第79話 さよなら、灰色の現実。 〜便利な日本より、バグだらけの異世界《きみたち》がいい。再ログイン《リコネクト》!〜
夜の東京湾岸道路。
無人のトラック(もちろん拝借したものだ)の荷台で、俺たちは風に吹かれていた。
運転席にはエルーカ。
「馬車と同じ要領ですよね!」と言ってハンドルを握った彼女の運転は、荒っぽいが迷いがない。
「追手が来ます! 後方、パトカー型のボット多数!」
荷台から後ろを監視していたミサが叫ぶ。
赤色灯を回した白黒の車列が、不気味なほどのスピードで迫ってきていた。
「しつこいな。……ここから先へは通さんぞ」
レギナが荷台の端に立ち、鉄パイプとバールのようなものを構える。
魔力はない。だが、その立ち姿はかつての四天王そのものだ。
「ミサ、しっかり捕まっておけ。少し揺れる」
レギナが鉄パイプを投擲した。
ヒュンッ!
槍のように放たれた鉄塊は、先頭のパトカーのフロントガラスを突き破り、運転席の制御系を破壊する。
キキーッ!!
制御を失ったパトカーがスピンし、後続車を巻き込んで盛大にクラッシュした。
「すごい……。魔法なしでこれって」
ミサが呆気にとられる。
物理最強。それが今の俺たちの唯一の防衛手段だ。
「師匠! もうすぐ目的地です! リリスさんの信号、強くなってます!」
運転席からエルーカの声が飛んでくる。
彼女のダッシュボードには、無骨な金属製のタブレット――地下ラボでスパコン建造時に作った『携帯用監視モニター』が置かれている。
リリスはあの時、咄嗟にこの端末に避難して、一緒にこちら側へ飛ばされてきたのだ。
目指すは東京湾の埠頭。
そこが、この閉鎖空間の「境界線」が最も薄くなっている脱出ポイントだ。
◇
人気のない埠頭に、トラックが急停車する。
俺たちは荷台から飛び降りた。
目の前には東京湾の暗い海。その向こうには、煌びやかな夜景が広がっている。
『マスター! ここです!』
エルーカが持ってきた監視モニターから、リリスの声が響く。
海上の空間に、ピリピリとしたノイズが走っていた。
次元の裂け目だ。リリスが向こう側の本体とリンクし、必死にこじ開けようとしている。
『ですがマスター、座標が安定しません! 向こう側の空間強度が強すぎて、正確な「穴を開ける位置」が特定できないのです! このままでは接続できません!』
リリスが悲鳴を上げる。
向こうからはこちらの「壁の薄い場所」が見えていない状態だ。
闇雲にドリルを突き立てても、繋がる確率は天文学的に低い。
「安心しろリリス。……そのために、こいつを買ってきたんだ」
俺は小脇に抱えたノートPC『神殺し1号』をコンテナの上に置いた。
ミサも『2号』を展開し、エルーカの監視モニターをUSBケーブルでPCに直結する。
「いいかミサ。俺たちのPCで魔法は使えない。だが、『計算』ならできる」
俺はPCを起動し、解析ツールを立ち上げた。
モニターに内蔵された魔力センサーが拾う、周囲の空間ノイズのデータを読み込む。
「リリスが向こうから干渉しているせいで、こっちの空間にも微細な『ゆらぎ』が出ているはずだ。それをこのPCのCPUパワーで解析し、逆算して……」
「リリスちゃんに、『ここ掘れワンワン』って信号を送るんですね!」
ミサが理解してキーボードを叩き始める。
そう、これは魔法じゃない。
ただのデータ解析と通信だ。現代のPCが最も得意とする分野だ。
「同期開始! ノイズの波形パターンを解析……座標特定!」
画面に、複雑な波形グラフが表示される。
その一点、波形がピタリと重なるポイントがある。
「見つけた! リリス、座標データを送るぞ! モニター経由で受信しろ!」
『データ受信……確認! 誤差修正、0.01%未満! これなら行けます!』
俺とミサはエンターキーを叩いた。
PCからモニターへ、そして次元を超えてリリスの本体へ、正確な「誘導信号」が送信される。
「ゲート開放シークエンス、起動!」
次の瞬間、海上の空間がバヂヂヂッ! と音を立てて裂けた。
リリスが誘導信号に従って、正確に一点を貫いたのだ。
亀裂の中から、懐かしい「異界の空気」が漏れ出してくる。
マナの匂いだ。
「開いた……! 帰れますよ先輩!」
ミサが顔を輝かせる。
だが、その背後から、無数の足音が迫ってきていた。
ザッ、ザッ、ザッ……。
埠頭の入り口を塞ぐように、警官隊、SAT、さらには戦車のような重機までが現れた。
警備プログラムの総力戦だ。
彼らの顔には表情がない。ただ「バグを排除する」という命令だけに従う、無機質な殺意。
「行かせんぞ、侵入者ども」
先頭に立つ指揮官らしき男が、手を振り下ろした。
一斉射撃。銃弾の雨が降り注ぐ。
「チッ、数が多い!」
俺たちはコンテナの影に隠れた。
いくらエルーカたちが強くても、銃弾の雨の中を突っ切るのは無謀だ。
「師匠! ゲートへ急いでください! ここは私たちが!」
エルーカが鉄板を盾にして叫ぶ。
「馬鹿野郎! 置いていけるか!」
「置いていくんじゃありません! 先に行って、向こう側からゲートを安定させてください!」
レギナが叫び返す。
彼女の瞳は真剣だった。
