第74話 感情なき管理者。 〜「仕様ですので」と思考停止する神様に、俺たちの提案は却下された〜
白い塔の内部は、静寂そのものだった。
外から見たときは石造りのように見えたが、中は全く違う。
壁も床も、半透明のガラスのような素材でできており、その奥を無数の光の粒が流れている。
ヒタ、ヒタ、ヒタ……。
俺とミサの足音だけが響く。
敵の気配はない。警備システムも作動していない。
ただ、圧倒的な情報量だけが、空気のように充満していた。
「……先輩。この壁の光、文字に見えませんか?」
ミサが壁に近づき、目を凝らす。
俺も眼鏡の位置を直し、壁の中を流れる光を注視した。
スキルは使えないが、ただ「見る」だけなら問題ない。
『……今日はパンが焼けた。子供たちが喜んでいる……』
『……雨が降らない。畑が枯れていく。神様、どうか……』
『……この剣を、未来の勇者に託す……』
それは、言葉だった。
誰かの日記、祈り、遺言。
無数の人々の、些細な日常や切実な願いが、文字列となって流れている。
「これは……『ログ』か」
俺は息を飲んだ。
ここはただの通路じゃない。この世界の歴史、人々の記憶そのものを記録し、保存するための巨大なストレージだ。
「すごい……。何千年分のデータが、ここに全部あるんですね」
ミサが畏怖の念を込めて呟く。
「ああ。……これだけのデータを維持するのに、どれだけの容量が必要になるか。想像するだけで胃が痛くなるな」
星霊が言っていた「メモリ不足」という言葉が、現実味を帯びて迫ってくる。
世界は広がりすぎた。記録されすぎた。
器から溢れた水が床を濡らすように、この世界のシステムは限界を迎えているのだ。
『Proceed.(進メ)』
頭上から声が降ってきた。
俺たちは顔を見合わせ、螺旋階段を登り始めた。
◇
最上階。
そこは、天井のない広大なドームだった。
頭上には、直接「宇宙」が広がっているかのような満天の星空。
そして中央には、光り輝く巨大なモノリスが浮遊していた。
人の形をしていない。
顔もなければ、手足もない。
ただ純粋な「機能」として存在する、幾何学的な光の集合体。
『Welcome, Irregulars.(ようこそ、イレギュラーたちよ)』
モノリスが明滅し、直接脳内に響く声を発した。
それは男の声でも女の声でもなく、複数の声が重なり合ったような、無機質な合成音声だった。
「……お前が、『運営』か?」
俺が問うと、モノリスは肯定するように光を強めた。
『I am "Deus Ex Machina". The administrator of this world system.(私はデウス・エクス・マキナ。この世界システムの管理者)』
神。
いや、自らシステム管理者と名乗ったか。
「なら話は早い。管理者さんよ、今すぐ『削除プロセス』を停止しろ」
俺はガントレットを構え、要塞経由で繋がっているスパコンとの回線を確認した。
通信感度良好。いつでも演算を叩き込める。
「お前がやってることは、ただの虐殺だ。メモリが足りないなら増設すればいい。データを消す権利なんて、お前にはないはずだ」
『Incorrect.(不正解)』
神は淡々と返した。
『Memory expansion is impossible. Hardware limitations have been reached.(メモリ増設は不可能です。ハードウェアの限界に達しています)』
『Therefore, data reduction is the only solution to prevent system crash.(故に、データ削減こそがシステム崩壊を防ぐ唯一の解です)』
「だからって、街ごと消すの!? あそこには生きた人間がいるのよ!」
ミサが叫ぶ。
だが、神には感情がない。
『Individual life is insignificant. The priority is the preservation of the "World".(個々の生命は些末です。優先すべきは「世界」の存続)』
典型的な、全体最適化の思考だ。
大勢を生かすために、少数を切り捨てる。
論理的には正しいのかもしれない。だが、エンジニアとしては三流の仕事だ。
「……芸がないな」
俺は吐き捨てた。
「リソースが足りないなら、コードを見直せよ。無駄な処理を削って、圧縮アルゴリズムを改善して、最適化するのが管理者の仕事だろ」
俺はガントレットのキーボードを叩いた。
