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27 : 心が、生き返った。1





 とても大きな音で、小日向は飛び起きた。なにかが壊れるような物騒な音は、小日向が起きても二度三度と続き、ざわついた気配が辺りを漂う。


「な……なに?」


 また襲撃があったのだろうかと、不安になりながら寝台を離れようとすると、寝室の扉が開いた。驚いて振り向けば、心配そうな顔をした都記だった。


「ご無事でしたか……こちらのほうに少しずつ近づいていましたから、ついにここまで来てしまったのかと焦りましたよ」

「都記さん……ねえ、今の音」

「紫武さまと、オリアレムさまです」

「紫武と、お兄さん?」


 オリアレムが来るのは明日の夕方ではなかったのかと、小日向は瞠目する。都記は苦笑しながらため息をついた。


「公式的な訪問は明日ですが、その前にいらっしゃったのですよ。もちろん目的は紫武さまです」

「……やっぱり、追いかけてきたんだ」

「追わない理由など、オリアレムさまにはありません。それに、オリアレムさまにとってヴァリアスという聖国は、脅威的なのです」

「脅威?」


 なぜ、と首を傾げたとき、さらに轟音が響き、窓が揺れた。ハッとして寝台を下り、窓辺に走り寄って外の様子を窺えば、庭先に紫武の姿があった。


「紫武……っ」

「いけません、こひなさま」


 紫武の姿に、慌てて窓を開けようとしたところを、都記に止められる。


「都記さん!」

「ご心配は無用に。大げさなほどに音は聞こえますが、ここは結界で護られています。被害が出ることはありません」


 邸の問題を心配しないでもなかったが、それよりも今は紫武である。そうではなくて、と小日向が否定すると、都記は首を左右に振った。


「ここにおいでください、こひなさま。邸から出てはいけません」

「紫武がお兄さんとまた喧嘩してるのにっ」

「ええ、喧嘩です。ですから、こひなさまが出て行かれる必要はありません」

「止めないと! だって、だって……っ」


 兄弟喧嘩は、殺し合いだ。意味はないと知っていながら、兄弟は殺し合いをする。そこには王と魔法師の誓約が存在し、互いに傷をつけることはできないにしても、その心は殺し合いをしているのだ。


「紫武の心が死んじゃう……っ」


 憎しみや、恨みや、ないとは言い切れないだろう紫武が、その心に負けないなんてことが、ないとも思えない。己れの母であり、都記の母でもある人を殺されたその感情が、可哀想だよね、という一言だけで終わらせられるものであるわけがないのだ。


「紫武さまは、だいじょうぶです。あなたがいるのですから」

「でも……っ」

「言いましたでしょう、こひなさま。紫武さまは、ご自身が魔法師であることを、受け入れておられるのです。なにもかも投げ捨てていた頃の紫武さまは、もうどこにもいません」


 都記のそれは、いつもの兄弟喧嘩を見守る姿で、少しだけ小日向は苛立つ。言っていることはわかるけれども、それでも、今こうして兄弟は殺し合いという喧嘩をしているのだ。


「なりません、こひなさま」


 都記を振り切ってでも喧嘩を止めに行こうとした小日向は、しかし呆気なく都記に邪魔される。


「なんで邪魔するの!」

「これで終わりなのです」


 表情も口調も、いつもと変わらないのに、都記の声は今までになく真剣にそれを言った。


「これで、終わるのです」

「終わる……?」


 意味がわからなくて、小日向は呆けてしまう。


「この喧嘩を、最後として、紫武さまは正面から立ち向かうことを決意されました。わたしはあなたの邪魔をしているのではありません、紫武さまの邪魔にならないようにしているだけです」

「それって……最後の喧嘩に、わたしは邪魔ってこと?」

「あなたは紫武さまの核です。わたしには、護る義務があります」

「……紫武の核?」

「オリアレムさまの狙いは紫武さまであり、そしてあなたなのです」


 本当に、意味がわからなかった。


「……わたし、紫武の、なに?」

「核です」

「それ、なに?」


 都記に邪魔をされなければいつ駆け出してもおかしくない小日向を、都記はしっかりと胴に腕を回して動きを封じ、その力を緩めることなくむしろ強め、自身に小日向を引き寄せた。


