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13 : 大陸の力。3





 紫武が帰ってきた。

 ちょうど夕食をいただいたあとのことで、小日向はツェイルに文字を教え、発音を教え、簡単な文章が並ぶ絵本をツェイルがゆっくりと話せるようになっていたときだ。


「あれ……サリヴァン殿下は?」

「僕よりサリエのこと気にするって、ひどくない? 先におかえりって言って熱烈に出迎えてくれてもいいでしょ」

「おかえり」


 平淡に迎えたら、笑顔を張りつけていた紫武の顔が引き攣った。


「……こひな、可愛いね」

「ありがとう。で、サリヴァン殿下は?」

「なんかここに来てからのこひなって、僕に冷たい気がする……」


 べつに冷たくしているわけではない。紫武が迷惑な生きものだと痛感してしまったから、それだけのことだ。まあそれでも、紫武なくして今の小日向は存在しないので、今ここでそれらを口にする必要はない。

 それに、昨夜のことだってある。小日向はまだ納得できていないのだ。冷たい態度になってしまうのも仕方ない。


「はぁぁ……サリエのことは、殿下って呼ぶなら、サリエ殿下。サリヴァンって呼ぶなら、サリヴァンさま。その呼称が妥当だよ」

「は?」

「サリエの、サリヴァンっていう名は、愛称だからね。それで呼ぶことを許されたんなら、サリヴァンさまって呼べばいいよ」

「……ふぅん?」


 なぜその話をされているのか不明であったが、サリヴァンのことをどう呼べばいいのか困っていたのは事実なので、そうなのか、と頷いておく。


「紫武のことも、大公閣下って呼んだほうがいい?」

「なんで?」

「だって、大公閣下なんでしょ?」


 つい先日まで知らなかったけれども、紫武もサリヴァンと同じく、王弟だ。殿下、或いは大公、大公閣下と呼ばれる地位にある。


「紫武でいいよ。大公とか閣下とか、僕は呼ばれたくないからね」

「でも貴族で、王弟でしょ」

「兄上殺してくるねっ」

「待て!」


 紫武の前でオリアレムのことをちょっとでも話題に出すと危険だ、とつくづく思う。遊びに行くようなノリよりも、もっと軽い調子で暗殺に行こうとする。どういった思考回路の繋がりがあるのか、と疲れたため息が出る。


「ええと……サリヴァンさまは、どうしたの?」

「まだ城にいるけど……なんでそんなにサリエを気にするの? 僕、嫉妬に狂っちゃうよ?」

「後半は意味わかんないけど……ツェイルがすごい心配してるから。でも、そっか、まだ城なんだ」


 夕飯の片づけを手伝っているツェイルの、その寂しそうな後ろ姿を思い出すと、肩が落ちる。

 少し前まではサリヴァンが邸にいてくれる時間も長かったが、息子に危険が及ぶ可能性が浮上してからは、その時間も短くなっていたらしい。小日向と紫武が来たときは、ちょうど息子を隣国へ逃がした日で、サリヴァンが邸にいたのは偶然だったそうだ。日数にすると、ここ二か月ほど、ツェイルはサリヴァンとすれ違いの日々が続いているとのことだ。

 今は息子もそばになく、夫のサリヴァンもそばにないので、ツェイルはひどく寂しそうで、悲しそうだ。話を聞いたあとでは、ツェイルの表情が乏しいだけに、無理をしているというよりも、この気持ちをどうしたらいいのかわからない、というのがありありと伝わってくる。


「……ツェイルと仲よくなったみたいだね」

「そうなって欲しかったんでしょ?」

「まあね。サリエの近くにいる人間は信用できるから」

「なにそれ」

「そのままの意味。さて、僕も夕食をいただこうかな。都記、お願いできる?」


 外で夕食を摂ってこなかったらしい紫武は、都記に脱いだ上着を渡すと食事を頼み、長椅子に腰かけた。


「……サリヴァンさまのなにを手伝ってるの?」

「いろいろ、かな」

「あんまりいい顔されないんじゃないの」

「うーん……僕はこの国で、いわゆる皇弟派だからね。そういう意味ではあまりいい顔はされないけど、大公っていう地位はそれなりに役に立つからね」

「……皇弟派?」


 それはなに、と首を傾げると、つまりはサリヴァンの味方だよ、と教えられた。


「子どものことは聞いた?」

「ツェイルに少し……危険があるって」

「ディアルみたいに後継がもう決まっていれば別なんだけど、ヴァリアスの皇帝には皇女ひとりしかいない。けれどサリエには、公子がいる。そのことでいろいろ問題があってね」

