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【完結】『異世界の管理者権限(アドミン) 〜バグだらけの世界を「仕様変更」して無双する。最強の相棒(UI担当)と組んで、物理キーボードで神様をハッキングしました〜』  作者: 文月ナオ
第二章 ウイルス・スキャンとスパムダンジョン

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第75話 システム復元《System Restore》。 〜死ななかった世界線と、味のしないコンビニ弁当〜


 ……プツン。


 唐突に、意識が途切れたような感覚があった。

 視界を埋め尽くしていた白い光が消え、代わりに馴染み深い、無機質な天井が広がっていた。


「……ッ、はぁっ!」


 俺はガバッと顔を上げた。

 心臓が早鐘を打っている。嫌な汗が背中を伝う。

 何か、とても恐ろしいことが起きたような気がする。あるいは、とても大切なものを失ったような。


「……ここは」


 周囲を見渡す。

 薄暗いオフィス。並んだデスク。唸りを上げるサーバーの駆動音。


 俺のデスクの上には、飲みかけの缶コーヒーと、散乱した書類。


 モニターには、見慣れたIDE(統合開発環境)の画面が表示されている。


 夢……か?

 俺はキーボードに手を置いていたまま、寝落ちしていたらしい。


「……もう、こんな時間か」


 タスクバーの時計を見る。

 0時45分。

 納品期限はもう今日の朝。典型的なデスマーチの真っ最中だ。


 ふと、隣の席を見る。

 誰もいない。


 椅子にはブランケットがかけられ、PCはスリープモードに入っている。


「……そうだよな。帰したんだっけ」


 彼女は限界だった。これ以上働かせたら潰れてしまうと思って。


 ……あれ?


 なんでそんなことが、遠い昔のように感じるんだろう。ついさっきのことのはずなのに。


 カツ、カツ、カツ……。


 静まり返ったオフィスに、ヒールの音が響いた。

 入り口のドアが開く。


「……ただいま戻りました」


 入ってきたのは、帰したはずの彼女だった。

 ミルクティー色のロングにシアンブルーのインナーカラー。疲れた顔をしているが、その瞳には奇妙な力が宿っている。


「ミサ……?」


 俺の口から、自然とそんな名前が出た。

 彼女がピクリと反応する。


「お前、帰ったはずじゃ……」


 ……って、あれ?

 ミサ……ってなんだ?


 こいつは三条、だよな? 三条美咲。俺の職場の後輩。

 なんで俺は今、こいつをそんなあだ名で呼ぼうとしたんだ?


