第6話 「魔眼」とか要らないんで「ブルーライトカット眼鏡」作ります。〜聖なる輝きが目に痛いので〜
朝、目が覚めると、視界が砂嵐のようにチラついていた。
「……あー、目が痛ぇ……」
俺は眉間を揉みながら、重い体を起こした。
奥歯が浮くような鈍痛が、眼球の奥から脳天へと突き抜けていく。
典型的な眼精疲労だ。しかも、かなり重度のやつ。
原因は分かっている。
この世界に来てからというもの、俺の目は常に「過重労働」状態なのだ。
俺のユニークスキル『全事象の翻訳・編集』は、視界に入ったあらゆる物体や現象を「情報」として表示してしまう。
空を飛ぶ鳥を見ればその飛行軌道予測が、道端の石を見れば鉱物データが、すれ違う人を見ればステータス情報が、頼んでもいないのにポップアップウィンドウとして視界を埋め尽くす。
いわば、高性能すぎるARグラスを、24時間つけっぱなしにしているようなものだ。
脳への情報負荷が尋常ではない。
「老眼かぁ……?いや……まだ早すぎるよな……。……あー、目薬が欲しい。あのスーッとするやつ」
俺は呻きながらリビングへ向かった。
もちろん、そんな気の利いたものはこの異世界にはない。あるのはポーションと聖水くらいだが、あれを目に差したら逆に失明しそうだ。
リビングでは、既にレギナが朝食の準備を整えていた。
「む。おはよう、マスター。……顔色が優れないようだが」
レギナが心配そうに俺を覗き込む。
彼女の赤い瞳がドアップになると、そこにも詳細な生体データが表示されてしまう。
『魔力残量:安定』『好感度:測定不能』……やかましいわ。
「ちょっと目の使いすぎでな。……なぁレギナ、この世界に『眼鏡』ってあるか?」
「眼鏡? ああ、それなら王都の大通りに専門店があったはずだが」
「よし、行こう。今すぐ行こう」
俺はパンを口に放り込み、コートを羽織った。
物理的なフィルターをかけて、少しでも情報量を減らさないと、俺の脳みそがショートしてしまう。
◇
王都、中央大通り。
俺たちは一軒の老舗眼鏡店を訪れていた。
店内には、金縁や銀縁の眼鏡が恭しく並べられている。
「いらっしゃいませ! 当店の眼鏡は、ドワーフの職人が磨き上げた最高級品ですよ!」
恰幅のいい店主が揉み手ですり寄ってくる。
俺は期待を込めて、一番高い棚にある眼鏡を手に取った。
値札には金貨10枚とある。日本円なら100万円クラスの高級品だ。
俺はそれをかけ――そして、3秒で外した。
「……ダメだ、こりゃ」
「は? お客様、何か不満でも?」
「レンズの透明度が低すぎる。それに歪んでる。中心と端で屈折率がズレてるから、かけてると余計に酔うぞ、これ」
俺は率直な感想を述べた。
ガラスの質が悪い。気泡が入っているし、研磨も均一じゃない。
こんなものをかけていたら、眼精疲労が悪化するだけだ。
「なっ……! 何を言うかと思えば! これは王宮魔導師様も御用達の一品だぞ!」
店主が顔を真っ赤にして怒鳴り出す。
「貧乏人の冷やかしなら帰ってくれ! シッシッ!」
「あー、はいはい。悪かったよ」
俺は店を出た。
背後でレギナが「無礼者が! マスターになんて口を!」と魔法をぶっぱなしかけたので、慌てて首根っこを掴んで引きずる。
「はぁ……やっぱり、自分で作るしかないか」
俺はため息をついた。
異世界の技術水準に期待した俺が馬鹿だった。
エンジニアたるもの、道具に妥協してはいけない。ないなら作る、それが鉄則だ。
俺たちはその足で魔道具の素材屋に向かい、一番透明度の高い『魔水晶』の原石と、安物の眼鏡フレームを購入した。
◇
人気の少ない公園のベンチ。
俺は買ってきた水晶の塊を手に持ち、深く集中した。
