25 : 昔話をしようか。7
少し眠ると言った紫武の部屋を出て、気づくと庭にいた。迷い込んだように踏み入れた庭には、少し疲れた心を休ませてくれるような緑がたくさんある。
近くの長椅子に腰かけてぼんやり緑を眺めていると、後方から足音がした。その音から、この歩き方は都記だなと思う。
「こひなさま」
案の定、振り向けば都記が、その手に茶器を乗せた盆を持って立っていた。
「いろいろとお疲れでしょう。いかがですか」
都記の気遣いにホッと息をつき、頷く。手早くお茶を用意してくれた都記は、小日向の一挙一動を見守りながら、一口飲み終えるまで小日向から目を離さなかった。
「……紫武のことはいいの?」
「ええ。力をお使いになって、少々お疲れのようですからね」
「力……そういえばツェイルが元気になってたけど、もしかして紫武がなにかした?」
まだお礼も言ってない、と思いながら、ツェイルの様子を思い出して都記に問う。苦笑した都記の様子を見れば、紫武がなにかしたというのは明白だ。
「禁術……じゃ、ないの?」
「遣おうとする魔法師がいないだけですよ」
「難しいから遣えない、じゃなくて?」
「わたしは難しいと思ったことがないので、その感覚はわからないのですが、一般的にはそのようですね」
「都記さんは昔からふつうに遣えたの?」
「紫武さまも、ふつうに遣えますよ」
「……わたしは遣えないかな」
古き魔法が遣えないとされているのは、難しいからという理由だけではない。禁忌とされているだけの理由は、もちろんあるのだ。
「生命力を回復させるなんて……」
傷を癒す、或いは生命力を回復させる。それができる魔法が古き魔法で、禁忌とされている魔法だ。
「誰かの生命を救うという行為は、その分の生命力を己れの裡から引っ張り出すようなものですからね」
命は命で贖う。
だから古き魔法は禁忌とされた。
遣える魔法師がいなくなった。
「都記さんの……紫武の、一族は……優しいね」
「そうでしょうか」
「自分の命を削ってまで、誰かを救うんだよ? わたしにはできない……かな」
力がないとか、そこまでいい人にはなれないとか、そういうことではなく、自分を拾って育て、慈しんでくれている紫武や都記のためにも、小日向は自分の命を粗末には扱えない。だから、誰かを救うために命を差し出すことは躊躇われる。一度救われている命だから、真実その人を救いたいと思わなければ、この自らの命を差し出すことはできない。
「確かに己れの命を削っているかもしれませんが、だから禁忌とされたのでしょうが、それは自己満足なのですよ」
「自己満足?」
「誰かのため、というのは、けっきょくのところ自分の欲だと思いませんか?」
「そう……かな」
「わたしはそう思います。ですから、べつに優しいわけではないと思いますよ。できる力があるなら差し出すべきでしょうし、ね」
「貢献してるみたい」
「かもしれませんね」
にこりと微笑んだ都記に、小日向もつられて微笑む。
都記は優しくないと言った一族だけれども、やはり小日向には優しい一族だと思えた。そう思うのは小日向の自由だ。
「ねえ都記さん、紫武のこと教えて?」
「……そうですね。いいでしょう」
座っていた場所を少し動いて、都記が座れるだけの間を空けると、素直に都記は腰かけた。
今まで紫武のことを訊ねても、本人に訊くといいでしょう、とばかり答えていた都記が、こうして話してくれる気になったのは、たぶん紫武がそれまで黙っていたことを明かしたからだろう。紫武の本心に、或いは訂正を入れておきたいのかもしれない。
「都記さんのお母さん、紫武のお母さんでもあったんだね」
「ええ」
「紫武はああ言ってたけど、本当のところはどうなの? その……息子として紫武のことを見てなかった、的なことだったけど」
「その通りですよ。紫武さまは、先王やオリアレムさまに、よく似ておられますからね」
「……そ、っか」
「悲しいことですね」
「うん……」
少しは否定されるかと思っていたけれども、紫武のあの話には嘘がなかった。都記が嘘をつくことはないから、確かなことなのだろう。そもそも、紫武にそんな嘘を言う必要性がない。嘘を小日向に教える必要もない。
悲しい、と言った都記も、困ったように苦笑した。
「先王さまや、お兄さんを、やっぱり紫武は恨んでたり憎んでたり、するのかな」
「ない、とは言い切れないでしょう。ですが、仕方のないことだと諦めていらっしゃいます。過去を消し去ることはできませんし、その時代に戻ることもできません。たとえ戻ることができて、この未来を変えることができたとしても、わたしはそんなことをしようとする紫武さまを止めますよ」
「どうして?」
「わたしは紫武さまが……弟がいなくなればいいなんて、思いませんから」
紫武を中心にして世界を回している都記は、やっぱり都記だった。紫武を真っ向から否定もしなければ、その過去を受け入れて前向きに見ている。
都記らしいなぁと、思った。
