか、飄々と笑う紫武は、顔を引き攣らせているロレンスを気にした様子もない。
「事態は、面白いと思いますがね」
「結果がよければすべてよし」
「大公……」
「ああそれ、僕ね、継承権の放棄と爵位の返還を宣言してきたから、ふつうに呼んでくれないかな」
「申し訳ありませんが、それは無理です。そもそも、その宣言を受理した報告もありません」
「む……」
「そのご様子ですと、陛下とはなにかしらの決着がついたのですね」
「まあ、ね。だから結界を張り直したんだよ」
「そうでしたか……本当に、漸くその重い腰を上げてくださったようですね」
漸く笑みらしき笑みを見せたロレンスは、王陛下直到着するので迎えに上がる、と言い、同行するかどうかと紫武に問う。紫武は、近くの部屋で待機しておく、と答えた。
「たぶん、取り乱すだろうから……その機会に、記憶の消去を試みるよ」
「陛下に魔法は効きませんが」
記憶、とは、おそらく紫武でいうなら綺堂弓狩の記憶で、オリアレムでいうなら久遠の王の記憶だろう。それを消去する、と言う紫武に、小日向でも不可能だと思う。
「誘導催眠、かな。兄上が僕に……リアレトの存在に気づいて、間違っているとわかれば、たぶん可能だよ」
至極あっさりと、単純な方法が用いられるらしい。そんなことで、と思うが、紫武の表情は今までになく晴れた笑顔だ。可能性の話ではなく、確実なことなのだろう。
「……お訊ねしても?」
「なにかな」
「今まで、幾多とその機会はございましたでしょう。なぜ今になって?」
ロレンスの疑問は、小日向も思ったことだ。紫武の今の笑顔がなければ、答えを聞いてもわからなかったかもしれない。
「そうだねえ……うん、僕自身も、漸く踏ん切りがついたんだよ。抗いようもなく、僕が魔法師であることに。今でも魔法は好きじゃないけれど、それでも僕はその力を持って生まれてきてしまったわけだし……随分と前に諦めはついていたはずなのに、おかしいよね」
やろうと思えばできたことなのに、やらなかった。今になってその気になるなんて、ひどい話だ。もっと早くに片がついていてもおかしくはなかったのに、なにかが、紫武にその一歩を踏み出させなかったらしい。
「まあ、しいて言うなら、復讐だったのかな……苦しめばいいって、思わなかったわけではないからね」
「あなたが古き魔法師の記憶を持つことで、陛下がどれほど苦しまれたか……知っていながらわざとそのままにしていたのですか」
「だって兄上は、都記の母親を殺したんだ。あのひとは、ただ悲しかっただけなのに」
「それは……」
「だから、苦しまなくちゃいけないんだよ。人ひとりの人生を奪ったのだから、相応の代償は必要だろう?」
「……では、その代償を払い終えたと、考えてよろしいのでしょうか」
「本当はこんなにあっさりと終わらせたくはないところだけれど……正直、僕も疲れてね。喧嘩するなら、ちゃんと、喧嘩したいんだよ」
兄弟喧嘩という名目の殺し合いであったそれを、紫武はきちんと理解していたらしい。無意味でしかないと言っていたのは、だからなのかもしれない。
「……お許しいただけたのだと、思ってもよろしいのでしょうか」
「許す?」
「わたくしは、陛下の状態をわかっていながら、その行動をお引き留めすることができませんでした。もちろん、そんなわたくしの罪が消えるとは到底思っておりませんが」
「ロレンスは兄上の一番の理解者だ。兄上を一番に考えて動くのは当然だと、さすがの僕も思うよ。ただ、そうだね……もう兄上を甘やかすのは、終わりにしてくれないかな」
「……申し訳ありませんでした」
丁重に頭を下げたロレンスは、紫武にぽんぽんと肩を叩かれて、その罪の軽減を許された。
その様子を見て、そうか、と小日向も思う。
