第83話 最適化完了《リファクタリング・コンプリート》。 〜システム復元で消されかけた俺たちを、正規ユーザーとして登録した〜
俺が最後のエンターキーを叩き込んだ瞬間。
神の領域『管理者の箱庭』を埋め尽くしていた赤い警告灯が、一斉に静まり返った。
シュゥゥゥン……。
空気を震わせていた不快な駆動音が消え、代わりに清涼な風のような音が流れる。
俺とミサのPC画面には、緑色のプログレスバーが100%に達し、『Complete(完了)』の文字が輝いていた。
「……どうだ、管理者様」
俺は眼鏡のブリッジを押し上げ、巨大なモノリスを見上げた。
「これが俺たちの回答だ。お前の言う『削除』なんかじゃなく、『圧縮』による解決策だ」
モノリスが、困惑するように明滅する。
その表面に表示されていたグラフ――世界のメモリ使用率を示す赤いラインが、急激に下降を始めていた。
99%……80%……60%……。
そして、45%でピタリと止まり、安定を示す青色へと変わった。
『Analysis result... Memory usage significantly reduced.(解析結果……メモリ使用率、大幅に低下)』
『System load: Normal. Danger level: None.(システム負荷、正常。危険レベル、なし)』
神の声に、先ほどまでの冷徹な響きはない。
あるのは、純粋な驚愕と、理解不能な事象への戸惑いだけだ。
『Why?(なぜ?)』
神が問う。
『Why did you optimize the "Bug" called Magic?(なぜ、魔法という「バグ」を最適化したのですか?)』
「バグじゃない。……あれは、この世界に生きる連中の『想い』だ」
俺はガントレットを下ろした。
「数千年の歴史の中で、人間たちは必死に魔法を改良し、継承してきた。無駄に見える記述も、非効率な詠唱も、全部あいつらが積み重ねてきた歴史だ。……それを『重いから』って理由だけでゼロにしようとして切り捨てるのは、エンジニアとして三流の仕事だ」
俺はミサと顔を見合わせた。
彼女もPCを抱きしめ、誇らしげに微笑んでいる。
「だから俺たちは、その想いを残したまま、システム的に正しい形に翻訳し直した。……『リファクタリング』って言うんだよ、こういうのをな」
『Refactoring... Updating history while preserving functions...(リファクタリング……機能を維持したまま、履歴を更新する……)』
神が反芻する。
そして、モノリスの光が、穏やかな金色へと変わっていった。
『Calculation complete. The necessity for "Deletion" has been eliminated.(計算完了。「削除」の必要性は消滅しました)』
『Aborting World Reset Protocol.(世界リセットプロトコル、中止)』
宣言と共に、空に浮かんでいた不吉なカウントダウンが消滅した。
同時に、世界各地で発生していた異常気象や、魔物の暴走も収束していくのが、モニター越しに伝わってくる。
「……止まった」
ミサがへなへなと座り込んだ。
「止まりましたよ先輩……私たちの勝ちです」
「ああ。……勝ったな」
俺も大きく息を吐いた。
振り返ると、ボロボロになったエルーカとレギナが、互いに支え合いながら立っていた。
「師匠……! 本当に、世界を救っちゃったんですね……!」
「フン。当然だ。私が選んだマスターなのだからな」
二人は傷だらけだが、その瞳は輝いている。
俺は歩み寄ろうとした。
――その時。
『However.(しかし)』
冷徹な声が、背後から響いた。
空気が凍りつく。
俺が振り返ると、金色の光を放っていたモノリスが、再び不気味な赤色へと変色していた。
『The problem of memory shortage is resolved. But a new "Critical Error" has been detected.(メモリ不足の問題は解決しました。ですが、新たな「致命的エラー」が検知されました)』
「……なんだと?」
『Anomaly: "Naoto Kudo" and "Misaki Sanjo".(異常存在:「工藤ナオト」および「三条美咲」)』
『Entities with the power to alter the world's logic are a threat to system stability.(世界の理を改変しうる存在は、システムの不安定要素です)』
神の論理が、冷酷に結論を導き出す。
『Therefore, executing "System Restore".(故に、「システム復元」を実行します)』
