第90話 二番目のプロポーズ。 〜屋上の月明かりの下、魔女の重い愛を受け止める覚悟〜
エルーカとの話を終え、彼女を部屋に送り届けた後。
俺は「何でも屋」の屋上テラスへと向かった。
そこには、既に一人の女性が待っていた。
銀色のボブカットが夜風に揺れ、月光を反射して輝いている。
レギナだ。
彼女は手すりに寄りかかり、ワイングラスを片手に王都の夜景を眺めていた。
普段通りの、クールで優雅な佇まい。
……に見えるが、俺の目は誤魔化せない。
(……めちゃくちゃ緊張してるな)
遠目からでも分かった。
彼女が持っているグラスの中のワインが、小刻みに波紋を描いている。手が震えているのだ。
それに、着ている服もいつもの戦闘服や部屋着ではない。
深いスリットの入った、黒いイブニングドレス。以前のオークション潜入の時に着ていたものだが、今日はさらに念入りにメイクもし、香水のかすかな香りも漂わせていた。
完全に「察して」待っていたのだ。
「……レギナ」
俺が声をかけると、彼女はビクリと肩を跳ねさせ、ぎこちない動作で振り返った。
「お、おしょかったな、マスター。……ま、待ちくたびれたぞ」
噛んでるし、声が上擦っている。
赤い瞳が泳ぎ、俺の顔を直視できずに彷徨っている。
元魔王軍四天王の威厳はどこへやら、今の彼女はただの恋する乙女だった。
「悪い。少し話し込んでてな」
俺は彼女の隣に並び、夜景を見下ろした。
復興した王都の街並みが、宝石箱のように輝いている。
「……エ、エルーカは、どうだった?」
レギナがポツリと聞いてくる。
「泣いてたよ。……でも、最後は笑ってくれた」
「そうか。……あやつは泣き虫だからな」
レギナはワインを一口飲み、ふぅ、と息を吐いた。
その横顔には、安堵と、そして隠しきれない焦燥が滲んでいる。
次は自分の番だ、と分かっているからだ。
沈黙が落ちる。
聞こえるのは風の音と、二人の鼓動だけ。
「……マスター」
耐えきれなくなったように、レギナが口を開いた。
「私は、魔族だ」
「ああ、知ってる」
「かつては人間に害をなす敵だった。多くの戦場を駆け、多くの敵を氷漬けにしてきた。……綺麗な手ではない」
彼女は自分の手を見つめる。白くて細い、美しい指。
だが、彼女自身には、そこに過去の血が見えているのかもしれない。
「それに、口調も性格もキツい。可愛げがないとよく言われる。料理も掃除も、魔法を使えば完璧にこなせるが……エルーカのような『温かみ』はないのかもしれん」
彼女は自嘲気味に笑った。
「貴方のような優しい男には、もっと相応しい相手がいるのではないかとな。……何度もそう思った」
不安なのだ。
エルーカは「勇者」という光の属性を持っている。
対して自分は「元魔王軍」という闇の属性。
ナオトの隣に立つ資格があるのか、ずっと自問自答してきたのだろう。
「……レギナ」
俺は彼女の手からグラスを取り上げ、サイドテーブルに置いた。
そして、彼女の手を両手で包み込んだ。
冷たい。緊張で指先が凍えている。
「俺は、お前じゃなきゃダメなんだ」
「……っ!」
レギナが顔を上げる。
「お前は自分のことを『冷たい』とか『可愛げがない』とか言うけどな。俺は知ってるぞ」
俺は彼女の瞳を見つめた。
「俺が夜遅くまで作業してると、何も言わずにコーヒーを差し入れてくれること。俺のシャツのシワひとつ許さずに完璧に仕上げてくれること。……俺が疲れて寝落ちした時、こっそり毛布をかけて、朝までそばにいてくれること」
彼女の献身は、いつだって静かで、深かった。
見返りを求めず、ただ俺が快適であるように、俺が笑っていられるように、陰から支えてくれていた。
「お前の魔法は、冷たくなんかない。いつだって俺を温めてくれた、優しい魔法だ」
