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23 : 昔話をしようか。5





 紫武の抱擁から逃れて、なぜか肩で息をしながら、小日向は紫武との距離を一定に保ちつつ、その満面笑顔を睨んだ。いつもの紫武なのだが、どこかなにか違う気がしてならない。


「……紫武?」

「なぁに、こひな?」


 にこにこと笑う紫武は、小日向が距離を保っているのをわかっているのか、笑ってばかりで近づいてはこない。抱きつくと小日向が暴れるからそうしているようにも見えるが、笑っている中でもその目だけは素直な感情を表わしているように思う。

 だいじょうぶだろうか、と思いながら、小日向は口を開いた。


「紫武……お兄さん、来るの?」


 紫武の笑みが固まった。しかしそれも一瞬で、すぐに苦笑に似た笑みを浮かべる。


「ああ、聞こえた? うん、来るよ」


 なにごともなかったかのように、さらりと、紫武は肯定する。


「どうするの?」

「べつに……どうもしないよ」

「え?」


 いつものように殺し合いだという兄弟喧嘩でもするのかと、そういう返事がくるのかと思ったが、予想が外れた。


「ねえ、こひな。昔話をしようか」

「……昔話?」

「とても大きくて、とても小さな、争いの話」

「む、矛盾してる……というか、戦争の話?」

「そうだね。一対一の戦争かな、あれは」


 思い出に浸り、しかし凪いだ淡い微笑を浮かべた紫武は、ゆっくりと小日向との距離を伸ばし、窓辺の椅子に座った。


「昔、とても大きくて、とても小さな戦争があった。きっかけは些細なことだったかな。うん、単純な理由だったと思う」

「単純? だから、大きくて小さな戦争?」

「そう。一方は、命を大切にする者だった。他方は、命を犠牲にする者だった。だから衝突して、戦争になったの」

「……それ、どっちが悪いの?」

「さあ? どちらだろうね。僕にはわからないな。こひなはどっちだと思う?」


 その質問を返されるとは思っていなくて、小日向は慌ててわが身を振り返り、考えてみる。


「え……えっと、命を犠牲にするほう、かな」

「それはどうして?」

「だって、誰かひとりの命を犠牲にしてまで、わたしは生き延びたいなんて思わないよ」

「じゃあ、こひなは命を大切にするほうの味方だ」

「そうなる……かな。でも、解釈の仕方では、味方じゃないかも。誰かを犠牲にするのはいやだけど、助かる命がたくさんあるなら、わたしはわたしの命を差し出すよ」


 ああ、矛盾しているかもしれない。これは意外にも難しいことかもしれない。

 自分の考えに、そう思った。


「僕はどちらが正しいか、悪いか、それはわからないけれど、思うことはあるよ。どちらにも信念があって、譲れなかったんだなって」

「ああ、うん、譲れないものがあるんだろうなって、わたしも思う」

「そのことにね、気づくのが遅れたんだよ」

「え?」

「命を大切にする者も、命を犠牲にする者も、互いを理解しようとしなかったんだ。譲れないものは、譲れないから」


 それはつまり、と小日向は眉間に皺を寄せ、考える。


「互いに意地っ張りで、強情だったってこと?」

「可愛く言えばそうだね」

「それで戦争?」

「そう。一対一の、大きくて小さな戦争。理解し合えれば、起こらなかっただろう戦争……とても無意味で、虚しい戦争だった」


 まるで自身が経験してきたかのように語る紫武に、小日向は首を傾げた。

 紫武が語る戦争の話は、国史にはもちろんないものだ。そもそも祖国では、ここ数百年ほど戦争などしていないし、それより以前の戦争となると世界規模になる。紫武が語る戦争の話は、祖国のものではないのだろうか。


「その話、いつのことなの?」


 問うと、ちらりと視線を寄越した紫武は、淡く笑んだ。


「僕が生きたことのある時代の話」

「紫武が……?」

「いつだったかな……今よりもっと魔法が魔法らしくあった時代だったと思うよ。数字では表わせられないな」


 まさか、還暦だ、という年齢は、本当なのだろうか。いや、還暦の年齢だったとしても、それは数十年単位のことだ。数字では表わせられないほど昔なら、還暦なわけがない。もっと年齢を重ねていることになる。