「ええと……簡単に言うと?」


 国の政なんて、小日向には無縁のものだ。紫武の言っていることは、よくわからない。なにが問題になるのかも、首を傾げるばかりだ。


「後継がひとりだと不安だ、っていうのはわかる?」

「うん。なにかったとき、とか……まあでも、いいことばっかりでもないと思うけど」


 紫武という参考事例が目の前にいると、理解し易いかもしれない。


「ヴァリアスで女帝っていうのは、珍しくはないんだ。だから、皇女は後継になれる。そこに問題はない」

「うん、わかる」

「けれど、じゃあ皇女の婿は?」

「え?」

「つまりそういうこと」

「……すみません、わかりません」


 それはあまりにも簡単過ぎる説明だ。というかいろいろ端折ってあるし割愛までされている。わかるわけがない。


「んーとねぇ……皇女の婚約者に、公子を、と望む声があるわけ」

「公子っていうのは、ツェイルの子ども……息子さんのことだよね?」

「そう。その公子を、皇女の婚約者にしたい連中と、したくない連中がいるわけ。わかる?」

「……それが問題?」

「大問題。皇女の婚約者にしたい連中は、半数は皇弟派。そのまた半数も皇弟派でね。したくない連中っていうのは、もちろん反皇弟派なの」

「え……ちょっと待って。勢力が三つ?」

「だから大問題」

「どういうこと?」


 ツェイルとサリヴァンの息子、つまり公子を皇女の婚約者にしたい派閥と、したくない派閥があるというのはわかる。だが、婚約者にしたいという派閥が、さらに二分されているのは意味がわからない。


「僕は皇弟派ね。それも、公子を皇女の婚約者にしたくないほうの」

「その意味が、よくわからないんだけど?」

「僕はサリエの味方だ。だから、サリエが望むほうにつく。ということは?」

「ええと……サリヴァンさまは、公子を婚約者にしたくない?」

「正解」

「ということは……」


 サリヴァンは、息子を皇女の婚約者にしたくない、或いはするつもりがない。

 けれども、それを望む声がある。

 だがそれでは、反皇弟派という派閥の存在意義が不明だ。


「反皇弟派っていうのは、昔から、というか数年前から存在しているね。そのままの派閥で、サリエを気に喰わないと思っている連中だよ」

「じゃあ、サリヴァンさまは反皇弟派とは違う想いで、公子を皇女の婚約者にしたくないってこと?」

「そういうこと」


 ふむ、なるほど。そういうわけで三つの勢力があるわけだ。


「自分が皇弟なのに、反皇弟派と同調するわけもないしね……ふんふん、なるほど」

「本当にわかる?」

「なんとなく。だって紫武だって、どうしてもお兄さんがいやなんでしょ? それと同じようなものだよ。たとえるならサリヴァンさまがお兄さんで、反皇弟派は紫武、ってところかな」


 悪い譬えになるが、まあそういうことだろうと小日向が解釈すると、ふと紫武が目を細めた。


「サリエは兄上とは違うよ」


 その声は、どこか冷え冷えとしていて。


「サリエと兄上を引き合いに出さないで」


 それは、オリアレムを庇うというよりも、オリアレムを憎悪して、その汚れをサリヴァンに被らせたくないという、嫌悪だ。


「……ご、ごめん」


 ハチャメチャな発言をするでもなく、その行動を起こそうとするでもない紫武に、少しだけ驚かせられる。こんなふうに、静かに怒ることもできるらしい。


「紫武さま、お食事の用意が整いましたよ」


 紫武の珍しい姿に驚いているうちに、都記が食事を運んできてくれたので、少しだけ気まずくなっていた空気が薄れる。

 紫武は都記にパッと微笑んで礼を言い、長椅子を離れて設置されている机に移動した。


「さっきの説明でだいたいわかったと思うけれど、公子が危ないのは、反皇弟派のせいね。わかる?」

「……うん」

「今のところ大きな動きはないのだけれど、まあ時間の問題だね。公子はもう五つだし、皇女は二つになるしね」

「……まだ若いのに、大変なことになってるね」

「若いから、若いうちに摘み取りたいとか、考える連中はいるんだよ。僕のときもそうだったからね」

「紫武のときも?」


 食事を始めた紫武が、口をもぐもぐとさせながら、昔はいろいろあったんだよ、と教えてくれる。その「いろいろ」というのが、おそらくはオリアレムとのことなのだろうけれども。


