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09 : 海の向こう大陸。3

*「」はディアル語、『』は大陸の公用語です。





 なにをどうしたらいいのだ、とすべてのことに戸惑い混乱しながら、小日向はツェイルと向かい合わせに座っている。それも椅子ではなく床に、ディアル語の絵本を間に広げて、それを覗き込みながら座っている。

 なんでわたしは言葉を教えているのだろうと、疑問も甚だしい。しかし頼むと言われては断れない小日向だ。


「星、だよ」

「ろす?」

「ほ、し」

「ほ、しゅ?」

「おしい。星」

「ほし」

「そう。これは月。つ、き」

「る、り」

「つき」

「るき」

「んー……つき、だよ」

「つき」

「そうそう。耳はいいね、ツェイル」


 ディアル語をまったく理解できない、というわけでもないらしいツェイルは、絵本の中のものを指差して発音してみせれば、数回で発音ができるようになった。次々吸収してもらえると、教えるのも案外楽しいかもしれない。

 紫武や都記も、自分に言葉を教えてくれたときはこんな感じだったのだろうか。

 ふと顔を上げて紫武の姿を捜せば、露台を前にした窓のところに、サリヴァンと並んでなにか話をしていた。都記はそんなふたりを見守るように控えている。


「友だち、なのかな……」

「とぉあし、まぁおり?」


 おっと、ツェイルに口真似されてしまった。


「友だち」

「とぉかし?」

「ともだち」

「とぉ、た、ち」

「と、も、だ、ち」

「とも、だ、ち?」


 そうだ、と頷いて、どこかそんな雰囲気の絵はないかと絵本をめくる。手をつないだふたりの少女が星を眺めている絵があったので、指でそれをなぞって、窓辺にいるふたりに視線を移す。


「サリヴァンさま、しの?」

「うん。友だち?」


 訊ねると、ツェイルはどうだろうとばかりに首を傾げた。どうやらツェイルにも与り知らぬことらしい。

 いや、もしかしたら意味が通じていなくて、わからないという意味かもしれないが。


『なぁんでディアル語なんか使ってるんですぅ?』


 といういきなりの声に、小日向は吃驚して振り向いた。

 誰だ、と思うまもなくツェイルが立ち上がって、その声のほうへと駆けて行く。


『ラク』

『はぁい。ただいま帰りましたよー』


 ツェイルに飛びつかれん勢いで出迎えを受けた声の人は、淡い金髪に碧い瞳という、これもまた小日向には馴染みのない色を持った男で、紫武ほどに背が高い。


『オリヴァは? オリヴァはだいじょうぶか?』

『おれの天恵は確実です。だいじょうぶですよ、姫』

『本当に?』

『はい。無事に送り届けましたよ』

『そ……そうか』

『ところで姫、なんでディアル語を? そもそも、そちらのお嬢さまはどちらさまです?』


 随分と人好きしそうな顔をした彼は、公用語を聞き取ろうとしていた小日向を見て、きょとんとする。慌てて姿勢を正したのは、彼から伝わってくる仄かな警戒心が促したものだった。


