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24 : 昔話をしようか。6





 都記を、兄だと言った。父親が違うと、言った。

 それは本当なのかと、思わず都記を凝視してしまう。俯いていた都記は、小日向の視線に気づくと顔を上げ、苦笑した。


「本当ですよ」


 否定しなかった。都記は、紫武を異父弟だと、言っている。


「え……じゃあ、お兄さんは?」

「オリアレムさまとは一滴たりとも血の繋がりはありません」

「……ちょっと待って。えと?」

「わたしの父は、母が城に召し上げられる前に死んでいます。入城した母は、オリアレムさまの父である先王との間に、紫武さまを授かったのですよ」

「都記さんと紫武は兄弟、お兄さんと紫武も兄弟、そういうこと?」

「はい、そうなります」


 なんと複雑な構図だろう。


「都記さん、紫武のお兄……兄さんだったんだ」

「兄、と呼ばれるほどのことはしていませんがね」

「紫武に敬語なのは?」

「紫武さまは王弟殿下であられます。対してわたしは一介の魔法師、立場が違います」

「兄弟なのに?」

「兄弟でも、違うものは違うのです」


 血の繋がりのある弟に対して言葉に気を遣うのは、気持ち的に複雑ではないのだろうか。小日向はそう思ったが、都記の性格的に言えば、立場というものを優先させそうだ。


「それで……紫武が許せないことと、都記さんと兄弟だっていうのは、なんの関係があるの?」

「あんまり驚いてないね?」

「かなり驚いてるよ。でもまあ、なんとなく髪の色とか瞳の色で、郷里が同じならなにかしらの関係はあると思っていたし……納得した部分が大きいかも」

「僕と都記は髪と瞳の色しか、似ている個所がないからね」

「お兄さんとは顔、そっくりなのにね」

「ああ都記、オリアレム殺しに行くからちょっとつき合って?」

「えっ? まだそういうこと言うの? しかも都記さん巻き添え?」


 話の流れ的に言わないと思ったことを口にされて、思わず吃驚したら、紫武はにんまりと笑った。


「忘れているね、こひな。僕はオリアレムを殺したいと、常々思っているんだよ?」

「あー……そうだった。無意味だってわかってるのにね」

「無意味だから、意味がある。無意味という意味がね」

「え?」


 ふわりと微笑んだ紫武に、窓からの陽光が差し込み、影を作った。それは少しだけ小日向に不気味さを思わせ、ゾッとしたなにかを感じさせる。

 聞いてはならない、そんな気がした。

 けれども。

 聞かなければならない、そう思った。


「僕は、都記の母を殺したオリアレムを許さない」


 ああ、聞くべきではかなった。

 だが、聞かなければならないことだ。もうなにも知らないでは、いられない。


「お兄さんが……都記さんの、お母さんを? それって、紫武のお母さんでも」

「僕の母じゃない」

「え? 兄弟じゃ……」

「あの人は、僕を息子だと思ってなかった」


 そう言った瞬間、紫武の瞳に僅かな悲しみが滲み、しかしすぐにそれは微笑みにかき消された。とても胸に突き刺さる、だが見せようとしない感情だった。


「僕を産んだ母ではあるけれど……死ぬまであの人は、僕を息子だと認識しなかった。だから、あの人は僕の母じゃない。都記の母だ」

「紫武……」

「悲しくないとは言わない。寂しくないとは言わない。けれど、どうしようもないことだ。あの人は父に、そしてオリアレムに、世界を奪われてしまったからね」

「……世界を?」

「僕の比ではない悲しみと寂しさが、あの人にはあった」


 紫武の視線が、ふっと、窓の向こうに投げられる。なにかを見ているのではなく、眺めているような穏やかな双眸で、過去のことを思い出しているようだ。


「あの人の民族はとても稀少でね。古き魔法師の一族、とも呼ばれている。それくらいに、その民族には例外なく全員に魔法師の力があった」

「え……それって」

「ああわかる? 偉いね、こひな。調べたんだ」


 紫武や都記の外見的特徴のある民族について、小日向は調べたことがある。出身が東の地、と聞いていたので、それはすぐに調べることができた。もっとも、詳細はわからない。紫武が言ったように、稀少な民族だったからだ。


