第8話 頑固ドワーフ「魔法使いはお断り」 俺「炉の燃焼効率、バグってるぞ?」 → 結果:意気投合して徹夜作業
王都の北区画に位置する職人街。
ここは貴族たちが住む煌びやかな中央区とはまるで別世界だ。常に石炭の煤と鉄の焼ける匂いが漂い、熱気が澱んでいる、男臭いエリアである。
カンッ、カンッ、カンッ――。
ガァンッ、ガァンッ――。
あちこちの工房から、ハンマーが鉄を叩くリズムが重なり合い、まるで街全体が巨大な工場の心臓部であるかのような喧騒を作り出している。
行き交う人々も、煤で顔を汚した屈強な男たちや、筋肉隆々のドワーフばかり。荷車には巨大な鉄塊や木材が積まれ、ゴトゴトと重い音を立てて石畳を削っていく。
俺たち一行は、その熱気の中を歩いていた。
「……暑いな。サウナかよ、ここは」
俺は思わずコートの襟を緩め、額の汗を拭った。
街全体が巨大な炉の余熱に包まれているようだ。
新しい眼鏡の『対魔力光コーティング』のおかげで、飛び交う火の粉や魔法の火花による目の痛みはないが、物理的な気温はどうしようもない。
「師匠、あそこです! ドワーフのボルグさんがやっているお店は!」
エルーカが指差したのは、職人街のさらに奥まった路地にある、一際古びた石造りの建物だった。
煤で黒ずんだ壁には、歴戦の傷跡のような亀裂が走っている。看板には武骨な文字で『剛腕工房』と書かれている。
そしてその下には、殴り書きのような注意書きがぶら下がっていた。
『軟弱者と魔法使いはお断り。鉄の言葉が分かる奴だけ入れ』
……なるほど。噂通りの偏屈ぶりだ。
俺は苦笑しながら、重厚な鉄の扉を押し開けた。
◇
ギィィィ……と重い音を立てて扉が開く。
店内に入った瞬間、さらに強烈な熱波が顔を叩いた。
薄暗い店内は、奥にある炉の赤い光だけが照明代わりになっている。空気が乾燥しきっていて、呼吸をするたびに肺が焼け付くようだ。
壁には剣、斧、槍、鈍器など、実用性一辺倒の武器が所狭しと並べられていた。どれも貴族好みの装飾は一切ない。
だが、素人目に見ても「切れる」「砕ける」と分かる、殺傷能力に特化した鋭いオーラを放っている。
「うっ……すごい威圧感ですね……」
エルーカが気圧されたように身を縮める。
ただそこに置いてあるだけで、武器たちが「俺を使え」と訴えかけてくるようだ。
「いらっしゃい……なんだ、ひょろっとした優男か」
カウンターの奥から、地響きのような低い声が響いた。
現れたのは、身長は俺の胸ほどしかないが、横幅は倍ほどありそうな岩のような男。
立派な赤髭を胸まで蓄え、丸太のような腕をしたドワーフ、ボルグだ。
彼は俺の姿――特にヨレヨレの服と、手に豆ひとつない指先を一瞥すると、興味なさげに鼻を鳴らした。
「悪いが、うちは魔導師向けの杖なんぞ置いてねぇぞ。飾り物の杖が欲しいなら、中央通りの宝飾店に行きな。ここは戦う道具を作るところだ」
予想通りの門前払いだ。
「杖が欲しいわけじゃない。特注の相談だ」
「特注だと? はんっ、どうせ『魔力を増幅する宝石をつけてくれ』だの『軽くしてくれ』だの、くだらん注文だろう。魔法使いってのは、鉄の重みも知らんくせに道具に頼るから気に入らねぇ」
ボルグは俺たちに背を向け、再び炉に向き合った。真っ赤に焼けた鉄塊を火箸で掴み、金床に乗せる。
完全に相手にされていない。
だが、俺は気にならなかった。むしろ、彼の視線の先――赤々と燃える炉の中身に興味を惹かれたからだ。
俺の眼鏡越しに、炉の炎の情報が流れてくる。
『Target: Blast_Furnace(対象:高炉)』
『Temp: 1250℃(温度:1250度)』
『Efficiency: 82%(燃焼効率:82%)』
『Warning: Oxygen supply unstable(酸素供給が不安定)』
……惜しいな。
温度管理が甘い。
これでは、彼が打とうとしているミスリル合金の融点に対して、わずかに温度ムラが生じてしまう。
「……火、息継ぎしてるぞ」
俺はボソリと呟いた。
ハンマーを振り上げようとしていたボルグの手が止まる。
「ああん?」
ボルグが眉をひそめて振り返る。眼光鋭く睨みつけてくるが、俺は動じずに続けた。
「右の通気口、煤が詰まってる。そのせいで酸素供給のパケットロス……じゃなくて、風の流れが乱れてる。燃焼効率が8割まで落ちてるぞ。それじゃあ、良いミスリルは打てない」
「なっ……!?」
ボルグの目が大きく見開かれた。
彼は慌てて炉の右側を覗き込み、通気口を火箸でつついた。
ボロッ、と黒い塊が崩れ落ちる。
その瞬間、ゴォォォォッ! と炉の炎が一気に勢いを増し、色が赤から青白く変化した。
『Temp: 1400℃... Stable(安定)』
「……ば、馬鹿な。見ただけで通気口の詰まりを見抜いたのか? お前、何者だ?」
