15 : 大陸の力。5
残酷描写があります。
ご注意ください。
「うえっ!」
というツェイルの大きな声を聞いて、小日向はハッと見上げ、そして瞠目する。
黒ずくめの人間が、鈍く光る剣を振りかざしながら、空から落ちてくるところだった。
『下がれ、こひな!』
ツェイルの言葉を頭が変換させきる前に、どん、とツェイルに押されて木陰に転がる。
体勢を整えたときには、剣が混じり合う音が耳を突いた。
ぎくり、とした。
ぎょっ、とした。
「ツェイル……っ」
黒ずくめの人間が降りおろした剣を、ツェイルが受け止めている。いや、往なしてすでに二合めに入っている。
ヴァルハラ家の邸内であるのに、襲撃されているのだと気づいたときには、ツェイルと黒ずくめの人間は戦闘状態にあった。
「な、なんで……どうして?」
紫武は言っていた。ここは安全だ、と。
「お兄さんが、来たの……?」
黒ずくめの男は剣を握っている。
けれどもその背には、魔法師が背負う紋章が、あった。
狙いは確実に、紫武だろう。
王は魔法師を傷つけられない。魔法師は王を傷つけられない。だが、魔法師は魔法師を傷つけることができる。また王も、王族を傷つけることができる。
「紫武を……、え?」
ハッとした。
紫武は、王族だ。
魔法師と王の誓約は、紫武にどんな効力をもたらしているのか。
「こひな!」
大きな声にわれに返ったとき、小日向は目の前に振り上げられた剣を見た。
殺される。
そう慄いたのは一瞬で、思ったときには身が竦んで動けない。
愕然と、振り下ろされる剣を見ていた。
それでも、恐怖は小日向に瞼を閉じさせて。
「こひな……っ」
真っ暗な視界で、ツェイルの声を近くに感じた。
「にげる……こひな……いくっ」
なぜツェイルの声がこんなに近くで聞こえるのだろうと、目を上げて見てみたら。
「……ツェイル」
ぽた、ぽた、と頬に落ちてくるのは、赤い雫。
「はやく……こひなっ」
なんてことだ、と小日向は瞠目した。
「ツェイル!」
思考に気を取られて、状況を疎かにしてしまっていたせいで、さらに出てきた襲撃者に小日向は狙われていた。それに気づいたツェイルが、身を呈して庇ってくれたのだ。
ざっくりと、両刃の剣が、ツェイルの左肩に突き刺さっている。
「ツェイル!」
「いい……にげる、こひな、はやく!」
動揺する小日向に怒鳴りつけたツェイルは、母国語である公用語ではなく、わざわざディアル語を使っている。そんな気遣いまでさせているのに、小日向の足は竦んで動かない。
「ツェイル……でも」
声が震える。
身体が震える。
どうすればいいのだろうと、気持ちが混乱する。
そうしているうちに、ツェイルは傷つけられた肩をものともせず、黒ずくめの魔法師を剣で押し返した。
全身で呼吸するツェイルが剣を構え直すと、黒ずくめの魔法師は足許に陣を浮かばせる。
詠唱しようとしているのを見て、大型の魔法を発動させる気だと気づいたとき、急にぴんと空気が張り詰めた。
黒ずくめの魔法師の、詠唱が止まる。
とたん。
ぱんっ、と。
破裂した音がした。
「こひなっ」
剣を投げ捨てたツェイルに、なにが起こったのか見せまいとするように、抱きしめられて視界を塞がれる。
だから小日向はそれを見なかった。
見えなかった。
けれども、音は聞こえる。
続けざまに、なにかが破裂したような音を、数度聞いた。
「よくも……よくも僕の小日向を、狙ってくれたな」
紫武の声だ。
紫武が来てくれた。
そこに紫武がいる。
「しのぶ……っ」
もうだいじょうぶだ。紫武が来てくれたのだから、もう、もう怖い思いはしなくていい。
そう安心した小日向は、しかしまた数度、なにかが破裂したような音を聞く。ツェイルの腕も、小日向を強く抱きしめて離れない。
「ツェイル、もうだいじょうぶ、紫武がいる」
「だめ……まだ、だめ」
「けど……っ」
ツェイルはひどい怪我をしている。傷つけられた左肩からは血が溢れ、服が血でべっとりとしている。早く手当てしなければ、大変だ。
「ツェイル…っ…ツェイル」
ぎゅっと抱きしめてくるツェイルは離れない。その間も、ツェイルの肩からは血が流れ続けている。
小日向の焦燥感が強まって、恐慌状態に陥りかけてから漸く、ふっとツェイルは離れていった。
「ツェイル!」
危険が去ったのもあるだろう。崩れるように、ツェイルはそのまま後ろに倒れ込む。追いかけて腕を伸ばしたところで、風が吹いた。
ふわりと、皇族の清楚な衣装に身を包んだサリヴァンが、その両腕にツェイルを受け入れていた。
「サ、サリヴァンさま」
「今は触れてくれるな」
小日向を見ることなく言うと、サリヴァンは血まみれのツェイルを抱き上げる。走り去っていくのと、紫武が近づいてくるのは同時だった。
「紫武…っ…ツェイルが」
「無事?」
「わたしより、ツェイルが!」
「うん、わかってる。だから、無事?」
恐慌状態の小日向を、目の前で屈んだ紫武は心配そうな顔で覗き込んでくる。そっと頬を撫でられて、それが紫武のぬくもりだと安堵すると、涙が溢れた。
「紫武……っ」
「うん、怖かったね」
強い力で引き寄せられる。ツェイルがそうしてくれたように、紫武にもぎゅっと抱きしめられて、もっと涙が溢れた。
「わ、わた、し…っ…なにも、ツェイル、に…っ…ツェイ、ルに」
「ごめん。僕が、油断したせいだ」
「ツェイル、血が…っ…怪我、して」
「ごめん……僕が悪いんだ。本当に、ごめん」
「うう…っ…しの、しのぶぅ」
どうすればいいのだろう。
どうしたらいいのだろう。
ツェイルが傷を負ったのは、小日向を庇ったせいだ。
小日向が動けなかったから、一瞬でも考えごとをしてしまったから、だからツェイルに傷を負わせてしまった。
めいっぱいの罪悪に、小日向は後悔した。
後悔を感じていることにすら、後悔した。
悔しくて悲しくて、どうしたらいいのかわからなくて、小日向は紫武に抱きしめられて泣き続けた。