「紫武さまの命、それがあなたです」

「……紫武の命?」


 それは前に聞いた、と思う。言葉遊びか、なにかの戯れにしか聞こえなかったのだが、その解釈は間違っているのだろうか。


「お願いですから、紫武さまにその絶望を、二度も与えないでください」


 懇願してくる都記は、いつになく真剣だった。必死、と言ってもいい。いつもと変わらないように見えて、その実、とても焦っているのかもしれない。


「なんで、わたしが……」


 兄弟喧嘩の仲裁に入ろうとすることの、どこが、紫武に絶望を与えることになるというのだろう。

 この命が、紫武の核であり命というのは、どういうことだろう。


「あなたを失ったら、わたしは、紫武さまを……弟を失うことになるのです」


 やめてくれ、と都記が顔を歪めた。

 小日向はただ、殺し合いという名の兄弟喧嘩の仲裁に入りたいだけなのに、都記にそんな顔をさせている。


「紫武さまの決意に、水を差してはいけません」


 解釈できず呆けているうちに、小日向の身体を軽々抱き上げた都記は、再び響いた轟音から小日向を遠ざけるように寝室から連れ出した。


「や……やだ、都記さん、紫武がっ」

「この邸の中にいれば、どんなものからも護られます。聖王猊下の結界は強力です。誰にも壊すことなどできません。だから紫武さまは、この中にあなたを連れてきたのです。それを、どうか、理解してください」

「理解って……」


 さっきから意味のわからないことばかりで、頭が混乱する。整理しようにも、紫武が気になってそれどころではない。


「ルイ! こっちだ」


 なにがどうなっているのだろうと、混乱している中で、ふとサリヴァンの声が廊下に響き、小日向を抱えた都記を誘導する。


「恐れ入ります、サリエ殿下」

「かまわない。猊下の結界で、魔法は邸に影響しないからな。さすがは猊下、というところだ」

「聖王猊下はどちらに?」

「外だ。様子を見ている」

「紫武さまは……」

「猊下がどうにかしてくれる」


 紫武ならだいじょうぶだ、とサリヴァンは言っているようだが、それでも轟音はひどく、外の様子が気になって仕方ない。

 小日向は都記の腕の中からどうにか抜け出そう試みたが、稀代の魔法師でもある都記が、そう簡単に若輩の魔法師のそれを許すわけもない。見えないようにとされていた視界を取り戻すくらいしか、小日向にはできなかった。


「この事態に目を瞑れとは……おまえのところの王はとんでもなく我儘だな」

「ご迷惑をおかけしております」

「まったくだ」


 夜も深いというのに、サリヴァンはきっちりと衣装をまとい、またその周りには邸中で見かける騎士たちが集まっていた。皆が露台の向こうを見やり、外の様子を警戒している。


「紫武……紫武のところに、行かせて」


 サリヴァンや騎士たちのそれに圧倒されながらも、小日向はか細い声で都記に訴えた。だが、許されるわけもなく、都記の腕の力は増す。


「ここに、おいでください」

「でも、紫武が……」


 いつもの兄弟喧嘩であるなら、いい。けれどもこの轟音は、いつにないものだ。こんな大きな喧嘩はしたことがない。それこそ、殺し合いをしているようにしか思えない。

 そんな小日向の不安や心配を、しかし都記は切って捨てる。


「ここにいろ。ここなら、あの騒動の影響は完全に断たれる」


 サリヴァンまで、小日向のそれを邪魔してくる。

 どうしてそんなに冷静でいられるのか、小日向にはわからなかった。


「紫武の心が死んじゃうかもしれないのに、どうしてそんなふうにいられるの!」


 気づけば叫んでいた小日向に、サリヴァンが目を細めた。


「六年前のしのを知っている」

「だからなにっ」

「あのときのしのと、今のしのは違う。生き延びろと言ったおれに、しのは、当然だと言った」

「心が死んじゃうって、わたしは言ってるの!」


 負の感情に、紫武が呑みこまれてしまったら。

 意味のない殺し合いに、感情が、心が、殺されてしまう。


「逆だ」


 と、サリヴァンが言った。


「心が、生き返ったんだ」

「え……?」

「おまえがそうした。しのを、変えた。しのの心に、おまえが命を、吹き込んだんだ」


 眩しいものでも見ているかのように目を細めたサリヴァンは、ただじっと、小日向にそれを理解しろと訴えかけてくる。


「しのの心は、おまえが、生き返らせた。だから今、ああして、しのは真正面から向き合っている」


 どすん、といやな音が近くから聞こえた。それは本当に近くであったようで、サリヴァンを囲むようにして立っていた騎士たちが、それぞれ一斉に警戒を露わにし、露台の近辺に散会する。


「……終わったか」


 サリヴァンが、声を潜めてそう口にしたとき、露台の窓がゆっくりと開いた。そこから月明りで見えた人影は、小日向が見慣れているものだ。


「こひな、いる?」


 声に、安堵した。


「紫武……っ」


 小日向は今度こそ必死になって都記の腕から抜け出し、転びかけながら露台へと走った。


 けれども。


 その立ち姿に、小日向は瞠目した。

 あまりの光景に、呼吸が止まりかけた。


「しのぶ……っ」


 一度は踏鞴を踏んだ足だが、しかし慌てて力を込め、小日向はその懐に飛び込む。


「ああ、こひなだ」


 血だらけの紫武は、それでも、小日向を見て微笑んだ。







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