第91話 最後のプロポーズ。 〜「無期限の保守契約」を結んでくれ。油まみれのガレージで愛を叫ぶ〜
レギナとの話を終え、彼女を部屋まで送り届ける(正確にはお姫様抱っこで運搬する)という甘い時間を過ごした後。
俺は一人、静かになった廊下を歩いていた。
俺はポケットの中の最後の指輪を握りしめ、地下ラボへと向かう階段を降りた。
◇
地下ラボは、オイルと鉄の匂いが充満していた。
かつてスパコン『アカシック・レコード』を建造したこの場所は、今は俺たちのガレージ兼工房として使われている。
カンッ、カンッ、キュルル……。
工具の音が響いている。
部屋の中央には、北への旅で酷使された魔導ワゴン車『ハイエース改』がジャッキアップされていた。
その下から、ツナギを着た足が突き出ている。
「……ミサ」
俺が声をかけると、車の下から台車が滑り出てきた。
現れたのは、油にまみれた作業着姿のミサだ。
髪を後ろで適当に束ね、顔には黒い煤や油汚れがついている。
「あ、先輩。お疲れ様です」
彼女はスパナを置き、軍手を外しながら立ち上がった。
「終わりました? プロポーズ」
開口一番、それかよ。
まあ、隠しても仕方ないか。
「ああ。二人とも快く受け入れてくれたよ」
俺は作業台に腰掛け、苦笑した。
「お前らの中で、一夫多妻ってことはもう話し合ってたんだな?」
「はい。私が提案しました。意外とすんなり受け入れてくれましたよ? 『一番の愛は渡さないけど、独占するのはマスターの為にならん』って、謎の理屈で燃えてましたけど」
ミサが楽しそうに笑う。
彼女が根回ししてくれていたおかげで、最悪の修羅場は回避できたわけだ。頭が上がらない。
「は、はは……。まあ、助かったよ」
「どういたしまして。……で?」
ミサが俺の前に立ち、腰に手を当てた。
その瞳が、悪戯っぽく、でも真剣な光を帯びて俺を見上げる。
「ねぇ先輩。私って今からプロポーズされるんですよね」
「えっ? あ、うん。……そのつもりだけど」
直球で来られて、俺はたじろいだ。
雰囲気作りも何もない。
「はぁ……」
ミサが大げさにため息をついた。
「ほかの二人、ロマンチックなシチュエーションでプロポーズしたんですよね? ……なんで私だけこんな地下室? 油臭いし、全然ロマンチックじゃないんですけど」
彼女は不満げに頬を膨らませる。
確かに、絵面としては最悪かもしれない。
ドレスアップした美女と夜景、という王道のシチュエーションに比べれば、ここはあまりに無骨で、生活感に溢れすぎている。
「……お前ってロマンチストだっけ?」
「そうですよ? 知りませんでした? 私ってこう見えても、白馬の王子様夢見る系女子なんで」
ミサが抗議する。
だが、俺は知っている。こいつが一番目を輝かせるのは、王子様よりも「最新のガジェット」を見た時だということを。
「そりゃさ、星空眺めながらだったり、海眺めながらだったり、オーロラを見ながらだったり……ロマンチックな場所でプロポーズすんのも悪くないと思うけど」
俺は周囲を見渡した。
散乱した工具。書きなぐった設計図。飲みかけのコーヒー。
そして、俺たちが心血を注いで作り上げたスパコンの残骸。
ここは、俺たちの戦場であり、日常であり、そして「原点」だ。
「俺は、ここが案外相応しい場所なんじゃないかなって思ってる」
「むぅ……。私みたいな女は、薄暗い地下がお似合いですか?」
ミサが拗ねたように言う。
「違うって」
俺はため息をつき、彼女に近づいた。
そして、彼女の頬についた黒い油汚れを、スっと指で拭った。
「っ……」
ミサが息を飲み、顔を赤らめる。
至近距離で見る彼女の瞳は、揺れていた。
「……お前は、変に着飾るより、今みたいな自然体が一番可愛いから」
「~~~ッ!」
ミサは更に顔を真っ赤にして、俯いた。
耳まで茹でダコみたいになっている。
「……先輩のバカ。そういうこと、サラッと言うの禁止です……反則です……」
「本心だよ」
俺は指についた油をウエスで拭き取り、ポケットから最後の指輪を取り出した。
それは、他の二つとは少し違う。
『万色クリスタル』を加工した、見る角度によって色を変える透明な指輪。
内部には、微細な回路のような文様が刻まれている。
光にかざすと、まるで電子基板のように複雑で、美しい幾何学模様が浮かび上がる。
「……綺麗」
ミサが顔を上げ、指輪に見入る。
「ミサ。……単刀直入に言うぞ」
俺は真剣な顔を作った。
こいつには、甘い言葉よりも、もっと伝わる言葉がある。
