第69話 深夜のデバッグ合宿。 〜差し入れの夜食と、バグゼロの奇跡〜
地下ラボの時計が、深夜2時を回っていた。
冷却パイプの応急処置が終わり、ハードウェアの危機は去った。ボルグたち職人衆は仮眠を取りに帰り、地下には静寂だけが残っている。
――いや、静寂ではない。
カチャカチャカチャ、ッターン。
無機質で、それでいて狂気じみた打鍵音だけが、延々と響き続けていた。
「……先輩。5340行目、魔力伝導率の係数がズレてます。修正してください」
「了解。……くそっ、こっちの演算モジュールもエラー吐いてやがる。並列処理の同期が取れてない」
俺とミサは、メインコンソールの前に並んで座り、死んだ魚のような目でモニターを凝視していた。
ハードが動いても、それを制御するソフトが未完成ではただの鉄屑だ。
『星の心臓』から供給される莫大なエネルギーを、暴走させずに次元干渉へと変換するための制御プログラム。
その記述は、まさに針の穴を通すような精密作業だった。
「……眠い」
ミサがガクンと船を漕ぐ。
彼女の目の下には濃い隈ができている。ここ数日、まともに寝ていない。
「寝ろミサ。あとは俺がやる」
「ダメです……。先輩一人じゃ、UI周りの調整まで手が回らないでしょ。……それに」
ミサは自分の頬をパンパンと叩いた。
「前世で先輩を一人にしたこと、まだ後悔してるんですから。……今度は絶対に、一人にはさせません」
その言葉に、俺は胸が締め付けられるような思いがした。
ミサもトラウマになってるんだな。
「……分かった。じゃあ、付き合ってもらうぞ。朝までコースだ」
「望むところです……! エナドリ持ってこいコラァ!」
俺たちは栄養ドリンクに見立てた怪しい色のポーションをあおり、再びキーボードに向かった。
チート能力は使えない。
管理者権限があれば一瞬で終わる作業を、一行ずつ手打ちで入力していく。
泥臭い。効率が悪い。
だが、この積み重ねだけが、確実に神への道を開くと信じて。
――コンコン。
その時、地下室の扉が控えめにノックされた。
「入るぞ、マスター。……まだ起きているのか?」
入ってきたのは、レギナとエルーカだった。
二人ともパジャマの上にガウンを羽織り、手には大きなお盆を持っている。
お盆からは、湯気と食欲をそそる香りが漂っていた。
「夜食を作ってきました! 特製のおにぎりと豚汁です!」
エルーカが笑顔でお盆をサイドテーブルに置く。
「根を詰めるのもいいが、腹が減っては戦はできんだろう。……休憩にしろ」
レギナが俺たちの椅子をクルリと回し、強制的に作業を中断させた。
「……助かる。ちょうど小腹が空いてたんだ」
「わぁっ! おにぎり! 具は何だろ!?」
ミサが目を輝かせて飛びつく。
俺たちはテーブルを囲み、深夜の夜食タイムに突入した。
「んん~っ! 美味しい! 五臓六腑に染み渡るぅ〜!」
ミサが豚汁を啜って至福の声を上げる。
「風呂上がりにビール飲むおっさんかよ」
俺もおにぎりを一つ手に取った。
少し不格好だが、温かい。一口かじると、塩加減が絶妙で、疲れ切った体にエネルギーが充填されていくのを感じる。
「美味い。エルーカ、料理の腕上げたか?」
「えへへ、レギナさんに特訓してもらいましたから! 『胃袋を掴め』って!」
「余計なことは言わんでいい」
レギナがそっぽを向くが、耳が赤い。
「マスター。肩が凝っているな」
レギナが俺の背後に回り、肩を揉み始めた。
魔法を使わない、純粋な手技だ。
硬くなった筋肉が、彼女の指先で的確にほぐされていく。
「うおっ、そこ……効く……」
「無理をしすぎだ。……私たちには、その難解な文字の羅列を手伝うことはできん。だが、こうして支えることならできる」
レギナの声が優しい。
「そうですよ師匠! 私たちがついてますから! だから……あんまり、死にそうな顔しないでください」
エルーカが心配そうに俺の顔を覗き込む。
……鏡を見なくても分かる。酷い顔をしてるんだろうな。
前世の最期と同じような顔を。
「……悪いな。心配かけた」
俺は苦笑して、残りの豚汁を飲み干した。
体の中から温まる。
一人じゃない。
あの冷たいサーバー室で孤独に死んでいった時とは違う。
今は、背中を支えてくれる仲間がいる。
「復活したぞ! ミサ、やるぞ!」
「はいっ! フルチャージ完了です!」
俺たちは再びデスクに向かった。
エルーカとレギナは、「終わるまでここで見張ってます」と言って、部屋の隅のソファで毛布にくるまった。
じきに、安らかな寝息が聞こえてきた。
カチャカチャカチャ……。
打鍵音が再開する。
だが、その音色は先ほどまでの悲壮感漂うものではなく、どこかリズミカルで、希望に満ちた音に変わっていた。
「……先輩。私、思うんですけど」
ミサがモニターを見つめたまま、ポツリと言った。
「この装置、完成したら……本当に世界が変わっちゃうかもしれませんね」
「ああ。神様の庭に土足で踏み込んで、文句を言いに行くんだ。タダじゃ済まないだろうな」
「怖くないですか?」
「怖いさ。……でも、楽しみでもある」
俺は眼鏡を押し上げた。
「俺たちが作ったこのシステムで、理不尽な仕様だらけの世界を書き換える。エンジニアとして、これ以上の大仕事はないだろ?」
「ふふっ。ですね。……最高にロックです」
ミサが笑う。
俺たちの指は止まらない。
エラーログが一つずつ消えていき、システムの状態を示すインジケーターが、徐々に『安定』へと近づいていく。
窓のない地下室では時間の感覚が曖昧だが、体感で数時間が経過した頃。
『Kernel Panic resolved. System All Green.(カーネルパニック解消。システム・オールグリーン)』
モニターに、待ち望んでいた文字列が表示された。
「……できた」
俺の声が震えた。
「バグ、ゼロです! コンパイル通りました!」
ミサが椅子から飛び上がる。
「よし……! 最終チェックだ! 再起動!」
俺は震える指でエンターキーを押した。
ブゥゥゥン……。
冷却ファンが静かに回転し、モニターには美しい幾何学模様の魔法陣が展開される。
エラー警告は出ない。
熱暴走もしない。
『星の心臓』の輝きが、装置全体に行き渡り、まるで生き物のように脈打ち始めた。
「完成だ……。次元ゲート開放装置『アカシック・レコード』」
俺は椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
長かった。
魔法が使えない中での、手作業によるスパコン建造。
無謀とも思えたプロジェクトが、ついに実を結んだのだ。
「やりましたね……先輩……」
ミサが俺の肩に頭を乗せてくる。
彼女も限界だったのだろう。安堵と共に、糸が切れたように脱力している。
「ああ。……よく頑張ったな」
俺は彼女の頭を撫でた。
振り返ると、ソファではエルーカとレギナが寄り添って眠っていた。
彼女たちの寝顔を見ていると、自然と笑みがこぼれる。
夜明けは近い。
この装置が動けば、俺たちは運営の元へ行ける。
そして、奪われた街を、日常を取り戻すことができる。
「……少しだけ、寝るか」
俺はミサの肩を抱き寄せ、目を閉じた。
泥のような眠りが、心地よく意識を奪っていく。
地下ラボに響くのは、安定したサーバーの駆動音と、仲間たちの寝息だけだった。