「師匠、水晶で何をするんですか? 占い?」
エルーカが不思議そうに首を傾げる。
「今からこれをレンズにする」
俺は右手をかざし、管理者権限を展開した。
空中に青白いコンソール画面が表示される。
本来、レンズの加工には高度な研磨技術と長い時間が必要だ。
だが、俺には物理法則を直接書き換える力がある。
「対象の分子構造をスキャン。不純物を除去」
俺は水晶内部の炭素や不純物のデータを削除し、純度100%の結晶体へと精製する。
濁っていた水晶が、一瞬で水滴のように透明になった。
「形状定義変更。曲率半径を最適化」
次は形状だ。俺の眼球データに合わせて、ミクロン単位でカーブを調整する。
さらに、ここからが本番だ。
「レイヤー追加。表面コーティング処理」
俺はただのレンズを作る気はない。
前世で愛用していた、あの機能を持たせる。
『add: BlueLight_Cut(魔力光カット率:99.9%)』
『add: Anti_Reflection(反射防止処理)』
『add: Auto_Focus(自動ピント調整)』
この世界に溢れる「魔力の光」は、前世で言う「ブルーライト」に近い波長を持っている。
これが目の疲れの主犯だ。こいつを極限までカットするコーティングを施す。
さらに、おまけ機能も追加しておこう。
『add: HUD_Filter(情報表示フィルタリング)』
視界に溢れる情報を整理し、必要な時だけ表示するように制御する機能だ。
これで常時ポップアップに悩まされることもない。
「――コンパイル!」
カッ! と手元の水晶が光を放つ。
光が収まると、そこには二枚の完璧なレンズが完成していた。
俺はそれをフレームにはめ込む。
「できた……」
見た目は何の変哲もない、黒縁のスクエア型眼鏡。
だがその性能は、この世界の国宝すら凌駕するオーパーツだ。
名付けて、『対魔力光遮断眼鏡』。
俺は震える手でそれを装着した。
スッ――。
世界が、変わった。
雑音が消えたような静寂。
視界を埋め尽くしていたノイズが消え、必要な情報だけが右端に小さく表示されている。
そして何より、目に刺さるような魔力の眩しさが完全に遮断され、優しい色合いに変わっていた。
「……ふぅ。生き返った」
俺は深呼吸をした。
目の奥の痛みが嘘のように引いていく。
これだ。このクリアな視界こそ、俺が求めていたものだ。
俺が一人で感動に浸っていると、正面から熱っぽい視線を感じた。
顔を上げると、エルーカとレギナが、なぜか頬を赤らめて俺を凝視している。
「……なんだよ。変か?」
「い、いえっ! 変じゃありません! むしろ凄いです!」
エルーカが身を乗り出してくる。
「なんていうか……その、凄く『知的』に見えます! ただでさえ大賢者様なのに、眼鏡をかけると、こう、深みが増すというか……!」
「……同意する」
レギナも深く頷き、うっとりとした目で俺を見つめる。
「マスターの冷たい眼差しが、レンズを通すことでより鋭く、しかしどこか知性的な色気を帯びている。……素晴らしい。これは新たな属性の開拓だ」
「……お前ら、何の話をしてるんだ?」
俺は首を傾げた。
ただの保護眼鏡だぞ?
まあ、前世でも「SEは眼鏡率が高い」なんて言われていたし、職業柄似合うのかもしれないが。
「とにかく、これで仕事の効率も上がる。行くぞ」
俺はコートの裾を翻し、颯爽と歩き出した。
視界は良好。体調も万全。
これでどんなバグが来ても、即座にデバッグしてやれる。
背後で「眼鏡……素敵……」「保存用にもう一本予備を作らせるべきか……」などと不穏な会話が聞こえた気がしたが、俺は聞こえないふりをして、午後の日差しの中を歩き続けた。




