表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

02 : まほうつかい。2





 今週分の薬代金を渡していなかったからついでに、とガーナムに言われ、どうせだからこっちで買いものの使いを出しますよ、という厚意に甘えて、小日向は紫武とガーナムの家、診療所と一緒になっているところへお邪魔させてもらった。


「果物は林檎にしてくれる? あと……柘榴があったら、柘榴もお願い」

「はい、わかりました」


 診療所で働く少年に買いものをしてもらうことにして、それは厚かましいとは思ったが、ガーナムの勢いに負けてしまったので、紫武が少年にそれを頼んでしまった。


「お茶でも飲んで、ゆっくりしてください。公とは久しぶりですし、薬師どのとも話したいですからな」


 ガーナムがお茶の用意をしに、通された部屋から出て行くと、小日向は暢気に笑っている紫武を視界に捉えた。


「紫武」

「ん、なぁに?」

「なんで、ガーナムさんは紫武のこと、ルー・ティエナ公って呼ぶの?」


 気になっていたことを問うと、紫武は誤魔化すわけでもなく、はんなりと笑った。


「それが僕の家名だからだね」

「家名って……綺堂じゃないの?」

「発音できないんだよ。綺堂って」

「え……でもわたし、昔は発音よくなかったけど、ふつうに言えたよ?」

「それはこひなに魔法師の素質があったから。ふつうはね、僕の名も家名も、発音できるものじゃないんだよ」


 そうなのか、と小日向は首を傾げる。

 だから小日向の名も、ノフィアラと変換されたのだろうか。


「じゃあ、公っていうのは? 紫武が貴族だっていうのはわかるけど」

「まあ貴族といえばそうかもしれないけれど、僕はそんなつもりないんだよね。ふつうの人間、ガーナムさんたちと一緒」

「でも、公って呼ばれてる。ルー・ティエナ公って」

「それはまあ……うーん。ガーナムさん、そこまでしか譲歩してくれないんだよね」

「そこまで?」


 どこまであるのだ、と疑問が浮かぶ。


「たまぁに、リアレトって呼んでくれるけれど……むしろそっちでいいんだけれど、譲歩してくれないんだよねえ」

「リアレト?」

「まあ、呼び名は気にしないで。こひなだって、これからはずっとノフィアラって呼ばれちゃうわけだしね」

「……よく、わからないけど……どうして?」

「発音できないから」


 それだけ、と紫武は笑う。

 本当にそれだけか疑わしいところだ。帰ったら都記に訊いてみたほうがいいだろう。


 話題が一段落したところで、ガーナムがお茶を運んできてくれた。


「東の珍しい茶葉が手に入りましてな」


 白いカップに入れられた暖かいお茶は、見たことのない緑色のお茶だった。


「熱いうちにどうぞ。冷めちまうと色が茶になって、不味くなるんですよ」

「お茶はどれも、熱いうちが一番美味しいよ。いただきます」

「冷たいお茶も美味いもんですよ。夏になったら御馳走しましょう」


 少し警戒しながら、小日向は警戒心なく口にする紫武を真似て、そろそろと緑色のお茶をいただく。少し苦かったが、薬の苦みとは違って、美味しかった。


「懐かしい味だ……」

「おや、公は飲んだことがおありで?」

「ん、まあね。母の郷里が東にあるから、その関係で」

「ほう、そうでしたか」


 ガーナムが少し驚いたように頷いた。

 それは小日向にとっても驚きのことで、初めて紫武が東部出身らしいと知った。


「そういえば東は、黒っぽい髪が多いと聞きます。公はそちらの出身でしたか」

「母がね。僕はこっち。東には生まれてから一度も行ったことがない。これからも行くつもりはない」

「公にもいろいろと事情がありますなぁ」

「そうでもないよ?」


 ははは、と笑う紫武には、嘘が見えなかった。けれども、そこに陰りがあったのを、小日向は見逃さなかった。


 それから少年が使いから戻るまでの間、小日向はガーナムとこれからの打ち合わせを、紫武はそれを聞きながら助言したり、他愛もない話をしたり、それぞれ会話を楽しみながら過ごした。