『Returning foreign objects to their original coordinates.(異物を、本来あるべき座標へ返還します)』
「システム復元……!?」
その単語を聞いた瞬間、ミサが身構えた。
まただ。
あの時と同じ、強制ログアウトの光が俺たちを包み込もうとする。
「ふざけるな! また俺たちを追い出す気か!」
『Affirmative. Correcting the anomaly.(肯定します。異常を修正します)』
圧倒的な力が、俺たちの魂を引き剥がそうとする。
指先が透け、PCのキーボードを叩く感覚が薄れていく。
「くっ、体が……!」
「先輩! これじゃキーが打てませんよ!」
物理的な干渉手段を失えば、俺たちは無力だ。
抵抗できないまま、元の世界へ強制送還される――。
その時。
俺の懐のインカムから、鋭い声が響いた。
『――諦めないでください、マスター!』
「リリス!?」
『私が演算処理を引き継ぎます! マスターとミサさんは、そのまま意識を強く保ってください!』
地上のスパコン『アカシック・レコード』に常駐しているリリスが、回線をフルオープンにする。
彼女は俺たちのPCを経由して、神の復元プロセスに割り込んだ。
『Execute: Anchor_Protocol!(実行:アンカー・プロトコル!)』
『Locking Soul Coordinates... Fix!(魂の座標をロック……固定!)』
リリスの叫びと共に、俺たちの周囲に青い光の檻が出現した。
それは、俺たちが現代日本から帰還する際に組み込んでおいた「魂の杭」だ。
リリスが地上のスパコンの全リソースを使って、この座標に俺たちを縫い止めているのだ。
『ぐぅ……ッ! 神の干渉圧力が強すぎます……! 回路が焼き切れる……!』
「リリス! 無理するな! お前が壊れるぞ!」
『構いません! 私はマスターのAIです! マスターの居場所を守るのが、私の最優先命令ですから!』
リリスの声にノイズが混じる。
彼女が身を挺して稼いでくれた数秒。
それが、俺たちの実体を取り戻させた。
「……ありがとな、リリス」
指先の感覚が戻った。
俺はニヤリと笑い、PCのキーボードを叩いた。
リリスが繋いでくれたパスを使って、神の認証システムに新たな定義を叩き込む。
「二度は食わねぇよ、その手は」
俺たちのPC画面には、一つのプログラムが実行されていた。
『User_Registration(ユーザー登録)』。
「俺たちは一度、あっちの世界を捨てて、自分の意志でここに戻ってきたんだ。俺たちは決めたんだよ。ここで生きていくって」
俺は叫んだ。
「この世界の住人になる覚悟は、とっくに決めてるんだよ! 今更『お客様』扱いで追い出せると思うな!」
「そうよ! 私たちはもう、バグじゃない!」
ミサも叫ぶ。
彼女はPCを操作し、俺たちのIDを正規の管理者として申請する。
『Add User: Naoto & Misa.』
『Role: Administrator.(役割:管理者)』
「私たちは、この世界の『管理者』よ! 追い出すんじゃなくて、アカウントを登録しなさいよ!」
ッターン!!
ミサがエンターキーを叩くと、俺たちを包んでいた排除の光が弾け飛んだ。
『Authentication... Confirmed.(認証……確認)』
『New Admin registered.(新規管理者を登録しました)』
モノリスの赤色が消え、澄んだ青色へと安定する。
神は、俺たちを異物ではなく、正規の管理者として受け入れたのだ。
「……ははっ。どうだ」
俺はPCを閉じ、ガントレットを下ろした。
『マスター、ミサさん。……おかえりなさい』
インカムから、リリスの安堵した声が聞こえた。
「ああ。……ただいま、リリス」
静寂が戻る。
今度こそ、本当に終わりだ。
「師匠ッ!!」
「マスター!!」
エルーカとレギナが駆け出してくる。
今度は、その手はすり抜けなかった。
二人は俺とミサに抱きつき、確かな体温を伝えてきた。
「よかった……! また消えちゃうかと思いました……!」
「馬鹿者が……! 心配させおって……!」
二人が泣いている。
ミサも、もらい泣きしながら二人を抱きしめ返している。
「大丈夫だよ。……もう、どこにも行かないから」
俺は三人の頭を撫でた。
ここが俺の居場所だ。
どんなバグがあっても、どんな理不尽があっても。
この騒がしくて愛おしい世界で、俺はエンジニアとして、そして「何でも屋」として生きていく。
『System Update Complete. World is now Stable.(システム更新完了。世界は安定しました)』
神の声が、どこか満足げに響いた気がした。
こうして、世界を巻き込んだデバッグ作業は、最高のハッピーエンドで幕を閉じた。




