第89話 一番目のプロポーズ。 〜噴水広場で誓う、不器用な愛の言葉とサファイアの指輪〜
ルナを連れて王都に戻って来た俺は、三人に答えを出すために少し準備期間を貰った。
最初は抵抗されたが、大切なことだからと押しきって無理やり納得させた。
俺は「何でも屋」の地下工房に籠もり、ある作業に没頭していた。
世界を救うスパコンを作った時のような、大規模な工事ではない。
だが、その繊細さと、指先に込める熱量は、あの時以上だったかもしれない。
手元にあるのは、三つの小さな金属の輪。
素材選びからデザイン、加工に至るまで、全て俺の手で行った一点物の指輪たちだ。
魔法によるショートカットは一切使っていない。
ただひたすらに、やすりをかけ、磨き上げ、想いを形にした。
「……できた」
俺は完成した指輪をケースに収め、深く息を吐いた。
胃が痛い。
神と戦う方がよっぽど気が楽だった。物理的な死闘よりも、これから挑む「対話」の方が、俺にとっては遥かに重い。
だが、逃げるわけにはいかない。
俺は「答えを出す」と約束したのだから。
その日の夕食後。
俺はエルーカだけを呼び止めた。
「エルーカ。……少し、付き合ってくれないか」
俺が言うと、エルーカは少し驚いた顔をして、それからパッと表情を輝かせた。
「はい! もちろんです、師匠!」
最初はエルーカから、というのはもうずっと前から決めていたことだ。
この異世界に来てから、三人のうち一番最初に出会ったのがエルーカだからだ。
ミサとは昔からの馴染みがあるが、それは日本での話。
俺は今、ここで生きてる。
二人もその事を察したのだろう。
キッチンからニヤニヤしながら親指を立てているのが見えた。
俺は照れ隠しに咳払いを一つして、エルーカと共に夜の街へと繰り出した。
◇
王都の夜は、穏やかな活気に満ちていた。
復興が進んだ街並みには魔導灯が灯り、酒場からは笑い声が漏れてくる。
俺たちは並んで大通りを歩いた。
「師匠。今日はどちらへ?」
エルーカが、後ろで手を組みながら楽しそうに聞いてくる。
夜風に揺れるプラチナブロンドの髪が、街灯の光を受けてキラキラと輝いていた。
「……あそこだ」
俺が指差したのは、街の中心にある広場だった。
昼間は露店や大道芸人で賑わう場所だが、夜は人通りもまばらで、静かな時間が流れている。
「中央広場……。ふふっ、懐かしいですね」
エルーカが目を細める。
そう、ここは俺たちの原点だ。
かつて、俺が「抜けない聖剣」の修理を請け負い、そして彼女と出会った場所。
俺たちは広場の噴水の縁に腰を下ろした。
水音が心地よく響く。
「あの日、私はここで泣きそうな顔をしてたんです」
エルーカが水面を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「自分に自信がなくて、居場所がなくて……。『偽物の勇者』って呼ばれて、パーティーからも置いていかれて。……自分が何のために剣を持っているのかも、分からなくなっていました」
出会った頃の彼女は、確かに危うかった。
必死に強がってはいたが、その瞳の奥には常に不安が揺らいでいた。
誰かに認めてほしい。誰かに必要とされたい。
そんな切実な願いを抱えて、彼女は一人で戦っていたのだ。
「でも、師匠が来てくれたんです」
彼女は俺の方を向き、悪戯っぽく笑った。
「あくびをしながら現れて、インチキみたいな魔法で聖剣を直して……。『パッチ当てといたから』なんて、訳の分からないことを言って去っていきました」
「……悪かったな。あの時は、まさかお前が追いかけてくるとは思わなかったんだよ」
俺は苦笑した。
あの日の俺は、ただの「通りすがりの何でも屋」として振る舞うつもりだった。
厄介事には関わりたくない。適当に直して、報酬をもらってサヨナラするつもりだった。
「追いかけますよ。だって……初めてだったんです」
エルーカの声が、真剣な響きを帯びる。
「あんな素敵な魔法を見たのは」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「あの時、私の世界は変わったんです。世の中にはこんなに凄いことをこんなにも簡単に、それを誇ろうともせずにやってのけてしまう人が居るんだって。それで無我夢中で追いかけて、師匠と接して、ただの田舎娘だった私に、師匠は『勇者』としての自信と、帰るべき場所をくれました。……『何でも屋』での毎日は、私の宝物です」
彼女の言葉が、俺の胸に染み渡る。
俺の方こそ、救われていたんだ。
前世で孤独に死んだ俺に、「師匠!」と慕ってくれる彼女の存在が、どれだけ生きる活力を与えてくれたか。
彼女の真っ直ぐな瞳を見るたびに、俺は「この世界に来てよかった」と思えたのだ。
「……エルーカ」
俺は彼女の名前を呼んだ。
喉が渇く。心臓がうるさい。
だが、言わなければならない。
「俺は、お前に感謝してる」
「え?」
「お前がいなきゃ、俺はただの偏屈な職人で終わってた。お前が無理やりドアを蹴破って入ってきてくれたから、俺の世界は広がったんだ」
俺は立ち上がり、彼女の正面に立った。
エルーカも、つられるように立ち上がる。
サファイアのような青い瞳が、俺を真っ直ぐに見つめている。
「師匠……?」
「俺は、お前の強さが好きだ。……でも、それ以上に、お前の弱さも、優しさも、不器用なところも、全部ひっくるめて愛おしいと思ってる」
俺は懐から、小さなケースを取り出した。
パカッ、と蓋を開ける。
中には、白金で作られたシンプルな指輪が収められていた。
中央には、彼女の瞳と同じ色の、小さなサファイアが埋め込まれている。
俺が何日もかけて削り出し、磨き上げ、そして「守護」の術式を刻み込んだ、世界に一つだけの指輪。
「……!」
エルーカが息を飲み、両手で口元を覆った。
「俺は、お前を『弟子』としてじゃなく……一人の『女性』として見てる」
俺は彼女の手を取り、膝をついた。
騎士が姫に誓いを立てるように。
あるいは、勇者が女神に祈るように。
「エルーカ。……俺と、結婚してくれないか」
風が止まった気がした。
噴水の音だけが、やけに大きく聞こえる。
エルーカの目から、大粒の涙が溢れ出した。
ポロポロと、宝石のような雫が頬を伝う。
「……はいっ……! はい! 喜んで……!」
彼女は何度も頷き、震える左手を差し出した。
「夢みたいです……! ずっと、ずっと憧れてたんです……! 師匠のお嫁さんになるのが、私の夢だったんです……!」
俺は彼女の薬指に、指輪を通した。
サイズはぴったりだ。寝ている間にこっそり測っておいた甲斐があった。
「……もう泣くなよ。これからは毎日一緒だ」
俺が立ち上がると、エルーカは俺の胸に飛び込んできた。
ドンッ! と強い衝撃。
華奢な体からは想像もつかない力強さと、温かさ。
「大好きです、ナオトさん! ……あ、名前で呼んじゃった」
彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、恥ずかしそうに笑った。
師匠じゃなく、名前で。
それが、俺たちの新しい関係の始まりだった。
「ああ。これからは名前で呼んでくれ。……愛してるぞ、エルーカ」
「私もです! 世界で一番、愛してます!」
俺は彼女の背中に腕を回し、強く抱きしめ返した。
この温もりを、一生守り抜く。
神に誓って――いや、俺自身の魂にかけて誓う。
月明かりの下、二人の影が一つに重なる。
遠くで、教会の鐘が鳴った気がした。