 こんなにたくさん、紫武と都記以外に会話するのは初めてのことで、小日向は少し頬が熱かった。


「お使い、ありがとうね、アクセル」

「いいえ、ティエナさま。お役に立てて光栄です。これでよろしかったですか?」

「うん。アクセルは買いものが上手だね。どれも新鮮で美味しそうだ」

「ありがとうございます!」

「いい子なアクセルに、これをお小遣いにあげよう」

「え……そんな、いいですよ。おれ、買いものに行ってきただけだし」

「ガーナムさんに、アクセルの美味しい料理を食べさせてあげて」

「……、はい!」


 さすがは紫武、子どもの扱いが上手い。

 使いに出てもらった少年、アクセルの頭を撫でるその姿は、幼い頃自分もそうされたことを思い出させられた。


「じゃあ、またね」

「また来てくださいね、ティエナさま。ノフィアラさまも、これからよろしくお願いします」


 律儀で活発で、優しいアクセルに手を振られながら、手を振り返して、ガーナムの「また逢いましょう」という言葉を背に聞きながら、小日向と紫武は岐路についた。


 いつのまにか、夕日が傾く時刻になっていた。


「アクセルはね」


 買ってきてもらった果物を見つめながら、紫武がそう口を開いた。


「赤ん坊の頃に、あの辺りだったかな、捨てられていた子なんだよ」

「え……」


 紫武が「あの辺り」と指差したところは、小日向たち紫武の邸がある場所へ続く道の入り口だった。


「ガーナムさんと知り合ったのも、ちょうどそのときだ。僕がアクセルを見つけて、ガーナムさんもそれを見つけて、なんでか僕が怒鳴られて」

「……紫武が、あの子を捨てたと?」

「そう。僕、奥さんも子どももいないんだけれどね。違うって説明して、ここで見つけてどうしようか考えていたんだって言ったら、じゃあ自分には夫も子どももいないから自分が引き取ろうって」

「……親切な人だね」


 医師だから、という理由だけで、ガーナムが孤児を拾うとは考え難い。きっとお人好しなのだ。


「紫武は、あの子を引き取る気、なかったの?」

「なかったね」


 あっさりと紫武は答えた。それはちょっと、驚くことだった。


「じゃあ、なんでわたしのこと、拾ってくれたの」


 赤子だったアクセルより、もっとひどい状態というか、薄汚れた近づきたくもない子どもだっただろうに、疑問だった。


「アクセルは生きることに必死で、泣いていた。けれどこひなは、ぼんやりしていたから」

「ぼんやりって……」

「生きる気力が感じられなかった。今もまだ、ちょっとそんな感じだね。だから、拾うことにした」


 あの頃は、紫武に拾われた頃は、自分が生きているのか死んでいるのか、不明瞭だった。そもそもそれらがどういうことかも、よくわかっていなかったと思う。


「要らない命なら、僕がもらおうと思ってね」

「……あの子にも言えることだ」

「言えないよ。だってアクセルは命を投げ捨てていなかったもの」

「まだ赤ん坊だった」

「けれど、生きるために泣いていた」


 小日向は泣いていなかった。ただぼんやりとしていた。


「ああ、そうだ。言い忘れていたけれど」


 にっこりと笑った紫武が立ち止って、後ろを歩いていた小日向を振り向く。夕日を浴びた紫武は、なんだか言葉に表現できないほど、綺麗だった。


「こひなの命は、僕のものだからね」

「は……?」


 いきなりなんの話だ、と小日向は目を丸くした。


「こひなを拾ったのは僕だから、当然だよね」


 いったいなんの権利なのか、真剣に考えてしまった。けれども、真剣に考えたところで、小日向にその権利を否定する気は起きない。


「まあ……わたしを拾ってくれたのは、紫武だからね」


 自分の命は、紫武に左右される。それは当然だと、小日向は思うのだ。それには疑問すら浮かばない。


「ん。こひなは僕のもの」


 小日向の答えに勝手に満足したらしい紫武は、正面に向き直って歩を再開する。


 なぜいきなりそんな話を始めたのかは疑問であったが、まあ言いたかったのだろうと片づけて、小日向も後ろを追い駆けて歩き出した。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