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10 : 海の向こう大陸。4





 これ以上の混乱は要らない、と思考回路を停止させた小日向は、露台から庭へ出た紫武とサリヴァン、そして都記を追うようにしてラクウィルが立ち去ったあとは、ツェイルとふたりで絵本を睨めっこした。ツェイルとの会話はもちろんなく、それが夕食だという時間が終わっても続くと、異国に来たのだという感覚に気分が滅入った。


「さすがヴァリアス、水の質がいいね」


 と言いながら、紫武が沐浴を終えて戻ってくる。一足先に湯をいただいた小日向は、用意された三部屋のうちの居間の長椅子に、埋もれるようにして座っていた。

 ちなみに都記は、紫武に「ここは安全だから、好きにしていいよ」と言われたとたん、姿を消している。いや、この邸内にはいるらしいのだが、夕食のあとから姿を見せていない。


「ねえ、紫武」

「なぁに?」

「紫武はここでなにやったの?」

「なにって、なに?」


 きょとんとした紫武は、沐浴後の冷たいお茶を飲みながら、小日向の向かいの長椅子に腰かける。

 小日向はツェイルと絵本を見ていたときのことを思い出して、目を細める。


「……ラクウィルさんって人が、紫武を歓迎しないって言った」


 どういう意味だったのだろう。いや、そのままの意味だろうが、どうして紫武はそんなことを言われなければならないのだろう。

 見た目や行動仕草は別としても、紫武は王弟だ。大公と呼ばれている貴族だ。変わった貴族ではあるが、王族でもある。ふつうなら逢うことすらできない天上の人であることくらい、小日向にもわかることだ。

 それを、歓迎しない、とはっきり言えることの事態が、理解できなかった。


「あー……うん、ラクウィルはそう言うだろうね」

「え? なんで?」

「それだけのことを、僕はやったからね」


 にこ、と紫武は笑う。いったいなにをやったのだと、気になる笑みだ。


「ラクウィルさんに嫌われてるの?」

「そうだね。ああまであからさまなのは珍しいことらしいから、もしかしたら恨まれてもいるかもしれないな」

「恨みまで?」


 穏やかではない言葉に、小日向は顔を引き攣らせる。紫武は飄々としているが、だからこそ、持っている過去を恐ろしく感じた。


「なに、やったの」

「兄上を殺し損ねてここを家出先にしただけだよ」


 さらりと明かされた。

 思わず、「え?」と訊き返してしまう。


「兄上を殺し損ねて、腹が立ったから国を出奔したの。それでヴァリアスに来て、ちょっと長く逗留させてもらったのだけれど、出奔した理由は言ってなかったから、面倒を起こしたんだよ」

「……ちょっと、待って?」

「なに?」

「兄弟喧嘩の延長線上で、この国に迷惑かけたわけ?」


 つまりはそういうことか、と問えば、紫武は考える素ぶりを見せた。


「そうだね」


 あっさり返ってきた言葉に、思わず魔法を発動させかけた。植物の成長を促す魔法であるから、木材を利用して作られている長椅子の脚から枝を生やすことくらいはできる魔法だ。

