21 : 昔話をしようか。3
紫武視点です。
兄をどう片づけよう。
そればかりを考えながら、サリヴァンが立ち去った部屋でひとり、お茶を飲む。甘いセイ茶は少し咽喉にくるが、舌触りは心地いい。
「よくも姫を傷つけてくれましたね」
そう言われたことに、紫武は特に驚きもせず、視線を向けた。
都記は出ているので、ここに来る者はサリヴァン以外にはない。来るとしたら彼だろうなと思っていたら、その通りだった。
「責任は取るよ、ラクウィル・ダンガード」
紫武は茶器を卓に置くと、嘘くさい笑みを張りつけた侍従を見やって、向かいの椅子へと促す。
しかし侍従、サリヴァンやツェイルの侍従長であるラクウィル・ダンガードは、それを拒絶してその場から動かない。
「どう責任を取ってくれるんですかね」
「サリエが言った通り、サリエを混ぜないで報復計画が立てられているみたいだね。標的は僕に定まったのかな」
「おれはあなたを歓迎していませんからね。六年前のこと、忘れたわけではないでしょう」
「忘れるわけがない。だって僕は、サリエに助けられて、それまでの僕から変われたんだから」
にこ、と微笑むと、とたんに冷気が全身を襲う。逃げたくなるような冷気だ。
「……気になっていたのだけれど、きみはなに者なのかな」
「ご存知でしょう。サリヴァンの侍従ですよ」
「異形の天恵術師? それとも異形の死神? それは本当にきみなのかな」
「外の噂なんて、おれは知りませんよ」
「……本当のようだね」
怖いな、と素直に思う。
なにかに対してあまり恐怖心は抱かない紫武だが、生存本能が目の前の侍従を拒絶して、逃げようとしているのがわかる。けれども、逃げられない。逃げられないように、この侍従は冷気を発している。
さてどうしよう、と思ったときだ。
「紫武さま!」
と、都記が戻って来た。
ただならぬ冷気に、なにかを察したのだろう。そのなにかを、紫武か小日向に感じて、戻って来てくれたに違いない。
ほっとするのと同時に、危険も感じた。だから、都記には下手に動かないよう目で促す。
「……おわかりかと思いますが」
都記をちらりと視界に入れたラクウィルが、不気味なほど笑みを深めて、口を開いた。
「おれは、ツァインほど素直ではありません。わりと捻くれています。なので、なにをするかわかりませんよ」
動くな、ということらしい。
サリヴァンもとんでもないものを飼い慣らしているなと、紫武はそっと息をつく。
「僕を、どうしたいのかな」
「できることならディアルの王サマの前に引き摺って行きたいですよ。しませんけどね」
「なぜ?」
「サリヴァンがあなたを護ろうとしているのに、どうしてサリヴァンを護るおれがあなたを害さなければならないんですか」
言っていることは正しいのに、それならその冷気はなんだというのか。
「おれは怒っているだけですよ。サリヴァンがもっとも大切にしている、命よりも貴い姫を、あなたは傷つけたんですから」
直接、紫武が手を出して傷つけたわけではないが、ラクウィル的にはそう変換される事態だったらしい。
小日向とツェイルを襲撃した輩は始末したが、ふたりほど逃がしてしまっている。今さらながらそのことが悔やまれて仕方ない。
「六年前もそうでしたが、いつになったらあなたは動き出すんですか」
「……僕が気後れしていると?」
「動くならさっさとしてくださいって言ってるんです。おれはサリヴァンほど甘くありませんし、ましてツァインほど素直でもありません。限度というものを持って行動しています」
「……兄のことは早々に片づけるつもりだよ。サリエにもそれは伝えたけれど」
ああ、なんて冷気だ。身震いがする。笑っているのに笑っていない感情が、とても不気味だ。
「明日には兄が到着する。だから、ケリはつけるよ」
「自国でやってください」
「そのつもりだったのに、あっちから来たんだ。仕方ないだろう」
「サリヴァンを巻き込むんですか」
「巻き込むつもりはないよ。僕はサリエに力をもらいに来ただけだもの」
はあ、と紫武は息を吐き出す。
「僕は、あんまり強くないからね」
例えばこの、目の前の侍従長のように。
例えばこの、ひたすら心配してくれる側近のように。
例えばあの、真っ直ぐないとしい子のように。
紫武は強くない。
サリヴァンのような柔らかさも優しさも、持っていない。あの強かさに、ハッとさせられてばかりだ。
「強いとか弱いとか、それ以前の問題だと思うんですけどね」
「自分を投げ出したくなるときもあるでしょ」
「……あなたもなにを考えて行動しているのか、よくわからない人ですねえ」
紫武と同じように、ラクウィルがため息をつく。終始笑顔だった顔は、どうしたものかなぁと、少し呆れていた。
「おれが言いたいのは、兄弟喧嘩はほかでやれ、ということですよ」
「そう言うけれどね、僕はそんなつもりないんだよ。喧嘩なんてして意味ある? あっちは王陛下、僕は魔法師、喧嘩の仕様がないだろう。殺し合いになるんだよ」