「……なんだか、戻ってこなきゃいけない気がしたんです」


 三条はデスクに鞄を置きながら、ポツリと言った。


「なんだそりゃ? 早く帰った方がいいぞ。あとは俺がやっとくから」


「もう、終電終わってます」


「……あー」


 時計を見る。確かに。


「ミサ……三条の家って、遠かったっけ?」


「歩いたら2時間以上かかります」


「まあ……この時間に歩いて帰るわけにもいかんか。配車アプリでタクシー呼んでやるから、帰って寝ろ」


 俺はスマホを取り出そうとした。

 だが、三条は首を横に振った。


「手伝います! 先輩、今にも死にそうな顔してるんで」


「お前なぁ……」


 俺は溜息をついた。

 確かに俺は3日寝てないし、カフェイン漬けで体はボロボロだ。

 でも、だからこそお前を巻き込みたくないんだよ。


「そうしたいんです。そうしなきゃ……いけない気がするんです」


 三条が俺をじっと見つめる。

 その瞳に、俺はなぜか逆らえないものを感じた。

 まるで、過去に同じようなやり取りをしたことがあるような、既視感。


「……わかった。じゃあ、デスマーチに付き合ってくれ」


「はい!」


 三条が嬉しそうに椅子に座り、PCを起動する。

 俺たちは再び、モニターの光に向き合った。


 ◇


「先輩。この決済モジュールの例外処理、仕様書と食い違ってます」


「あー、そこな。クライアントが昨日の夜中に『やっぱ変えて』って言ってきたんだよ。APIのバージョンが古いから、ラッパー噛ませて誤魔化してる」


「うわぁ……技術的負債の塊ですね。リファクタリングしたい」


「今は動けばいいんだよ。綺麗なコードより、納期に間に合うクソコードだ」


「先輩のそういうとこ、ほんと……変わんないですね」


「ん?」


「いえ、なんでもないです。……あ、こっちのDB接続、コネクションプール枯渇してますよ」


「マジか。設定ファイル書き換える。……maxActive増やして、タイムアウト短くしろ」


 淡々と交わされる専門用語。

 キーボードを叩く音だけが響く深夜のオフィス。

 いつも通りの光景のはずだ。

 俺たちはこうやって、何度も修羅場をくぐり抜けてきた。


 だというのに。


 俺の指先は、なぜか震えていた。

 コードを書けば書くほど、胸の奥に冷たい風が吹き抜けるような感覚がある。


 何かが足りない。何かが違う。

 もっと……もっと自由で、デタラメで、心躍るような「開発」を知っていた気がする。


「……ふぅ」


 俺が最後のコミットを終えた時、時計は深夜3時半を回っていた。


「とりあえず、一区切りついたしそろそろ上がるか。ビルドは通った」


「お疲れ様です。……電車、ないですね」


 三条が伸びをしながら窓の外を見る。

 街の灯りはまだ消えていないが、静寂が支配している。


「タクシー呼んでやるから」


「先輩もタクシーですか?」


「いや、俺は近いし、コンビニで適当に飯買って歩いて帰るわ」


 俺のアパートはここから徒歩15分だ。

 タクシー代がもったいない。


「……泊めて……もらえませんか?」


 三条が、俯きながら言った。


「……はぁ? さすがにそれはマズイだろ」


 俺は素っ頓狂な声を上げた。

 独身男の部屋に、年頃の女性を泊める?

 しかも部下だ。コンプライアンス的にアウトすぎる。


「どうしてですか? 何か変なことするんですか?」


「せんわ」


 俺は軽く三条の頭にチョップを入れた。


「一人でいたくないんです。……なんでか分からないけど、今夜は一人になりたくないんです」


 三条の声が震えていた。

 その気持ちは、痛いほど分かった。


 俺もだ。


 今、一人で暗い部屋に帰ったら、得体の知れない喪失感に押しつぶされてしまいそうな気がしていた。


 不思議と俺も同じ気持ちだった。

 だから、断れなかった。


「……分かったよ。その代わり、後からセクハラされたとか根も葉もない噂立てるなよ」


「言いませんよ。先輩に限ってあり得ないって、分かってますから」


 三条が小さく笑った。

 その笑顔を見て、俺は少しだけホッとした。


 ◇


 深夜の住宅街を、二人で並んで歩く。

 コンビニの袋を提げて。


「しかし、あのクライアントの要件定義は甘すぎるよな。セキュリティホールだらけだ」


「ほんとですよ。SQLインジェクション対策もザルでしたし。私がフロント側でバリデーションかけなかったら即死でしたよ」


「助かったわ。お前のUI設計は気が利いてるからな」


「えへへ。先輩のロジックがしっかりしてるから、私も動きやすいんですよ」


 他愛のない仕事の話。

 でも、今はその「いつも通り」にしがみついていないと、足元が崩れそうだった。


 古いアパートに着き、鍵を開ける。


「お邪魔しまーす」


「狭いけど適当に楽にしててくれ。メシ温めるわ。三条はなんかレンチンするもん買ったか?」


「あ、この銀のハンバーグとからあげちゃんもレンチンお願いします」


「あいよ〜……って、俺と同じラインナップ……」


 俺は電子レンジに弁当を放り込み、ボタンを押した。

 ブォォォン……という回転音が、やけに大きく聞こえる。


 チン。

 温まった弁当をローテーブルに並べ、二人で床に座って箸を割る。


「いただきます」


 ハンバーグを口に運ぶ。

 ……味が、しない。

 いや、味はあるはずだ。濃いデミグラスソースの味だ。

 なのに、砂を噛んでいるように感じる。


(……もっと、美味いものを食ってた気がする)


 霜降りの焼肉とか、手作りのシチューとか、甘酸っぱい木の実とか。

 そんな記憶が、脳裏を掠めては消える。

 あれは一体、何の記憶だ?