 首を絞めてやる。


「物騒なことはしないの、こひな」


 と、手刀で魔法はぶった切られた。こんなことをできるのも紫武が魔法師だからで、それもかなり強い魔法師だからであろうが、それでも腹は立つ。


「異国を巻き込んでまでふつう喧嘩するっ?」

「それ、ちょっと訂正。喧嘩じゃなくて、殺し合いね」

「どっちでも同じだよ!」


 どれだけ大きな喧嘩をすれば、紫武は満足するのか。いや、満足するとしたら、それはあの能天気王を殺したときだろうか。


「わたし、ここにいられない……帰る」

「それは無理だと思うよ?」

「なんで。帰りたい」

「兄上が殺しにくるから、やめておいたほうがいいよ。ここは安全だから、その心配はないけれどね」


 瞬間的に耳を疑う。


「お兄さんが、なに?」

「殺しにくるよ」

「……誰を?」

「僕と、こひな」


 絶句する。

 一方的な兄弟喧嘩ではなかったのか、と言うことさえできない。


「兄上はね、ちょーっと、頭がおかしいんだよ」


 それはあなたもだよね、と思うが、言えない。


「こひなはなにか勘違いしているみたいだけれど……僕が兄上を殺したいと思うのは、兄上が僕を殺そうとするからだよ?」


 けっきょくは兄弟喧嘩だろう。しかし、命がけの喧嘩だ。


「六年くらい前はまだ兄上も王太子だったから、もう必死でね。王と魔法師、なんて立場になったら僕を殺せなくなるから」

「……紫武」

「なぁに?」

「なんで殺し合いなんて、する必要があるの?」


 兄弟で喧嘩なら、当たり前のことだろうからとくに思うこともない。派手な喧嘩だなぁとは思うが、それだけだ。

 しかしなぜ殺し合いになるのだ、と小日向には疑問だ。


「兄弟っていうのはね、美しいものではないんだよ、こひな」

「美しいとか、そういうことじゃなくて……だって、兄弟だよ?」


 それに、と小日向は拉致されたときのオリアレムの姿を思い出す。

 紫武と同じ顔なのに、持っている色は違っていて、けれどもその表情は紫武よりも豊かで、そしてなにより紫武を愛する兄そのものだった。能天気な王で、弟に全力で殺されそうになっているのに飄々としていて、狂気などどこにもなかった。


 オリアレムが紫武を殺そうとする理由がわからない。


「兄弟でも殺し合いはするよ。このヴァリアスだって、先帝が実弟を殺しているらしいからね」


 それでも、と思う。


「お兄さんは、紫武を殺そうとなんて……」

「今のところは、ね。この六年、僕は兄上の命令に逆らっていないから、それで気をよくしていたしね」


 さっきも、六年、と言っていたが、気になる数だ。


「六年前、なにがあったの?」

「だから、国を出奔したんだよ」

「なんで」

「兄上の暗殺に失敗して」

「そうじゃなくて、どうしてそうなったの?」


 問うと、紫武は不気味に微笑んだ。背にいやな汗が流れる、うすら寒い笑みだ。


「兄上を殺すのに、どうしたもこうしたもないよ」

「え……」

「明日にはもう戴冠式だというときに、罠にはめられた僕も僕だけれどね。だから殺り返してやろうとしたら、その瞬間に僕は魔法師の誓約に縛られた。おかげで死にかけたよ。サリエが助けてくれなかったら、たぶん僕は死んでいただろうね」


 その告白に、小日向は息を呑む。


「死に、かけた……の?」

「そう。だから国を出奔した。それしか方法がなかったから」


 では、今ここに紫武がいるのは、こうして小日向が生きていられるのは、死にかけていた紫武をサリヴァンが救ってくれたからだ。


 なんて壮大な兄弟喧嘩だろう。

 その末がこれなら、紫武とオリアレムが兄弟として今も生きているこの現実は奇跡ではなかろうか。


「どうしてそこまで……なんで、殺し合いなんか」

「兄上が僕を殺そうとする。だから僕は兄上を殺したい。ほかに理由なんてないよ」

「おかしいと思わないの? なんでお兄さんは紫武を殺そうとするの」

「僕が魔法師だから」

「王は誓約に護られるじゃないか。魔法師だって、誓約に護られるでしょ」

「こひな、違うよ。誓約に護られるんじゃない。誓約に、縛られるの」

「どっちにしたって、命を奪い合う必要はないでしょ? 無意味だって、考えなくたってわかるじゃないの」


 王族の事情など、小日向にはわからない。わかろうと思っても、あまりにも遠い存在で考えることすらできない。きっといろいろな事情があるのだろうと、そう思いはしても、想像を遥かに超えたものに考えは及ばないものだ。


 けれども、それでもわかることはある。

 誓約に護られるふたりが、命を奪い合おうとするのは、無意味だということだ。喧嘩ならまだいい。周りに迷惑をかけても、まだ可愛いほうだろう。しかし、殺し合いは違う。周りへの迷惑は、多大な害になる。要らぬ血が流れるということで、罪もない命が潰えるということだ。


 古き魔法師と久遠の王が交わした誓約は、無駄な争いを避けるためのものなのに。


「無意味だから、殺し合うんだよ」

「……意味わかんないよ」


 まさか本気の殺し合いを、なんの意味もなくしているわけではないだろう。言いたくないのか、それとも隠しておきたいことなのか、小日向には紫武の考えていることなど到底知り得ないが、酷薄な笑みはなんとも言えない恐ろしさを感じる。


「とにかく、兄上をどうにかするまで、こひなはここにいなければならないからね。ディアルに戻ろうなんて、今は考えないほうがいい。まあ、戻る手段があればの話だけどね」


 帰りたい。そう思ったのは、紫武のこの性格のせいだ。途中になってしまっている研究も気にはなるが、それよりも紫武が周りに及ぼす迷惑のほうが心配なのだ。


「……いつになったら帰られるの」

「そうだねえ……サリエを手伝ってから片づけるから、少し時間がかかるね」

「お兄さんを殺すの?」


 問うた小日向に、紫武は笑みを深める。誓約がある限り殺せないくせに、という小日向の腹を、まるで見透かしているかのようだった。







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