地上のスパコンに、あるデータを計算させる。
それは、俺がこの世界に来てから集めた「魔法術式」の解析データだ。
「見ろ。この世界の魔法は『スパゲッティコード』だらけだ。数千年の間に継ぎ足しで作られたせいで、無駄な記述や重複処理が山ほどある」
ガントレットからホログラムを投影し、神に見せつける。
「俺たちが試算した結果だ。世界中の魔法式を最新の言語仕様でリファクタリングすれば、メモリ使用量は40%削減できる。……誰も消さずに、世界を救えるんだよ」
それは、俺とミサが徹夜で導き出した希望の数字だ。
削除じゃなく、圧縮と整理。
それだけで、この世界はあと数千年は保つ。
モノリスが沈黙した。
計算しているのだろう。俺の提案の妥当性を。
『……Calculation complete.(計算完了)』
『Your proposal is logically valid.(貴方の提案は、論理的に妥当です)』
「なら……!」
ミサの顔が明るくなる。
通じた。論理が通じる相手なら、交渉の余地はある。
だが、神の次の言葉は、俺たちを絶望の底に突き落とすものだった。
『However, rejected.(しかし、却下します)』
「……は?」
『The risk of rewriting the core system by "Irregulars" is too high.(「イレギュラー」による基幹システムの書き換えリスクは高すぎます)』
モノリスの色が、青から赤へと変わっていく。
『You are foreign objects. Viruses that disrupt the order of this world.(貴方たちは異物です。この世界の秩序を乱すウイルスです)』
『Granting admin privileges to a virus is a logical contradiction.(ウイルスに管理者権限を与えることは、論理的矛盾です)』
拒絶。
俺たちの提案が正しいかどうかではない。
俺たちが「この世界の住人ではない」という一点において、信用されなかったのだ。
「……ふざけんな。俺たちは、この世界を……自分たちの居場所を守りたいだけだ!」
『Intentions are irrelevant. Origin is everything.(意図は無関係。出自が全てです)』
神の周囲に、膨大な魔力が収束し始める。
対話の時間は終わりだ。
こいつは、俺たちを「排除すべきバグ」として認識した。
『Executing System Restore.(システム復元を実行します)』
神が宣告した。
攻撃魔法ではない。もっと根源的な、システムの巻き戻し。
「なっ……復元だと!?」
『Eliminating irregularities by rolling back to the state before infection.(感染前の状態へロールバックし、異物を排除します)』
俺たちの存在を「感染」と定義し、俺たちがこの世界に来る前の時間まで、俺たちの魂のデータを巻き戻すつもりだ。
つまり――強制的な帰還。
これは空間への干渉じゃない。時間軸への干渉だ。
今の俺たちの装備では防げない。
「リリス! スパコンの全リソースを使ってジャミングしろ! 演算を阻害するんだ!」
『やってますマスター! ですが、相手の処理能力が桁違いです! オーバーフローします!』
地上のスパコンが悲鳴を上げているのが分かる。
俺たちの作った最高傑作でも、神の出力には敵わないのか。
俺とミサの体が、光に包まれ始めた。
指先から感覚が消えていく。
「くそっ……! こんなところで……!」
俺はガントレットを振るうが、腕が透けてモノリスに触れることすらできない。
実体が消失し始めている。
『Goodbye, Travelers. Return to your reality.(さようなら、旅人たち。貴方たちの現実へ帰りなさい)』
神の慈悲のような、残酷な別れの言葉。
視界が白く染まる。
「先輩ッ!」
ミサが俺の手を掴もうとする。
だが、その手も光の粒子となって崩れていく。
「ミサ……!」
俺たちは手を伸ばし合った。
だが、指先が触れ合う直前、世界が反転した。
エルーカ。レギナ。ルナ。
ごめん。約束、守れそうにない。
意識が、遠のく。
異世界の色彩が消え、無機質な闇へと吸い込まれていく。
――ログアウト完了。