「それをほかでやって欲しいんですけどね。まあでも、うちのサリヴァンは拾い癖がひどいですから? なにを拾ってこようがもう驚きませんけどね? さすがに王サマは拾って欲しくないなっていうおれの気持ち、わかってくれませんかね」
こちらもこちらでなにか苦労しているらしい。
ふん、と唇を歪めたラクウィルは、随分と不服そうだ。
ラクウィルのその態度で、紫武はなんとなく、ぴんとくるものがあった。
「……やっぱり戻りたいんだろうね」
「戻る?」
「あの頃の……平和で穏やかだった頃の、関係に」
「それはあなたと王サマの話ですか?」
いいや、と紫武は首を左右に振る。
「誓約に縛られる以前の関係だよ」
「……久遠の王と古き魔法師の誓約、でしたか」
「六年前のことだって、そもそもはそれが始まりだからね。だから僕はこの地に、聖王の膝許に戻されたわけだし」
「……、ちょっと待ってください。聖王の膝許に、戻された? 戻されたってどういう意味ですか」
どうもこうもない。
あれ、と紫武は首を傾げた。
「サリエから聞いてないの?」
「サリヴァンは今も六年前も、あなたを匿うことについて一言も語りません。言い訳もしないんですよ」
ああだからか、と思う。
だからラクウィルは、ツェイルが傷つけられたことを、まるで自分のことのように怒っているのだ。サリヴァンが、妻を傷つけられてもなお、紫武のことを語ろうとしないから。
「六年前、僕はどこでサリエに拾われたと思う?」
「そこからして、知らないんですよ。サリヴァンは口にしません」
「僕が倒れていた場所は、『天王廟』と呼ばれているらしいよ」
「『天王廟』……皇城のど真ん中ですか? どうしてそんなところに……いえ、それ以前にどうやってそこへ」
「悪いけれど、経緯はわからない。気づいたらそこにいたからね。サリエに初めて逢った場所もそこだよ。だから、誓約を与えた神にも、そこで逢ったわけだけれど」
あれは驚きだったなぁと、今でも思う。
ディアル・アナクラム国の王と魔法師に誓約を与えた神が、実在しているとも思っていなかったのに、疑う前に理解せざるを得なかった。むしろ、大怪我で頭が朦朧としていたから、疑っている余裕がなかったのかもしれない。それでも、聖王と呼ばれる神の存在は、確かにあった。証拠があるのか、と言われても、見ればわかるとしか言いようのない、鮮明な存在感だ。疑う余地はないと言える。
「……そういえばあなた、治癒の魔法が遣えましたね」
「べつに僕だけに限られた魔法ではないけれど。都記も遣えるからね。今では遣える魔法師が少なくなった、と言ったほうが正しいと思うよ」
ラクウィルの顔が、僅かに歪む。考えるような素ぶりのそれは、ラクウィルから漸く嘘くさい笑みを取り除いていた。
「猊下の眷属ですか、あなた」
「……眷属?」
「いえ、言ってしまえばわが国の皇族は聖王の眷属、属国のディアルの王弟であるあなたもそうだと言えます。ですが、それは大きな枠組みの中での話でもあるんです。聖王の恩恵を皇族や王族は享受できる」
「んー……うん、わかるね、それ。ディアルの王族は確かに、恩恵にあやかっているよ」
小さな島国であるのに、戦争もなく飢餓もなく、天災も少ない。それは王族が地を護っているからだと言われていた。
「その中で、サリヴァンは今代聖王レイシェント・アレイル猊下の眷属なんです。あなたもそうですかと、おれは訊きたいのですが」
「よくわからないけれど……うん? うん、あの雰囲気だと、僕を仕方なく眷属にした、という感じだったかな」
六年前のことはそれほど鮮明には憶えていないが、意識が少しあったときの雰囲気くらいならわかる。沈黙する聖王に、サリヴァンがひたすら話しかけていたときがあるのだ。そのとき、ラクウィルが言う「眷属」という言葉が出ていたと思う。
「はぁぁ……そぉゆぅことですかぁ」
と、ラクウィルが勝手に納得した。
「どういうこと?」
ラクウィルは自己完結させたが、紫武にはさっぱりだ。
「あなたは猊下の眷属のようです」
「王族でもあるからね」
「いえ、そうでなく。どうやら猊下はサリヴァンに説得されてそうしたようですが、個人的に眷属となった可能性があります」
「……うん、意味がわからない」
「ではお訊ねします。あなたのその右目、いつからその色ですか?」
瞬間的に、紫武は黙った。
答えられないわけではないが、まさかここでそれを指摘されるとは思わなかったのだ。
「あのお嬢さんも……『小さな太陽』さんもあなたと同じ色でしたが、彼女のあれは生来のものですね。おそらく片親が南方の国の出身なんでしょう。南方は黄色味の強い瞳を持つ者が多いと聞きます。それに、これといった力も感じませんからね。ですが……あなたにその説明は通用しませんでしょう。よく見れば、あなたと彼女の色には、僅かながら差異がありますからね」
よく観察している男だ、と思った。
色の違いなど、本当に僅かでしかないのに、そこまで気づけるとは大した観察眼だ。