俺たちエンジニアにしか分からない、魂の言語が。
「俺の人生というプロジェクトに、お前を『|恒久的なパートナー《Permanent Partner》』として招待したい」
「……ぶふっ」
ミサが吹き出した。
「なんですかそれ! プロジェクトって! 仕事じゃないんですから!」
「うるせぇ、真面目だ。……いいか、よく聞け」
俺は咳払いをして、続けた。
「俺のバックエンドは、お前のフロントエンドがないとバグだらけで動かない。前世でも、今世でも、俺にはお前が必要不可欠なモジュールなんだ」
俺は一歩近づき、彼女の手を取った。
作業で少し荒れた、でも温かい手。
「だから……俺と『無期限の保守契約』を結んでくれ。……解約不可の、終身契約だ」
ミサは、ぽかんと口を開け、それから顔を真っ赤にして、お腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! なにそれ! 最低! 今まで聞いた中で一番ロマンチックじゃないプロポーズですよ!」
彼女の目尻に涙が浮かんでいる。
笑いすぎだろ。
「……悪かったな、職業病で」
「でも……」
ミサは笑い涙を指で拭い、潤んだ瞳で俺を見上げた。
その表情は、今まで見たどんな笑顔よりも柔らかく、愛おしかった。
「……最高に、先輩らしいです」
彼女は俺の手から指輪を取り、自分で自分の左手の薬指に嵌めた。
サイズはぴったりだ。
透明なクリスタルが、地下室の無機質な照明を受けて虹色に輝く。
「この契約、バグだらけかもしれませんよ? わがままだし、嫉妬深いし、たまに『仕様変更』も要求しますよ? 『やっぱり記念日は高級レストランがいい』とか」
「望むところだ。俺はデバッグのプロだからな」
俺はニヤリと笑った。
「一生かけて、お前をメンテナンスしてやる。……エラーが出たら、何度でも修正パッチを当ててやるよ」
「……うぅ……馬鹿……」
ミサが俺の胸に飛び込んでくる。
油の匂いと、彼女自身の甘い匂いが混ざり合う。
それが、俺にとっては一番落ち着く香りだった。
「謹んで……お受けします。私の『ルート権限』、先輩にあげますから……。一生、私を離さないでくださいね」
彼女の腕が、俺の背中に回る。
強い力で抱きしめられる。
前世で失った、大切な後輩。
異世界で再会し、共に戦い、そして今、生涯の伴侶となった女性。
「ああ。もう二度と、一人にはさせない」
俺は彼女を強く抱きしめ返した。
前世からの後悔が、今ようやく、幸せな契約へと上書きされた。
「……好きです、先輩。ずっと、ずっと前から」
「知ってるよ。……俺もだ」
地下室の片隅で、俺たちは口づけを交わした。
ロマンチックな夜景も、美しい噴水もない。
あるのは工具と、改造車と、二人のエンジニアだけ。
だが、俺たちにはこれがお似合いだ。
こうして、俺の人生最大のプレゼンテーションは、無事に承認されたのだった。
◇
翌朝。
リビングには、左手の薬指を輝かせた三人の女性が並んでいた。
「おはようございます、あなた!」
「おはよう、旦那様」
「おはよ、ダーリン!」
呼び方が変わっている。
破壊力が凄まじい。
エルーカはエプロン姿で新妻オーラ全開だし、レギナは妖艶な流し目を送ってくるし、ミサに至っては俺のシャツ(彼シャツ)を着てコーヒーを飲んでいる。
俺は顔を真っ赤にしながら、席に着いた。
「ナオト、かおあかい」
ルナが不思議そうに俺を見る。
彼女の手には、朝食のトーストが握られている。
「……気にするな。幸せすぎてオーバーヒートしてるだけだ」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
苦味が、現実感を連れてくる。
夢じゃない。これが俺の、新しい日常だ。
『Good Morning, Admin. Vital signs stable. Happiness level: Maximum.(おはようございます、管理者。バイタル安定。幸福度:最大)』
ポケットのスマホから、デウスの冷やかし音声が響く。
「うるせぇ。仕事すんぞ」
俺は照れ隠しに立ち上がった。
これから結婚式の準備やら何やらで、さらに忙しくなるだろう。
国中から招待客が来るし、式場の設営も、ドレスの手配も山積みだ。
だが、今の俺には最強のパートナーたちがついている。
どんなトラブルも、バグも、こいつらとなら乗り越えていける。
俺たちの新しい「日常」が、ここから始まるのだ。