「マ、マスター……」
レギナの瞳が潤み、揺れる。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたようだった。
「……私は、欲張りなのだ」
彼女の声が震える。
「ただの部下や、便利な家政婦で終わるつもりはない。……貴方の一番近くで、貴方を支え、愛し、愛されたいのだ」
彼女は俺の胸に手を当てた。
「マスターなしでは生きられない体になってしまった。貴方の声を聞くだけで胸が熱くなるし、貴方が他の女と話しているだけで心がざわつく。……私をこんな風した責任を、取ってくれるのだろうな?」
その言葉に、俺は胸を打たれた。
強がりで、不器用で、でも誰よりも一途な彼女。
「……ああ。一生かけて、取らせてもらうよ」
俺は懐から、小さなケースを取り出した。
パカッ、と蓋を開ける。
中には、真紅のルビーが埋め込まれた金の指輪が収められていた。
彼女の瞳の色と同じ、情熱的な赤。
俺がこの日のために、魔力を込めて削り出した一点物だ。
「レギナ。……俺の妻になってくれ」
俺は彼女の左手を取り、薬指に指輪を通した。
「お前の過去も、重い愛も、全部ひっくるめて俺が受け止める。……これからは部下としてじゃなく、パートナーとして、俺の隣を歩いてほしい」
指輪が、彼女の指に収まる。
レギナはその輝きを呆然と見つめ、それから両手で口元を覆った。
「……うぅ……」
嗚咽が漏れた。
クールな「銀の魔女」の仮面が完全に崩れ去り、ただの幸せな女性の顔になる。
「馬鹿者……。そんな風に言われて、断れるわけがないだろう……」
彼女は俺の胸に飛び込んできた。
強く、強く抱きついてくる。
「嬉しい……! 嬉しいぞ、ナオト……!」
名前で呼んでくれた。
俺は彼女の背中に腕を回し、優しく撫でた。
「愛している。……誰よりも、何よりも」
レギナが顔を上げる。
涙で濡れたその顔は、今まで見たどんな彼女よりも美しく、そして可愛らしかった。
「私もだ。愛してる」
俺たちが口づけを交わすと、レギナの体から力が抜けたように、俺に全体重を預けてきた。
「……ふふっ。もう、我慢しなくていいのだな?」
彼女が上目遣いで甘えるように見てくる。
その瞳はとろんとしていて、先ほどまでの緊張感は欠片もない。
「我慢?」
「ああ。これまでは『部下』として、節度を持って接してきたつもりだ。だが、これからは『妻』なのだろう?」
レギナが俺の首に腕を絡ませ、耳元で囁く。
「ならば、もっと甘えてもいいし、もっと独占してもいいということだ」
「お、おい……?」
「ナオト。……今日はもう、離さないぞ?」
彼女がすり寄ってくる。
その積極性に、俺はタジタジになる。
これが、リミッターの外れたレギナか。
ツンデレどころじゃない。デレデレの甘々だ。魔族の愛の重さ、甘く見ていたかもしれない。
「わ、分かったから。……とりあえず部屋に戻ろう。風邪引くぞ」
「うむ。……部屋まで、運んでくれるか?できればお姫様抱っこというものがいい。してもらいたかったのだ」
まさかのお姫様抱っこ要求。
あのクールなレギナが。
「……はいはい」
俺は苦笑しながら、彼女を横抱きにした。
意外と軽い。
彼女は嬉しそうに俺の首に顔を埋め、深呼吸をした。
「……ナオトの匂いがする。落ち着くな」
「お前なぁ……」
俺たちは月明かりの下、屋上を後にした。
腕の中の彼女は、幸せそうに微笑んでいる。
二人の妻へのプロポーズは済んだ。
残るはあと一人。
俺たちの「開発チーム」の相棒であり、前世からの因縁を持つ彼女。
俺はレギナを寝かしつけた後、最後の指輪を握りしめ、地下ラボへと向かう決意を固めた。
一番言いにくくて、一番伝えたい言葉を届けるために。




