22 : 昔話をしようか。4
ふと目が覚めて、ここはどこだろう、と一瞬だけ考える。すぐにツェイルのことを思い出して、小日向は勢いよく起き上がった。
「ツェイル……っ」
なにがどうなって、自分は寝台の上にいるのだろう。
「ええと、ええと……」
どこまでなら憶えているのか、と記憶を浚って、ハッと、紫武に胸を触られたところまで思い出し、瞬間的に頭が沸騰する。
なにをされているのだ、自分は。
いくら平らに近くても、それなりに育っているものを触られて。
ぐっと押されて。
ぎゅっとされて。
「ううう……っ」
なんてことだ。
恥ずかしさのあまり穴に埋もれてみても、たぶんこの気持ちはどうにもない。
けれども。
いやとは思わない自分がいて。
ただただ恥ずかしいだけの自分がいて。
ふと。
意識を失う前に聞いた、紫武の言葉と声を思い出した。
“憶えておいで、こひな”
“これが、僕の命だよ”
紫武は、それはもう優しい声で、そう言っていた。思い出すと恥ずかしいだけの紫武の声は、小日向に安堵を与える。
それでも。
「しのぶの、いのち……?」
それはどういう意味なのか。
思わず平らに近い自分の胸を見下ろして、首を傾げる。紫武が触れていたのは、本当に真上だ。いや、余計なところも含まれてはいるが、半ばその真上だろう。
薬学を身につけるうえで憶えた人体の構造で、そこには頭に続く重要な内臓器官があることを、小日向は学習している。血流を促す器官がそこにはあるはずだ。
飛び過ぎた考えだろうか。
「……まさか、ね」
そんなことがあるわけない。
そう考えをまとめて、小日向はこの寝室の本来の使い主の姿を捜した。部屋のどこにも、紫武の姿はない。
耳を澄ませると、隣の部屋から僅かな声が聞こえた。
「誰かいるのかな」
都記あたりと話でもしているのだろうかと、小日向は寝台を下りて隣室への扉に足を向けた。
入っていいかな、ととりあえず先に隣室の気配を探る。
「おれは怒っているだけですよ。サリヴァンがもっとも大切にしている、命よりも貴い姫を、あなたは傷つけたんですから」
聞こえた声は、紫武を歓迎しないと言った、侍従だとかいう人のものだった。
なぜラクウィルが紫武のところに。
歓迎しないと言っていたが、やはりツェイルを傷つけたことは彼の不快を倍増させ、腹に据えかねたのだろうか。
ぼそぼそと聞こえる声を、小日向は扉に耳をぴったりとつけて聞いた。
「六年前もそうでしたが、いつになったらあなたは動き出すんですか」
「……僕が気後れしていると?」
「動くならさっさとしてくださいって言ってるんです。おれはサリヴァンほど甘くありませんし、ましてツァインほど素直でもありません。限度というものを持って行動しています」
「……兄のことは早々に片づけるつもりだよ。サリエにもそれは伝えたけれど」
なんだか剣呑な雰囲気だ。
紫武はだいじょうぶだろうか。
そう案じて、部屋に入るか考えあぐねたとき。
「明日には兄が到着する」
という、紫武の言葉を聞いた。
オリアレムが、明日には、到着する。
なんだって、と小日向は瞠目した。
半ば逃げるような形でヴァリアス帝国に来て、オリアレムに殺されるから帰らないほうがいいと言われて、まさかと思っていたら昨日の襲撃だ。紫武の言っていることは本当かもしれないと、そう信じかけていた小日向にとって、この頃合いでオリアレムが来るというのは、紫武の言葉を信じる決定打になる。
どうしよう、と思った。
紫武は、兄弟喧嘩ではなく、殺し合いだと言っていた。他国に来てまでそれは続けられるものらしいと、襲撃されて理解した。
オリアレムは本当に、紫武を殺したいと思っているのだろうか。心から心配そうな顔して、紫武を想った言葉を並べる彼が、本当にそんなふうに紫武を見ているのだろうか。