つきたくないのに、はあ、と息がこぼれる。
「……ご推察通り、と言おうかな」
べつに隠しているわけではないので、そう答えておく。隠しているのではなく、誰も触れたがらないことなので、喋らないでいただけなのだ。
「僕の右目は、六年前に色が変わった。眼球に傷がついたとかで、視力を失ってね。それで聖王猊下が、なにをどうやったのか治してくれた。その日から、僕はこの色を持ったんだよ」
「猊下からものすごいものをもらいましたね、あなた」
「べつに僕は治してもらわなくてもよかったんだけどね。それを言う前に、サリエが話をつけてしまっていたから。それまで見えなかったのに、いきなり見えるようになっていて吃驚したよ。色も変わっているから、なおさらね」
六年前の大怪我は、さまざまな身体機能を激しく損傷させた。力が己れに返ってくるというのは、まさにあれのことだ。もっともひどい損傷は内臓だったと思う。かろうじて心臓が動いていた状態であったらしいので、出血も相当なものだっただろう。よく脳が破壊されなかったものだ。いやむしろ、よく生き延びたな、と紫武は思う。あれは死んでもおかしくはない状態だった。
「その様子ですと、帰国するまでおれたちの前に現われなかったのは、本当に怪我のせいだったようですね」
「それもサリエに聞いてないの? 僕、本気でくたばっていたのだけれど」
「帰国するときまで面会が叶いませんでしたので、王族によくある気儘かなと」
「違うよ」
疑われ続けていたのか、と思うと心外だ。それだけのことをしたのだという自覚はあるが、それでもちょっとくらい、信じて欲しいと思う。
「ほとんど眠りっぱなしで、ちゃんとした記憶はないけれどね。三月くらい身体が動かなくて不自由したっていう記憶はあるよ」
「よっぽどですね。なにやったんですか」
「兄上の暗殺に失敗しただけ」
「……やっぱり兄弟喧嘩ですか」
いい加減にしてくださいよ、というラクウィルの顔が、なんだか小日向のそういう呆れた眼差しに似ている。
どうして同じような反応をするかなぁと、紫武としては疑問だ。
「今回あなたが猊下のお膝許に戻されたのは、魔法師としてではなく眷属として、なんですかねえ」
「今回は戻されてないよ。自分の足でここまで来たんだから」
「サリヴァンは猊下の眷属です。そこに来たということは、ほとんど同義ですよ」
あぁあ、とラクウィルはいやそうな顔をする。
「おれも猊下の眷属にしてもらいたいですねえ。そうすればこの状況をもっときちんと把握できますのに」
「いや、僕も状況は理解してないよ? 最初は本当に遊びに来ただけだったからね」
「あなたの話を聞いて整理していくと、ここにオリヴァンがいないのは当然かと思うわけですよ。ついでに、オリヴァンをここから連れ出すことになった原因も、こういうことがあるから急性さを増したんでしょうかね、と」
「オリヴァン、ていうのは……」
「サリヴァンの御子です。そっくりですよ」
いやだなぁ、とラクウィルはさらにいやそうな顔をして、深々と息をつく。どうも納得できないでいるようだ。紫武が納得できないのは、殺し合いを兄弟喧嘩と変換されることなのだが、それはいくら説明しても理解してもらえないので、もう仕方ない。
「ああそうです。言いたいこととお訊きしたいことがもう一つずつあるのですが、いいですか?」
そう問われていやだと答えられるだろうか。
「なんなりと」
「先にお訊ねします。サリヴァンに、言いましたか?」
「ん? なにを?」
「長くないだろう、とか」
少し考えて、そういえば言ったな、と思い出す。古の魔法を見せたときの、寿命の話だ。
「言った、ね」
「なら、言わせてもらいます。余計なこと口にしないでください。姫が聞いていたらどうする気だったんですか。姫は強いですけど、それは腕っ節だけなんですよ。サリヴァンがいないと、大変なことになるんです。もちろんサリヴァンも、姫がいないと大変なことになりますけどね」
もっとも言いたかったことを、ラクウィルはここで漸く口にしたのではないだろうか。
この部屋に来た瞬間と比べて、かなり強い冷気が発せられている。
「……サリエを心配しての、ことだったんだけどね」
「それはわかります。おれはあなたを好きにはなれませんが、サリヴァンを想ってくれている気持ちを疑う気はありません。ただ、もしサリヴァンと姫になにかしたら、おれは迷うことなくあなたを殺すでしょう」
殺す、と口にした瞬間の、なんと冷たい瞳。
それまで黙っていた都記が、ぎしり、と動こうとして、ラクウィルのその瞳に射られる。
「おれの力がわかりますよね、稀代の魔法師さん」
「……紫武さまは殺させません」
「ならあなたも殺して差し上げます」
ラクウィルはゆっくりと、視線を紫武に戻した。
「そういうことですから、王サマとケリをつけるなら、さっさとしてくださいね」
最後に浮かべた笑みは、それはもう嘘くさくて、紫武は寒気を感じた。
本当に、サリヴァンはとんでもない狂犬を飼い慣らしているものだ。