「魔法師が多いっていうことと、外見的特徴……髪が黒っぽい青で、瞳もそうだっていうことくらいしか、わからなかったけど」

「充分。そもそも、それくらいしか人の目にわかる特徴はない。調べようと思っても、それが限界だろうね」

「ほかにも特徴が?」

「本人に訊くといい」


 紫武がちらりと視線で促したのは、もちろん都記だ。


「都記さん」

「……調べるほどのことでもないのですが、そうですね……わたしも知りませんでしたから、特徴というか、見分ける方法になるのでしょう」

「見分ける?」

「例外なく全員に魔法師の力があるわたしの民族は、古き魔法を遣えるのです」


 古き魔法。

 瞬間的に、小日向は瞠目した。それは今や、遣える者がいないとされる、古代魔法のことではないのか。


「すごく、難しくて、禁忌だって、言われてるんじゃ……」

「そうだよ」


 さらりと、紫武が肯定する。


「それを遣えるの?」

「遣える。だから父は……都記の母を攫って僕を生ませたんだ」


 ぎくりとする。

 それは言うまでもなく、考えるまでもなく、非道なことだとわかる。紫武が母親を、母と思わないようにしている理由が、それだけで理解できる。


「なんで……どうして、そんなこと」

「古き魔法を手にしたかった、とか、そんなところだろうね。けれど罰当たりなことをしたんだから、当然、父は病に倒れたよ。もちろん都記の母は心を病んだわけだから、そうならないほうがおかしい」


 くす、と紫武が笑う。それは小日向に恐怖を感じさせる笑い方だった。


「そういうわけだから、僕は都記の母に、母を求めてはいない。無理やり僕を産ませられたんだから、可哀想な人だよ。もっと可哀想なのは……僕に魔法師の記憶があったことかな」

「……記憶が、あったからって」

「僕は父が望んだように、王族にして魔法師だった。しかも古き魔法を遣える魔法師だ。これのどこが、可哀想なことではないと言える?」


 望んで産まれてきたのではないのだと、紫武は言っている。祝福を受けたことなどないと、言っている。

 なんて悲しいことだろうと、小日向は唇を噛んだ。

 まさかあの紫武が、能天気で陽気な紫武が、心の奥底でそんな悲しみを抱えていたなんて、知らなかった。


「あの人が僕を殺そうとしたのも頷ける……なんたって、無理やり、だからね。ほんと、あの人は可哀想だよ」


 己れの母でもある人を、可哀想、と口にする紫武のほうが、可哀想だった。はっきりと悲しむこともできず、寂しいと口にすることもできず、ただじっと、己れへの理不尽を享受しているなんて、どれだけつらいことだろう。


「お母さん、は……」


 小日向にも、母と呼べる人はいただろう。けれどその記憶はない。だから悲しいとも思わない。悲しいと思う前に、紫武や都記がいてくれた。だから悲しみも寂しさもない。けれども紫武には、母親の記憶がある。

 小日向を振り向いた紫武は、笑っていなかった。


「オリアレムが殺したんだよ」


 ひどく冷たい感情がそこにあった。


「僕を殺そうとしていたあの人を、オリアレムが、殺したんだ。黙って僕を殺させておけばよかったのに、オリアレムがそれを邪魔した」


 それが小日向の言うところの「兄弟喧嘩」の始まりだと、紫武は言った。


 オリアレムはただ、弟を護りたかっただけだろうに。

 命を投げ出した紫武を、また命を犠牲にするなと怒っただけだろうに。


「どうして……っ」


 どうしてここまで、この兄弟はねじれてしまったのだろう。いや、すれ違ってしまっているのだろう。

 都記の母を護りたかった紫武。

 紫武を護りたかったオリアレム。

 互いに、護りたいものが違って、衝突してしまった。

 それは過去、久遠の王と古き魔法師が、衝突してしまったときのように。


「僕は都記の母を殺したオリアレムを許すことなんてできない。殺されて然るべきは、僕のほうだったんだからね」


 けっきょく紫武は、自分が生きているそのことが、許せないのかもしれない。


 けれども。

 それは、小日向を否定することに、なる。


「わたしを……拾ってくれたのは、どうして」


 無表情だった紫武が、ふと、柔らかな笑みを浮かべた。


「僕みたいに、生きながら死んでいるようなきみが、許せなかった」

「え……?」

「僕みたいに生きて欲しくなかった。そんな目をして欲しくなかった。絶望したような世界を、見ていて欲しくなかった。だからきっと、これは僕の願望だ」


 許せなかった、という言葉に心臓を鷲掴みにされたような気分だったが、あとから続いた言葉は、とても優しかった。


「僕の命をきみにあげたい。そう、思ったんだよ」

「紫武の、いのち……?」

「僕自身要らないと思っている命なら、僕みたいに生きて欲しくないと思った子に、あげてもいいだろう?」


 それは、小日向に出逢ってから、生まれた願望。紫武はそう言って、よりいっそう朗らかに微笑んだ。


「きみは僕の命だよ、こひな」


 いとしい、とその瞳が語る。

 それはまるで、命を投げ出した人とは、思えない双眸だった。









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