 ふと見ると、三条も箸を止めていた。

 いつもは美味しそうに食べる彼女が、心なしか元気がない。


「……どうした? 口に合わなかったか?」


「いえ。……なんか、忘れちゃったみたいです」


「何を?」


「……何が美味しかったのか、を」


 彼女の瞳が揺れている。

 俺たちは黙々と、味のしない食事を胃に流し込んだ。

 腹は満たされたはずなのに、胸の中の空洞は広がるばかりだった。


 ◇


 シャワーの音が止み、バスルームの扉が開く。


「お風呂、お先でした」


 タオルで髪を拭きながら、三条が出てきた。

 俺の貸した大きめのTシャツを着ている。

 湯気と共に、シャンプーの香りが漂う。


「ん。狭くてごめんな」


「気にしませんよ。勝手にお邪魔しちゃった上にお風呂まで入らせてもらってるんですから」


「んじゃ、俺も入ってくるかな。三条は適当に寝てていいぞ。ベッド使っていいから」


「先輩はどこで寝るんですか?」


「床」


「疲れとれませんよ?」


「まあ、死にゃしないからいいよ別に。片付けも俺がやっとくから、お前は寝とけ。クマ、すごいぞ」


 俺はタオルを掴んでバスルームに入った。

 熱いシャワーを頭から浴びる。


 水流が肌を叩く感覚。


 ……シャワーがとても懐かしく感じる。

 いつもは、桶にお湯を溜めて、お節介な誰かが断ってるのに無理やり背中を流してくれて……。


「……誰だ?」


 金色の髪。銀色の髪。

 ぼやけた映像がフラッシュバックする。

 俺は頭を振って、冷水を顔に浴びせた。

 しっかりしろ。疲れてるだけだ。デスマーチで脳みそやられたかな。


 サッとシャワーを浴びて部屋に戻ると、机の上のゴミは綺麗に片付けられ、三条はベッドの上で丸くなって寝ていた。


 電気も消さずに、すーすーと寝息を立てている。


「こいつ、電気つけっぱでよく寝れるな……」


 俺は苦笑して、部屋の明かりを消した。

 暗闇の中、窓から街灯の光が差し込んでいる。

 俺は予備の毛布を引っ張り出し、床に寝転んだ。


 硬いフローリングの感触。

 天井のシミ。


 これが俺の現実だ。


 明日もまた、会社に行って、コードを書いて、バグを直して。

 それがずっと続いていく。


 ……なのに。


 胸の中にあいた穴は、さっきよりも広がっている気がした。


 大切な何かを忘れてしまったような。

 大切な何かを、理不尽に奪われたような。

 そんな喪失感が、胸を締め付ける。


「……先輩、起きてます?」


 不意に、暗闇から声がした。

 ベッドの方からだ。


「寝てる」


「……起きてるじゃん」


「今から寝んだよ」


 俺は背を向けて目を閉じた。

 しばらく無言が続く。


 ギシッ。

 ベッドが軋む音がした。

 ペタ、ペタと素足が床を踏む音。


 そして――。


「……」


 背中に、温もりを感じた。

 三条が、俺の背中にぴたりと寄り添うように横になった。


「お、おい三条……流石にボディタッチは……」


 俺が焦って振り返ろうとすると、背中の温もりが震えているのが分かった。


「……なんか……変なんです」


 消え入りそうな声。


「怖いんです。ここが私の部屋じゃないからとか、そういうのじゃなくて。……私が、私じゃないみたいに」


 彼女は、俺のTシャツの背中をギュッと握りしめた。


「世界が、嘘みたいに感じるんです」


「……なんだそりゃ」


 嘘だ。


 俺も、同じことを思っている。


 この現実が、まるで精巧に作られたセットのように希薄で。

 本当の自分は、別の場所にいるはずだという感覚。


 なんで三条も、同じことを感じてるんだ?


「……今日は……このまま寝させてください」


「疲れとれないぞ」


「死なないなら別にいいんです。……一人だと、消えちゃいそうで」


「被せてくんなよ……」


 俺は溜息をついたが、拒絶はしなかった。

 俺の背中に触れた彼女の指先は、小刻みに震えていた。

 その震えが伝染したのか、俺の鼓動も少しだけ早くなる。


 温かい。

 この温もりだけが、今、唯一の「リアル」に感じられた。


 俺たちはそのまま、深い眠りへと落ちていった。

 夢の中で、誰かの呼ぶ声が聞こえた気がした。


 ――マスター。

 ――師匠。

 ――ナオト。


 それは、とても懐かしくて、泣きたくなるほど愛おしい声だった。


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