「今のゲートは不安定だ! 誰かが向こう側で制御しなければ、すぐに閉じてしまう! そうなれば全員終わりだ!」
「……っ!」
そうだ。
今のゲートは、俺のPCからの誘導信号だけでギリギリ維持されている。
だが、ここで乱戦になれば接続が切れるかもしれない。
確実に維持するには、向こう側に入り、内部から回線を固定するしかない。
「……分かった。信じるぞ!」
俺はPCを抱え直し、ミサを見た。
「行くぞミサ! 俺たちが先に入って、ゲートを固定する!」
「はいっ!」
俺たちは飛び出した。
銃弾が足元を掠める。
だが、エルーカとレギナが盾となり、道を切り開いてくれる。
ゲートの前までたどり着いた時、俺はふと、足を止めた。
振り返る。
そこには、東京の夜景が広がっていた。
東京タワー、レインボーブリッジ、高層ビル群。
俺が生まれ育ち、そして死んだ街。
便利で、安全で、清潔な世界。
ここに戻れば、もう命の危険に晒されることもない。
デスマーチはあるかもしれないが、モンスターに食われることはない。
コンビニのご飯も、アニメも、ゲームもある。
「……先輩」
ミサも立ち止まり、俺と同じ景色を見ていた。
「未練、ありますか?」
彼女の声は静かだった。
「……あるよ。山ほどな」
俺は正直に答えた。
カップ麺の新商品も気になるし、録画したままのアニメの続きも見たい。
平和ボケしたこの空気が、心地よくないと言えば嘘になる。
「私もです。……新作コスメも欲しいし、推しのライブにも行きたいし」
ミサが苦笑する。
「でも……」
彼女は視線を、戦っているエルーカたちに向けた。
傷だらけになりながら、それでも笑顔で俺たちの背中を守ってくれている仲間たち。
「先輩がいない世界なんて、いくら便利でも……『エラー』ですから」
その言葉に、俺の迷いは消し飛んだ。
ああ、そうだ。
俺の居場所は、もうここじゃない。
あっちの世界は不便だ。
風呂は薪で沸かさなきゃいけないし、トイレも水洗じゃない場所が多い。
モンスターはいるし、神様は俺たちを殺そうとしてくる。
バグだらけの、クソみたいな世界だ。
だけど。
あそこには、俺を必要としてくれる奴らがいる。
俺が守りたいと思う、大切な「バグ」たちがいる。
「……帰ろう。俺たちの『職場』へ」
俺はミサの手を握った。
その手は温かく、強く握り返された。
「はい! ……さあ、残業再開ですよ!」
俺たちは同時に地面を蹴った。
背後の銃声も、怒号も、もう聞こえない。
目の前には、眩い光の渦。
さよなら、灰色の現実。
こんにちは、極彩色の異世界。
「再ログインッ!!」
俺たちの体は光に飲み込まれ、次元の彼方へと消えていった。
手には最強のPCと、コンビニ袋いっぱいのジャンクフードを抱えて。
◇
気がつくと、俺は白い床の上に立っていた。
神の領域、『管理者の箱庭』。
数分前まで戦っていた、あの場所だ。
「……戻って、きた」
体の奥底から、力が湧き上がってくるのを感じた。
『管理者権限』。
使えるかどうかは別として、俺のスキルが戻ってきた。
眼鏡のHUDが起動し、周囲の情報が奔流のように流れ込んでくる。
「先輩! 魔力回路、正常です! スキル使えます!」
「ああ! だが使うなよ! 消される!!」
ここは神の腹の中だ。
一瞬でも能力の波長を出せば、即座に感知されて存在ごと消去される。
ルナがいない今、俺たちは丸腰も同然だ。
『おかえりなさい、マスター!』
リリスのホログラムが飛び出してきた。
「ただいま。……さあ、仕上げだ」
俺はPCを地面に置き、落ちていたガントレットを拾い上げ、ケーブルで接続した。
要塞を中継アンテナとして利用し、地上のスパコン『アカシック・レコード』の演算能力を借りて、ゲートの維持コードを物理的に上書きし続ける。
「エルーカ! レギナ! こっちだ! ゲートを固定したぞ!」
俺が叫ぶと、ゲートの向こうから二つの影が飛び出してきた。
ボロボロの服、煤けた顔。だが、その表情は生き生きとしていた。
「とあぁぁぁっ!」
二人は勢いよく俺たちの前に着地する。
直後、俺がエンターキーを押すと、ゲートがプツンと音を立てて消滅した。
間一髪だ。
「はぁ、はぁ……! ま、間に合いましたね!」
「フン。あっちの警備兵、数は多いが脆かったな」
エルーカとレギナが立ち上がり、俺たちを見て安堵の表情を浮かべた。
「師匠! ミサさん! 良かったですぅ〜……」
「おかげさんでな」
俺はPCを小脇に抱え直した。
現代のテクノロジーと、異世界のチート能力。
二つが合わさった今、俺たちに不可能はない。
だが、戦うのはあくまで「物理」だ。
目の前には、沈黙したままの巨大なモノリス――神がいる。
『Welcome back, Irregulars.(おかえりなさい、イレギュラーたち)』
神の声が響く。
だが、そこには以前のような絶対的な威圧感は感じられなかった。
俺たちが、その理不尽なルールすら乗り越えて帰ってきたことに、システムが動揺しているのかもしれない。
「待たせたな、管理者さん。いや、運営さん、か?」
俺は眼鏡を押し上げ、不敵に笑った。
「……さあ、最後のデバッグ合戦を始めようか」