「紫武は、自分がいなくなればいいとか、思ってたんだよね」
「誰もそんなことは望みませんのに、ね」
「だからお兄さんは、紫武を止めた?」
「その辺りのことはわたしとオリアレムさまは共通しています。あのお方も……諦めればよろしいのですがね」
「諦める?」
「紫武さまが、魔法師であることを」
本当にどうしようもない、とため息をついた都記に、小日向はふと、頭に浮かんだ疑問に対して首を傾げる。
「お兄さんは、紫武が魔法師なのが、いやなの?」
なぜ、と思う。困ることなんて、なにもないように思うのは、小日向だけだろうか。
「過去の記憶がある、と紫武さまはおっしゃいましたでしょう」
「ああ、そういえば……」
「オリアレムさまも、過去の記憶を持っていらっしゃるのです」
「お兄さんも?」
「ええ。ですから、紫武さまの行動がそのせいであると、思っていらっしゃるところがあるのです。母を手にかけたのも、古き魔法師が、紫武さまに影響を与えているとお思いだったようで。あながち間違ってはいないのですが」
そうか、と思う。
「……久遠の王が、古き魔法師を止めようとして、そうして争うことになったように……繰り返し、また、そのことで争うようになっちゃったのか」
「歴史は繰り返すと、よく言われますが、これはよい事例ですね。もはや意味はないというのに、だからこそ、意味はないという意味が生じ、先王や母のことが絡んでくるのです」
「それ、屁理屈じゃない?」
「そう言われてしまうと否定はできませんね。ですが……どこに意味がないのか、気づかなければならないのはオリアレムさまでしょうね」
「どこに、意味?」
意味に場所なんてあるのか、と小日向が疑問に思っていると、都記は「気づきませんか」とさらに問うてくる。
「紫武さまは、魔法師です」
「……うん」
「否定したところで、否が応でも、その事実は変わりません。また真実も、変わりません。ですから、そのことに意味がない、という意味が生じるのです」
都記の説明は、なかなかに難しく、小日向は首を傾げる。
「単純に考えてください、こひなさま。紫武さまが魔法師である事実は、変わらないのです。変えようがないのです。紫武さまは、どんなに自身が否定してもそれが覆されなかったように、魔法師なのです」
「……うん、紫武は魔法師だ。その力がある」
「紫武さまはそれを、最終的に受け入れました。そうして今の紫武さまがおられるのです」
「わたしを拾った紫武?」
「そうです。こひなさまのそばにおられる紫武さま、それが魔法師であることを受け入れた紫武さまのお姿なのです」
少しだけ考えをまとめるのに時間を要したが、小日向は、ハッとする。
「諦め……た?」
否定していたものを受け入れる、それは諦めるということでもある。
都記が、ゆっくりと頷いた。
「古き魔法師の記憶を持ちつつ、しかし、紫武さまは紫武さまなのです。紫武さまは、古き魔法師と同一人物というわけでは、ありません」
ああそうか、と思う。
いくら紫武が前世の記憶を持っているとしても、その影響を受けているとしても、紫武は古き魔法師その人ではない。その記憶を持っているというだけで、紫武は、小日向が知っている紫武でしかないのだ。
「お兄さんは、もしかして……紫武が古き魔法師その人だと、思ってる?」
「はい。ですから、今の状態に。そしてオリアレムさまは、ご自身が紫武さまと同じ状態にあることに、気づいておられません」
「お兄さんも、昔の自分を受け入れている? 久遠の王だった自分を?」
「はい」
神妙に頷きつつ、しかし都記は困ったように笑っていた。
「オリアレムさまは、紫武さまに、紫武さまであって欲しいと、願っておられるのです」
なんてことだ、と小日向は少し大仰にため息をついた。
「紫武が、意味がないことくらいわかってるって、そう言った理由がやっとわかった気がする……堂々巡りって言うのかな、こういうの」
「そうですね」
「てことは、わたしが言ったことも間違いじゃないよね。きちんと話し合えば、理解し合えるかもしれないっていうの」
「そのとおりですね」
わたしには無理ですが、と言う都記には、オリアレムを憎む理由がある。もちろんそれは紫武にもあるけれども、壮大な兄弟喧嘩の理由にはならない。
相互理解できれば、これは解決する問題だ。
「ただ……そうですね、オリアレムさまは紫武さまのことを非常に愛しておられますから、存在的には鬱陶しいと思いますが」
「兄ばかってやつだから許してあげて」
「そうは思いますが、鬱陶しいでしょう、あのお方は」
とりあえず死んでおいたほうがいい人間はいますでしょう、と以前オリアレムのことをそう言っていた都記である。その意味は、どうやらオリアレムが存在しなくていいくらいに鬱陶しいという、そういうことのようだ。
「都記さん……都記さんも充分に、兄ばかだよね」
「そうかもしれませんね」
紫武の兄は自分ひとりで充分だ、とその顔には書いてあった。