わからない。
オリアレムの気持ちも、紫武の気持ちも、小日向にはわからない。
彼らは本気で、殺し合いを始めるのだろうか。
兄弟なのに、意味のない殺し合いを、するのだろうか。
「大公の『小さな太陽』さん」
いつのまにか頭を抱えて座り込んでいた小日向は、はっきりと聞こえた声に驚いて顔を上げた。
ラクウィルが目の前にいる。
いったいいつのまに現われたのだ。いや、紫武と話していたのではないのか。
「ど、して……え? 紫武と、話して」
「終わりました」
「あ……そ、そうなの」
「大公の『小さな太陽』さん」
「……その、『小さな太陽』っていうのは、なんですか?」
「おれはあなたの名を呼べません。ああいえ、呼べるには呼べますが、謂わば予防線のようなものなので、気にしないでください」
「はあ……」
なんだろう、この人は。微笑んでいるのに怖いと思うのは目が笑っていないからだとしても、明らかな力の差が小日向を圧迫してくる。小日向が座り込んでいて、ラクウィルが立っているから、そういった視覚効果もあるのかもしれない。
小日向が感じているものを察したのか、ラクウィルはふと、膝を折って身を屈めた。
「姫の怪我は大公の責任なので、あなたは気にしないでくださいね。それが言いたかったんです」
あ、と小日向は拳を握る。
「ツェイルの怪我は……わたしを、庇ったからで」
「確かに、姫はあなたを庇ったでしょう。当たり前です」
「……わたしのせいだ」
「いいえ、それは違います。おれが肯定したのは、姫のその行動ですよ」
「行動……?」
「ご存知の通り、うちの姫は剣を扱えましてね。半端なく強い剣士なんですよ」
それは、確かに知っている。たまに腰に剣を下げているし、小日向も少しだけ剣を教わった。嗜み、というのは扱いに随分と慣れた手つきだったように思う。
「ついでにうちの姫は騎士でもあるので、誰かを護ることは当たり前です。だから、言ってあげてください。ごめんなさい、ではなく、ありがとう、と」
「……ありがとう?」
「ええ」
にこ、とラクウィルは人好きする笑みを浮かべた。
「もう気に病まないでくださいね」
それでは、と言ったラクウィルが立ち上がり、身を翻す。部屋を出ていき、ぱたん、と扉が閉められた。
「……ありがとう、か。そういえば、言ってなかったな」
ごめんなさいばかりで、助けてくれたことにありがとうの一言もなかった。大事なのはその感謝の気持ちであるのに、自分のことにばかり気を取られ過ぎていた。
逢ったら、ありがとうと伝えよう。
それから。
「ああもうラクウィル怖っ」
「ぎゃん!」
「ん?」
背にしていた隣室への扉がいきなり開いて、ごん、と小日向の後頭部に直撃した。それだけでなく、その弾みで、べちん、と顔面を床に打ちつけた。
「なにしているの、こひな」
紫武だ。
「まずは心配してくれてもいいんじゃないのっ?」
「うん?」
「痛かったんだけど!」
後頭部と鼻先が痛い、とどちらもさすりながら訴えたら、紫武はきょとんと首を傾げやがった。
「いきなり扉開けないでよね!」
「今の小気味のいい音は、もしかしてこひな?」
「もしかしなくてもわたしだよ!」
「あらら……痛かったねえ」
おおよしよし、と頭を撫でられるが、今さら遅い。しかし、紫武を拒絶しても無駄だ。
「あぁもうそんな可愛いむくれ方しちゃって……可愛いなぁ」
「触るな撫でるな抱きつくな!」
「可愛いこひな、やっと目を覚ましたね。怖い思いをした僕を抱きしめて温めてよ」
「ぎゃーっ!」
ぎゅう、と抱きしめられて、それが苦しくて訴えても、紫武にその声は届かなかった。