ボルグが信じられないものを見る目で俺を凝視する。
職人にとって、炉の火加減は命だ。それを一瞬で見抜かれたのだから、驚くのも無理はない。
「俺か? ただの『エンジニア』だよ」
俺はニヤリと笑った。
「あんたが鉄と対話するように、俺は現象と対話してるだけだ。……どうだ? これで話を聞く気になったか?」
ボルグはしばらく俺を睨みつけていたが、やがて太い腕を組み、ふんっ、と鼻を鳴らした。
その顔には、先ほどまでの侮蔑の色はなく、同じ職人を見るような警戒と興味が混じっていた。
「……いいだろう。腕は確かなようだな。で、何を作りたいんだ? 剣か? 槍か?」
「いいや。俺が欲しいのは――」
俺は懐から、昨日徹夜で書き上げた設計図を取り出し、カウンターに広げた。
羊皮紙いっぱいに描かれた、緻密な図面。
「『入力装置』だ」
「……は?」
ボルグ、エルーカ、レギナの三人が同時に声を上げた。
無理もない。設計図に描かれているのは、武器には見えない奇妙な代物だ。
左腕に装着するガントレット型。
ただし、甲の部分には防御用の鉄板ではなく、小さなミスリルの板――『キー』が規則正しく並べられている。
「俺の魔法は、指先の動きで術式を記述する。だが、空中にキーボードを出して打つのは、手応えがなくて打ちにくいんだよ」
今の俺は、いわばタブレットのガラス面を叩いているようなものだ。
打鍵感がない。
キーを押し込んだ時の「カチッ」という感触、指を跳ね返すバネの反発力。それがないと、高速タイピングのリズムが狂うし、タイプミスも増える。
「だから、物理的なキーが欲しい。このガントレットのキーひとつひとつに、独立したバネと魔力接点を仕込んでくれ」
俺は熱弁を振るった。
キーボードへのこだわりは、エンジニアの命だ。ここだけは譲れない。
「いいか、親父さん。重要なのは『押し心地』だ。軽すぎてもダメ、重すぎてもダメだ。押下圧は50グラム。押し込んだ時に『カチリ』と小気味よいクリック感が指に伝わるように、内部の板バネを調整してくれ。前世で言うところの『青軸』だ!」
「あ、青軸……? おうかあつ……?」
ボルグが目を白黒させている。聞いたこともない単語の羅列に戸惑っているようだ。
だが、俺は止まらない。
「素材はミスリルとアダマンタイトの合金だ。俺の打鍵速度はスキルのおかげもあって最大で分速1200文字を超える。秒間20連打だ。普通の鉄じゃ、摩擦熱でバネが焼き切れるからな。耐久性は必須だ」
「な、なんのこと言ってんだ…!?」
「あと、魔力伝導率は99%以上を確保してくれ。コンマ1秒の遅延が、命取りになる。特にここ、エンターキーに当たる部分は少し大きく、かつ打鍵音を大きめにしてほしい。決定打を撃つときに気持ちいいからな」
俺が一気にまくし立てると、店内は静まり返った。
エルーカは「し、師匠が早口に……」とドン引きし、レギナは「……道具への異常な執着。やはりマスターは変態的なまでにプロフェッショナルだ」と謎の解釈をして頬を染めている。
ボルグは設計図を食い入るように見つめ、長い髭を撫でていた。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。
その目には、職人としての燃えるような光が宿っていた。
「……面白ぇ」
彼はニヤリと笑い、俺の手をガシッと握りしめた。その手は分厚く、熱かった。
「羽毛のような軽さと、鋼のような反発力を併せ持つカラクリ仕掛けの籠手……か。そんな注文をしてくる馬鹿は、ドワーフの中でもいねぇぞ。血が騒ぐじゃねぇか」
「作れるか?」
「愚問だな! ドワーフの技術力を舐めるなよ! テメェの指が先に悲鳴を上げるような、最高の『青軸』とやらを作ってやるよ!」
「交渉成立だな」
俺たちはガッチリと握手を交わした。
種族も専門分野も違うが、俺たちは同じ人種だ。
自分の技術にプライドを持ち、困難な仕様ほど燃え上がる、馬鹿な職人同士。
「おい、そこの嬢ちゃんたち! 炉の火を強めるぞ! 今日は徹夜だ!」
「ええっ!? わ、私たちも手伝うんですか!?」
エルーカが驚くが、ボルグは既にハンマーを構えている。
俺も上着を脱ぎ捨て、袖をまくり上げた。
「当たり前だろ。俺も内部回路の設計をする。最高のデバイスを作るんだ、寝てる暇なんてないぞ」
こうして、王都の片隅にある古びた工房で、異世界初の『魔導入力装置』の開発が始まった。
その夜、職人街には朝まで、鉄を叩く音と、俺とボルグの「そこだ!」「もっとバネを強く!」「排熱が間に合わん!」という怒号が響き渡ることになる。
……あー、楽しい。
やっぱり俺は、根っからの技術屋なんだな。
火花散る工房の中で、俺は久しぶりに心からの笑みを浮かべていた。