 どういうことだろう。

 紫武は、なにを語ろうとしているのだろう。


「そんなに昔?」

「そう、生きたことのある時代だからね」

「生きたことのある……え? 生きた?」


 生きた、というのは過去形だ。過去に、生きていたということになる。


「前世の話、とか……?」


 そういうことだろうかと問えば、紫武は「そうかな」とあっさり答えた。


「記憶があるのっ?」


 驚いてそう問えば、やはりあっさりと、紫武は「あるよ」と答える。


「だから僕は、魔法師なんだよ」

「だから?」

「そう、だから。記憶があるから、僕は魔法師になった。なるしかなかった。例えば僕に昔の記憶がなければ、僕は今頃ここにはいない」

「え……」

「こひなを助けることも、できなかった」

「……わたし?」

「僕が魔法師にならなければ、僕は大切なものに出逢うこともできなかった。だから僕は、すべてを否定するつもりはない。ただ、悲しいと思うことは、虚しいと思うことは、許して欲しいと思うよ」


 淡く笑む紫武の心がわからない。ただ、それは悲しそうな笑みで、胸が締めつけられる。


「なにがあったの?」


 小日向は、悲しみながら笑む紫武の横顔に問う。


「なんで、そんな昔のこと……どうして、憶えているからって」

「僕は命を犠牲にする魔法師で、オリアレムが命を大切にする王だったから」


 瞬間、小日向は瞠目する。まさかここで、オリアレムの名が出てくるとは思わなかった。


「それ、どういう……」

「僕らの殺し合いは、その記憶があるから、起こっているんだよ」

「お兄さんにも……昔の記憶があるの?」

「そう。互いに理解し合えない愚か者たち……それが僕とオリアレムだ」


 紫武が、自嘲気味に笑った。その顔を小日向に向けた。

 なぜだろう、背筋がゾッとした。


「お兄さんが、命を大切にして……紫武は、大切にしなかった、の?」

「僕はその頃、道具だったからね」

「道具……?」

「ああ、今も道具に近いかな。だからオリアレム……兄上は、躍起になるんだよ」


 今まで、オリアレムの気持ちなどわかりようもなかった小日向だったが、紫武のこの話を聞いて、なんとなくオリアレムの考えていることが、わかったような気がした。

 止めたいのだ、オリアレムは。

 命を粗末にする、犠牲にする紫武を、オリアレムは大切にしたいと思っている。

 だが紫武は、それを受け入れようとしない。


「どうして……どうして? 今は、互いに信念をわかって、譲り合えばいいってわかってるのに、どうして」

「どうして兄上を殺したいと思うのか?」

「だって今ならわかり合えるでしょう? 紫武は道具じゃない」

「僕は魔法師なんだよ、こひな」

「だからなに? その信念を譲れないから? 理解し合う必要があるって、もうわかってるしょう?」

「こひな」


 そうじゃないんだよ、と。

 それはわかっているんだよ、と。

 紫武が、苦笑する。


「なんのために、久遠の王と古き魔法師の誓約があると思う? 無意味だというのは、もう、わかっている。僕と兄上が争ったところで、どちらも互いを傷つけられない。僕は今の在り方を否定する気はないよ」


 誓約があるから、今の状態が続いている。それは小日向にだってわかる。昔とは違う、それもわかる。紫武が言いたいことはわかるのに、なぜだろう、解釈できない。


「もちろん今よりもっと若かった頃は随分と悩んだよ? 自暴自棄になったり、過去の記憶に囚われてみたり、いろいろ無茶やって、けっきょく諦めて……でもね、許せないことが一つだけ、あるんだよ」

「許せない……こと?」

「僕の母が東の生まれだと、以前教えたよね?」


 いきなり話が飛んで、少々戸惑う。その話を思い出すのに、少しかかった。


「えと……ガーナムさんのところで言ってた、あれ?」


 正解、と言わんばかりにニッと笑った紫武が、その視線をちらりと、小日向の背後に向ける。振り向くと、珍しく不安そうな顔をした都記がいた。


「紫武さま……それは」

「黙って、都記。僕は昔話を、している」


 都記のなにを戒めたのか、紫武に牽制されると、都記は俯いてしまう。


「……都記さんが、なに?」

「どうして僕の髪や瞳が、都記と同じだと思う?」

「それは……都記さんも、紫武と同じ東の……」


 自分で言って、ハッと気づく。まさか、もしや、と疑念が脳裏を過る。


「わかった?」


 問われて、無意味に口が開閉する。


「……うそ」

「嘘なものか。いつ気づくのかと思ったら、言うまで気づかないなんて、なんだか、こひならしいね」


 くすくすと、遊び心に笑う紫武に、小日向は息を呑む。


「都記は僕の兄だよ。父親は違うけどね」







だいぶ更新が遅くなっております。

申し訳ありません。

それでもおつき合いしてくださっている皆さま、本当にありがとうございます。


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