オリアレムのあの所業は、周りの誰もを納得させての行動では、なかったらしい。もっとも近くにいるのだろう宰相の諫言に耳を傾けなかった、それが原因でもあるのだ。
「兄上が帰ってくるんだろう? 僕は向こうの部屋で待機しているから」
「はい、ではこの場はまず失礼いたします」
紫武はロレンスを行かせると、ふっと息をつき、視線で小日向を促すと場所を移動する。城内のどこを歩いているかもはや不明であった小日向は、紫武が赴くまま、そちらへとついて行った。
「紫武……」
「んん?」
「終わるの?」
「んん……そうなると思うよ」
どこかの部屋に入って、扉がゆっくりと閉まる。紫武は終始笑っているが、その雰囲気は穏やかというわけではなかった。
「心配かい?」
「というか……あれだけ言い続けてきたことだけれど、いざ本当にそうなるのかと思うと」
「まあ、こひながいなかったら、永遠に終わらなかったかもしれないね。けれど、このままでもいられないって、僕も都記も、わかっていたことだったから」
兄弟喧嘩に決着をつける。それは、本当に現実なものなるらしい。やめろと言い続けて、オリアレムの名が出るだけで殺気を溢れさせていた頃の紫武は、もうそこにはいない。
「お兄さんを殺して、それで本当に?」
「必要なことだから」
殺気はない、けれどもその意志は消えない。
紫武はどうやって、今の状態でオリアレムに対峙しようというのか。
「ねえ、こひな。それよりも、これが終わったらどうしようか」
「終わったら……って」
「僕はね、前に進みたくなったんだ。いつまでも過去に囚われて、それで終わるなんていやだから、僕は今までとは違うところに行きたいんだよ」
そう言えば、ロレンスに、疲れた、と紫武はこぼしていた。
「魔法師として生きていく?」
「好きではないけれどね」
「どうして魔法が嫌いなの?」
「すべてそこに帰結するから」
紫武の表現はやはりわからないが、己れの生き方を決めた紫武は、たぶんとても前向きなのだと思う。
「けれど、こひな、僕はもうそこから目を背けないから……こひなと生きるよ」
どきりと、した。
紫武に求婚されたのを思い出して、瞬時に頬が赤くなる。そんな場合ではないのに、今さらどきどきと胸が高鳴る。
紫武を見ていられなくて顔を背けたら、そっと手を握られた。
「ねえ、僕のこひな……きみは本当に、僕の心臓なんだよ」
「し、しんぞうって……それ」
「命なんだ。こひなを失ったら、僕は生きられない。だから、一緒に生きて」
優しさと慈愛に満ちたぬくもりを、手のひらから感じる。
「わ、わたし……だいじなこと、聞いてない」
「だいじ? ああ……そうだったね」
くすりと笑った紫武が、俯いて顔を背けた小日向の耳元に、吹き込むように囁く。
「好きだよ、小日向」
間違わなかった紫武は、ひどく嬉しそうだった。小日向から応えを聞く前に、もうその応えを知っているようなものだったから、なおさら気恥ずかしい。
「こひなは僕のこと、すっごく、好きだよね」
案の定、言わなくてもやはり、伝わっている。
「う、自惚れない、でよ」
「知っているだけだよ」
「それが自惚れだよ」
「そうかな」
「そう、だよ」
「そうかもしれないね。けれど、こんな僕にしたのは小日向だから、僕はそれを知っているだけ」
引っ張られ、ゆるりと握られた手のひらの、その甲に、柔らかいものが触れる。紫武の唇だとわかったときには、あまりの恥ずかしさに小日向は硬直していた。たまに紫武は遠慮がないから困る。直情的なのはいつものことだが、上辺だけのものであることが多いから、実はそんなに免疫がない小日向だ。
「し、しの……っ」
慌てふためいて紫武を見上げたら、とても幸せそうに笑む紫武がいて。
「好きだよ。愛してる」
その言葉を、臆面もなく言う紫武に、小日向の許容量は限界を超えた。