「僕の場合は、兄上自らがそういう行動を取ったから、臣下が動くことはなかったけれど。むしろ兄上の邪魔になると考えていたみたいだし」

「……紫武も、そういう派閥に?」

「まあね。魔法師の誓約に縛られるようになってからは、そういうこともなくなったけれど。今でも僕が気に喰わない連中っていうのは、存在すると思うよ」

「……そう、なんだ」


 国は、というよりも、王族や皇族は、面倒だ。つくづくそう思う。


「ねえ、紫武」

「なぁに?」

「もう一回訊くけど……どうしてお兄さんを殺そうとするの?」

「兄上が僕を殺そうとするから」


 にこりと、紫武は微笑む。

 さも、なにも悪いことなどない、と言うかのように。


「なんの意味があるの?」

「意味なんてない」

「無意味な殺し合いって、おかしいと思わないの?」

「どこがおかしいの?」

「それは……」

「殺しには確かに、それなりに理由があると思うよ。けれど、理由はあっても、そこに意味なんてあったことある?」

「え……」

「たとえば強盗。金目当てで、その人を殺した。さて、どこに意味がある?」


 不意に、その「意味」というものを突きつけられて、答えられない自分に小日向は愕然とする。


「ね? 意味なんて、ないでしょう?」


 にっこりと、紫武は艶やかに笑った。


「殺す必要はなかった。殺さなくても、金は奪えた。それなのに、殺した。その意味はなに?」

「……こ、殺されそうに、なった、から……とか」

「そう。そういう意味では、僕も兄上を殺したいと思う。だって、殺そうとしてくるんだよ? 僕が、魔法師っていうだけでね」


 オリアレムが紫武を殺そうとするのは、紫武が魔法師だから。

 紫武がオリアレムを殺そうとするのは、オリアレムが紫武を殺そうとするから。

 その殺し合いには、意味がない。なぜなら、紫武は魔法師で、オリアレムは国王だ。魔法師と王は、古の誓約に護られる。それゆえに、殺し合いは成立しない。

 互いに殺されることも、互いに殺すこともできないこの関係は、どうにも手の打ちようがない。あるとしたら、それはどちらか一方が、諦めることだけだ。けれども、諦める気が互いにない。

 なんて無意味なのだろう。


「やめなよ、紫武」


 いつまでも続けていたって、どうしようもないじゃないかと、小日向は思う。


「やめるって、なにを?」

「お兄さんを、殺そうとしないで」

「……こひなは、兄上を庇うわけ」

「違う」


 そうじゃない、と小日向は首を左右に振る。

 そうじゃない。そういうことじゃない。無意味だから、もうやめて欲しいだけだ。こんなことはやめて、平和に、平穏に、ただ笑っているだけでいい生活を、手にしてもいいと思うのだ。


「……無理だよ」


 食事の手を休めた紫武が、俯いて口を歪ませた。


「もう無理……生きている限り、僕は兄上に命を狙われる。僕は命を護らなければならない。だから、無理」

「お兄さんに諦めてもらってよ」

「それも無理、かな。兄上にとって……オリアレムにとって、僕っていう魔法師は、最大の脅威だからね」

「……脅威?」


 なんのことだ。魔法師が脅威になんて、なるわけがない。王も魔法師も、互いのことに関しては誓約に護られているのだ。


「あのね、こひな……古き魔法師と久遠の王が交わした誓約っていうのは、縛るものであって、護るものではないんだよ」


 そういえば、昨夜もそんなことは聞いた。けれども、小日向は同じことだとやはり思う。


「だからなに」

「誓約が、互いの了承の下に、交わされたものだと思っているの?」

「互いの……合意ってこと?」

「神からの厳罰だよ」


 え、と小日向は瞠目する。


「げん、ばつ……って」

「始まりは久遠の王。古き魔法師は、仲間を護るために、その代表となった者。久遠の王によって、たくさんの魔法師が命を失ったから」

「……なにそれ」


 聞いた話と違う。いや、書物に記されている話と違う。

 古き魔法師と久遠の王が交わした誓約は、無駄な争いを避けるためのもの、である。

 小日向の解釈が間違っているのだろうか。


「争いは憎しみしか生み出さない。それなのに、久遠の王と古き魔法師は争い続けた。久遠の王が一方的に、ではあるけれど。だから、神が誓約を取りつけたんだよ。いい加減にしろ、ってね」

「……そんな話、知らない」

「だろうね。もうずっと、数え切れないくらい昔の話だから。知っている人なんて、いないと思うよ」

「なんで、紫武は知ってるの」


 俯いていた紫武が、その姿勢のまま、小日向を振り向いて微笑む。


「なんでだろうね」


 誤魔化しているようではなく、本当に、どうしてそんなことを知っているのだろうという、純粋な疑問を持った瞳をしていた。







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