『あ、あの……わたし』

「ディアル語でかまいませんよ。教養の一つで憶えていますから」


 男の口から流暢に流れ出たディアル語に、ホッと息をつく。とりあえず言葉が通じるなら、不審人物扱いされずに済むだろう。


『ラク、こひなだ。しのが連れてきた』

『はい?』

『サリヴァンさまの知り合い』


 ツェイルが公用語で、身の証を立ててくれる。しかし彼は、小難しい顔をした。小日向を飛び越えた窓辺にその姿を見つけると、ますます怪訝そうに眉をひそめた。


『大公が……なんで今時期ここに』


 呟いた彼の視線が、再び小日向に戻ってくる。


「大公の奥方さまですか?」

「いえ違います」


 いきなりだったが全力で否定できた。自分でも吃驚な反応速度だ。


「そうですか。お名前を伺ってもよろしいですか? おれはラクウィル・ダンガードと申します。あそこのサリヴァンと、この姫の侍従をしております」

「ご丁寧にどうも……あの、わたしは綺堂小日向と申します。あ、ノフィアラ・ルー・ティエナともいうらしいです」


 ラクウィル、というらしい彼が深々と頭を下げて名乗ってくれたので、つい小日向も反射的に深く頭を下げ、名乗る。

 顔を上げると、不思議そうな顔をしたラクウィルに見つめられていた。


「本当に大公の奥方さまではないんですか?」

「大公って、紫武のことですよね? それなら違います。わたし、拾われた養い子でして……それに独身です」


 紫武を大公と呼ぶということは、ラクウィルは紫武がディアル国の王弟であると知っているということだ。そうなると、サリヴァンの侍従だとラクウィルは言っていたから、サリヴァンも紫武がそうであることを知っているのだろう。

 ふむ、国と国で繋がった知り合いか。

 そこまで考えて、ふと、疑問が浮かんだ。


「姫?」


 サリヴァンとこの姫の侍従、とラクウィルは言っていた気がするのだが、どこに姫がいるのだろう。


「ああ、すみません。姫というのは渾名みたいなもので、ツェイルさまのことです」

「……ツェイル、さま?」


 なぜ敬っているのだ、と思ったところで、そういえばサリヴァンの態度はツェイルをとても大切に扱っていたな、と思い出す。


「姫はサリヴァンの奥方さまですからね」

「……、え?」

「え、って……ええ? ああ、もしかして姫のこと、男の子だと思っていました?」


 考えること数秒、である。


「女の子なのっ?」


 男の子だと思っていた。いや、男の子にしては華奢で可愛過ぎると思っていたが、衣装が男の子だ。髪もそれほど長くなく、結えるのが難しそうである。


 小日向に驚かれたツェイルは、小首を傾げて「どうした?」と言わんばかりだ。


「う……可愛い」

「ええ、姫は可愛いですよ。これで一児の母とは思えないでしょう」

「……、母っ?」


 いやちょっと待て、頭が混乱してきた。ツェイルは少年ではなく少女で、しかも母だというのだ。失礼なことだが見た目少年なツェイルが、である。


 外見詐欺は紫武と都記だけにしてくれ、と切に願いたい。


「あの、お歳は……?」

「姫のですか? いくつでしたかねぇ……オリヴァンが今年で五つになるので……二十一歳かな?」


 思わずがっくりと項垂れた。歳下だろうと思っていたのに、四つも歳上だった。


「詐欺だ……」


 紫武と都記のような人間がまだいるとは思わなかった。悲しい現実に涙が出そうである。


「まあ、姫の場合は成長が止まっているだけなので、詐欺かどうかは不明ですが」

「……成長が、止まっている?」

「ええ」


 まさか、と否定したい。成長が止まることなど、人間としてあり得ない。神話やおとぎ話、小説ではあり得る話だが、現実にそれはないはずだ。


「まあそのことはあまり気にしないでください。おれの記憶では、大公も年老いては見えませんし。側近の彼も、いくらか老けたようには見えますが、六年前とほとんど変わっていませんからね。世にままあることなんでしょう」

「……六年前?」

「それに、外見だけでは誰しも年齢は推し量れません。それが魔法師ならなおさらです」


 ハッとした。

 ラクウィルは紫武が魔法師であることまで知っている。六年前、という数にも引っかかりを感じたが、それが関係しているのだろうか。


 紫武は自分が魔法師であることを明言しない。小日向にそうだったように、知られてしまえば遣って見せるが、それでもその陣を小日向に見せたことはないし、姿も見せてくれない。


「大公の『小さな太陽』さん、残念ながらおれは大公を歓迎できません。大公が王弟殿下で魔法師だから、ではありませんよ。おれは大公が起こした事件を、未だ忌々しく思いますから」

「え……?」


 一瞬、なにを言われているのかわからなかった。


「ああ、あなたは別ですよ。歓迎します。ようこそ、ヴァルハラ公爵家へ」


 やはり人好きしそうな微笑みをラクウィルに向けられながらも、小日向はそれに答えられず、茫然とした。







*小日向は公用語を理解できますが、脳内変換に少し時間がかかります。

 ツェイルはディアル語をほとんど理解できません。


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